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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
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 披露宴が終わったのはつい先程のことだ。

 ディートヘルムとの会談の後、ランドルフは何処か呆然としながら会場に戻ってきて、その後は滞りなく挨拶を済ませて宴は終了となった。帰りの馬車ではなぜか一切の会話が無く、セラフィナは疑問に思ったものの問いかけることはしなかった。

 そして屋敷に着いた途端、使用人達に風呂へ担ぎ込まれることとなった。花嫁を磨き上げるべく飛びかかってくる彼女達を何とか押しとどめ、入浴を終えて出てみると鏡台に様々な品が用意されている。花の香りのする香油を手首にすり込まれ、粉をはたかれ、髪を梳られて。皆は実に嬉しそうにしていたが、誰一人として言葉を発することはなく、それらが終わるといつもとは違う部屋へと通された。

 セラフィナの部屋とランドルフの部屋、その間に一つだけあったその寝室には、自室にあるものよりさらに巨大なベッドが置かれており、セラフィナにこれから起こるであろうことを大いに意識させた。

 セラフィナにはそういった経験が一切無い。

 一応人並みの知識はあったが、今日という日まで口付けすらしたことが無かったのは、生い立ちを考えれば仕方のない事だろう。

 しかし二度目の結婚をした身では特殊な状況である事は火を見るより明らかだったし、ランドルフだって可能性すら頭に無いに決まっている。それなのに今更怖いだなんて、誰に対してでも言えるはずがなかった。


「本日からはこちらでお休みくださいませ。それでは、私共はこれで失礼させていただきます」


 恭しくお辞儀をしたエルマを引き止めなかったのは、自分のこととはいえよくやったと言わざるを得ない。そうしてあっさり下がってしまった彼女達を呆然と見送り、セラフィナはついにこの時が来てしまったことを悟るのだった。

 とても静かな夜だ。時折梟のさえずりが聞こえてくる以外は一切の静寂に包まれたこの空間では、自らの心臓の音が一番の騒音。

 セラフィナは余計なことを考えないよう心を無にすると、意を決して振り返り、夫となった男を正面から見据えた。


「来たか。どうかな、一杯」


 ランドルフは一人晩酌をしていた。普段の隙のない軍服姿と違って、今は白いシャツに黒のトラウザーズというラフな格好だ。いつもは上げている黒髪も下ろしており、そうしていると圧倒されるような威圧感が薄れ、実年齢よりも若く見えるようだった。

 もしかすると若くして出世してしまったから、見た目が地位に追いつくように年嵩に見せようとしていたのだろうか。そんな場違いなことを考えつつも、体は必要な動きを取り始めていた。


「は、はい。いただきます……」


 セラフィナはランドルフの横に腰掛けると、渡されたグラスでワインを受けた。


「恐れ入ります」

「ああ」


 見ればランドルフのグラスも空になりかけていたので、今度はボトルを手にとって彼の持つグラスへと注ぐ。波を作る赤い液体を眺めながら、彼は気安い調子で問いかけてきた。


「酒は飲めるのか?」

「あまり飲んだことはありませんが、一杯で前後不覚になるようなことは無かったはずです」

「そうか。それは頼もしいな」

「ランドルフ様は、お強いのでしょうね」


 披露宴では少将閣下の結婚に気を良くした軍の同僚や先輩に寄ってたかられ、かなりの量を飲まされていたはず。にもかかわらずまた晩酌をしようという発想が出てくるのだから、きっと相当に強いのだろう。


「軍で生きていくのに必要な程度はな。……だが、普段なら重ねて飲んだりはしない」


 ランドルフは注ぎ終わるのを見計らってセラフィナの手からボトルを取り上げ、先ほど注いだグラスを持つよう促した。

 そして互いの手に持つ赤をかすかに重ね合せると、一気にそれを飲み干してしまった。

 一瞬にして空になるのを目を丸くして見守ったセラフィナは、次に向けられた視線が一切の酔いもなく真剣そのものであることを知ることとなった。


「今日は貴女と話す時間が欲しかった。貴女は、私に隠し事があるのだろう」


 告げられた言葉の衝撃は大きく、セラフィナは堪えきれずに肩を震わせた。


「それ、は……」

「話したくないのなら仕方がないと思っていた。だが、貴女が辛そうにしているのは見ていられないんだ。約束をする。それがどんな内容であれ絶対に貴女の事を蔑ろにしたりはしない。貴女が危惧するどんな事も起こさせない。だから、話して欲しい」


 どこまでも真摯な瞳がセラフィナのそれを射抜いている。

 ふいに、綺麗だと思った。その金色には彼の誠実さ、優しさ、強さが、言葉で語るよりも余程表れていたから。


「私のことが嫌ならば、話す気も起きないかもしれんが」

「あの、嫌、とは?」

「貴女が近頃悲しげにしていたのは、私との結婚が嫌だったからだろう」

「ち、違います! そのようなことは絶対にありません……!」


 ランドルフにそのような事を考えさせていたと知って、セラフィナは顔を青くして叫んでしまった。とはいえそれはさほど大きな声でも無かったのだが、彼が驚きに目を見張っているのに気付き、今度は顔を赤くする。


「申し訳ありません、突然大声を出すなど。ですが、違うのです。私、その、本当に申し訳ありませ——」

「わかった、もういい。私が大人気ない事を言った。悪かったな」


 ランドルフは苦笑をこぼして、落ち着かせようとセラフィナの頭を撫でてくれた。その優しい感触に心が温かくなるのを感じて、余計に赤くなる顔を見られないよう俯くことにする。


「だが、嫌でないのなら尚のこと、話してくれないか」

「……ですが」

「セラフィナ、私の目を見ろ」


 俯けていた顔をのろのろと上げると、やはりそこにあるのは金の双眸。先程よりも更に強さを増している様に見えるそれから目が離せない。


「貴女が私の目を信頼に足る者のそれだと判断するなら、話してくれ。どうか信じて欲しい」


 信頼できるかどうかは目を見ればなんとなく判る。あんな話を、覚えていてくれたのか。

 この話を持ち出されてしまっては最早セラフィナにも否やは無かった。目を瞑って深呼吸をし、心を落ち着けてから再度目を開く。そしてその深い金色を見つめれば、胸中で覚悟が固まっていくのが感じられた。


「長い話になります。……それでも、よろしいでしょうか」

「ああ、もちろん」


 ランドルフはようやく張り詰めていた空気を解き、肩の力を抜いてゆったりと座り直したようだった。

 全てを話すのはやはり怖い。しかしその微笑みを見ていると、不思議と大丈夫だと思える様な気がした。

 さあ、最初に必要な情報が一つだけある。それを告げてから話し始めよう。


「私は、ハイルング人の母とアルーディア前国王フェルナンとの間に生まれました。つまり、半分はハイルング人なのです」


 ランドルフはわずかに目を見張っただけで何も言わなかった。もっと驚かれるか、そもそも信じてもらえない事も考えていたくらいなので、常と変わらぬその様子に一先ずの安堵を得る。

 

 そして美しき妖精姫は語り出す。離宮で暮らした日々、そして母の死から始まる王女としての日々。過ぎ去った穏やかな毎日の幸せと、多くの人に支えられ過ごしたその少女時代の全てを。


 

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