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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
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8

 存外親しみやすいという言葉は、目の前で笑いをかみ殺し続ける彼にこそぴったり当てはまるのではないだろうか。

 この方は笑うと威圧感がなくなり、とても優しそうな面立ちになるのだ。

 それを知れたことが嬉しかった。セラフィナは喜びに背を押されるようにして、思い切って今し方抱いたばかりの疑問をぶつけてみることにする。


「それにしても、私はそんなに親しみにくく見えていたのでしょうか?」


 ランドルフは長いため息を吐いて、笑いを落ち着かせた様であった。次に合わせたその金の瞳は、先程と打って変わって真剣味を帯びていた。


「そういう訳ではないんだ。ただ、使用人達が気にしていた。貴女が無理をし過ぎているのではないかと。この二週間勉強ばかりで碌に休憩も取っていなかったそうだな」

「あ……」

「そんなに頑張らなくてもいい。彼らも少しくらい頼み事をしてやらないと寂しがるぞ」


 どうやら、彼に随分気を遣わせてしまったらしい。

 その事に気が付いたセラフィナは、後悔が胸中に渦巻くのを感じた。ディルク達にまで心配をかけて、いったい何をしているのだろう。


「申し訳ありません。私は、自分の事ばかりで……ご心配をおかけしてしまいました」

「ふむ。貴女は少し遠慮が過ぎるようだな。家人の心配をするのは人として当たり前だ。貴女はアイゼンフート家の為に尽くそうとしてくれているのだから、謝るようなことではない。こちらこそ感謝している」


 笑みと共に告げられた暖かい言葉。しかしセラフィナはたまらなくなって、思わず違うと叫び出しそうになるのを堪えなければならなかった。


 違うんです。私は、私の事情で良き妻になろうとしているだけ。私は本来ならここにいていいような者ではないから。けれど、故国の為にここにいなければいけないから。その罪悪感も勉強に打ち込めば感じずに済んで楽だからと、周りの心配に気付きもせずに。ああ本当に、なんて身勝手なのだろう。


 しかしそんなことが言えるはずもない。セラフィナは強く両手を握りこみ、内心の動揺を押し込めた。


「どうやら少し気を張りすぎていたようです。ですが、私、本を読むこと自体結構好きなのですよ?」

「そうなのか。それは結構なことだな」

「今日の博物館もとっても楽しみにしているのです。だって図鑑に載っているような物が実際に展示されているのでしょう?」

「ああ、そうだな。退屈するようなことはないだろう」


 それからは他愛も無い事を話した。博物館の展示品のこと、ブリストルの街並みのこと。そうしているうちに、馬車はあっという間に目的地に到着したのだった。



「まあ、こんなに賑わっているのですね。何て立派な建物でしょう」


 馬車を降り立ってから、セラフィナは興奮し通しだった。

 薄黄色の壁と彫刻の掘られた柱は荘厳を極め、この国の文化の重厚さを見せつけている。入り口には多くの人が集まり、それぞれ待ち合わせをしたりチケットを買い求めたりしている様だった。その服装は様々で見たところ貴族もいれば平民もいる。


「ブリストル博物館は先代の皇帝、サイラス二世陛下が設立されたんだ。陛下はこの国の文化を愛し、遺跡からの出土品など全ての文化財を守るためにここを作った。博物館の建設事業は当時不況で就職難に陥っていた民の雇用を生み、経済を回した」

「ご立派な皇帝陛下です。今ではこんなにたくさんの方が来ていて……」

「ああ、誰でも入れる様に入館料は安く設定しているからな」

「聞けば聞くほど素晴らしいですね。見て回るのが楽しみです」

「ああ、そうだな。ともかくチケットを……ん?」


 突然ランドルフが足を止めた。どうやら、出入り口の方を訝しげに注視しているらしい。


「どうなさったのですか?」

「いや、そんな、まさかな」

「あの……?」

「……やはり、 ルーカスか!」


 それは大きな声ではなかった。しかし確かな怒気を孕み空間を駆け抜けたそれは、その人物を直撃したらしい。

 ランドルフがピタリと見据えるその方向、直線上にいた男はビクリと肩を震わせると、信じられないものを見る目をこちらに向けた。


「げっ……に、兄さん!」

「お前、こんな所で何をしている!」


 ランドルフは一気にその男に向かって距離を詰めた。やたらと脚が長いので、殆ど走っているような速さだった。


「アルデリーに居るはずのお前が何故! ここにっ!」

「いやあの、ちょっと出張といいますか」

「それならまずは顔を出せといつも言っているだろうが。お前は常識というものをいつになったら覚えるんだ!」


 ここまでの会話で急に現れたこの男の正体はセラフィナにも察しがついた。その想像が当たっているなら兎にも角にもまず挨拶をしなければならないだろうと考え、それを果たすべく歩き出す。


「恋人が俺に会いたいと言うものですから。いいでしょう兄さん、着いたその日くらい遊んだって」

「お前という奴は、どうせ首都と西両方にいるのだろう。あれほど不誠実な真似はよせと言っているのに」

「いえ、俺は真剣ですよ。真剣に順位をつけています。ブリストルのは一位、最下位は隣町です」

「一体何人いるんだ!」

「あ、そうだそうだ。兄さん、ご婚約おめでとうございます! いやあ、びっくりしましたよ。あの堅物の兄さんが、噂の妖精姫と結婚するっていうんですからね」

「おい、まだ私の話は終わっていないぞ」

「そうは言っても、彼女をお待たせするのも良くないでしょう」


 二人の側に到着した瞬間だった。彼はするりとランドルフの傍をすり抜けると、優雅な動作でセラフィナの手を握りこんできたのである。あまりの自然さにあっけにとられていると、彼は極上の笑みを浮かべ姫君に対する礼を取った。


「初めてお目にかかります、姫君。私はルーカス・ヨハン・アイゼンフート。貴女の義弟となる者です」


 ランドルフの実弟であるルーカスに関する評判は、ディルクたちから聞かされてはいた。

 彼は現在アイゼンフートの領地にある本邸に居を構え、首都に住む兄と分担して領地運営を行っている。同時に軍人としても勤めており、アルーディアとの国境の要衝として知られるアルデリー要塞にて、たしか歩兵大隊参謀の職に就いていたはずだ。

 そんな働き者の彼だが、なんでも実の兄であるランドルフとは見た目から全く似ておらず、性格も正反対。爽やかな男ぶりで浮き名を流すものの、特定の恋人を作らず周囲をやきもきさせているらしい。


「初めまして、ルーカス様。セラフィナと申します。至らぬ点も多々あるかとは存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます」


 セラフィナが丁寧な礼をすると、彼は優美な笑みを浮かべていたのを一転、グレーの瞳を細めて人懐っこそうに笑って見せた。


「これはこれは。そんなにかしこまらなくてもいいんですよ」


 彼が笑うと亜麻色の髪が少し揺れ、自然光に彩られた室内で一際輝いて見えた。スラリとした長身にフロックコートを纏い、背筋を伸ばして立つ様は清潔感に溢れている。鼻筋の通った端正な面立ちはどこか親しみの持てる雰囲気を備え、声は軽やかなテノール。

 爽やかな容姿とそれに似合った社交性、さらには家柄と軍部内での地位まで持ち合わせているとなれば、世の女性は放ってはおかないだろう。


「お会い出来て光栄です、姫君。しかし、本当にお美しい。天使が舞い降りたのかと思いましたよ」

「え? あ、あの……とんでもございません、私など」

「しかも謙虚でいらっしゃる。あなたの美しさの前では女神像も霞んでしまうでしょうね」

「ええと……」


 しかも口がこれでもかというほどに達者ときている。今まで聞いたこともないような美辞麗句の嵐にセラフィナは大いに困惑し、最終的には絶句していると、横から助け船が出されたのだった。


「おい、ルーカス。いい加減に手を離せ」

「これは失礼。兄さん顔が怖いですよ、そんなに怒らなくてもいいでしょう」

「元からこういう顔だ、馬鹿馬鹿しい」


 ようやく解放された手にほっとしつつランドルフの方を伺い見ると、彼は確かに眉間に皺を寄せているようだった。


「ところでだ、ルーカス」

「なんです兄さん」

「今、恋人と一緒だと言ったな。紹介しては貰えないか?」

「! あ、いや、それはその…」


 急に歯切れの悪くなった弟を、ランドルフは鋭い眼光で射抜く。それは今度こそ逃がさんと言わんばかりの威圧感を伴っていた。


「お前が真剣に順位付けした結果一位になったという女性に、是非とも会ってみたいのだが」

「い…いや、実は彼女には先に出てもらっているんです。連れてくるのもお互い手間ですから。では、待たせているので俺はこれで!」

「待て、ルーカス!」


 それは見事な逃げ足であった。瞬時に人混みに掻き消えた長身を呆然と見送ったセラフィナは、低い呻き声に気付いて後ろを振り返る。


「奴め、逃げ足の早い……セラフィナ、すまなかったな。弟に代わって非礼を詫びよう」

「いいえ、そんな。随分明るいお方ですね」

「明るいことは間違いないのだろうが、二十八にもなるというのに遊びまわっていてな。いつもあの調子なのだ。貴女も知っての通り、両親はすでに他界しているから、あいつも家の事を随分と助けてくれてはいるのだが」


 しかめ面のランドルフだったが、その声音に苦味は無く、どうやら純粋に弟のことを心配している様だった。ルーカスを見つけた時はかなりの剣幕だったので仲が悪いのかと心配してしまったが、違うと判って安堵の笑みを零す。


「ふふ。仲がよろしいのですね」

「何? そう見えるか」


 しかし、ランドルフは心底意外と言わんばかりに眉を上げて見せた。


「それは、あまり言われたことが無かったな。似ていないと言われることはしょっ中だが」

「私には心配からご助言されているように見えました。違いましたか?」

「……そうだな。実の弟なんだ、心配くらいする。まあ、あいつはそれを面倒だと思っている様だが」


 やれやれといった様子で肩をすくめたランドルフは、チケット売り場に向かって歩き出してしまった。

 仲が悪いようには見えなかったが、やはり兄弟とは難しいものなのだろうか。

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