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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
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 戴冠式から五日目の午後のこと。陸軍省の執務室にて捜査報告書に目を通していたランドルフは、軽快なノックの音に顔を上げた。返事を返せば勢いよく扉が開き、姿を現したのはシュメルツだった。


「ランドルフ! 朗報だぜ。ドスタルの奴が逮捕された」

「そうですか」

「何だよ、随分素っ気ない反応だな? 喜ぶかと思ったんだが」


 シュメルツは肩を竦めつつ迷いない足取りで歩くと、断りもなくソファーに体を沈めた。このまったく遠慮のない行動も、彼にとっては常と何ら変わりのない振る舞いである。


「他部署とはいえ身内の不祥事です。喜べるものでもないでしょう」

「真面目だねお前も。奴に会うたび嫌味言われて辟易してただろうに」


 あの事件において重要だったのが、二人の実行犯を手引きした内通者をあぶり出す事だった。ランドルフが確認した警備状況からドスタルが怪しい事は既に導き出されていたし、調査に携わった人間にもそれは共通認識だった。後は証拠、という段階にまで来ているとは聞いていたのだが。


「お前が捕まえたあの男な、あいつが吐いたらしい。で、慎重に裏とって今ようやく逮捕なんだと」

「それは何よりです。謀反を起こした理由は判ったのですか?」

「どうやら陛下の代になって貴族の特権が減ったことに不満を持ってたらしいな。未だに『違う、俺は騙されたんだ!』とか何とか騒いでるらしいぜ? 往生際が悪いったら」

「ええ、そうですね」


 どうやらこの事件がアルーディアの計画であった事は、将官にすら伝えられていないらしい。

 ドスタルが不満を持って謀反を起こした事は間違いないだろうが、ここまで大それたことをするにはアルーディアにそそのかされたという経緯があったはずだ。

 ディートヘルムには既に報告済みだし、マイネッケもアルーディアに狙いを絞って捜査を進めているはずだから、今ごろ水面下では更なる攻防が繰り広げられているのだろう。


「なあところで、奥方の具合はどうだい。ちょっとは元気になったか?」


 シュメルツは仕事の話をする時の真面目顔を捨て去り、心底心配そうに声の調子を落とした。そういえば彼にはベルヒリンゲンの医務室の外で報告を受けて以来、会っていなかったか。


「ええ、もう随分良いですよ。幸い見た目より軽傷でしたから」

「そうか! 良かったなあ、心配したぜ。うちのも随分気にかけててな」


 シュメルツは太陽のような笑みを浮かべると、安心したとばかりに息を吐いている。セラフィナとは一度しか会っていないはずだが、情の厚い彼らしい反応に自然とランドルフの口元も緩んだ。


「ご心配痛み入ります。奥方にもよろしくお伝えください」

「ああ。大事にして欲しいと伝えてくれ」

「ありがとうございます。妻も喜びます」

「……ほー。妻、ねえ」


 先程まで人好きのする笑みを浮かべていたはずのシュメルツは、ランドルフの一言を拾うと実に意地の悪い顔でニヤつき始めた。それは彼が悪ノリする時の表情でしかなく、内心しまったと頬をひきつらせる。


「どーやら上手くいってるらしいなあ。ん?」

「どういう意味です」

「そのまんまの意味だよ。あんな血相変えて、職務をほっぽり出して走ってくお前なんて初めて見たもんな。なあ黒獅子サマ? 戦時はどんな無茶な作戦にも顔色一つ変えなかったってのになあ?」

「別に血相変えたりしていません」

「いーや変えてたね。なあ知ってるか? 結婚して以来表情が柔らかくなったって、評判上がってんだぜ、お前」


 完全に初耳だった。表情が柔らかい? 私が? 婦女子が見れば卒倒し子供と目が合えば泣かれ、その凶悪な面構えと苛烈な戦いぶりで悪い意味で有名な、この私が。

 確かに結婚生活にこれ以上ないほどの幸せを感じていた事は否定しないが、顔に出しているつもりはなかったというのに。ランドルフは頭を抱えたくなったが、これ以上この男の前で弱みを見せるわけにもいかず、眉を寄せる事でその衝動に耐える。


「加えてあの戴冠式の事件で、大層取り乱したのを大勢の貴族が見てたからな。中には軍属も多かったし。血戦の黒獅子は美しい妖精姫にメロメロ、少将閣下も人間だったんだな、とかそこかしこで囁かれてんぞ」

「なっ……!」


 人間だったんだとは随分な言い草だが、それよりも恥ずかしすぎる噂の内容の方が問題だった。

 あの時のことは正直よく覚えていないのだ。セラフィナが血塗れで横たわっているのを見た瞬間頭が真っ白になってしまったのだが、まさか貴族たちの目にそのように映っていたとは。

 通りで最近周囲の視線が生暖かいはずだ。奥方が大変なのだからと気を遣ってくれているのかと思っていたのに。


「ぶははははっ! こえー顔! お前照れると顔怖くなるよな〜!!」

「シュメルツ将軍っ!」

「くはっ、だっはははははははは!」


 我慢の限界に達して鬼の形相で叫ぶと、シュメルツはついに腹を抱えて笑い出した。こうなっては弁明のしようもなく、拷問に等しい時間を拳を握って耐え忍ぶことにする。

 しかし、やがて笑いを収めたシュメルツはやけに優しい眼差しをしていて、ランドルフは虚を突かれてしまった。


「まあなんだ、元気そうで良かったよ。そんなに大事なら一生かけて守ってやんな。じゃ、俺はそろそろ行くわ」


 最後にランドルフの肩を一発叩き、シュメルツは返事も聞かないまま執務室を出て行ってしまった。

 これはつまり、彼なりに元気付けてくれたということなのだろうか。自分の楽しみが多分に含まれている気がしないでもないが。


「まったく敵わんな」


 苦笑気味にぽつりと零すと、先程彼が言い残したことが思い出された。


 ——そんなに大事なら、一生かけて守ってやんな——

 

 それができたら、どんなにいいのだろう。




「お帰りなさいませ、ランドルフ様」


 寝室の扉を開けると柔らかい微笑みがランドルフを迎えた。セラフィナはベッドの上で上半身を起こし、背を凭れさせた姿勢で読書をしていたようだった。


「今帰った。体調はどうだ」

「もう本当に元気なんですよ。ですが寝ているしかありませんので、なんだか落ち着かなくて」


 セラフィナは本来の調子を取り戻しつつある。目を覚ましてから二日程度は紙のように白い顔をして体にもあまり力が入らないようだったし、何度も気絶するように眠り始めるので肝を冷やしたものだった。しかし昨日くらいからは頬に血色が戻り、使用人達の出入りに気を付けつつ刺繍なども始めたらしい。エルマによれば眠る時間も通常の長さに戻っているとのことだ。


「せっかくなのだから、頑張っていた分の休暇と思ってゆっくりしたらいい」

「それを仰るならランドルフ様の方がお休みを取るべきですのに」

「あのような事件が起きては仕方がない。……ああ、貴女にも伝えておいた方がいいな。実行犯を手引きした男が逮捕されたぞ。明日には新聞にも掲載されるはずだ」


 この報告には、セラフィナも少なからず驚いたようだった。大きな青い瞳をさらに大きくした彼女は、胸に手を当て心を落ち着けるようにした。


「そうでしたか。いったいどういった理由で、あのようなことを?」

「軍属にある貴族の男でな。陛下の代になって貴族の特権が減ったことに不満を持ったらしい」

「…それは、難しいことです。両陛下も大層お心を痛めておいででしょう」


 セラフィナは悲しそうに目を伏せて膝の上で両手を握り合わせている。酷い目にあったのは彼女自身だというのに、皇帝夫妻が狙われたことが心配なのだろう。

 セラフィナに真相を告げる気はなかった。自分が狙われた結果五人もの重傷者を出したと知ったら、彼女はひどく自分を責めるだろうから。ランドルフにとってこの優しい妻がこれ以上傷付くのは、何よりも許せないことだった。


「これで捜査が進展すると良いのだが。残る実行犯を捕まえれば、貴女も安心だろう」

「いいえ。私はランドルフ様がいてくださるだけで、安心でございます」

「……そうか」


 それにしても不意打ちで可愛いことを言うのは反則ではないだろうか。

 セラフィナが何の曇りもない顔で頷くので、ランドルフは緩みそうになる頬を抑えるためにしばし凶悪な面構えをしなければならなかった。


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