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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
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4

 薄暗いバルコニーから戻ると、煌びやかな光が目の中で弾けた。

 既に満足した者らはダンスの輪を離れて食事を取ったりと自由にし始めているようで、会場は先程よりも砕けた雰囲気に包まれている。

 セラフィナはこういった催しがあまり得意ではない。なぜなら初対面の人物を相手にすると、どうしてもその瞳が信頼できるものか判断してしまって疲れるからだ。

 我ながら嫌な癖だと思うが、殆ど無意識でのことなので諦めている。もっとも、周囲が殆ど敵だったあの頃はまだしも、今は直感で決めつけるのは良くないとなるべく忘れるようにしているのだが。

 それにアルーディアにいた頃は、夜会に参加しようものなら皆がセラフィナを侮蔑の目で見た。ヴェーグラントに来てからは必要がなかったから殆ど参加しなかったのだが、ついその頃の不安を思い出してしまうのも理由の一つではある。

 セラフィナはちらりと遥か高い位置にある夫の横顔を伺う。彼は何か探そうとしているのか、遠くを見る視線をこちらに向ける事はなさそうだった。

 夜会は苦手だ。けれど、彼がいてくれるだけで随分と気持ちが楽になる。先程も踊れないというセラフィナに嫌な顔一つする事なく付き合ってくれた。

 そうした優しさを向けられるたび胸が息苦しいほど締め付けられるのは、何故なのだろうか。


「何か飲み物でも貰うか。少し待っていてくれ」


 息の上がっている妻を見かねたのだろう。ランドルフは一言述べ、飲み物のコーナーへと向かうべく踵を返す。

 しかしセラフィナはその大きな後ろ姿が遠ざかっていくのに妙な寂しさを覚えて、思わずテールコートの裾を掴んでしまった。

 振り返った彼の顔が微かな驚きを映しているのを見てとって、セラフィナは己のとった行動の幼稚さに気付いて顔を赤くする。

 弾かれたように手を離したが、今の突飛な行動が無かったことになるものでもなかった。


「どうしたんだ」

「ち、違うんです。これはその」


 良い言い訳が思いつかずしどろもどろになっていると、突如として横合いから若い女性の、しかし威厳ある声が上がった。


「アイゼンフート侯爵、侯爵夫人。ごきげんよう」


 現れたのは本日の主役、レナータ・ゲルデ・フンメル皇后陛下その人であった。その後ろには何と皇帝陛下も続いている。周囲は少しのどよめきを上げたが、皇帝夫妻が声をかけた相手がアイゼンフート侯爵夫妻だと知るや納得したらしい。表面上は今まで通り過ごしているが、近くにいる全員がこちらに注意を向けている事は明らかだった。

 セラフィナは動揺を抑え込んで優雅な礼を取る。


「皇后陛下、この度は誠におめでとうございます。これからは臣下としてあなた様をお支えしていく所存にございます」

「ええ、ありがとう」


  セラフィナのかしこまった態度に、レナータは一瞬寂しそうに目を細めたが、それを指摘する事はなかった。二人は名前で呼び合う中だが、もちろん衆目の前でしていいことではない。


「皇后陛下、この度は謹んで御即位のお祝いを申し上げます」

「ありがとうございます、アイゼンフート侯爵」


 挨拶を交わす二人を見て、セラフィナは先程ランドルフが誰を探していたのかを知る。

 自身の立場が危ういのは依然として変わらず、打てる手は何でも打っておくべきだ。王族にはアイゼンフート侯爵と言えども声を掛ける事は出来ないので、彼らから掛けて貰うことで関係の良さをアピールし、アルーディアへの牽制に使おうという訳なのだろう。

 ランドルフがこの夜会で非番となったことから見ても、おそらくこれは以前から国王陛下とレナータ、そして彼との間で決められていた事なのだ。

 そうまでして気にかけ、守ってくれようとしていることが嬉しくないはずがない。けれど同時に申し訳なさも感じてしまって、セラフィナは俯きそうになるのを必死でこらえていた。

 

 しかしそこで異変が起こった。すぐ近くで甲高い悲鳴が上がったのだ。

 

 その尋常ではない声にランドルフは瞬時に獅子のような目つきになり、声のした方を向く。セラフィナもまたそれに続き……そして惨劇を目にした。


 なんと警備兵が数人、血を流して倒れていたのだ。

 側にはナイフを持った紳士がいて、温室育ちの貴族たちは誰もがその恐ろしい光景に立ち尽くしていた。——ランドルフ以外は。


「確保!」


 凄まじい怒号が轟き、近くにいた兵士たちが弾かれたように行動を起こす。

 しかし一拍遅かった。ナイフを持った男は寸でのところで突進してくる警備兵を躱わし、そのまま人混みの中に飛び込んでしまったのだ。

 複数の悲鳴が上がり、人垣が割れ、何人かが転んでしまってはもうどうにもならなかった。会場は混乱のるつぼと化し、荒事になれない貴族たちは皆一様にパニックに陥ってしまう。


「皇帝陛下、皇后陛下、お下がりください。警備兵、何をしている! 陛下の周りを固めろ。退路を確保し、安全な場所にお連れするのだ」


 そんな中、ランドルフは冷静だった。青い顔で立ちすくんでいた兵士たちも、その的確な指示に何名かが行動を起こす。位の高そうな軍人もいくらか集まってきて、国王夫妻の周りを固め始めた。

 セラフィナは夫に後ろ手に庇われながら、だからこそただ一人、その姿を注視していた。彼が指示を出しながらも、獣の眼光で周囲を見渡し、やがてその瞳を見開いたのを。

 しかしランドルフはすぐには駈け出さず、躊躇したようにこちらを見るので、セラフィナは彼が口を開くよりも早く強い声で遮った。


「見つけたのですね? 行って下さい」

「しかし」

「こちらは大丈夫です。貴方様しか気付いていないのでしょう? お早く!」


 ランドルフは一瞬、とても名残惜しそうに顔を歪めたように見えた。しかし一拍と置かず走り出すと、もう振り返る事はなかった。その足はこの騒ぎを起こした張本人の元へと向かっているはずだ。

 ひとまず周囲の危険は去ったと思っていいだろう。セラフィナはひとまず息を吐くと、レナータへと向き直る。彼女はディートヘルムの腕に抱かれながらも、気丈にも自力で立っているようだった。

 力を失うことのないエメラルドグリーンの瞳を見て、安堵の気持ちが生まれたが、それは瞬時に搔き消えることとなった。

 二人の背後、混乱する群集の中から幽鬼のようにゆらりと現れた男。その男が、素早い動作でどこからともなくナイフを手にしたのだ。


 その何気無い動きに、今はまだ誰も気付いていない。

 服装が先程の男と違う。複数犯? 一体何のために?

 展開についていけずに状況を分析しようとする頭は、その男が音もなく二人の背後へ突進するのを見て、ついに思考をかなぐり捨てた。


 殆ど反射的にセラフィナはその男と皇帝夫妻の間へと割り込んでいた。


 次いで腹部に重い衝撃を感じ、またやってしまった、と思う。


 これは控えめにいってまずい状況だ。こんな公衆の面前で大怪我を負ってしまうとは、このままではハイルング人であることが露見してしまうだろう。せめてと自分を刺した男の顔を見ようとするが、視界が急激に霞んで邪魔をする。

 しかし一瞬だけ見えたその顔は、どこか既視感があるような気がした。

 背後でレナータの悲鳴が上がる。同時に腹部を貫いていたナイフが抜き去られるが、もはや痛みすら感じなかった。

 皇帝夫妻が駆け寄ってくるのが辛うじて見える。ああ良かった、二人は無事なのだ。


 セラフィナはそのまま床へと倒れ伏し、親友が狂ったように名を呼びかけるのを聴きながら、束の間の眠りへと身を沈めたのだった。


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