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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
番外編
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とある将軍夫妻の帰還 4

 どちらが先に入浴するかという押し問答を繰り広げた結果、セラフィナは先に降参することになった。

 必要な用具や着替えをまとめて脱衣所へと入る。中はグレーのタイルと板張りで統一されていて、奥に木の扉が配置されていた。きっとあの先が温泉なのだろう。

 さっとワンピースを脱いで、簡単な下着も外す。セラフィナは必要なものを手にすると、早速温泉へと繰り出して行った。


「わぁ……!」


 思わず子供のような歓声が漏れてしまったが、それを聞き留める者は一人も居ない。

 そこは予想以上に素晴らしい空間だった。

 まずお湯の色が白く濁っている。地理の勉強をした時に、成分によって色が変わることがあるのだと書いてあったが、本当にその通りだったようだ。

 木製の塀が設置されていて、外からは見えないようになっている。しかし夜空はしっかりと切り取られていて、見上げれば月と星々が頭上で輝いていた。


「綺麗……」


 やっぱりすごく贅沢だ。こんな素敵な経験をさせてもらっているのだから。

 今はただ感謝してこの時間を過ごさせてもらおう。セラフィナはそう独りごちて、ひとまず持参した新品の石鹸を下ろしてみた。

 途端に用意してくれたエルマの得意げな顔が浮かんでくる。


『これはヴェーグラントからお持ちしたんです! きっとこういった物もご要り用かと思いまして。お屋敷で奥様がお使いになっていたものですよ』


 エルマは大きなカバンを持参していたのだが、その中にありとあらゆるものを入れていたらしい。ルーカスによれば、倉庫にでも通じているかのような多彩ぶりだったそうだ。

 馴染みの石鹸が肌に合うことは知っていたので、ありがたく使わせてもらうことにする。

 全身を丁寧に洗い、髪を適当に括ったら、いよいよをもって温泉に浸かる時がやってきた。

 セラフィナはどきどきしながら足先を浸してみた。丁度いい温度であることを確認して、ゆっくりと肩まで浸かっていく。

 じんわりと浸透していくような感覚が全身を包んだ。

 普通のお湯とは明らかに違う圧倒的な気持ち良さ。ここ最近の濃過ぎる日々によって凝り固まった体がほぐれていくようで、セラフィナはつい大きな溜息を漏らしてしまった。

 タイルで固められた浴槽にもたれて足を伸ばした。天を見上げるとまるで星が降り注ぐようで、その絶景をじっくりと眺める。

 一人になって気が抜けると、取り止めのない思考が始まるのはそう不思議なことでもないだろう。

 昼間は楽しかった。皆に会えたこともそうだし、王宮に貯蔵されていた食料の流通が始まっていたことが知れて安心した。

 あと、ランドルフが子供と遊んでいたのには驚いた。騎士ごっこや肩車など、常に無いダイナミックな体験が出来たことに、子供達も大満足だったようだ。

 彼は子供に泣かれるのを気にしていたようなので、子供達が懐いてくれて本当に良かった。

 その後のランドルフは、行く先々で子供達から憧れの眼差しで見られることはあっても、恐怖に泣かれることは無かった。以前しゃがんだほうがいいと偉そうにアドバイスしてしまったのだが、それを実践する以外にも、優しい表情で語りかけるように心がけてくれていた気がする。


「……ふふ」


 彼はきっといいお父さんになるだろう。案外その想像図は簡単に思い描くことができて、つい一人で笑ってしまう。

 しかしセラフィナは我に帰るのが早かった。水しぶきを上げて身体を起こし、赤くなった頬に手を当てる。

 一体何を考えているのだろう。それはつまり、自らが子供を産んだという未来に他ならないのに。

 つい先程姉たちの好意を無下にして、誘惑することを放棄したばかりなのに。そんな事を考える資格なんてあるはずがない。

 今度の溜息は重かった。こんなことばかり考えて、本当にどうかしている。きっとベルティーユ達の乙女ぶりが伝播してしまったのだろうが、一人で浮かれて馬鹿みたいだ。

 セラフィナは頭を振って、のろのろと温泉から這い出たのだった。



 脱衣所に戻り、乾いた布で身体を拭く。浮かない気分のまま下着を身につけたセラフィナは、ネグリジェを広げて息を呑んだ。


『これを用意するのは大変だったわよ! エルマのアドバイスで白と青を基調にするのは決まっていたけど、エレガント系か可愛い系か清楚系かで揉めて、結局は王道で収まったのよね〜!」


 ベルティーユの楽しそうな顔が浮かんでくる。あの時のセラフィナは恥ずかしさばかりが先に立って、デザインを確認することができなかったのだ。

 白の絹をベースに水色のレースが首回りと裾に縫い付けられており、肩から先が青のシフォン素材でふわりと揺れる。胸のすぐ下に青いリボンがぐるりとあしらわれていて、中央で結わえてある。そこから広がる生地には白のレースが重ねられ、サラサラとした手触りがいかにも着心地が良さそうだ。

 なんと美しい。しかしそれ以上に三人からの愛情を感じて、セラフィナはたまらなくなった。

 一度抱きしめてから袖を通すと、不思議なほど身体にぴったりなので驚いてしまう。

 胸元はいつになく開いていたがいやらしさはなく、肩から腕が透けているのもやり過ぎない程度に抑えられている。姿見に映して確認してみても、何だか似合っているような気がした。おこがましいくらい素敵なネグリジェなのに、不思議だ。

 そして最後に、セラフィナは使いかけの香油を手に取った。


『これはアルーディアの貴族の姫君に人気だった香油です。爽やかでお淑やかないい匂いがするので、セラフィナ様にぴったりですよ。もう物資不足で生産されていないので中古ですが、ご勘弁下さい』


 申し訳なさそうに笑うクロエに、セラフィナはそんな貴重な物は受け取れないと伝えたのだが、彼女は持って行けと言い張って譲らなかった。

 瓶から垂らしてみると、本当に爽やかないい香りだ。勿体ないと恐縮しながら肌に少しずつなじませていく。

 そうして手入れをしながら、セラフィナはようやく一つの決意を固めていた。

 今夜は勇気を出して聞いてみよう。どうしてそういう事をしないのか、と。

 せめて尋ねるくらいのことはしないと、ここまでしてくれた彼女達に申し訳が立たない。

 恐怖心はある。答えを想像すると足が竦む。けれど、いい加減に乗り越えたいのだ。

 不安なことがあったら口に出せるような関係になりたい。彼のことを支えたいと願うなら、こちらも彼のことを信じなければ。

 セラフィナは気合十分で脱衣所を後にした。



「お先に頂きました。温泉、とっても良かったですよ」


 ランドルフは窓辺のチェアに腰掛けて新聞を読んでいるところだった。長い脚を組んでランプのオレンジ色の明かりに照らされた様は何とも雰囲気がある。


「それは良かった。ゆっくりできたか?」


 その時、新聞から顔を上げた彼がほんのわずかな時間静止したのを、セラフィナは気付くことができなかった。


「お陰様ですっかり寛いでしまいました。本当に良いものなんですね、温泉って」

「……そう、か」

「はい、どうぞごゆっくり」

「……ああ。そうさせてもらおう」


 ランドルフは着替えなどを手にして脱衣所へと消えて行った。

 すると、扉の向こうから何かをぶつけるような音が聞こえてくる。

 心配して声をかけようとしたが、彼ほどの人なら体をぶつけるなどという失敗はしないだろうし、きっと何か物を落としたのだろう。セラフィナは一人納得して、かつてない程に緊張を強いられる待ち時間を過ごし始めるのだった。


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