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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
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1

 どこまでも天高く広がる空の下、夏の名残を残した風が吹く。

 木々はまだ青い葉を茂らせており、深まる秋にその身を竦ませることもなくのびのびと揺れていた。太陽の光は彫金の施された重厚な門を焼くことはなく、柔らかな光を落としてそこを歩く二人の女性を照らし出している。

 門出の日としては申し分のない良日だ。

 セラフィナは馬車の元まで歩くとピタリと足を止め、後ろを振り返った。そこには一人の少女が背筋を伸ばして佇んでいる。悲しみを隠そうともしないエメラルドグリーンの瞳にじっと見つめられてしまい、眉を下げて微笑んだ。


「レナータ、そんな悲しい顔しないで下さい。またすぐに会えますよ」

「だって……こんな早くにお別れだなんて」

「陛下があなたのことを大切に思えばこそ。幸せなあなたにそんな顔は似合いません」


  今度の戴冠式でレナータは側室から正式にこのヴェーグラント帝国の皇后となる。十八の少女にその責務はさぞかし重かろうが、彼女はとてもしっかりした芯のある女性だ。きっと上手くやって行くだろう。

 セラフィナはレナータと同じ側室の一人だったが、今まさに新たな夫の家に向かうため宮殿を出ようとしているところだった。レナータだけを愛すると誓った皇帝陛下が、側室達との離縁を宣言したのだ。そこにいた三人の女性達は皆新たな嫁ぎ先へと下賜されることとなり、セラフィナの相手も比較的すぐにみつかった。


「レナータ。これからもあなたをそう呼んでいいでしょうか」

「もちろんよ! もっとあなたとおしゃべりしたかった、セラフィナ」


 女達の水面下の争いが繰り広げられる宮殿で、二人は確かに互いを信頼し合っていた。セラフィナは皇帝に対して恋心を抱くことはなく、出自から皇后の座を目指す理由もない。損得で動く女達の中にあって、ひたむきに皇帝を愛するレナータを応援するようになるのに、そう時間はかからなかった。

 レナータは明るい娘で、よくセラフィナを庭園に連れ出してくれた。セラフィナは彼女に刺繍を教え、皇帝へのプレゼント作りを手伝うこともあった。二人でお茶をして、笑いあって、時には互いの部屋に泊まったりもして。共に過ごした時間は一年にも満たない。それでもセラフィナにとっては初めて出来た同世代の友人で、かけがえのない存在だ。

 セラフィナは馬車へと乗り込んだ。窓から顔を出し、こちらを見上げるレナータの手を取る。


「それでは元気で、レナータ」

「セラフィナ、きっとまた会いましょう」


 馬車がゆっくりと走り出す。レナータがその動きに合わせて歩き出したので、セラフィナは慌てて彼女の手を離そうとした。しかし逆に握り返されてしまい、はっと彼女の目を見る。


「レナータ、危ないですよ!」

「セラフィナっ、私……! あなたがいてくれて、本当に良かった! ありがとう!」


 その言葉を最後に二人の手が離れた。馬車は門を抜け一直線に駆けていく。後ろを振り返ると、門の所で立ち止まったレナータが、大きく手を振って見送ってくれていた。その顔が泣き笑いのようになっているのを見たセラフィナも、ふいに涙が出そうになるのを堪えて大きく手を振る。

 これから皇后として生きる運命にある友は、今やすっかり成長し、一人で立とうとしている。ならば自らもしっかりしなくては。これからどんな困難が待ち受けているのかわからないのだから。

 お互いがかけがえのない存在の二人は手を振り続ける。門から伸びる道は一直線に整えられており、次期皇后の姿はしばらく見ることができたが、やがて砂煙に溶けるようにして見えなくなった。

 セラフィナは馬車の座席に腰を落ち着けると、ふうと息を吐いた。

 気を引き締めなくてはならない。なぜなら、この結婚は明らかに相手にとって不本意な物だからだ。

 ランドルフ・クルツ・アイゼンフート将軍。第三師団指揮官を務めており「血戦の黒獅子」の異名を取る屈強な武人。黒髪を逆立て先陣を切る様はさながら百獣の王の様に猛々しく、圧倒的手腕で敵兵の屍の山を築いてきたという。民からは英雄視され、皇帝からも一目置かれる存在。そして武門の誉れ高いアイゼンフート侯爵家の若き当主。それが新しくセラフィナの夫となる人だというのだ。

 対してセラフィナは、隣国アルーディアの第二王女で、しかも妾腹の姫として冷遇されてきたちっぽけな存在だ。ほとんど厄介払いのようにこのヴェーグラントに輿入れしてきた元姫は政治的にも大変微妙な立場で、ぞんざいに扱えばどんな国際問題が起きるかわからない面倒も抱えている。

 しかもセラフィナには自身の体質に関わる重大な秘密があった。

 アイゼンフート侯爵は厄介な女を押し付けられたと迷惑しているはず。その上この体質のことまで知られるわけにはいかない。

 セラフィナは多少ぞんざいに扱われようとも何も文句を言うつもりは無かった。重大な秘密を抱える負い目があることもそうだが、そもそも政略結婚なのだから他に愛人を作ることもあるだろう。もしそうなっても何も言う気はないし、結婚自体がなくならないだけ僥倖だ。自分はアルーディアとヴェーグラントの両国に一切の軋轢を生まぬようおとなしくしていよう。


「どんな方でしょうか……」


 口に出してみると、不安が胸の中で形作るのを感じた。しかし、実際に会ってみるまで人となりなど分からないものだ。王命とはいえセラフィナを受け入れてくれたのだから、彼は恩人ということにもなる。精一杯の感謝として、大人しく過ごしつつもできる限りの良妻にならなければ。

 決意を胸にすると、不安は少しだけ小さくなった。セラフィナは窓の外に目を向け、アイゼンフート家に着くまでのしばしの時間を過ごしたのだった。

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