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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
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6

お読み頂き本当にありがとうございます!

こんなにたくさんの方にお読みいただけるとは思っておりませんでしたので、感無量です。

評価等も本当にありがとうございます。励みになります!


 夢うつつを行き来している自覚はあった。

 眠っているにもかかわらず、熱さと痛みで無理やり目覚めさせられてしまうのだ。その度に最も安心できる体温が手を握り、何かと世話を焼いてくれるのを感じる。その人物がランドルフであることは最初からわかっていたが、彼が泣きそうに顔を歪ませているのを見て、やっぱり夢かもしれないと独りごちる。

 彼は強い。妻が怪我をしたぐらいで、そんな顔をしたりはしないだろう。

 でももし、彼の責任感がそうさせているのだとしたら、気にしないでほしいと思う。これは自分が勝手に怪我をしただけのことなのだから。




 意識を引っ張り上げられることがなくなってしばしの時間が過ぎたようだった。

 今度の目覚めは実に自然で、セラフィナはいつもの朝と同じようにゆっくりと瞼を持ち上げる。周囲は明るく、どうやら昼間のようだ。

 回らない思考回路でそれだけ確認しつつ視線を巡らすと、そこにはベッド脇の椅子に座るランドルフの姿があった。


「ランドルフ、様……?」

「 目が覚めたか」


 彼は押し殺したようにため息を漏らすと、片手で顔を覆ってしまう。どうやら疲れ切っているらしいその姿に、セラフィナは胸中を申し訳なさで一杯にした。


「私……どれくらい眠っていたのですか?」

「一晩だ。体調はどうだ」


 怪我はもうほとんど良いようだった。痛みは既にないし、怠さは多分に残っているものの熱も引いており、恐らくは歩くこともできるだろう。セラフィナが身を起こそうと腕に力を入れると、ランドルフは慌てて腕を伸ばして体を支えてくれようとした。しかし彼の力をほとんど借りないままに、自力で起き上がることができたのでひとまず安堵する。


「無理をするな」

「大丈夫みたいです。もう全く痛くありません」

「……そうか」


 ふと見ればセラフィナは病人用の簡素なワンピースを見に纏っていた。一体いつの間に着替えたのかと疑問を抱いた事に、ランドルフはすぐに気付いたらしい。


「私が着替えさせた。緊急事態だ、許せ」

「え……!? い、いいえあの、申し訳ありませんでした。お手を煩わせてしまって!」


 セラフィナは思わず赤面して視線を逸らした。彼に裸に近い姿を見られたらしいという事実と、そこまでの世話を焼かせてしまったことがとてつもなく恥ずかしい。

 しかし事態が事態なので、今はそれよりも気にしなければならない事があった。


「あの、ランドルフ様。私が、ハイルング人であるということは、その……」


 大事なのは昨夜の事件がどう処理されたのかという事だ。

 セラフィナの正体が露見しなかったのだとしても、その為にランドルフに途方もない迷惑を強いたことは想像に難くなく、問いかけはつい尻すぼみになってしまう。しかしその意図は正確に彼に伝わったようだった。


「あの後、すぐに貴女を会場から連れ出し、信頼を寄せる医師に見せた。その方は他言しないと仰っている」


  告げられた簡潔な言葉は、ずっと張り詰めていた気を緩ませるのに十分なものだった。セラフィナはへなへなと力を抜くと胸の前で両手を組み、ランドルフの采配に感謝して安堵の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。そこまでして頂いて、本当に……!」

「私はなにもしていない」


 しかしランドルフの反応は予想よりもずっと硬いものだった。

 聞いたこともないような冷たい声に、不機嫌そうに眉間にしわを寄せて告げられた言葉に、セラフィナは頭が瞬時に冷えていくのを感じた。

 やはり勝手にこんなことをして怒っているのだろうか。

 しかしそれも当然のこと。ハイルング人であることが露見すれば困るのはセラフィナだけでなく、ランドルフの立場や、ひいてはヴェーグラントとアルーディアの関係まで崩れ去るのだから、身勝手な行いに怒るのも当然といえる。

 どうしたらいい。こんな迷惑をかけて、怒らせて、どうすれば償えるだろう。

 いつのまにか一番の信頼を寄せるようになっていた夫の怒りは何よりも辛く、セラフィナは罪悪感に駆られるままに身を縮めた。

 医務室の中を静寂が押し包む。そうなると消毒薬の匂いばかりがやけに気になって、鼻がツンと痛んだ。


「セラフィナ。本当に、すまなかった」


 信じられないことに、ランドルフはまっすぐに頭を下げていた。セラフィナはあまりの事に言葉を失う。


「貴女にひどい怪我を負わせてしまったのも全て私の責任だ。皇帝陛下と皇后陛下のことを、まさか貴女に庇わせてしまうとは。本当に、合わせる顔がない」


 呆然と彼の後頭部を見つめていたセラフィナは、状況を理解するにつれ青ざめていった。


「そ、そんな……! ランドルフ様は悪くありません。私が勝手に怪我をしただけです!」

「それは違う。貴女は私の妻だ。あのような状況下で側を離れるべきでは無かった。私が守らねばならなかったのだ」

「軍人として正しいことをなさっただけの事です! 私、もうこの通りすっかり元気なんです! お願いですから、お顔をあげてくださいませ……!」


 セラフィナの必死の説得にもランドルフが顔を上げる気配はない。

 そんな、違うのに。彼のせいなどということはこれっぽっちもなくて、本当にいつも助けてもらっていて。申し訳ないくらいなのに、どうしたら。


「本当にもう治りましたから! やはり、こういう時はこの体質も便利なものでして」


 明るく言ってみてもやはりランドルフは顔を上げてくれない。セラフィナに大量の焦りが募っていく。


「そ、そうです! 私としては、最良の結果だと思っているんですよ。だって陛下やレナータがお怪我を負えば無事では済まなかったかもしれませんが、私なら即死でさえなければ死にませんから。大事なお二人に何かあるより良か——」


 その言葉の続きは分厚い胸板に吸い込まれた。

 目にも留まらぬ速さで、ランドルフの腕の中に閉じ込められていたのだ。セラフィナはしばし状況が飲み込めず瞬きを繰り返していたのだが、耳元から聞こえた声に理解を促され、瞬間的に混乱の極地へ叩き落される事になった。


「何故、お前は自分を大切にしてくれないんだ」

「ランドルフ様……!? な、何を」

「ハイルング人だろうがそうじゃなかろうが関係ない。血まみれのお前を見つけた時、私がどんな気持ちだったか解るか」


 突然の事にセラフィナは完全に冷静を失っていたのだが、やがてランドルフの声に隠しきれないほどの苦しみが滲んでいる事に気付いて、徐々に力を抜いていった。


「お前が傷つくことは、私にとって自分が傷を負うよりも遙かに苦しいことなんだ! 頼むから……お前を心配する者がいる事を、ちゃんと理解してくれ……」


 掠れた声はあまりにも悲痛だった。

 どれほどの心配をかけてしまったのだろうか。夢うつつで目にした泣きそうな顔は、やはり現実だったのだろうか。

 セラフィナはまさかハイルング人である自分の怪我を、こんなに心配してもらえるなんて露ほども考えていなかったのだ。そんな存在はベルティーユ達以外に一生できないだろうと、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 しばしの時間を抱きしめられたまま過ごした。その間、セラフィナはこみ上げる喜びを受け止めきれずに、ただランドルフの白いシャツの胸を眺めていた。

 やがて彼は壊れ物を扱うような手つきでセラフィナを解放すると、そうすることが当たり前であるかのように片膝をつき、まるで騎士のような姿勢を取った。


「一つ決めたことがある」


 ランドルフはセラフィナの手を取って真正面から見上げている。

 輝く金色は相変わらず美しく、どこまでも真摯だった。とても恐れ多い体勢だというのに最早恐縮の言葉すら出てこず、セラフィナはただ青い泉を揺らして彼のそれを見つめ返すことしかできない。


「約束をする。この先貴女がその身を犠牲にして誰かを庇おうとするなら、貴女に刃が届く前に全て私が防ごう。もう二度とこんな目には合わせない。必ず守る」

「そんな……そんな、こと。私に付き合う必要なんてありません」


  拒絶の言葉は弱々しい響きしか持たず、ランドルフはふと微笑んだようだった。


「貴女が勝手に怪我をするというのなら、私は勝手に貴女が傷つかないよう守るだけの事。拒否権はないぞ」


 そうしてセラフィナが遠慮しないよう、いたずらっぽく笑って告げられてしまったら。

 

 これ以上自分の気持ちに気付かない振りをすることなど、できるはずもなかった。

 

 いつからだったのだろう。結婚式の夜に話を聞いて受け止めてくれた時? それとも博物館に行って、遠慮などしなくて良いと精一杯告げてくれた時? ……いや違う。きっと初めて出会ってこの真摯な瞳を見つめたあの時から。


 ずっと好きだった。愛してしまった。この泣きたくなるほど優しい夫のことを。


 気付いてしまった想いは、温かく、されど切なく胸を締め付ける。震える瞳を誤魔化すように瞼を閉じれば、目の奥に彼の優しい眼差しが焼き付いていて、セラフィナはしばし涙を堪えなければならなかった。


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