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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
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17

 

 母がどうして亡くなったのか、セラフィナは知る事ができなかった。何かしらの荒事があったことは確かなのに、その状況がどんなものだったのかは皆口を閉ざす。ベルティーユとレオナールも良くは知らないようで、二人ともこの状況に憤っていた。


 そしてセラフィナは、表向きは自分が病気療養中で、しかも国王ととある貴族の妾の娘とされていたことを、離宮を出てから初めて知ることとなった。この国には違う民族との間に子を成すことを最大の不名誉とする絶対的思想があったのだ。

 しかし、貴族たちはセラフィナが得体の知れない出自であることを勘付いており、彼らの反応は極めて冷淡なものだった。





「あれが庶子の?」

「ああ、陛下の金の髪を受け継いだおかげで何とか表に出せるとのこと」

「ほお……図々しいことだ。母を失ったからとはいえ、良く今更になって離宮を出てきたものだな」


 セラフィナは俯きがちに廊下を歩いていた。

 陰口には王宮にやってきたその日に気付いた。母を失った悲しみも言えぬまま離宮を引っ張り出され、今度は悪意の只中に身を置けというのだからどうしようもない。

 だからこそ、セラフィナは金輪際泣かないと決意し、無理にでも愛する母の死を乗り越えねばならなかった。

 最初の頃は夜になると無性に寂しくて涙がこぼれそうになった。そんな時はただ体を丸めて耐える。そうやって夜を越えていくうちに、三月が過ぎ去った今では、いつしか泣きそうになることもなくなっていた。

 白い目で見られつつも廊下を歩き、たどり着いたのは小さな教室。今から歴史の授業が始まるのだ。本を読むことは離宮にいた頃から好きだったのだが、セラフィナは唐突に与えられる様になった王女教育が苦手だった。



「その地名の綴り、sは発音しません。そのようなこともわからないのですか」

「……申し訳ありません」

「全く、この私がこんな得体の知れない娘に教育を施す羽目になるとは。身分の低いものは知能まで低いらしい」


  歴史の授業はこの壮年の女性が担当している。他の教師もだいたい同じ様なことを言って、皆一様に汚らわしいものを見る様な目でセラフィナを見る。だから授業の時間は苦しくて、辛かった。

 時間になると講師はさっさと教室を出て行ってしまったので、セラフィナはようやく詰めていた息を吐いた。

 しかし直ぐに扉が開けられたので、思わず身を竦ませる。今日はもうこれで授業はお終いの筈なのにどうしたのかと見やれば、そこには大好きな人がいた。


「セラフィナ! 無事?」

「姉上! どうされたのですか」


 ベルティーユは十四歳になっており、いつのまにか将来の為政者としての貫禄を身に付け始めていた。堂々とした瞳は陰りを知らずに光り輝いていたし、背筋を伸ばして立つ様はこの国の未来を背負うものとして相応しい佇まいだ。

 彼女は母の死を知ったあの日、レオナールとともに駆けつけ、共に泣いてくれた。余りに大声で泣くのでこちらの涙が引っ込んでしまったくらいで、心が暖かくなったのを覚えている。


「もう。その話し方、やめてって言ってるのに」

「いいえ、今までが無礼過ぎたのです。これは正しい喋り方をしているだけですから」


 王宮に来て以来、セラフィナは誰に対しても敬語で話す様になっていた。この喋り方が自分には一番相応しいと思えたし、馴れなれしく話すよりも、人々の態度も柔らかかったから。


「……貴女が良いのなら良いのだけど。ねえ、今日は大丈夫だった? 叩かれたりしなかったわよね?」

「大丈夫ですよ。陛下から体罰は一切禁ずるとの御触れが出ていますから」


 ただしこれは我が子を思ってのことではなく、怪我がその場で治ってしまったらハイルング人であることが露見するからに他ならない。その証拠にあの日以来セラフィナの前に国王が姿を見せることはなかった。


「そう、良かった。何かあったら私に言うのよ。とっちめてやるんだから!」


 ベルティーユは王女らしくない物言いに加えて、華奢な腕に力こぶを作って見せた。こういう所はやはり幼い頃から少しも変わっていない。セラフィナは楽しくなって笑みを零した。


「あら、まだまだ元気そうね。だったら行けるかしら」

「行くって、どこへですか?」

「公務よ。今日は貴女を公務に誘いにきたの!」


  ベルティーユはセラフィナの手を取ると、満面の笑みで暗い教室から連れ出したのだった。



 ベルティーユに手を引かれるまま王宮を出ると、そこには馬車が用意されており、側ではレオナールが自分の馬の準備をしている所だった。


「姫様。セラフィナ様も、おいでになったのですね」


 どこか安堵した様な彼の様子に、セラフィナもまたありがたい気持ちでいっぱいになる。おそらく彼らはセラフィナが辛い思いをしているのを知っていて、せめて気分転換でもと連れ出してくれたのだろう。


「ありがとうございます、二人とも」

「あら? 勘違いしたらダメよ、セラフィナ」


  頭を下げようとするセラフィナに、ベルティーユはしたり顔で覗き込んできた。


「来たからには、あなたにも大いに働いてもらうんだから!」





 セラフィナは圧倒されていた。子供達の賑やかさ、元気さ、そして「この人誰?」攻撃に。

 公務の内容とは、孤児院の訪問だったのだ。


「ベルねーちゃんのいもうと〜?」

「お姉ちゃん、妖精さん!?」

「ようせいさん、お空飛んで〜!」

「ようせいさん、はなかんむりつくろ!」


 妖精さんごっこでも流行っているのだろうか。セラフィナはベルティーユ以外の子供と話すのは生まれて初めてで、その小ささとはしゃぎように困惑するしかない。

 助けを求めてベルティーユを見れば、彼女はとっくに全力で遊び始めており、男の子達にスイングをお見舞いしているところだった。これには尊敬の念を覚えて、セラフィナは輝く瞳で姉を見つめる。幼い頃から体力があったが、まさかここまでとは。

 レオナールはといえば、大きな男の子達に決闘ごっこに巻き込まれていた。三対一とはいえ紙の剣でコテンパンにされているその姿に心の中でエールを送る。

 セラフィナは運動はからっきしで、ましてや空を飛んであげることなどできやしない。しかし先程せがまれた中に自分の出来ることを見出して、子供達と視線を合わせるべくしゃがみこんだ。


「そうですね、では……花冠でも作りましょうか」

「わーい! はなかんむりつくる!」

「わたしもわたしも!」


 そうして過ごした時間は、離宮を出てから今までで一番穏やかで、心休まる時となった。




 やがてレオナールがもう終わりにしましょうと呼びに来たので時計を見ると、すでに夕方に差し掛かっていた。


「ごめんなさい。そろそろ帰らないと」

「ええ〜セラフィナ姉ちゃん帰っちゃうの!?」

「もっと遊ぼうよ!」


 完全に駄々をこねる姿勢に入った子供達に、どうしたものかと思案していると、院長が出てきて彼らを窘めてくれた。


「こらこら、セラフィナ様はお忙しいのよ。その様に困らせてはいけないわ」


 エマという名前のこの院長は、活力に満ちた瞳が印象的で、厳しくも優しい母といったイメージそのままの女性である。彼女の有無を言わさぬ声音は、子供達には絶大な効果があるらしい。渋々といった体で引き下がると、また来るという約束を取り付けて屋内に入っていった。


「やれやれ。大人気だったわね、セラフィナ」

「ええ、ご経験はないでしょうに、上手くあやされるので驚きました」


 ベルティーユとレオナールも各々くたびれた格好をしていたが、とても嬉しそうに微笑んでいた。エマもまた恐縮しつつも喜んでくれているようだ。


「皆様、お忙しい中、本当にありがとうございました」

「いいえ。急に来て悪かったわね」

「とんでもない。姫様が来られると、子供達も本当に喜ぶんですよ。皆あんなに嬉しそうにして。セラフィナ様は、お疲れではありませんか? 大変だったでしょう」


  エマは気遣わしげにセラフィナを見つめていたが、答えは自然に口から飛び出ていた。


「いいえ、とても……とても楽しかったです。また来ても構いませんか」


  セラフィナのその言葉に、ベルティーユとレオナールは顔を見合わせて笑うのだった。




 帰りの馬車で、セラフィナは今日の公務についての説明を受けていた。いわく、子供達の遊び相手を務めるのはその仕事のうちのほんの一つで、他にも経済状態を確認したり、衛生状態の指導をしたりとたくさんやる事があるらしい。


「あそこだけじゃなく普段はもっといろんなところを回ってるの。病院とか、幼年学校とか、他の孤児院もね。こんな事を私が直々にするのはおかしいってよく言われるけど、しょうがないじゃない。楽しいし……それに、誰もやろうとしないんだから」

「姉上は、すごいですね。こんなにご立派で」


  もう幼い頃レッスンから逃げ回っていた姉はいない。ここにいるのは女王の座を受け継ぐことを見据えた一人の姫君なのだ。それは少しだけ寂しく、そして誇らしいことだった。


「セラフィナ。あなたは今は勉強なさい」

「勉強、ですか?」


 ベルティーユは強い瞳で語りかけてくる。その真剣さにセラフィナもまた居住まいを正した。


「きっと今は辛く苦しいと思う。だけど、勉強さえ身につけば、多くの道が開かれるのよ。だから今は耐えて。きっと私があなたを救ってみせるから。絶対よ」


 ベルティーユはそれだけ言うと、すぐにいつもの明るい笑みを見せてくれた。


「だから、できるだけ一緒に公務に出かけましょう。きっといい経験になるはずだから」

「はい。ありがとうございます、姉上!」

「まずはそうねえ、ヴェーグラント語なんか覚えておくといいかもしれないわ。大陸でも多数の国が公用語にしてるから」

「わかりました、ヴェーグラント語ですね。頑張ってみます」

「ええ。あとは……」


 こんなにも自分のことを考えてくれる人がいる。それを改めて知る事ができただけで、セラフィナには十分だった。この先どんなに苦しいことがあっても、自分は自分の出来ることをしよう。そうすればこの姉への恩に報いることもできるかもしれないから。




 こうして、セラフィナは街の訪問という新たな仕事を得た。初めはベルティーユに付いて回っていたが、やがて問題点にも取り組むようになり、徐々に国民の人気を集めていくことになる。同時に全ての王女教育にも積極的に取り組み、講師も舌を巻くほどの成長を遂げた。


 そしていつしか三年の月日が流れ去る。十五歳になった頃、大きな別れはあと一歩先まで迫っていた。



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