表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
34/79

12

 陸軍省は相も変わらず慌ただしい雰囲気に包まれていた。

 戴冠式前の希望に満ちたそれとは程遠く、今は誰もが厳しい表情をして方々を駆け回っている。原因はもちろん、あの戴冠式の夜に起きた惨劇にあった。

 国として最も重要な行事の一つであるにもかかわらず、重傷者六名を出した史上稀に見る大事件。未だ解決の糸口を見せないこの出来事が、疲れ切った軍人たちを諸々の後始末へと駆り立てているのだ。

 

 そしてランドルフはといえば、自身の執務室にて部下から書類を受け取ったところであった。

 セラフィナを屋敷に戻したのが昨日、そして今日後ろ髪引かれる思いで出仕したのは他でもない。ランドルフは事件に深く関わった当事者として、捜査の一端に関わることになったのだ。

 もしかすると捜査の陣頭指揮を取らされるかもしれないと構えていたのだが、昨日の段階で情報部に一任することが決まっていた。アイゼンフート侯爵夫人が皇帝夫妻を庇って負傷したという情報は、箝口令を敷いたにもかかわらず軍内部を駆け巡り、それはランドルフに対する労りという形で表面化していたのだ。

 何はともあれ仕事が増えなかったのはありがたい。今は少しでも長く屋敷にいる時間を作り、妻を気遣ってやりたいというのがランドルフの偽らざる本心だった。

 ただし彼女をあんな目に合わせた連中を許すわけではない。奴らは必ず炙り出し、然るべき裁きを受けさせてやる。


「少将閣下……? あの、書類に何か不備でも?」


 怒りのあまり凶悪な顔つきをしたランドルフに怖々声をかけたのは、第三師団参謀にして直属の部下であるケッシンガー少佐である。

 ランドルフより一つ年下のこの男は書類仕事が得意で大変重宝しているのだが、いかんせん指揮官の顔にいつまで経っても慣れてくれないのが玉に瑕。

 ランドルフが書類からチラリと目線を上げると、彼は青ざめた顔の前に両手をかざして縮こまってしまった。


「ってひゃー! やっぱり怖い!」

「……貴様はいつもいつも、本当に真正面から失礼だな」

「だ、だって閣下、いつにも増して迫力あるんですもん!」


 いかにも事務屋といったひょろ長い体を折り曲げたケッシンガーは、本気で怯えた様子で肩を震わせている。この反応はいつものことなので、ランドルフは無視して会話を続けることにした。


「この書類に問題はない。ここに解決の糸口があると思ったら、ついな」

「そ、そうでしたか。あの、奥方様のお具合は、快方に向かっておられるのですよね?」


 どうやらあまりに張り詰めた様子の上官に、奥方の具合がそんなに悪いのかと心配になったらしい。ケッシンガーという男は腰抜けではあるものの、人として真心ある好人物なのだ。

 ランドルフは極力優しい顔になるよう気を付けつつ、部下の労りを受け取ることにした。


「起上がれるようになるまで十日程度とのことだ。心配かけてすまないな」

「いいえ、そんな! 第三師団一同、今回のことで少将と奥方様を誇りに思っているんですよ。私に代われる仕事があるなら何でもお引き受けしますから、なるべく早く帰って差し上げてくださいね」

「ああ、感謝する」


 温かい言葉をかけてもらってありがたいのだが、その間一回も目が合わないのはどうしたことだろうか。

 とはいえ、いい部下を持ったなとしみじみ思うランドルフなのであった。




 書類の内容は警備の不備をまとめたものだった。確認して自身の見解を述べた報告書を作成した後、ランドルフは昼を挟んで執務室を出る。

 向かった先は陸軍省の地下二階、特別な囚人を収監する地下房。ここに立ち入るには将官ですら申請が必要なのだが、今回はすんなりと許可が下りていた。入り口を固める衛兵に身分証を提示して入室すると、すぐに今回の捜査における最高責任者が待ち構えていたので敬礼を交わす。


「お初にお目にかかります。情報部長、陸軍大佐マイネッケであります」

「アイゼンフート少将だ」

「この度はご協力感謝致します。さ、奥へどうぞ」


 マイネッケは慇懃な笑みを浮かべて奥の独房を指し示すと、先立って歩き始めた。石造りの地下房は湿っぽく、ところどころ灯されたランプの明かりが彼の白いものの混じった髪を赤く見せていた。

 マイネッケ大佐は情報部長で、要するにスパイの親玉を勤め上げる傑物である。

 滅多に表にその姿を現さず、年齢や経歴、本名すらも謎に包まれていることから、陸軍内でも関わりにくい人物との印象が強い。

 ランドルフですらその姿を見たのは片手で数えるほどしかなかったが、こうして実際話してみると底知れないとの第一印象を抱かずにはいられなかった。

 髪に白髪が混ざっているがその顔付きはまだ若く、この相反する二つの要素が年齢不詳の原因だろう。細身の体からは一切の隙も感じられず、一見柔和に見える目元はランドルフを認めた瞬間だけ鋭さを増していた。一度手合わせでもしてみたいものだが、彼の職務上それは無理な相談なのだろう。


「情報部の管轄になったということは、相当根深い事件のようだな」

「仰る通りです。まだ全貌は掴みきれていませんが、これは恐らくヴェーグラントの根幹を揺るがしかねない事案ですよ」


 マイネッケはどこか楽しげにそんなことを言う。こんな厄介な事件の責任者になったというのにこの余裕とは、やはりスパイ畑の人間は感性が違うのだろうか。


「随分楽しそうだな。そんなに見通しが明るいか」

「おや、これは失礼いたしました。アイゼンフート少将の奥方がお怪我をなさったというのに、不謹慎でしたかな」

「……それは貴官には関係のない話だ」

「重ね重ね失礼を。私はもともとこういう話し方なのですよ、どうぞご容赦ください」


 どうにもつかみどころのない男だ。調子に飲まれているような気がして閉口していると、やがてマイネッケは一つの扉の前で足を止めた。


「この部屋です。どうぞ」


 鉄で作られた扉が重い音を立てて開かれる。中はやはり石で作られており、冷え切った床の上に見覚えのある男が転がされていた。

 そう、あの夜五人もの警備兵を斬り伏せ、ランドルフによって捕らえられた、事件の犯人の一人である。

  部屋には男以外誰もいなかったが、既に血の匂いが充満していた。見れば薄い肌着一枚の背中には多数の傷があり、情報部による拷問はひとまずの収束を見たようだ。


「何も喋らんのか」

「ええ、何も。ただむしゃくしゃして暴れたかった、その一点張りです」

「それが真実だということは」

「あり得ません」

「だろうな」


 この事件は間違いなく二人の犯人が連携して起こしたものだ。まず目の前の男が会場を撹乱し、今も逃走を続けるもう一人の男が皇帝夫妻を狙う。そして恐らくは陸軍内に内通者がおり、その者が彼らを手引きした上に警備の穴を作り出したのだろう。先ほど目を通した書類からもそれは見て取れた。


「おい」


 ランドルフは低く唸ると、男の腕を掴んで力任せにひっくり返した。男は意識を失っていたが、その乱暴な扱いに目を覚ましたようだった。


「私を覚えているか」

「へ…覚えてねえな。誰だあんた」


 男は腫れた頬を歪めて笑った。怒鳴るでもなく冷静に会話を続けるランドルフだったが、その低音が怒りを押し隠すものであった事は聞くものが聞けば気付いていたことだろう。


「そうか。私は貴様に聞かねばならんことがある。答えてもらおうか」

「あんたが知りたがるような事、俺が知ってるとは、思えねえけどな」


「それを決めるのは貴様ではない。私だ」


 言うやいなや、ランドルフは男の右腕をねじり上げた。男は突然のことに力を逃すことも出来なかったらしく、苦悶の声を上げる。


「どこの手の者だ。答えねば腕を折る」

「て、手の者とかじゃねえって、言ってんだろ!」

「そうか」


 ぼきり、と鈍い音が地下房に響いた。

 次の瞬間、男の絶叫が迸った。鉄の扉で隔たれているとはいえ、恐らくこの大音量では他の部屋にも反響していることだろう。

 ランドルフは無表情だった。淡々としたその姿は、まさしく戦場で幾万の兵を震え上がらせる黒獅子将軍そのもの。

 あまりにも暴れるのであえて手を放してやると、男はしばらく腕を抑えてのたうち回っていたが、やがて蹲ったまま恨みを込めた瞳でランドルフを射抜いた。


「ほう。まだ元気がある様だな」

「て、てめえ……!」

「貴様らはアルーディアの者だろう」


 痛みのあまり気が抜けていたらしく、男は一瞬だけ体を強張らせた。それは刹那の反応ではあったが、この場においては肯定と同義だ。

 ある程度あたりはついていたのだが、こうまであっさりと鎌にかかるとは。得られた情報の大きさに、マイネッケは口笛を吹きそうなくらいの上機嫌である。


「おお、当たりのようですね。なぜそのようなことが解ったのです?」

「……さてな」


 男は悔しそうな顔をして目をそらしている。これ以上何も言う気がないといった態度だが、こちらもこれだけで容赦する謂れはない。


「申し遅れた。私はヴェーグラント陸軍第三師団指揮官アイゼンフート少将である」


 男の顔が恐怖に引きつった。どうやら自らの名はアルーディア国内においても知られているらしい。それも恐ろしき血戦の黒獅子として。


「そうそう黒獅子将軍ですよー。怖いですよー。ちゃっちゃと喋ってしまった方が身のためですよー」

「マイネッケ大佐ちょっと黙っててもらえないか」

「な、何だよ。その黒獅子が、だから何の用だって?」

「……解らんか」


 ランドルフは今度は男の喉元を掴むと片腕の力だけで引き起こし、反動をつけることもなく石の壁へと叩きつけた。

 鈍い衝撃音が響き、男は息を止めて目を見開く。しかしそれで終わりにする気は毛頭なく、ランドルフはそのまま喉にかけた手に力を込めた。男の足が宙を泳ぎ、窒息の恐怖から逃れようと丸太のような腕を引

 っ掻くが、それは虫よりも矮小な動きに見えた。


「くっ、が……!」

「私は今怒り心頭でな。貴様らが我が帝国に戦争を仕掛けたいことはよく解ったが、まさか本当に勝てると思っているのか?」


 つまりこの事件の真相は、本当の狙いは皇帝夫妻ではなくセラフィナだった、という一点にある。

 セラフィナがハイルング人であることを公衆の面前で暴き、ヴェーグラント国内の反アルーディア感情を煽る。あわよくばこれで戦争を仕掛けてもらい、駄目なら大事な第二王女が傷つけられたことを理由に攻め込もうという魂胆だったのだ。皇帝夫妻を狙ったのは、セラフィナが必ず庇うと踏んでのことだろう。また、彼女を狙って刺したのでは、アルーディアの差し金であることがその場で明らかになってしまうという事もある。

 ただしこの計画は既に潰えている。セラフィナがハイルング人だと明かされる事はなかったし、アルーディアにも彼女の名義で大丈夫だから安心して欲しいとの声明を発表済みだ。

 未然に防がれたのでそれだけでも不幸中の幸いだが、この計画を考えたであろう女王の何という卑劣なことか。セラフィナの優しい心を利用した、その事実だけで殺す理由に余りある。

 ランドルフは獅子ですら尻尾を巻いて逃げ出すほどの凄まじい殺気で持って男を睨みつけた。その瞳に宿る怒りは燃え盛る炎よりも熱く、視線だけで人を殺せるのではないかと思わせるほどの迫力を有している。横から見ていたマイネッケも叩きつけるような圧力を感じ取ったほどで、それを正面から向けられた男は最早恐怖に取り憑かれたまま震えることしかできなかった。


「いかに有利な状態で開戦に持ち込もうとも、貴様らに勝ちはない。何故なら私がいる限りヴェーグラントが負けることはあり得ないからだ」

「ひ……っ……!」

「最後の一人になろうとも、どこへ逃げようとも草の根分けてでも探し出し、私は必ず貴様らの女王の首を取る。それだけは覚えておく事だ」


 低く唸るように絞り出された言葉が届いたのかどうか。ランドルフが手の力を抜くと、男は恐怖に目を見開いたまま崩れ落ち、ひどく咳き込んだ。脚も肩も気の毒なほど震えていたが、その様子を無感動に眺めて踵を返す。

「おや、もうよろしいので?」

「知りたい事は分かった。あとは任せる」

「礼を申し上げねばなりませんね。これだけ心を折っておけば楽なものです。重要な情報も聞き出せましたし」

「失礼する」

「恐ろしい黒獅子将軍。今日は戦場での貴方が垣間見れたようで、興味深かったですよ」


 マイネッケの歌うような声が後ろから追いかけてきたが、ランドルフはもう二度と振り返らなかった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ