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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
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7

 その後ランドルフは医師を呼んでくると言い置いて部屋を出て行き、やがて一人の老人を伴って帰ってきた。彼は柔らかい茶色の瞳を持ったいかにも優しそうな人物で、セラフィナは一目で安心してしまった。


「こんにちは、奥方。儂はベルヒリンゲンという。具合はどうかの」

「セラフィナ・アイゼンフートでございます。ベルヒリンゲン軍医中将閣下、この度は誠にありがとうございました。もうすっかり痛みもありません」

「ほほ、結構結構! 強い方じゃのう。ああ、儂のことは気安く先生とでも呼んどくれ。皆そう呼ぶんでの」


 ベルヒリンゲンの笑顔は明るく、親しみやすいものだった。とても地位のある人物なのに偉ぶった所を感じさせない気持ちのいい振る舞いに、セラフィナは自然と笑みを浮かべる。


「さて、一応診察させてもらおうかのう。怪我は治ったかもしれんが何らかの異変があってはいかんのでな」

「はい。よろしくお願い致します」


 そして診察が始まった。ベルヒリンゲンは貧血やその他感染症の可能性などを考え、色々と調べてくれているようだった。


「さて、では最後に傷を」


  しかしそこでベルヒリンゲンはピタリと手を止め、セラフィナを通り越してその背後に視線を飛ばした。


「……将軍。ちと出て行ってくれんかのう」

「なぜです」


 そこでは先程からランドルフが仁王立ちで診察を見守っていたのだった。

 彼の威圧感には慣れっこのベルヒリンゲンでも、ここまで鋭い視線を投げかけられてはやりにくい。それに。


「奥方とて、こんな明るいところで夫に肌を見られたくはないじゃろ?」


 ベルヒリンゲンの言葉に、二人は同時に赤面した。ランドルフに至っては悪魔も逃げ出す形相となっている。


「す、すまない、気がつかなかった! 私は外で待つ!」

「え、あ、いえ、ごめんなさい!?」


 ランドルフは慌てふためきながら早足で外に出て行ってしまい、後には赤い顔をしたセラフィナと呆れ顔のベルヒリンゲンが残された。


「なんじゃそのウブな反応は。…まさかとは思うがこの夫婦、まだ、なんてことはあるまいな?」

「あの、先生? どうかなさったんですか?」


 ベルヒリンゲンが小声で言った言葉が聞き取れず、首を傾げるセラフィナであった。


 ベルヒリンゲンはとても女心のわかる人物で、セラフィナが包帯を解く間は余所を向いておき、次にワンピースの前ボタンを外して傷の部分だけ見せるよう指示をした。

 そうして露わになった傷痕は、もはや血の気配を感じさせず、赤く盛り上がるだけになっていた。


「ふむ、これは本当にほぼ完治しとるのう。いやはや、驚異的な回復力じゃ」


 ベルヒリンゲンは感心しきりの様子で、どうやらハイルング人について特別な感情を抱いているということもなさそうだった。さっぱりしたその反応に安堵しながら、セラフィナは改めて頭を下げる。


「こうして私の正体が知られることもなく、大事に至らなかったことは、先生のお力添えあっての事でございます。本当にありがとうございました」

「いやいや、顔をお上げなさいな、奥方」


 促されるまま顔を上げると、ベルヒリンゲンはとても優しい顔をしてこちらを見ている。その瞳には明確な慈愛の色があった。


「儂がしたことといえば傷口の手当てくらいのものよ。あとは全部、将軍があんたを守るために動いた結果じゃ。大事にされておるの」


 ベルヒリンゲンは朗らかな笑みを浮かべていたのだが、その言葉はセラフィナの胸を締め付けるばかり。

 そう、確かにとても大事にして貰っていると思う。しかしそれはランドルフの優しさと責任感が、妻を守らなければという思いに繋がっているからこそで、セラフィナ個人を想ってくれているわけではない。きっと彼は迎えたのが誰であれ、妻に対する態度が変わることはなかっただろう。


「はい。私にはもったいないほどのお方です」


 セラフィナは精一杯幸せそうに微笑んだつもりだった。しかしベルヒリンゲンが訝しそうに目を細めるので、何かおかしかっただろうかと戸惑ってしまう。


「まあ、儂がとやかくいう事ではないのだろうがの。あんた、無理をしてはいかんよ。何か心配事があったら、何でも将軍に相談なさい。あやつに言いにくい事なら、周りの人間でも、何なら儂でも構わんのでな」

「ありがとうございます。ですが、どうしてそのように心配してくださるのですか?」

「あんたがた夫妻はどこか似た者同士に見えるのでな。お互いに他者を尊重しすぎるせいで、いつかとんでもないすれ違いを起こすんじゃないか……などと、儂のような年寄りはつい、若いもんが心配になってしまうんじゃよ」


 最後は茶目っ気たっぷりに微笑んだベルヒリンゲンに、セラフィナもつられて笑ってしまう。彼の言うことはよくわからなかったが、初対面にもかかわらず親身になってくれたことが嬉しかった。


「さて、もう大丈夫じゃな。もう屋敷に帰っても良いだろう」

「ありがとうございました。……あの、先生」


 診察の間に一つ気が付いたことがあった。しかしベルヒリンゲンが言わないのなら聞くべきではないと思ってその疑問を押し込んだのだ。けれどどうしても気にかかり、セラフィナは意を決してその疑問を口にする事にした。

 何故なら、生まれて初めて母以外の同族に会ったかもしれないのだから。


「先生は、ハイルングの落とし子ですね?」


 ベルヒリンゲンはセラフィナの問いかけに対して暫し無言であった。しかしやがて、いたずらがバレた子供のような顔をして微笑んだのだった。


「どうして気付いたんじゃ? 直系の王族以外は知らぬはずだがのう」

「腕まくりをされた時に古傷が見えました。大きな傷でしたが、縫合の跡がありませんでしたので」


 ハイルング人はすぐに傷を治すことができるが、力の弱い者ほど傷痕自体はしっかりと残る。事実、半分しか血を受け継いでいないセラフィナは、背中の傷もついに消えることはなかった。ただしすぐに出血が止まる為に縫合などの治療は必要なく、ハイルング人特有の比較的目立たない痕になるのだ。


「あんたは強いだけでなく聡いんじゃのう。こりゃ参ったわい」

「申し訳ありません。やはり、知らぬ振りなどできず」


 そして、ハイルングの落とし子という存在はただの突然変異とみなされているが、本当はハイルング人は実在している。つまりハイルングの落とし子とは、かつて大陸中に存在したハイルング人達の遠い遠い子孫であるという事に他ならない。そしてベルヒリンゲンがハイルングの落とし子ということは、つまり。


「かつて帝室内にハイルング人がいたと、そういうことなのですね…?」


 それは、ほとんど確信に近い仮説だった。ベルヒリンゲンがハイルングの落とし子であったとして、そして先祖にハイルング人がいたとして、現帝室に当時の話が伝わっているとは限らないのだ。

 しかしセラフィナの直感が告げていた。この国は、何か大きな事を隠しているのではないかと。


「ふむ。あんたは知っていてもいいかもしれんの」

「先生、秘密であるという事なら無理にとは」

「いんや、出自が気になるというのは人として当たり前のことじゃて。さて、長い話になる。将軍も呼んできたほうがよかろうな」


 ベルヒリンゲンはランドルフを呼びに席を立った。彼はどうやらセラフィナの覚悟をわかってくれたらしい。



 かつてアウラと過ごした日々、セラフィナは外の世界に興味を持つ事を自らに禁じた。

 だからこそ母にハイルング人について一つも質問することができず、その隠れ里がとこにあるのかさえも分からず終いだったのだ。

 彼の話を聞けば、少しでも自らの出自に向き合うことができるのではないか。

 期待と不安がないまぜになった胸の内を抱えたまま、セラフィナは二人が戻ってくるまでの時間を過ごした。



 ランドルフはベルヒリンゲンがハイルングの落とし子と知って尚、特に動じる事なく彼の話に耳を傾けていた。セラフィナの時もそうだったが、その落ち着き様は流石としか言いようがない。


「何から話せば良いのかの……ああ、そうじゃな。やはり、ハイルングの消失の発端となった戦争について、からじゃな」

「当時と仰いますと、ヴェーグラントとアルーディア間に起きた最後の戦争、ゲールズ戦争のことでしょうか」


 ゲールズ戦争といえば、両国に生きるものなら知らぬものはいないと言われる程有名な戦いである。六百年の昔、長きに渡って続いた戦争はゲールズ平原の戦いで終戦を迎え、結果として両者痛み分けの形で国境を定めるに至った。そして現在までヴェーグラントとアルーディアは表面上は国交があるものの、水面下では緊張した関係が続いているというわけなのである。


「その通りじゃ、将軍。ゲールズ戦争は単に領土のための戦いであったとされているが、実際は違う。当時ヴェーグラント国内に多く住んだハイルング人達、彼らの力を狙ってアルーディアが攻め込んできたのが発端なのじゃよ」


 これには流石のランドルフも驚きに目を剥いた。セラフィナもまた自身の認識が崩れ去っていくのを感じながら、ベルヒリンゲンの話に聞き入っていた。


「当時のハイルング人の力は凄まじいものじゃった。老衰以外で死ぬことはなく、死者以外の傷病者はたちどころに治すことができたと聞いておる。そんな彼らは超一流の医者になれたし、超一流の兵士にもなれた。目先の欲に囚われた人間にとって、これ以上ないほど欲しいものだったのじゃ。彼らもまた共に戦ってくれたが、アルーディアの軍事力を前に一進一退が続き、毎日国境付近の街が襲われ、根こそぎハイルング人達が攫われていった。そしてある日、当時の皇后が決意を固めた。ハイルング人達の力さえなくなれば、戦争は終わるはずだ、と。彼女は、ハイルング人じゃった。皇后は国内に残るハイルング人を集め、全員でシヤリの森へ向かい、その力を木々に吸わせた。奥方、シヤリの木のことは知っておるかの?」

「はい、ハイルング人が大切にしている木だと…」

「そうじゃ。シヤリの木はハイルング人の強すぎる力を吸って調整する役目を担っておった。森の中に神木があってな、それに願い出たらしい。もうこんな力はいらない、お返しします、と。ハイルング人達は善良で、人々を癒す事を喜んでおった。だからこそ結局自身のせいで戦争が巻き起こったことを後悔しておったのじゃよ」

「……そんな」


 当時の彼らの心境を思うと、胸が潰れるような思いがした。いつかランドルフが言っていたように、彼らは平和を愛する種族だったのだろう。なのに癒すべき人々に力を狙われ、守ろうとしてくれた人たちも倒れていく。それはきっと、想像を絶するほどに耐えがたい毎日だったに違いない。


「結果ほとんどの力を失うことに成功した。しかし、戦いは終わらなかった。もう止まれないところまできてしまっていたのじゃ。一つの目的のため始まった戦争でも、長引くうちに雪だるま式に戦う理由が増えていきおる。領土や、資源や、死んだ者への報い、誇り、意地。アルーディアは攻撃の手を緩めなかったし、ヴェーグラントもまた激しく応戦した」

「そうでしょうね。軍というものは、立場が上に行くほど多くのしがらみに捉われるようになる」


 ランドルフは目を細め、当時の状況に同調しているようだった。四年前の戦争で少将に昇格したという彼にとっても、思うところのある話なのだろう。


「そして二年が過ぎた。ヴェーグラントもアルーディアも、ボロボロじゃった。そして、皇后は再び決意を固めた。全てのハイルング人を連れ、このしがらみを捨て去る事を。移住先には、ピルニウス山脈が選ばれた」

「ピルニウス、ですか……!?」


 驚愕の事実にセラフィナは思わず大きな声を上げた。


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