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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第三章 あの日の約束に真実の夢を見る
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10

 小石の跳ねる音で目を覚ました。どうやら悪路に差し掛かったらしく、馬車は激しい揺れに見舞われている。

 緩慢な動作で上半身を起こしたランドルフは、結局殆ど眠れないまま意識を覚醒させてしまった事を悟った。

 

 作戦の要であるアルーディアとの国境の要衝、アルデリー要塞を目指して既に三日になる。昼は馬を駆り夜は交代で馬車を走らせるという強行軍によって、ランドルフ達一行は既に八割以上の道程を駆け抜けていた。

 外からのオイルランプの明かりが、安らかな寝息を立てるレオナールとエルマの姿を浮かび上がらせている。

 荷台しかない幌馬車に寝転がっているためこの揺れも直に伝わっているはずなのだが、彼らは微動だにせず眠りについているようだ。従軍経験のあるエルマはまだしも、貴人の警護を生業とするレオナールまでこの調子とは、彼らの図太さはなかなかのものらしい。

 ランドルフは一つ嘆息して、幌を捲って外の景色を確認してみた。黒一色に塗りつぶされた中、そこに広がるはずの森もその片鱗すら見ることは叶わず、諦めて車内に視線を戻す。

 今はルーカスが御者を担当しており、次の当番はエルマだったはずだ。しかし彼女はよく寝ているし、自分が当番を肩代わりするのもいいかもしれない。

 そんな事を考えていると、無意識にコートのポケットに手を当てていた。そこには相変わらず小さな膨らみがある。この三日、気を抜くとすぐにその存在を確かめてしまうのだ。ランドルフは自嘲してポケットに手を入れると、そこに入っている物を取り出した。

 セラフィナが作ってくれたお守りは、暗闇の中でも青い糸が光を集めて輝いているかのようであった。

 彼女と共に過ごした日々が今は酷く遠い。無事でいるだろうか。酷い目にあってはいないだろうか。考えれば考えるほど悪い想像が浮かび、際限のない思考の渦に沈み込んでいってしまう。

 結局は守ってやることができなかった。絶対にもう政治に利用させはしないと、傷一つ付けはしないと、固く誓ったにもかかわらずこの体たらくだ。もし彼女に何かあれば、私は。

 自責の念に駆られるままお守りをぐっと握りしめると、中で固いものが擦れ合う感触がした。

 そういえば、本来このお守りにはシヤリの実とやらが入っているのだったか。しかし今は手に入るはずもないから、何かビーズでも詰めているのだろう。

 心地よいその感触に殆ど無意識にお守りを揉み込んでいたら、ふと視線を上げた瞬間、予想外にこちらを注視する一対の瞳と視線を交わらせてしまった。


「レオナール殿、起きていたのか」

「はい、たった今ですが、なんとなく目が覚めてしまいました。それは、お守りですか?」

「あ、ああ……そうだが」


 レオナールは上体を起こすと、膝を抱えて座り直したようだった。薄明かりに照らされたその表情は悲壮感に満ち溢れており、彼は辛そうに目を細めるとすぐに顔を俯けてしまった。


「セラフィナ様からの贈り物、ですよね」

「なぜわかる」

「以前、アウラ様から貰ったものだと見せて頂いたものと、色は違いますが作りが同じですから」

「何? そうだったのか」


 女々しくお守りに縋り付いていたのを見られた羞恥よりも、聞き覚えのない事実に直面した驚きの方が勝った。セラフィナはこのお守りについて多くを語らなかったが、母から受け継いだものを模して作ってくれたのか。

 レオナールは自嘲気味に微笑むと、目を合わせないままぽつりとこぼした。


「そのようにお互いを思い合うお二人を、僕は……引き裂いてしまったのですね」

「……は?」


 突拍子も無い台詞は完全に予想外のもので、ランドルフは無防備に疑問の声を上げてしまった。それは常にない失態だったが、珍しく心底動揺する黒獅子将軍にも気にした様子もなく、レオナールはなおも苦しげにハの字眉毛を更に下げた。


「僕が来なければ、セラフィナ様はアルーディアに帰ろうとすることも、連れ去られることもなかったはずだったのに」

「落ち着け。そのことについてはもう十分謝ってもらったし、私からも初対面での非礼を詫びた。それでこの話は終いで良かろう。君は主君の命令を忠実に実行しようとしただけだ。もう気にするな」

「いいえっ、気にします。セラフィナ様はあなたのいるヴェーグラントに残りたかったに違いありません。今まで人のことばかり優先してきたあの方が、きっと初めて望んだ願いだったのに、僕のせいで……!」


 レオナールは殆ど泣きそうになりながら絞り出すように言葉を紡ぐと、そのまま膝に顔を埋めてしまった。

 なんだろう、ひどい思い違いをされている気がする。

 ランドルフはどうしたものかと途方に暮れ、しかしこんなに落ち込んでいては気の毒だろうと誤解を解くことにした。


「あー、レオナール殿? 別にセラフィナは、私の事などなんとも思っていないぞ。きっと以前からアルーディアに帰りたいと願っていたのだろうし」


 言ってて悲しくなってきた。しかし事実なのだから仕方がなく、ランドルフは自らの言葉で胸を抉っていく。


「そもそも、彼女はレオナール殿の事を憎からず思っているのでは? 君を信用したからこそ、アルーディアに帰る道を選んだのだろう」


 それはレオナールが名乗った時から薄々考えていた事だった。

 セラフィナと年の頃も丁度良く、心優しそうな顔つきをした生真面目な青年。

 結婚式の夜に過去を語ってくれた時、このレオナールも話に出てきたのを覚えている。兄のような存在とは言うが、もしかすると特別な感情があったのではないか。

 そんなことを考えてしまうのも無理からぬ事ではあった。何せ彼女は自分と夫婦として暮らすより、レオナールと共にアルーディアに帰る道を選び取ったのだから。


「 何をおっしゃるんです、アイゼンフート侯爵!」


 ランドルフとしては事実を述べただけだったのに、レオナールは今までの落ち込んだ様子から一転、凄まじい勢いで顔を上げて叫んだ。

 信じられないものを見る目を向けられ、覚えのある居心地の悪さに一瞬たじろぐ。そう確か、ルーカスにセラフィナと離縁する旨を告げた時もこんな目をされたような。


「セラフィナ様と僕は、あくまでも主君の妹君というだけで。僕としても、大変恐れ多いことではございますが、妹のような……とにかく、そんな事実は一切ありませんよ。絶対に!」

「わかった。わかったから落ち着いてくれ」


 鬼気迫る様子のレオナールに気圧されつつも頷くと、彼はようやく落ち着きを取り戻したようだった。彼は深く息を吐いてから胡座をかいて座り直すと、それでもまだ悲しそうな顔をして俯いてしまった。


「これは僕の恥を晒す話でもありますので、言いたくはありませんでしたが。ヴェーグラントへ来てようやくセラフィナ様にお会いした時のことです。お恥ずかしながら、僕はアルーディア国内の噂に惑わされ、貴方のことを冷酷非道な軍人であると考えていました。そしてそれをセラフィナ様に伝えてしまったのです。酷い扱いを受けているのではと。もちろん、実際お会いした今となっては、あの噂が酷い流言飛語であったことが理解できます。本当に情けない話です」


 自身の評判が褒められたものでないのは今に始まった事ではない。そういえば戴冠式の犯人の一人も、名乗った途端に怯えきっていたなと思い出す。噂というものは周りがいかに信じているかで信憑性が変わるものだから、きっとアルーディア国内での噂の浸透率はかなり高いのだろう。

 特に気にした様子もなく話の続きを促すランドルフに、レオナールは安堵したように目を細めた。


「その時、セラフィナ様が何と仰ったと思われますか?」

「……まあ、彼女は優しいからな。そんな事はないとでも言ったのではないか」


 セラフィナの性格上、本当はどう思っていたとしても夫を蔑むような事は言わないだろう。そう考えての答えだったのだが、レオナールは当たり外れを告げずに悲しそうに微笑んで見せた。


「本当に驚くべき事だと思いますが、お怒りになったのです、あの方が。貴方を侮辱することは許さないと」


 予想外の答えに、ランドルフは絶句した。

 セラフィナが怒るところなど今までで一度も見たことがない。いつだって彼女は穏やかに微笑んでいて、お人好しで遠慮がちで、ほんのちょっとしたことで喜んでくれる。誰よりも心優しく穏やかな女性だ。

 それなのに、そんな事で怒ったと? にわかには信じられない話だが、もし本当なら怒る時まで他人の為というのが何とも彼女らしいと思う。


「会ったこともないのに決めつけないで欲しいと、セラフィナ様は静かに、しかし強く言い切ったのです。僕はその時気付きました。セラフィナ様は貴方のこ」


 レオナールの言葉は最後まで紡がれることなく闇に消えた。一拍早くに事態を察したランドルフは、同時に大きく幌を捲り上げて剣を抜き放ったが時既に遅し。

 次の瞬間馬の大きな嘶きが響き渡り、馬車はかつてないほどの揺れに見舞われることとなった。


「ルーカス、無事か!!!」

「一応は! ですが、馬が……!」


 ルーカスから帰ってきた言葉に状況を察知したランドルフは思わず眉をしかめた。馬がやられたという事はこれ以上馬車では進めない。こんな町と町の間で足を失っては、大幅な遅れを生じることは間違いなかった。


「何事ですか」

「エルマ殿。敵襲のようです」


 エルマも一瞬にして飛び起き、レオナールと共に周囲を警戒している。にわかに戦場たる緊張感に包まれた車内では、しかし誰も慌てた様子はなく、どうやらこのメンバーが思っていたよりもずっと頼もしいことをランドルフに伝えた。

 ともかく揺れる馬車から飛び降りると、いつのまにか左右の森は後方に過ぎ去り、右手が急峻な森、左手が崖といういかにも襲うのに適した地形へと差し掛かっていることがわかった。このような地形であることを鑑みてあえて動きにくい夜に抜けようとしていたのだが、敵はそれも意に介さなかったらしい。

 素早く視線を横に走らせると、必死で暴れ馬をなだめようとするルーカスの姿があった。馬の尻には深々と矢が突き刺さっており、その無残な有様に目を細めたがそれも一瞬のこと。

 空気を切る鋭い音を聞いて、ランドルフは手に持った剣で一閃を放った。

 カン、と高らかな音が響いて真っ二つになった矢が地面で跳ねる。矢が飛んで来た方角は明らかに森の方で、闇に溶けた木々の間から一人分の気配が漏れていた。

 続いて一射二射と続いて矢が放たれたが、出どころが分かればもはや何の意味もない。全ての矢を危なげなく叩き落としたランドルフは、襲撃者がいるであろう森を焦がす程の眼光で睨み据えた。


「出てこい」


 声を張っているわけでもないのに、地を這うような低音は周囲の木々を震わせ、夜の闇を切り裂いていくかのようだった。

 遅れて馬車から飛び降りたレオナールとエルマはその迫力に身を竦ませたが、果たして敵はそうではなかったらしい。

 間髪入れずに森から飛び出して来たのは、やはりたった一人の人間だった。


「女……?」


 馬を宥め終えたらしいルーカスが呆然と呟く。一行の前に躍り出た人物は、細身の体に全身黒の衣服を身につけており、髪は肩までで切りそろえられているものの、その顔立ちは女性とも取れるほど繊細な造りをしていた。

 無表情にこちらを見つめる瞳からは一切の感情を見つけることができず、一見無造作に見える立ち姿から隙は伺えない。どうやらかなりの実力の持ち主である事は間違いなさそうだった。


「エミール! 貴様、よくも僕の前に顔を出せたな!?」


 突如として大声を上げたレオナールを横目で見やれば、彼は怒りに燃える瞳で目の前の敵を睨み据えていた。温厚な彼らしくない激情に驚きつつも、エミールと呼ばれた人物に視線を戻したランドルフは、その表情が酷薄な笑みを形作るのを目の当たりにすることとなった。


「よお、レオナール。その様子じゃ、さすがに俺の正体に気付いたらしいな?」


 白い細面から発した声は、多少高めであるものの明らかに男のものだった。小馬鹿にしたように鼻で笑うエミールに、レオナールは更に怒りを深めて剣を構える。


「ああ、アルーディアを出る前にな。まったく、五年も周囲を騙し抜いたとは大したものだ」

「間抜けばっかりだったからな。あのお姫様を筆頭に、花畑にでも住んでるのかと思っていたぜ」

「貴様あっ!」

「はいはいレオナール君、ちょっと落ち着こうか」


 険悪さを極めたやりとりに割って入ったのは、例によってルーカスであった。

 いつのまにか御者台から飛び降りていたらしい弟は、レオナールの剣を持つ手を抑えてひとまず下がらせてしまった。

 この空気の中できらきらしい笑顔を浮かべるマイペースぶりに、エルマが胡乱げな目をして溜息をつく。しかしレオナールの冷静さを取り戻すには一役買ったらしく、彼は剣呑な表情のままではあったが剣を鞘に収めてくれた。


「すみません。取り乱してしまい」

「いいんだけどね。彼、何者?」


 ルーカスの問いに更に顔を険しくしたレオナールは、親の仇と相対した時のような憎しみのこもった声で答えを述べた。


「彼はエミール・ペルグラン。……いいえ、それすらも偽名であり、伯爵家嫡男としてセラフィナ様の護衛を務めた経歴も本業の一環でした。本来の彼はフランシーヌ女王直属のスパイであり、そして、レナータ皇后陛下の戴冠式の夜に、セラフィナ様を刺した男です」


 その瞬間、ランドルフは頂点に達した怒りを隠そうともしないまま、エミールを睨み据えていた。

 全員から向けられる憎しみの視線にも動じた様子もなく、美しき工作員は更に笑みを深めて見せたのだった。

 


 




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