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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第三章 あの日の約束に真実の夢を見る
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17

 時は二週間前に遡る。



「陛下! 恐れながら、発言をお許しいただきたく存じます!」


 皇帝陛下からの開戦宣言に絶句したのもつかの間、ランドルフは衝動に導かれるまま声を上げた。この命令ばかりは何としても受けるわけにはいかないのだ。


「よい。申してみよ」

「は。陛下、私はアルーディアとの開戦にだけは同意できません。セラフィナがどのような思いでそのために尽くして来たのか、知らぬはずはありますまい」

「うむ。もちろん知っておるぞ」

「では、何卒お考え直しください。それができないのであれば、どうぞ私めの首を刎ねていただきたい!」


 あまりにも物騒な発言にルーカスとレオナールが同時に振り向くのを感じたが、気にかかることでも無かった。猛然と言い切ったランドルフは燃える眼差しでディートヘルムを見据える。しかし青ざめる二人とは対照的に、若き皇帝はやれやれと言わんばかりに肩をすくめて見せた。


「考え直すのはお前よ、アイゼンフート少将。作戦概要を聞いてまだ同じ気持ちなら、その時は遠慮なくその首刎ねてやるから大人しくしておれ。マイネッケ大佐」

「は。では、私から今回の作戦の説明をさせていただきます」


 マイネッケは張り詰めた空気を一蹴するかのように机上に地図を広げた。いくつかの駒や指示棒を取り出せば、一気に軍略会議の様相が出来上がる。

 淡々と進行していく事態と冷徹なマイネッケの笑みに、いくらか落ち着きを取り戻したランドルフは、腕を組む事によってやり場のない激情を逃がそうとした。


「まずは概要です。何と言ってもこの作戦の目標は平民達によるアルーディアの革命を成功させる事にあります」


 これには思わずランドルフも自分の耳を疑った。アルーディアに革命の兆候ありとは初耳だったからだ。

 しかし、レオナールの驚きようはその比ではなかった。彼の顔面にはどう見ても「何故それを知っているのか」と書いてあって、マイネッケの弁が本当であることを知らしめていた。


「な、なぜそれを……!?」

「それは俺が答えようかな」


 レオナールが震える声で発した疑問に、今度はルーカスが前へと進み出る。彼はまずアルデリー要塞を指差して、次にアルーディアの首都、リスヴェルまでの道筋を辿っていった。


「俺の拠点はここ、アルデリー要塞なんだ。ここはリスヴェルに最も近いヴェーグラント軍施設だってことは知っているよね? この二年の間、俺はアルーディアに潜り込んで民衆の様子を探り続けてた」

「な、なんですって……!?」

「革命の兆しがあると知ったのは、つい二ヶ月ほど前のこと。もっと前から計画していたみたいだから、ちょっと出遅れちゃったね」


 苦笑するルーカスに、レオナールは二の句が継げなくなっているようだった。ランドルフとしても弟の実際の仕事内容を聞かされ、そんな危険なことをしていたのかと複雑な気分だ。


「そしてこっちに来る前、決定的な情報を掴んだ。第一王女ベルティーユ殿下が、この革命を支援していると。君はもちろんこの事実を知っていた。そうだろう?」

「……その通り、です」


 レオナールは諦めたように頷くと、自己嫌悪気味に項垂れてしまった。どうやら嘘がつけない性分らしい。

 マイネッケは慇懃な笑みをを浮かべたまま指示棒を取ると、ルーカスの説明を引き継いで話を続ける。


「ルーカス君のお陰で大体の状況は把握しています。残念ながら革命軍の最大の弱点は戦力の欠如ですね。民衆だけでは武装した国王軍と争うのは難しい。いくら賢明な王女殿下といえど、甘い汁を吸い続けた貴族たちを抱き込むことは難しかったのでしょう。ここでアイゼンフート将軍、あなたの出番ですよ」


 マイネッケは指示棒でアルデリー要塞を指し示している。軍人たる気質で既に平常心を取り戻していたランドルフは、それだけで大体のことを察した。馬の駒を手に取ると、ブリストルからアルデリーへの最短ルートを辿って見せる。


「まずは伝令も兼ねて私がアルデリー要塞に出向き、そのまま基地の兵を借りてリスヴェルへ進軍するというわけか。国境を越えてからも地理に明るいルーカスがいれば問題ないし、確かにそれが一番早い」


 事は一刻を争う。セラフィナが檄文を読んだ時点で、女王は戦争へと強引に事を進めるだろう。

 そしてベルティーユによって危機を伝え聞いた革命軍は、確実にその前に蜂起するはずだ。手助けするにはその瞬間に間に合わなければならず、その為にはブリストルに駐屯する第三師団を動かしていたのでは到底不可能。

 よって少数でアルデリー要塞へと駆け、そこに駐屯する兵を動かすのが考え得る限りでは最も早い方法なのだ。


「しかもアルデリーは私の古巣だ。急に訪れても話を通すのは容易い。悪くない人選だな」

「ええその通りです。相変わらず話が早くて助かりますよ。あと、あなたが有名だというのも重要です」

「良い噂ではないと思うが?」

「噂の善悪はこの際気にしないでおきましょう。黒獅子将軍ほどの大物が援軍に現れたという事実が、革命家たちにとっては重要なのですよ。実際に彼らの信用を得られるかどうかは、アイゼンフート少将の手腕にかかっています。革命軍との仲介はレオナール君にお願いしたいのですが……さて、よろしいでしょうか?」


 マイネッケは実に楽しそうに微笑んでいる。それは確信に満ちた問いかけで、やはりその期待が裏切られる事はなかった。


「承知しました。私はベルティーユ様に仕える身。あのお方が革命を成し遂げようとするのなら、もちろんその一助となる事に否やはありません」


 二つ返事で頷いたレオナールに満足げな笑みを浮かべたディートヘルムは、次にこちらへと視線を向ける。その翡翠の瞳に語りかけるような強さを感じ取って、ランドルフは自然と膝をついていた。

 先程冷静を失ったことが気恥ずかしい。しかしそれよりも今はこの凶悪な程に有能な皇帝陛下に、忠誠の意を示さずにはいられなかった。


「余はお前の首を刎ねずに済んだようだ」

「陛下。先ほどのご無礼、謹んでお詫び申し上げます」

「よい。侯爵、余はここまで整えてやったぞ。これでアルーディアの革命が成功すれば、支援した我が国との関係が回復するは必定。晴れてセラフィナは自由の身だ。お前はどんな戦場にも立つと言った。……その覚悟、結果をもって示してみせよ」

「は。必ず成し遂げてご覧に入れます!」


 血が沸いている。この任務だけは必ずやり遂げるのだと、全身が叫んでいる。

 臣下想いな皇帝陛下に報いる為。この作戦に携わる皆の為。そして今も苦しみに耐えているであろう、愛する人を救い出す為にも。


 私はやらねばならない。たとえこの身を引き換えにしても。


 *

 

 振り返るようにしてセラフィナの姿をみとめた瞬間、ランドルフの身の内を燃えつくすような怒りが駆け抜けていた。

 月明かりに溶けるようだった艶やかな髪は肩ほどの短さに切られ、二週間という時間では考えられない程に痩せ細っている。滑らかな曲線を描いてたはずの頬はやつれ、目の下に痛々しい隈を作り、見覚えのない簡素なドレスはボロボロに擦り切れていた。

 彼女を守ることができなかった自分に対する憤りで目の前が真っ赤に染まるが、それでも尚失われない青い瞳の輝きがどうしようもないほどに愛しくて、相反する二つの感情が胸の内でせめぎ合う。状況も忘れてその華奢な体を搔き抱いてしまいたかったが、狂おしいまでの衝動をすべての理性を総動員して押さえつけたランドルフは、代わりに目前の敵に殺気を叩きつけてやった。


「ひ…!」

「っ…!」


 二人の近衛騎士はそれだけで競り合う剣から力を抜いてしまう。

 なんと他愛のない事か。あまりの実戦素人ぶりに呆れ返るまま剣を返し、一振りでまとめて彼らを斬り伏せたランドルフは、残った三名の近衛騎士達へと視線を滑らせる。

 射殺すような眼光に竦み上がった彼らは一様に動きを止めたが、それは追いついてきたレオナールの仕事をやり易くするだけの結果に終わった。

 レオナールは神速とも言える速さで近衛騎士達の間を駆け抜けていた。

 レイピアが闇の中をきらめき、彼にとってのかつての同僚達は声もなく倒れていく。彼がレイピアを一振りして血を飛ばした時には、既に立っているものはフランシーヌと側近らしい男だけになっていた。


「何度見ても凄まじいな。その実力でどうしてそんなに気弱なのかわからん」

「暴力は苦手ですから。ただしベルティーユ様のためなら出し惜しみはしませんが」


 地面に倒れ伏した近衛騎士達を一瞥する視線には一抹の憐憫があったが、しかし迷いを断ち切るように鞘に剣を収めたその動きからは後悔は感じられない。レオナールが油断なくフランシーヌ達を注視していることを確認して、ランドルフはようやく全身で背後を振り返った。

 そこではセラフィナともう一人の女性が身を寄せ合って、驚愕の眼差しをランドルフへと向けているところだった。目を合わせてようやく状況を把握したのか、セラフィナはゆっくりと女性から手を離したが、未だにその青い瞳は信じられないとばかりに見開かれている。


「ランドルフ様……? どうして……どうして、ここに」

「言っただろう、必ず守ると。しかし……遅かったようだ」


 出来ることなら笑いかけてやりたかったが、しかしぼろぼろになった彼女を目前にすればそれは不可能だった。

 短くなってしまった髪に手を伸ばしたのは殆ど無意識の行動で、触れた瞬間に以前手を払われたことを思い出して緊張が走る。しかしセラフィナは一切の拒絶を見せることもなく、ただ呆然とランドルフを見返していた。


「髪を、切られたのか」

「自分で切ったのです」

「随分痩せた」

「そうでしょうか」

「あまり寝ていないんだろう」

「眠る気がしませんでしたから」


 ランドルフが一つ一つ確認するように投げかける言葉に、セラフィナは淀みなく答えてくれたが、その声は隠しようもないほどに震えていた。ひどい目にあっただろうに、それを全て自分のせいだとでも言わんばかりの物言いが相変わらずで、あまりの健気さに胸が軋む。


「守ってやれなかった。すまない」


 謝罪に対する返答はなく、代わりにセラフィナはふるふると首を横に振った。

 きっと泣くのを我慢しているのだろう。青い瞳を滲ませ、唇を噛みしめ、衝動に耐えるように眉を寄せて、それでも毅然と背筋を伸ばす彼女が心の底から愛おしい。ランドルフは全ての思いを込めて微笑むと、一度だけその小さな頭を撫でて背後を振り返った。

 バタバタと忙しない足音が聞こえ始めている。やがて暗闇の向こうからいくつかの灯りがちらつき、それらの持ち主はすぐにその姿を現した。


「申し上げます! 王宮内をくまなく探しましたが、女王の発見には至りませんでした!」


 走って来てすぐに敬礼を取って報告を上げたのは、アルデリー要塞に所属する歩兵大隊指揮官フンケ少佐である。ランドルフは彼の大隊を率いてこの革命に加わっており、このスムーズな出兵も、臨機応変に動いてくれた彼の力によるところが大きい。


「ご苦労、すまんがあれが女王だ。全兵力に伝達。女王の身柄は既に拘束した、よって全ての戦闘行為を中止せよとな」


 フンケは心底驚いたようにフランシーヌを見たが、すぐに切り替えて走り出していった。その背中を見送って、ランドルフは改めて女王へと向き直る。

 歴戦の猛将が放つ殺気を正面からまともに受けた二人は、しかし対照的な様子でそこに佇んでいた。

 顔を青ざめさせ今にも倒れそうなほどに震えているのは、側近の小太りの男である。反対にその顔に悠然とした笑みを浮かべた女王は、一切怯んだ様子を見せておらず、ともすれば扇を取り出して扇ぎ始めそうな程に自然体だ。

 レオナールに目配せすれば、彼は全てを心得た様子で頷いて見せた。


「間違い無く女王陛下と宰相のジスランです。女王陛下が逃げるまで付き添った忠信はお見事ですが、判断としては誤りでしたね」

「ブランシェ伯! 貴様、これは謀反だぞ!? 必ず後で刑に処してくれる!」

「僕の仕える相手は姫様であって、女王陛下ではありません!」


 加熱していくやりとりを余所に、ランドルフはフランシーヌから目を離さずにいた。

 セラフィナに過酷な運命を背負わせた全ての元凶にして、暴力的な手段でもってアルーディアの天下を推し進める狂信者。ここまで追い詰めてなお殺気を込めて睨みつけてしまうのは、彼女の悪魔の如き所業を考えれば致し方のない事だろう。


「女王フランシーヌ、貴様の治世もこれで終わる。大人しく投降せよ」

「もしや民衆を焚きつけたのは、あなたたちヴェーグラント人なのですか?」

「此度の革命は、民衆が自らの手で成し遂げたものだ。私たちはその手助けをしただけに過ぎん」

「ではなぜ民が私に刃を向けるのです? 私は彼らのことを想わない日はないというのに」


 心底わからないと言わんばかりに目を細めるフランシーヌに、ランドルフはますます殺気を強めた。随分とタチの悪い冗談だ。民をあそこまで追い詰めておいて、今更国民思いの女王陛下を演じるつもりか。


「貴様は街を見たことがないのか。 餓死者まで出るような有様だぞ。そんな三文芝居が通じると思うな」

「餓死した民は国のために死んだのです。彼らの食べるはずだった麦は前線での兵士の食事となったのですから、それは彼らにとっても誉れでしょう。アルーディアが天下を取るのは建国時からの定めであると、国民全員が考えているのですから。今は度重なる戦争に疲弊して反対意見が高まっていますが、彼らとてアルーディアが頂点に立つ事を夢見る気持ちは同じです」

「……なんだと?」

「ですからわかりません。どうして彼らに攻め込まれなくてはいけなかったのかしら。無知な者は愚かで可愛らしいですが、時に扱いにくくて困ります。ねえ、あなたもそう思いませんか」


 ランドルフは絶句してしまった。なぜならフランシーヌの微笑みが嘘偽りのない本物であることがわかってしまったから。

 この女は狂っているのだ。だからこそ一連の事件を起こそうなどと思いつく。手間暇をかけて国民を煽動し、一丸となって戦争へと向かわせようと苦心することができるのだ。


「ならば直接聞いてみるがいい」

「なにをおっしゃるの?」

「彼らがここに向かってきている。この足音が聞こえるか」


 最初は微かに聞こえるだけだったその音は、やがて怒号と歓声を伴ってこの裏庭に響き始めた。登り始めた朝日が王宮を照らし出し、それを回り込むようにして現れた彼らの姿も克明に映し出す。

 夜通し戦い続けていたはずの民衆たちは、しかしいまだ活力を失わず、女王拘束の一報を受けてここへと走ってきたのだ。

 その人数は数百では効かず、巨大なうねりとなって広大な裏庭を埋め尽くしつつあった。


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