とある将軍夫妻の帰還 2
そんな秘められた経緯がありつつも時は過ぎ去り、ついに王宮を出ることが決まった。
セラフィナは今、充てがわれた客間で荷造りをしている。とは言っても攫われてきた身の上なので私物は無いのだが、ベルティーユとクロエによっていくつか持たされてしまったのだ。
当座の着替えなどは既にエルマが用意してくれている。彼女は先程、ルーカスから逃れるようにひっそりと旅立って行った。
「思ったより荷物があるんだな。手伝おうか」
トランクに荷物を詰め込んでいると、後ろから声がかかった。振り返るとそこにはランドルフがいる。彼は今日の朝から完全復活を遂げていて、リハビリを兼ねて散歩に出かけていたのだ。
「いっ、いえ! これは、自分で!」
「そうか? まあ、女性の荷物に触れるのも悪いか」
つい挙動不審になってしまったが、どうやら良いように納得してくれたらしい。ランドルフはあっさり頷くと、汗を拭いつつ部屋を出て行った。
そう、この荷物を見せるわけにはいかない。
完全に浮き足立った三人娘によって、「支度」は完璧に整えられていた。ネグリジェだの香水だのと、彼女らは面白そうに並べていたのだが、セラフィナはそれらをいまいち直視できなかった。
そもそも、ランドルフが我慢をしていてくれたのだという、それ自体が信じ難い話なのだ。もし違ったらどうする? それなのに誘惑とやらを仕掛けたりしたら、一体どう思われることか。
「……はぁ。どうしましょう」
ついたため息は弱々しく床へと落ちていった。
*
「エマさん! みんな!」
馬車に揺られてしばらく、ようやく孤児院に到着したセラフィナは、待ちきれないとばかりに飛び出していた。
懐かしい顔ぶれが門前で待ってくれている。皆少しばかり痩せたように見えたが、全員が無事である事を確認するともう我慢できなかった。
「セラフィナさまあー!」
「セラフィナ様だ!」
「うわああん、良かったあ!」
泣きながら走り出すと同時、子供達も駆け寄ってきたため、セラフィナはあっという間に取り囲まれてしまう。一人一人と抱擁を交わしていると、後からエマも追いついてきて、温かい腕で抱きしめてくれた。
「姫様、本当にご無事でよろしゅうございました…! どれほどご心配申し上げたことか」
「エマさん、心配かけてごめんなさい…! 皆が無事で本当に良かった…!」
もしかすると誰かが欠けてしまったかもしれない。そんな不安がいつも心の奥底にあった。けれど、皆この苦しい社会を生き抜いてくれた。強く逞しく、そして優しいまま。
「ねえねえセラフィナ様、あのおじちゃんだあれー?」
甲高い声を受けて顔を上げると、子供達の視線が一人の人物に集まっていた。
曇りのない眼差しにたじろいだ様子のランドルフだが、それでも今回は共に訪問することを申し出てくれたのだ。セラフィナは小さく笑って、子供達に彼を紹介することにした。
「ランドルフ・クルツ・アイゼンフート侯爵…私の、その、だ、旦那様です」
最後は照れるあまりに少しどもってしまったが、子供達は充分に聞き取っていたらしい。一斉に沸き返った彼らを前に、セラフィナは恥ずかしさを誤魔化すように微笑んだ。
「セラフィナ様、けっこんしたのー?」
「おめでとお、セラフィナ様!」
「おめでとー!」
しかし嬉しそうにはしゃぐ子供たちより、飛び上がらんばかりに喜んだ人物がいた。
「まあ、何てことでしょう!」
ランドルフに向かって突進するエマの勢いはすごかった。それでも全く動じた様子がないのは、さすが将軍閣下と言ったところか。
「初めまして、侯爵様! まさかこんな形でお会いできるなんて。こちらの孤児院の院長を務めております、エマ・ルジェールでございます」
「ランドルフ・クルツ・アイゼンフートです。妻がお世話になった礼を申し上げに参りました」
「これはご丁寧に! お噂は聞き及んでおります。革命への援軍を率いてくださったとか。本当にお疲れ様でした」
エマの労いに、ランドルフは笑みを浮かべるだけに留めたようだった。
黒獅子将軍への悪い噂は、今回の件で随分払拭されたとは聞くものの、まだまだ完全なものとは言えない。
だからこそ彼は自身の評判について話題にすることを避けている。彼に好意的な意見を持つ者ほど、この現状を気に病んでいるからだ。
そんなランドルフを見ていると、セラフィナは申し訳なさで胸が苦しくなるのだった。
しかしそんな二人のやりとりに気を取られているうちに、いつのまにか子供達がランドルフを取り囲んでいる。彼らは興味津々といった様子で、その人数と無邪気さに流石の将軍閣下も戸惑っているように見えた。
「おじちゃんでっけ———! つよそうだな!」
「なんでそんなにおおきいの? ねえ、わたしのことかたぐるまできる?」
「騎士ごっこしようぜ! なあいいだろ、おっちゃん!」
今日は目立たないように夫婦揃って平民のような装いをしているのだが、だからといってランドルフの武人然とした佇まいが消え去るわけではない。それでも子供達は天使のような笑みを浮かべていて、セラフィナは何だかホッとしてしまった。
しかし全く遠慮のない彼らを前に、エマは目を釣り上げている。
「こら! 侯爵様に対してなんて口の聞き方を! だいたい、あなた達は姫様方に対しても、いつも失礼だったのよ。今日という今日は———」
「どうかお気になさらず、院長。子供が子供らしくあるのは良いことだ」
「まあ、侯爵様……」
ランドルフが叱責をやんわりと遮ると、エマは思い切り目を見開いた。
その反応にこの国での貴族の強権ぶりを垣間見て、セラフィナは苦い思いを抱いた。しかし大人達の沈黙など意に介さない子供達は、寧ろ更に押しを強くして迫ってくる。
「遊ぼうよおじちゃん!」
「ねーねー、お願いだから!」
「あーそーぼー!」
セラフィナは制止に入るため一歩踏み出した。何せランドルフは病み上がりであり、しかも子供が苦手なのである。彼のためにもここはその役目を引き受けなくては。
しかしセラフィナの気遣いは日の目を見ることはなかった。何故なら、彼らは案外話が弾んでいたのである。
「ベル姉ちゃんはね、俺たちを肩車してくれるんだぜ!」
「何? あのベルティーユ姫が?」
「レオナールはね、決闘ごっこ!」
「ふむ。彼なら良い相手になるだろうな」
「ううん、レオナールね、弱いよ! 俺たち負けたことないもん!」
「そうか、お前たちは強いんだな。大したものだ」
褒められたことに気を良くした男の子達が、ランドルフの手を引いて歩き始める。天下の黒獅子将軍は特に抵抗する風もなく、そのまま連行されて行くではないか。
「いい方ですねぇ。姫さま」
エマがしみじみと呟いている。セラフィナは驚きのあまりすぐに答えることができなかったのだが、しばらくして小さく笑った。
「はい。本当に、お優しい方なんです」
*
その後も時間の許す限り多くの場所を訪ねた。よく慰問に訪れた病院、孤児院、そして良くしてくれた店が集まる商店街まで。
もう二度と会うことができないと思っていた人達と再会し、彼らが苦しい暮らしの中生き延びてくれたことを知る事が出来たのは、セラフィナにとっては望外の喜びだった。中には戦争に出て帰ってこなかった者や、貧困が原因で命を落とした者もいて、残された家族の話を聞くのは胸が締め付けられるような思いがした。
けれどその時間も含めてかけがえの無い物となったし、何よりもこの過去を辿るような小さな旅路にランドルフが付いていてくれた事が心強かったのである。




