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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第三章 あの日の約束に真実の夢を見る
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  霞む視界の中、滂沱の涙を流すセラフィナの姿を認めた時、ランドルフの胸の内に去来したものは焼け付くような後悔だった。

 あんな政治屋程度が放った銃弾への対処で下手を打つとは。

 セラフィナは優しい。ランドルフは彼女を庇って怪我を負ったのだから、それを気に病むであろうことも彼女の性格を考えれば容易に想像がつく。

 けれど気にしないで欲しかった。これは詰まるところランドルフの自己満足の結果なのだ。セラフィナが傷つくことは、この身を切られるより余程耐え難いことなのだから。

 喉に血が絡んで上手く話すことができない。撃たれたのは脇腹のあたりか。

 この出血ではもう駄目だろうな。人事のようにそう考えれば、セラフィナに伝えなければならないことがいくつも頭に浮かんできた。

 お前が気にすることではない。辛い目に合わせてしまってすまなかったな。そしてどうか、幸せに。

 一つ一つを言葉に乗せていくと、最終的に残ったのは彼女を愛しているという、その気持ちだけだった。

 伝えてみようかと考えて、すぐにやめた。死にゆく者からの愛の言葉など、この先の彼女に負担になりこそすれ、幸せの一助になどなりはしない。

 だからこそ、次の瞬間にセラフィナの口から発せられた言葉には耳を疑った。


「好きです」


 絞り出すように告げられた言葉が頭に到達するまで、暫しの時間を要した。


「好きです…っ! 貴方のことを、愛しています。ですから、どうか…!」


 縋るように言い募る彼女の姿は霞む視界に溶け始めていた。世界が白く染まる中、ランドルフは思わず苦笑をもらす。


「……ああ。随分と、都合の良い夢だ」


 *


 目を覚ますと、ランドルフは白に塗りつぶされた空間に佇んでいた。

 足元に地面の感触はあるものの、全方位に雲のように掴み所の無い白が広がっている。

 一体ここは何なのだろうか。そもそも自分はどうしたのだったか。混乱する頭に手を当てて考えこもうとしていると、見知らぬ男が急に現れて、さすがのランドルフも驚きに目を剥いた。


「やあやあランドルフ君! 初めまして!」


 男は随分と古めかしい服装をしていた。記憶の中にある歴史の教科書を繰るに、五〇〇年以上も昔のものだろうか。

 やけに爽やかな笑みを浮かべた男は、しかしその顔つきは少々いかつい。自分ほどではないにせよ。


「……初めまして」


 状況について行けずに気の無い返事を返したランドルフに、男はあからさまにショックを受けた表情をして見せた。随分とノリの軽い男だ。こんな知り合いは絶対にいない。


「いや、反応薄くないか!? もっとお前は誰だ! とかここはどこだ! とかあるだろ、普通!」

「慌てても仕方がないからな。貴方が状況を説明できるのならお願いしたいのだが」

「うーん……ほんっと可愛げのない子だねえ……」


 男はぽりぽりと頬をかくと、呆れたように腕を組んで胡乱げな眼差しを向けてきた。

 それにしても「可愛げのない子」などと表現される筋合いはない。目の前の男は恐らく自分と同年代のはずだ。


「えーと、そうだね。ここは所謂、生と死の境目ってところかな」

「生と死だと?」

「忘れたのか? 君は銃弾に倒れた。正直言って生存は絶望的な状況だよ」


 びしりと人差し指を突きつけられて、ランドルフは言葉に詰まってしまった。

 そうだ、確かジスランに撃たれたのだ。あの時は死んだものと思ったのだが、何故こんなところにいるのだろう。


「ああ、そうだったな。で、貴方はいったい何の用だ?」

「いやちょっとね、君にアイゼンフート家の秘密を教えてやろうと思って」


 男は上機嫌だった。その笑みに押し切られそうにならないでもなかったが、少々気になることが多すぎる。まず話題の転換が唐突だし、初対面のはずなのに名前を知られているのは一体どうした事か。

 目の前の男は悪人には見えないが、家の秘密を教えてやると言われて警戒心を抱かない筈もない。


「胡散臭過ぎるだろう。一体何者だ?」

「いいからいいから! とりあえず騙されたと思って見ておいでったら!」


 ランドルフの鋭い眼光にもひるむ事なく、男はぐいぐいと肩を押してきた。そういえばこの男とは目線の高さが揃っているし、同じくらいの体格をしているようだ。

 そんな事を場違いにも考えていると、不意に足元の安定感が失われた。見れば相変わらず白の世界が広がっていたが、明らかに宙に浮いていることが不思議と理解できた。


「……お、おい、なんだこれは! お前の仕業か!?」

「その通り。ではいってらっしゃい、六百年前へ!」


 男の笑顔が上に流れていく。彼が動いているのではなく自分が落ちているのだと気付いたのは、一拍の後の事だった。


 *


 堪え難い浮遊感の果てに降り立ったのはどこかの屋敷の前であった。

 呆然と立派な門構えを見上げていると、屋敷から一組の男女が連れ立って出てくるのが見えた。

 全く状況が掴めなかったが、こんな所に突っ立っていては不審がられるに決まっている。とっさに立ち去ろうとしたランドルフは、この時ようやく自分の足が縫い付けられたように動かないことに気が付いた。

 焦っているうちに男女はどんどん近づいてくる。詰問の声が投げかけられるであろう事を予想して、観念して二人を真っ直ぐに見据え——ランドルフは驚愕に目を見開いた。

 女の方は知らないが、男の方は先程白い空間で出会った彼だったのだ。


「お前、これは一体どういう事なんだ!?. 説明を」


 しかし責める言葉は不自然に途切れることとなった。何故なら、二人はランドルフの姿などまるで見えていないとばかりに、脇を素通りしていったのだから。

 無視されたのか? いや、違う。不審者を避けるというよりは、本当に存在に気づいてない様に自然な態度だった。

 ランドルフは混乱した。思わずその重厚な門に手を当てれば、その冷えた石の感触は確かで、ますます夢なのかなんなのか判らなくなってくる。

 あまりのことに呆然としている間に、男女は歩みを止めて向かい合っていた。


「本当に行くのか?」

「ええ。私が…私たちがいる限り争いは無くならない。もうこれ以上誰かが傷つくのを見るのはたくさんなのよ」


  男の苦しげな声に、女は顔を歪ませて俯いてしまった。そこでランドルフはある重大な事実に気付く。彼女は青灰色の美しい髪色に、晴れ渡った空の様な水色の瞳を持っていたのだ。ハイルング人は灰色の髪と青い瞳を持っている。ということは、つまり彼女は。


「すまない……すまない。全ては人の欲望のせいだな」

「いいえ、悪いのは私。全てを捨てていく私をどうか許してちょうだい」

「泣いているのか」

「ごめんなさい。だって……悲しいのだもの」

「ああ……そうだな。ひどく、悲しい」

 

 重たい沈黙が二人の間に落ちる。すすり泣く女の声だけが聞こえるその空間は、ひどく居心地が悪かった。


「これを。どうかこれを、受け取って」


 その時、女が男に向かって何かを差し出した。それを見た瞬間強烈な既視感を覚えて、ランドルフはもう少しで声を上げそうになった。

 ハイルング人のお守り。女の手にしたそれは新品同様の美しさではあったが、刺繍の図柄が一致することから、アイゼンフートの倉庫に眠っていたあのお守りと全く同じものと見て間違いなさそうだ。

 俄かには信じがたい目の前の光景が意味するものがなんなのかを理解したランドルフは、驚愕が頭を覆い尽くしていくのを感じていた。


「私も同じものを持っているの。そのお守りはね、母から受け継いだお守りの文様を自分で縫い取って、そこからシヤリの実を半分だけ取り出してね、新しいお守りに詰めて作るのよ。そうして古くからの先祖の思いを継承して、新しい家族の幸せを願って渡すの」

「そうか、ありがとう。大切にするよ」


 男が微かな笑みを浮かべてお守りを受け取ったのを見て、女はほっと口元を綻ばせた。しかしその笑顔はすぐに陰ってしまい、彼女は苦しげに胸の前で両手を握り合わせる。


「でもね、あの子には渡せないわ。ううん、渡さなかったの」

「何故だい? 私達の息子はまだ小さいけれど、きっと喜ぶよ」

「だって、そんなものを渡してしまったら、ハイルング人がいた事を忘れられなくなってしまうじゃない」


 それは胸を突くような笑みだった。男ははっとして、強くお守りを握りしめる。


「人はハイルング人がいた事を忘れなければならない。そうでなくては、きっとまた争いが起きるわ。だから、まだ物心のつかないあの子は……私のことなど、忘れてしまったほうがいい」

「そんな! それでは、君が」

「私のことはいいの。あなたが覚えてさえいてくれれば」


 男は今度こそ言葉を失って、しばし呆然とその水色の瞳を見つめていた。ややあって浮かべた笑みは自嘲を含んでおり、その吐息は血を吐くように悲痛だった。


「……残酷な人だ。俺にこの苦しみを一生背負っていけというのか」

「おあいこでしょう? 私も一生あなたのことを忘れない。ずっとずっと、愛しているわ」

「ああ、俺もだ。君のことを愛している。この先もずっと、君だけを」


 女の眦から一筋の涙が零れ落ちる。二人は引き寄せ合うように唇を重ね合わせた。


 そして、場面が唐突に切り替わる。


 次にランドルフが降り立ったのは戦場だった。

 高台から見下ろすその戦いは激戦の様相を呈しており、血で血を洗うと表現しても生ぬるいような惨状に、さすがのランドルフも眉をしかめる。

 今度はいったいどこに飛ばされたのかという疑問は、戦いを目にした瞬間に解消されていた。

 見覚えのあるだだっ広い平原に銃火器は存在せず、飛び交うのは無数の弓矢。騎兵を主役にぶつかり合う兵士たちは、きょうび使わないような大剣を携え、その身には古めかしい甲冑を身にまとっている。

 どうやらこの戦いはゲールズ戦争最後の大会戦、ゲールズ平原の戦いで間違いないらしい。

 軍人の職業病で、もっとこの戦いを見たいという欲求に従うままに目を凝らしていると、ある人物が目に留まった。

 やはり白い空間で出会ったあの男だった。ランドルフをここへと導いた男は、今は馬にまたがって先陣を駆けていた。男が突撃すると一斉に敵兵の陣形が崩れ、歩兵などはあっさりと蹴散らされてしまう。


 敵味方入り乱れた大混戦の末に、戦場にラッパの音が響き渡って、アルーディアの将軍が討ち取られたことを知らしめたのだった。


 また場面が変わる。今度降り立った部屋は、明らかに見覚えのある空間だった。

 ここはベルゲンブルク宮殿に座す皇帝陛下の、荘厳なる謁見の間である。

 階段の上に設えられた玉座には、誠実そうな男が腰を据えていた。相対するのはやはりあの男で、彼は跪いた姿勢のまま首を垂れている。


「面をあげよ」

「は、陛下」

「アイゼンフート侯。此度の働き、誠に大儀であった」

「は。恐悦至極に存じます、陛下」


 やはりそういうことなのか。仮定が確信へと形作られていくのを感じながら、ランドルフは静かに主君と臣下の会話を見つめる。


「して、お前にはもうひと働きしてもらうぞ」

「なんなりと、陛下」

「ハイルング人を妻とした者同士、ハイルング人が存在したという事実の隠蔽を、手伝ってもらいたいのだ」

「もちろんにございます。それは我が妻の願いでもあります故」

「すまぬな。お前には辛い思いをさせる」


 皇帝は様々な苦しみを内包するかのように眉をしかめ、男を見据えている。しかし男は頼もしい笑みを浮かべると、気にしないで欲しいとばかりに首を振った。


「何を仰います、陛下。恐れ多くも私達は同じ苦しみを共有する間柄。あなた様の頼みを喜ばしいと思いこそすれ、苦しいなどとは考えも致しませぬ」

「侯爵……感謝する」


 強い視線を交わし合う主従を残して、また場面が変わった。


 強固な目的意識で結託した二人は外交に奔走した。アルーディアとの戦後処理で、ハイルング人に関する一切の書物を燃やし尽くすよう指示を出す。国内では無人になったハイルング人の家を取り壊して、新しく公共の施設や教会を建造していった。自らの手によって次々と彼らの痕跡が消えていくのは、二人にとっては戦争そのものより苦しい戦いであったはずだ。

 しかしその苦しみにもやがて終焉が訪れる。男——当時のアイゼンフート侯爵は、老いた体に鞭打つようにして、半生に渡って縋り続けたお守りを小箱へと納めて倉庫へしまう。


 そしてその次の日、そっと息を引き取った。

 

 彼の息子はハイルング人の血をあまり受け継いでいなかったが、孫は隔世遺伝で強大な力を持っていた。その息子は癒しの力だけを受け継いで産まれ、そのさらに息子は殆ど力を得なかった。その多くが軍人となって戦ううちに、自らの力に気付き、疑問を持ち、解消されないままとなる。

 

 そうして六百年の月日を経て、人々はハイルング人がいた事実を忘れ去っていった。

 アイゼンフート家に産まれた者達にハイルングの力が発現することも、いつしか無くなっていたのである。


 *


 気付くと再びあの白い空間に舞い戻っていた。

 ランドルフは飽和した頭を持て余したまま、しばらくそこに佇んでいた。一度に得た情報量が多すぎて脳が働かないが、一つだけ確かなことがある。


 我が先祖は、確かにハイルング人を守ろうとしたのだと。


 ふと視線を上げると、そこに優しい笑みを浮かべるあの男がいた。よく見ると彼はランドルフと同じ金色の瞳をしていて、見つめていると懐かしいようなもどかしいような気持ちが湧き上がる。


「さてランドルフ君、これでわかったかな。君はずばりハイルング人の末裔なんだよ。といっても、その血は殆ど薄まっているけどね。それでも全く普通の人間より君は怪我が治りやすい。全治四週間が三週間になる、ってくらいなもんだけど」


 彼は気安い調子で言葉を続ける。今見て来た彼の冷静な様子からかけ離れたその喋りは、恐らく本来の気性なのだろう。爽やかな笑みはどこかルーカスに似ているような気もした。


「薄まりに薄まったハイルング人の力だけじゃ、治すのは難しい程の傷を、君は負ってしまった。けど…」

「あなたにはシヤリの実のお守りがある。そして何より、彼女が付いている」


 唐突に背後から発した声に振り返れば、そこにはブルーグレーの髪を結い上げた美しい女の姿があった。彼女はゆったりとした足取りで歩むと、夫の側へと寄り添うように立つ。


「本人は気付いていないようだけど、あの子にも僅かながら癒しの力が備わっているの。そして、シヤリの実で満たされたお守りもある。だから大丈夫よ。あとはあなたの気力さえあれば戻れるわ。あの子の元へ」


 寄り添い合う二人がランドルフに向けるのは、暖かな親愛の情だった。親類からの愛情を感じるのは久しぶりで、その優しさに胸がつかえて言葉が出てこない。


「僕はね、ランドルフ君。やっぱり大好きな奥さんと生きていきたかったよ。だから遠い遠い子孫の君に忠告。絶対に手放してはダメだ。愛してるなら意地を見せろ。武門たるアイゼンフート家の男が、そんなことでいいと思っているのか! …なんてね」

「あの子のこと、幸せにしてあげて。お願いよ」


 微笑みながら告げられた言葉を最後に、二人の姿が白に溶けていく。ランドルフは縋るように手を伸ばしたが、彼らのそれを掴むことは叶わなかった。


「待ってくれ! あなた達への感謝をどうやって表せばいいのか、わからないんだ……! だから、せめて!」


 もう少し話がしたい。もっと聞きたいことや言いたいことがたくさんあるんだ。

 しかしランドルフの必死の叫びは最後まで吐き出されることはなかった。

 

 白に覆われゆく意識の中、遠くに愛しい人の泣き声を聞いたような気がした。

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