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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
19/79

18

「ああ、姫様! そんなことはなさらなくとも、後は私たちがやりますから!」


 セラフィナは片付けの為に地面にしゃがみこんでいたのだが、エマが血相を変えて走って来たので作業の手を止めた。

 セラフィナ主催の合同バザーは、今回も成功に終わった。協会の敷地を借りる合意を得たことから一年前に試験的に始めたのだが、最近では近隣の孤児院の出店だけでなく商店も名乗りを上げてくれるようになり、ちょっとしたお祭りの様相を呈している。


「エマさん、そうはいってもこれは私が始めたことですから」


 きちんと最後までやらないと。そう言って有無を言わさず片付けを再開してしまったセラフィナに、始めは取りすがっていたエマも、やがて諦めて手伝いを始めた。


「まったく。姫様は、変わっておいでです」


 エマは呆れ顔だったがその声は労わるように優しい。字面だけ見れば鋭く見える言葉も、エマが言うと全く恐れが湧いてこないから不思議だ。


「ふふ、ごめんなさい。ところで、今日の売り上げはどうでしたか?」

「上々ですよ。姫様のおっしゃる通り、食べ物に絞った方が良いみたいですね」

「やはりそうなのですね……」


 少しでも孤児院の運営を楽にする為に始めたバザーだったが、こうしてみると街の様子がよくわかる。

 雑貨が売れなくなってきたのは前回のことだった。だから今回は子供達手製のパンを販売してみたのだが、こちらは無事売り切れたらしい。つまり、民は善意から雑貨を買う余裕を既に失い、生活に必要なものしか手に出来なくなっているということになる。

 政治の中心に関わることのないセラフィナには、何を思って税を上げるのかは推し量ることしかできない。しかし王宮に漂う雰囲気はあまり良いものとは言えず、近頃はベルティーユも忙しそうで、何か只ならぬ事が起きているのではと思えてならなかった。


「姫様、そんな顔をなさらないでください。税金が上がったのは何も姫様のせいではありませんよ」

「エマさん…私は、これくらいのことしかできなくて」

「十分ですよ。あなたが来てくれるだけで、子供達が笑顔になるんです。それだけでも有難いのに、いろいろなことを考えてくださって」


「セラフィナさまー! ゴミ拾い、おわったよー!」

「いっぱい集めた! ぼくがいちばんだよ!」

「違うよ、私が一番拾ったもん!」


 突如として大勢の子供達が駆け寄って来て、瞬く間に囲まれてしまった。誰もが本日の自分の働きぶりを自慢する為に大声で叫んでおり、その賑やかな様子に思わず笑みを零す。


「ね? ほら、嬉しそうでしょう?」


 エマもまた彼らの頑張り様に苦笑気味だ。セラフィナはそれに頷いて返しつつ、一人一人の頭を撫でて回った。




 教会を出て馬車の待つ広場へと歩きながら予定を書いた手帳を眺める。次は陸軍病院を訪問する事になっていた。傷病兵が多く収容されているので慰問をするようにと正式に賜った仕事だ。


「セラフィナ様ではありませんか。お元気ですか?」

「よお姫様、今日はどこ行って来たんだい!」

「姫様、綺麗なお花が入ったんです。ぜひ持って行って下さいな」


 道中幾度か声をかけられ、その度に立ち止まって少し話をする。

 この三年で、セラフィナはいつの間にか街の人々に顔を覚えてもらうに至っていた。

 あの王宮だけの生活が続いていたら、それこそどうなっていたかわからない。今はこんなに優しく受け入れてもらえるようになり、その度に元気付けられる自分がいるのだった。


 馴染みの花屋の店主から花を分けてもらったセラフィナは、病院に贈るための花束を作ってもらってから、馬車への道を急いでいた。いつの間にか時間ギリギリになっている。

 案の定馬車に一人の男が腕を組んでもたれかかっているのが見えて、セラフィナは青ざめつつもより一層歩調を早めた。


「遅い」

「も、申し訳ありませんっ、エミール様! お待たせしてしまい」

「早く乗れ、遅れる」


 彼はじろりと睨み付けると、さっさと自分だけ馬車に乗り込んでしまった。これ以上煩わせるわけにもいかないので、セラフィナも慌てて後へ続く。

 エミール・ペルグランはペルグラン伯爵家の次男坊で十九歳と若く、アッシュグレーの髪と藍色の瞳を持った線の細い美男子である。初めて会った時は一瞬女性かと思ったくらいだ。彼はつい最近になって護衛としてつけられた騎士であった。

 自分のような存在にまさか護衛が付くとは驚きだったが、案の定彼は大いにセラフィナのことを嫌っていた。

 目を合わせるのも嫌なようで徹底的に視線は外されるし、エスコートをする気は無いようだし、会話も全くといっていいほど弾まず、不機嫌そうな無表情が崩れるのを見たことがない。

 ただ彼は侮蔑の目を向けてくることは一切無く、暴言を吐く事もしなかった。エスコートをされることに慣れていないセラフィナにとっては、むしろやりやすい相手とすら言える。

 そうして無言で馬車に揺られることしばらく、馬の嗎とともに急な減速が始まり、セラフィナは体をおもいきり背もたれに押し付けられる羽目になった。エミールは只ならぬ気配を感じたのか、扉を少しだけ開けて周囲を警戒したのち、滑るように外へと飛び出して行く。

 一体何があったというのだろう。不安を感じつつもおとなしく座って待っていると、彼は想像より早く戻ってきた。無表情はいつもと変わりが無かったが、その口から放たれた言葉はセラフィナに凄まじい衝撃をもたらすこととなった。


「早馬だ。陛下が倒れた。あんたを呼んでいるらしい」




 離宮を訪ねてきたあの日以来国王には一度も会ったことがなく、その状況にむしろセラフィナは安堵すら感じていた。

 母が死んだあの日、感情のままにフェルナンを責めてしまった。だが時が経つにつれてあの時辛そうな表情ばかりが思い出され、どうしようもなく胸を苛む。そうして日々を過ごすうちに、いつしかどんな顔をして会えばいいのかわからなくなっていたのだ。

 

 エミールと玄関ホールで別れたセラフィナは、焦燥に駆られるまま足を動かしていた。そこで仮にも自分の父親である存在が、どこで病床に伏しているか検討すらつかないことに気付いて、唐突に動きを止める。

 私はもしかするとあの人のことを避けていたのかもしれない。邪険にされているのはこちらだと思っていたけれど、寝室の場所すら知らない自分は、何一つ理解しようとしないまま三年間逃げ続けていたということではないのか。

 セラフィナの胸の内で、後悔や悲しみ、そして憤りが渦を巻く。その重みに後ずさりをしかけた、その時。


「セラフィナ! 良かった、ここにいたのね…!」


 ベルティーユが息を切らせて駆け寄ってきて、セラフィナはようやく意識を引き戻すことができた。彼女は必死の様子で妹の手を取ると、普段なら絶対に見咎められるような速度で猛然と走り出した。


「もう事態はわかっているのでしょう!? 早く来て!」

「あ、姉上、速いです」

「頑張って!急がないと!」


 ベルティーユはとにかく足が速い。彼女に手を引かれることによって自身の最高速度を突破したセラフィナは、痛む胸を我慢してとにかく走り続けた。そうしてたどり着いたのは、今まで見た中で最も重厚な扉の前であった。


「ここよ。この部屋で陛下はお休みになっているわ」

 酸欠に霞む視界も、その扉の向こうに待つ状況を想像してしまえば気になるものでもなかった。急な緊張に見舞われたセラフィナは、走って来たにもかかわらず顔を青くし、震える視線をベルティーユに向けた。


「姉上、ついて来てくださいますか…?」


 思えば、甘えるようなことを口に出したのは、母が死んで以来初めてのことだったかもしれない。ベルティーユもそれに気付いたのだろう、一瞬瞳を揺らしたが、すぐに何かを堪えるようにして首を横に振った。


「ごめんなさい。二人で話をしたいと仰せなのよ」

「そう、ですか。申し訳ありません、無理を申しました」

「ここで待っているわ。何かあったら呼んで頂戴」


 ベルティーユは安心させようと微笑んでくれたが、強張った顔をどうすることもできないまま、震える手で扉を押した。



 どこか空虚な部屋であった。調度品はどれも一級品なのに、使われた形跡がなく新品同様で、絨毯やカーテンなどの色味は寒々しさを感じさせるモノトーン。とにかく面積が広いために何もない部分が広く、一切の絵も飾られていない壁際にポツンと置かれたベッドだけが、やけに存在感があった。

 そう、なぜならそこにこの国の国王が横たわっていたから。

 恐る恐る近づいていくと、人の気配を感じたのか、国王フェルナンは薄らと目を開けた。そうして露わになったその姿に、セラフィナは思わず息を飲んだ。

 まずとにかく痩せ細っている。目の周りは落ちくぼみ、頬はやつれ果て、顔色は肌よりも砂の色の方が近い。セラフィナと同じ色をしていた筈の金髪も今はくすんで、耳の裏でひとまとめにされていた。一度だけ会ったあの時も儚げな印象ではあったが、こうまで病的ではなかった筈なのに。


「セラフィナなのか……? ああ……本当に、呼んできてくれたのか」


 注意深くしていないと聞き取れないようなしわがれた声で、王は娘の名を呼んだ。


「はい、陛下。セラフィナでございます」

「立派に、なったな。見違えたよ」


 そう言って微笑んだその顔に自分との血の繋がりを感じて、セラフィナは無性に泣きたくなってしまった。今まで避けてきたのがとんでもない過ちに思え、足元が崩れていくような感覚を覚える。


「今日呼んだのは、お前に、アウラのことを話さなければならないと思ったからなんだ」

「母さまのこと、ですか……?」

「ああ。彼女が死んだ時、お前は泣いて、私を責めた。それを、優しいお前は、後悔しているのではないかと、思ってね」


 セラフィナは信じられない思いで力なく横たわるフェルナンを見つめた。どうしてわかるのだろう。ずっと離れて暮らしていたのに。一度しか会ったことがなかったのに。


「だが、お前が私を責めるのは当たり前のことだ。立場の弱さに甘えて、お前達を離宮に入れることで、守った気になっていた。だがどうしても会いたくなって、アウラを呼び寄せたあの日……彼女は、私を刺客から庇って命を落とした」


 それは最もありそうだと考えていた説が肯定された瞬間だった。

 二人の間にどれほどの愛情があったのかはわからない。けれど、アウラなら誰かをかばうことくらいするだろうし、それならば一番救いがあるとも思っていた。


「結局私は、彼女を不幸にすることしかできなかった。だから」

「それは違います」


 急に強く否定の言葉を放ったセラフィナに、フェルナンは驚いたようだった。不敬であることは承知しつつも、どうしても伝えなければならないという衝動に駆られるまま言葉を紡いでいく。


「母さまは幸せだったと言っていました。ハイルング人の隠れ里で暮らしているとどうしても外の世界が気になって、飛び出して来てしまって、それでその美しさに驚いたんだと。そこで愛する人に出会い、少しの間でも共に過ごして、その思い出だけで私には十分なのだと言って。よく、笑っていたんです……!」


 そう、母は父の話をせがむと決まって照れ臭そうに話してくれた。いつも懐かしそうに、優しい声で語ってくれたから、セラフィナは父の話を聞くのが好きだった。


「母さまは、きっと、命を落としてもいいと思えるくらいにあなたの事が好きだった。私のことを愛し、育ててくれた。最後の日も幸せだと笑ってくれたんです。それを、不幸だなんて決めつけないでください!」


 肩で息をして言い切った娘をフェルナンはしばし呆然と見つめていたが、やがて落ち窪んだ目元にしわを刻み付け、泣き笑いのような表情をした。


「お前は、見た目もそうだが、芯の強いところが……アウラにそっくりだな。三年前よりも、もっと似ている。ずっと、怖かった。お前に蔑みの、目を向けられるのが怖くて、会う事ができなかった。本当に……すまなかった」

「いいえ。怖かったのは、私も同じですから」

「そうか……そうか。此度は、私ばかり良い思いをしてしまったな。セラフィナ、お前を置いていく事、どうか許してほしい」

「それは、許しません。許しませんから、ずっと覚えています。……父上」


 涙をこらえていたことは声の震えからわかっていたことだろう。しかし父は何も言わず、安らかな顔をしてセラフィナの手を握った。初めて感じる父のぬくもりを刻み込むように、そのかさついた手を両手で握りしめる。

 

 ようやくを持って互いの心を打ち明けた親子の、これが最後の邂逅となった。



 国王の寝室を出ると、約束どおりベルティーユが待ち構えていた。全てを察したらしい彼女は、そっと妹の手を取ると今度はゆっくり歩き出した。


「気付いたと思うけど、陛下はここ最近ずっと体調が悪かったの。ようやく母上に急な公務が入って王宮を出ることになったから、隙をついてあなたを引き合わせる事ができたのよ」

「そうでしたか」

「私ね、陛下のことが嫌いだったの。王妃様のことはもっと嫌いだから、あんな人をのさばらせて何のつもりなのって思ってた。けど、大人になった今ならわかるわ。父上はきっと、婿として国王になって、その重責に苦しんでたのね。力のない自分を、ずっと、悔いていたんだわ」

「……はい」

「セラフィナにとって許せる相手ではないことはわかってる。けど、私は、……あんな痩せ細って初めて気付くような、親不孝者だったけど、やっぱり、一人きりの父上なの。だからせめて、最後に……! 最後に、あなたと会わせてあげたかった。勝手で、ごめんなさい」


 先を行くベルティーユの肩は震えていて、その声は誤魔化しようがないほど滲んでいた。いつのまにか同じくらいの身長に追いついていた姉の背中が、今はひどく小さく見えた。


「母さまは、父上を庇って亡くなったんだそうです」

「え……」

「それを事実として知れて良かった。私にとっても、やっぱり父上なのだと、わかりましたから」


 微かに微笑みを乗せてそれだけ言うと、不意に繋いだ手を思い切り引っ張られた。そのままベルティーユに抱きしめられてしまって、突然のことに戸惑いつつもそっと抱きしめ返す。


「もう! どうしてあなたはそんなに優しいのよお!?」

「もう、どうして姉上がそんなに泣くんですか?」

「あなたが泣かないから替わりに泣いてあげてるんじゃない! もうっ、本当になんなの!」


 誰もいない廊下に響き渡るのは、子供のように泣きじゃくる姉の声。震える背を撫でながら、母が亡くなった時もこんな感じだったと思い出す。この涙に、あの時も今も、どれほど救われたことか。


 この日の三日後、アルーディア国王フェルナンは崩御する。

 新しく女王として即位したのは王妃フランシーヌであった。この王位の譲渡によって起こるものが何なのか、この時はまだ知るよしもない。


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