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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第二章 戴冠式の夜
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 侯爵夫人の仕事は多岐にわたる。レナータの戴冠式まで多忙を極める当主に代わって、セラフィナは輪をかけて忙しい日々を過ごす事となった。

 舞踏会やその他お誘いは毎日屋敷へと届けられる。それをディルクに聞きながら選別して返事を書き、それが終わると領地についての書類を整頓する。

 軍務の為にブリストルに居を構えるランドルフに代わり、領地運営に関しての多くは領地内に住むルーカスや近くの親戚達がこなしてくれている。代々武門として名を轟かせてきたアイゼンフート侯爵家では、分業するのが常となっているのだ。もちろん当主の認可が必要な書類も多く、流石にこちらはセラフィナが処理するわけにもいかないので、せめて確認しやすいよう分類分けをしていく。

 他にも貴婦人達による手芸サークルに顔を出したり、お茶会に出席したりと対外的な交流も持ち始めている。もう一つ願い出て始めたのは慈善活動だった。アイゼンフート家でも協会や孤児院に支援をしているのだが、ランドルフは子供に怯えられるからという理由で自ら顔を出すことはない。セラフィナはアルーディアで過ごした日々を思い出しながら、活動に精を出した。

 周囲に頑張りすぎないようにと窘められつつ、慣れないながらも充実した毎日は瞬く間に過ぎていく。

 やがて二週間が経過し、ついに友の戴冠式の日を迎えた。




 警備やパレードの指揮と忙しいランドルフに代わって、今日はルーカスがエスコート役を引き受けてくれていた。ちょうど出張が前後したのもあって彼には一月もこの首都に留まってもらうことになってしまい、セラフィナは大層申し訳なく思っていた。

 しかしこの遊び好きに言わせてみれば「二週間自由にできてラッキー。あ、いや、遊びだけじゃなく仕事もちゃんとしますよ」とのことで、ランドルフからは全く気にしなくていいと言い含められているのだが。


 式典用の深緑色のドレスを着込んだセラフィナが玄関へ降り立つと、そこには既にルーカスが待ち構えていた。彼もまた軍の礼装を着こなしており、髪も少し上げて準備万全といった様子だ。


「おはようございます、ルーカス様。お待たせして申し訳ありません」

「おはようございます。いやあ、本日は深緑色に美しいブロンドが映え、まさしく妖精の如きお美しさです。もしや羽が生えて飛んで行かれてしまうのではと——」


 もはや恒例行事と化した美辞麗句に苦笑していると、彼との間に割って入る人影があった。その後ろ姿はどう見てもエルマで、彼女の突然の行動に面食らったまましばしその細い背中を眺める事となった。


「失礼いたします。恐れ入りますが奥様をあまり困らせないで頂けませんか」

「やあエルマ、俺は今晩にはアルデリーに帰らなければいけないんだ。会えなくなるのは寂しいばかりだけど、君が口付けをくれるなら耐えられる気がするよ」

「あなたは私の言うことを聞いていたんですか?」


 雇い主の弟に対する態度ではないのだが、エルマとルーカスの場合はそれが成立している。後で彼女から聞いた話によると、結婚式の時に教会内でのすれ違い様に絡んできたのが最初だったらしい。その時に余りのしつこさにぞんざいな口調になってしまったのだが、それを気にするルーカスではなく、この二週間屋敷に顔を出してはこんな調子なのだ。


「うーん、お堅いねえ。そこが可愛いところなんだけど」

「……そろそろ叩き出しますよ」


 怒髪天をついた今のエルマならやりかねない。とっさにそう判断したセラフィナは、慌てて間に入ってとりなすことにした。


「ル、ルーカス様、そろそろ参りましょう。このような大事な式典に遅れては大変ですし」

「そうでした。では皆、大事な奥様を借りていくよ」

「奥様、何かあったらすぐに声を上げるのですよ!」

「ひどいなあ。君を口説いている最中なのに、どうして他の女性に手を出すと思うんだい?」

「あなたがあなただからですけど!?」


 使用人達は皆笑顔で送り出してくれたが、エルマだけは最後までルーカスを威嚇していた。前の職場で男性に困らされたのだから、女好きの彼に噛み付いてしまうのも道理なのかもしれない。

 それでもいつかは仲良くなってくれたらいいのだけれど。


 

 戴冠式は大聖堂にて厳かに執り行われた。王族を除いて最も近い席を用意されたセラフィナは、友の立派な振る舞いに感激しきりだった。

 ちらりと周囲を見渡せば、ランドルフが王族席のすぐ側で直立不動の姿勢を取っている。皇帝と皇后だけでなく全ての方向に視線を飛ばす彼からは、一切の油断も見受けられなかった。警備責任者としての職務を全うしようとするその姿に、ともすれば魅入ってしまいそうになって、あわてて視線を前に戻す。

 他にも宰相や大臣、司祭などはこの式典の運営側として、参列しつつも裏で指示を飛ばしたりと忙しくしているようだ。その真剣な様子に、どうやらこの戴冠式は彼らにとっても歓迎すべき物であることが感じられて、セラフィナは一人顔を綻ばせる。

 皇帝の手によってレナータが皇后の冠を戴いた瞬間、さざ波のように発生した拍手は、徐々に大聖堂を揺るがさんばかりの大きさとなってコウモリ天井を反響していく。恐らくこれからも様々な困難が待ち受けるであろう二人の、そしてこの国の、新たな門出の瞬間であった。




 特別に設えられた階段を登りきった先には、眼下に人波が渦巻いているように見えた。青々と晴れ渡る空の下、誰もが満面の笑みを浮かべ、新たな皇帝夫妻の誕生を祝福している。舞い散る紙吹雪に、菓子や軽食、そして酒を売り歩く商人達。ジャグリングを披露する芸人や、そこかしこで円を作って笑い合う人々もいて、ブリストルの街はまさしくお祭り騒ぎの様相を呈していた。


「皆さんパレードを見にこられたのですね。本当に楽しそうな雰囲気です」

「ええ、きっとこの国ももっと良くなるでしょう。僕ら貴族がそう感じている以上に、彼らは期待しているんですよ。さあ、どうぞ」


 ルーカスが案内したのは貴賓席の中でも最前列の特等席だった。挨拶をしつつその席に収まるも、周りに座るのは政府の重鎮や高位貴族とその家族達で、一斉に彼らの視線が集まるのを感じてしまう。ルーカスはセラフィナの緊張を感じ取ってか、いたずらっぽく笑うと自らも腰掛けた。


「大丈夫、皆あなたが美しいので驚いているだけです。あなたは既にアイゼンフート家の者なのだから、堂々としていれば良いのですよ」


 ルーカスの物言いは相変わらずだったが、分不相応に感じてしまうこの待遇も、彼の言葉によって少し気が楽になる。そう、自分は既にアイゼンフート家に入った身なのだから、侯爵夫人として初の公式行事の出席となるこの機会を失敗に終えるわけにはいかない。


「そうですね、しっかりしなければ」

「うーん、俺は本当のことを言ったまでだったんだけど、なんだか変に気負わせてしまったかな」

「何かおっしゃいましたか?」

「いいえ、何でも。ああほら、そろそろ始まるようですよ」


  高らかに奏でられる行進曲とともに、パレードの最前列を飾ったのは軍楽隊だった。人々は大きな歓声を上げ、パレードの始まりを大いに盛り上がって歓迎した。その声に応えるよう胸を張った彼らが一斉に楽器を高く掲げると、ひときわ大きな歓声が轟く。赤い制服の列は誰一人として遅れをとることなく進み、統率されたその動きに楽器の重さは少しも感じられなかった。


「凄い。どれだけ練習なさったのでしょう」

「無論、死ぬほどしごかれてましたよ。ここへ来て練習風景を見た時、俺はアルデリー所属で良かったと心から思ったものです」

「ふふ、ご冗談を」


 一見皇帝への不敬と取れるような台詞でも、ルーカスが言うと嫌味に聞こえないから不思議だ。そうして彼と会話しつつパレードを楽しんでいるうちに、遠くに濃紺の軍服を着込んだ一団が現れた。

 その先頭で美しい青鹿毛の馬に跨るのは他ならぬランドルフだ。その姿は遠目からでも間違いようがないほど堂々として見え、セラフィナはその凛々しさに一瞬言葉を失ってしまった。


 ——何て立派で、素敵なんだろう。


 感じ入るままにじっと彼の乗馬姿を見つめていたのだが、しばらくしてルーカスにも教えてあげなければと思いつき隣を振り仰いだ。彼は既に気付いていたようで、嬉しそうにパレードの先を見据えている。


「ランドルフ様がいらっしゃいましたね!」

「流石に目立ってますね。身内から見てもかっこいいな、あれは」


 自慢げなルーカスの言葉に呼応するようにして、周囲の歓声も一際大きくなる。民衆たちが見つめる先は例外なく黒獅子将軍その人だ。


「おい、もしかしてあれって、黒獅子将軍じゃねえか?」

「ああ、あのおっかなそうな風貌は多分そうだな」

「うわあ、俺こんな近くで見んの初めてだ! かっけえ!」

「将軍様、かっこい——!」

「アイゼンフート将軍! よっ、ヴェーグラントの英雄!」

「黒獅子様、こっち見てくださーい!」

「将軍様——!」


 彼らは一様に興奮気味で、懸命にランドルフに歓声を送っていた。しかし当の本人は答える気がないようで、無表情で正面を向いたまま周囲を警戒している様に見える。


「すごい人気ですね。英雄として有名でいらっしゃるのは存じておりましたが、それでも驚きました」

「声援の八割が男って所が兄さんらしいですけどね。四年前の大戦に勝つことができたのは、兄の力によるところが大きいですから。女性、特に貴族はあまりの戦果に畏怖の気持ちの方が大きいようですし、実際子供は兄を前にすると十中八九泣きますが、民衆はちゃんと本質を見ているんですよ」

「ルーカス様にとっては自慢のお兄さんというわけですね」

「ええ。立派すぎて…時々眩しすぎるくらいには」


 誇らしげに兄を語るルーカスに微笑ましい気持ちになっていたセラフィナは、ふと彼の表情に陰りが見えた気がして首を傾げた。何か失言をしてしまっただろうか。

 セラフィナの不安に気付いたのか、彼は取り繕うように笑みを浮かべたが、やはりいつもの陽気さは影を潜めているようだった。


「すみません。いや、兄は立派な人でしょう? 弟の俺が言うのもなんですけど」

「ええ、それはもう」

「俺は昔から何をやっても普通で、取り柄といったら人好きのする見た目くらいなものです。だから時々ですけど、なんで俺なんかが弟なんだろうって、思うことがあるわけですよ」


 ルーカスは冗談とばかりに茶化して見せたが、その言葉の内容にセラフィナは率直な驚きを覚えていた。彼は明るく社交的で、いつも悩みなどないように振舞っているが、その心に苦しさを抱えていたのだろうか。


「なんてね。すみません、忘れてください」

「そんなことをお考えになっては、あまりに寂しいですよ」

「…え」

「ランドルフ様は、ルーカス様に家のことを任せられるので助かっていると仰っておられました。私にも姉がいますが、本当にいつも心配してくれていました。無償の愛を交わせない家族もいるでしょうが、お二人はそんなご関係ではないはずです。いつだって心配なさっているはずですよ。大事な弟さんですもの」


 この兄弟は大人になるにつれ微妙な心のすれ違いが起きてしまったのではないか。セラフィナにはそう思えてならなかった。

 いつかランドルフが言っていたのだ。心配くらいする、弟なのだからと。


「お二人は互いを支え合うことのできる仲のいいご兄弟です。誰が何と言おうと、私はそう思います」


 言い切ってしまってから、ルーカスの驚きに彩られた表情を見てセラフィナはふと我に返った。

 もしかして自分は今、とんでもなくでしゃばりなことを言ったのではないだろうか。


「も、申し訳ありませんルーカス様! 出過ぎたことを」

「いいえ、ありがとうございます。俺は今、兄のところに来てくれたのがあなたで良かったと、心の底から思いました」


 ルーカスは今まで見たこともないような優しい笑みを浮かべていた。その表情はセラフィナの胸にストンと落ち、これが彼の本当の笑顔なのだと直感的に理解する。

 信頼できる人物であることは初対面から解っていたが、今ようやく彼の心の片鱗に触れたような気がした。


「…と。話している間に、もう兄さんがすぐそばまで来ていますよ」

「大変! どちらですか?」


 あわててルーカスの視線の先を辿ると、あと十メートルという距離に求めていた姿を見つけることができた。

 しかし様子がおかしい。先程は真正面を向いていたはずなのに、なんだかこちらを見ているような。


「うん、これはなんともわかりやすい」

「え? 何がですか?」

「いえこちらの話です。それよりも手を振らなくていいんですか?」

「ああ、そうですね!」


 貴賓席に座る貴族たちは騒ぎ立てる様な真似はしなかったが、知り合いに手を振ったりしてそれぞれ楽しんでいるようだ。ランドルフの様子を見るに反応が帰ってくることはないだろうが、それくらいのことは許されるかもしれない。

 セラフィナは少し身を乗り出す様にして、はしたなくない程度に、しかし精一杯大きく手を振ってみた。

 するとどうだろう。彼は微かな微笑を浮かべ、敬礼を返してくれたではないか。

 同時に周囲からどよめきが起こる。「え、ちょっと何、笑うとああいう顔をされるのね?」「かっこよくない?」などと娘さん方が囁きあっているようだ。

 女性や子供にウケが悪いとは彼本人の弁だが、やはりああして笑うととても柔らかく見えるし、本来の凛々しい目鼻立ちが強調されるように思う。イメージされているような冷酷な軍人などではなく、とても優しく誠実な人なのだから、誤解さえ解ければ今よりももっと人気になるだろう。そう、女性達にだって。

 そこまで考えたところで、セラフィナは胸に生じた苦い痛みに首を傾げた。経験したことのない、何だかもやっとするようなこの痛みはいったい何なのだろう。

 暫く考えて、気のせいだと断じることにした。妻の立場としては夫が好意的な評価を受けることに喜ぶべきで、嫌だなどと思って良いはずもないのだから。


「はは、何だよ兄さんったら、本当に清々しいほどわかりやすいんだから。ね、そう思いませんか?」

「? すみません、何がでしょう?」

「……うん! これは先が長そうだ。頑張らないとね、兄さん」

「はい……?」

 

 

 以降ルーカスはニヤニヤとした笑いを隠そうともせず、それは皇帝夫妻が登場するまで続いた。そしてパレードが終わりを迎えると、彼は「俺の役目は終わったので」と言い残して、慌ただしくアルデリーへの帰途に着いたのだった。


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