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妖精と黒獅子  作者: 水仙あきら
第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
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15

 夕方になるとベルケンブルク宮殿に場所を移して披露宴が行われた。

 今回はセラフィナが側室であったこととアイゼンフート家が超名門であることを鑑みて、結婚にまつわる多くの事柄を皇帝が取り仕切っている。招待人数は五百人を超える規模のため、アイゼンフートの屋敷で催した場合は使用人が少ない事もあってかなりの混乱を生じただろう。

 ランドルフ自身は派手な催しをあまり好まない性格なのだが、立場上必要な人間を招待した結果、厳選したにも関わらずこの人数だ。セラフィナとともに挨拶回りに出てそれなりの時間が経ったはずだが、未だ終了する気配はない。

 何人目かわからない挨拶を終えてセラフィナの様子を伺うと、彼女は気丈にもゆったりとした笑みを乗せて来客の背を見送っているところだった。


「大丈夫か? 疲れただろう」

「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「そうか。ならいいが……」


 柔らかい笑みにどこかしら陰が含まれているように見えて、ランドルフは胸中で嘆息した。

 セラフィナの様子に陰りが見えたのは、恐らく共に出かけた日からだったと思う。

 その日以来彼女は悩みを深めていっているのか、徐々にあの悲しそうな笑みを浮かべる回数が増えていった。一体何が原因となっているのか、一度だけ彼女に尋ねてみたことがあったのだが、それも微笑んで当たり障りのない答えを返されただけだった。

 それに先程の式での様子。落ち着いてこなしていたように見えて、一つ一つの動作に躊躇いが含まれていたのは気のせいでは無いはずだ。ベールを取り払った彼女は本当に美しかったが、気の毒なほどに緊張して硬くなっており、ランドルフは言い知れぬ罪悪感を覚えていた。

 やはりこの結婚が嫌だということなのだろう。

 その結論に至ったのは、皆に畏怖される黒獅子将軍としては当たり前の結論だった。セラフィナが何か隠し事をしているのは間違いないが、それと同時にこの結婚も厭っているということなのだろうと。

 それよりもその考えを受け入れた時に感じた胸の痛みの方が、ランドルフにとっては余程衝撃的だった。

 私は一体何を期待していたのだろう。彼女はただ言われて嫁いできただけなのだから、ただ穏やかに過ごしてもらえればそれでいいと思っていたのは誰だ。


「ああ、いたいた! ランドルフ、結婚おめでとう!」


 思考の海に沈みそうになっていたところを、背後から発した明るい声が引っ張り上げてくれた。振り返るとそこにはシュメルツが満面の笑みで手を挙げていて、側には夫人の姿もあった。


「これは、シュメルツ将軍。お越しいただき感謝いたします。伯爵夫人もお変わりなく」

「おいおい、堅苦しいのはよせよ! こんなめでたい席だろう?」

「ふふ、そうですわ。本当におめてとうございます、アイゼンフート侯爵」

「ありがとうございます」


  シュメルツ伯爵夫人は夫より少しだけ背が低く、優しげな顔つきが印象的な好人物だ。この伯爵夫妻の仲の良さは社交界でも軍でも有名で、今日も寄り添い合う姿が実に眩しい。


「ご紹介いたします。こちらが私の妻となりましたセラフィナです。セラフィナ、こちらはシュメルツ伯爵とその奥方だ。シュメルツ伯は私の大先輩で、第二師団指揮官を務めておられる」


 ランドルフの紹介に頷き返すと、セラフィナは完璧な礼で持って挨拶した。その美しい所作に二人が驚いているのが伝わってくる。


「お初にお目にかかります、セラフィナ・アイゼンフートと申します。お会いできて光栄でございます」

「コンラート・ヘルマン・シュメルツです。こちらこそ、お会いできて光栄です」

「妻のビアンカです。よろしくお願いしますわ」


 一通り挨拶を終えると、待ちきれないとばかりにシュメルツが肘で突いてきた。その顔は面白くて仕方がないというようににやけきっており、ランドルフは取り繕う気すら起きずに眉を顰めてしまった。


「なあおい、ちょっと俺驚いた。妖精だろ、本物だろうこれは」

「私も初めて会った時はそう思いましたよ」

「ええ? なんだよおい、お前もしかして「え、なにこの子、妖精?」とか思っちゃったってか? そんなキャラかよ!」

「シュメルツ将軍、出来上がってますね?」

「ばっかおまえ、これが飲まずにいられるか! 独身最後の砦と言われたおまえの結婚だ、同期もさぞ喜んでるだろ」

「すでに同期には大量に飲まされました。シュメルツ将軍、いい加減にして下さい。……無理やり飲ませようとするのをやめろ!」


 男二人が小声で小突きあい始めたので、ご婦人二人は苦笑顔である。何を話しているのかは聴こえなかったが、楽しそうなその様子にセラフィナからも笑みがこぼれた。


「随分と仲がよろしいんですね」

「ええ、夫は前アイゼンフート侯爵とは幼馴染の仲だったんですよ。何せ生まれた時から知っているそうですから、もしかしたら息子が結婚したような心持ちかもしれませんわね」

「まあ、そうなのですか」

「そうなんですよ、だからまさかここまででかくなるとは思いませんでした。まったく可愛げのないやつです」


 シュメルツは女性二人の会話に華麗に割り込むと、腕を組んで満足げである。反対に疲れ切ったランドルフは、妙な情報をセラフィナに流され頭を抱えたい気分だった。


「あらあなた、お話はもうよろしいんですか」

「ああ大満足だ。じゃあな御両人、俺たちはそろそろ失礼するよ」

「セラフィナ様、いつでも遊びにいらして下さいね。侯爵様の事なら私たちの知っている範囲でなんでもお教えするわ」

「何を言うつもりですか、伯爵夫人」

 ランドルフの低い声にも伯爵夫妻はどこ吹く風で、楽しげな笑い声を残して去っていった。セラフィナは彼らを丁寧な礼をして見送っていたが、ランドルフは多少適当にそれをこなして姿勢を正す。

 すると、またしても図ったように声がかけられた。


「兄さん」


 今度はお前か。内心で嘆息しつつ声のした方を見やれば、テールコートに身を包んだ弟がゆったりと歩いてくるところだった。


「ルーカス」

「人垣が途切れた様子だったので、一応ご挨拶をと。兄さんは変わらず軍服姿ですが、義姉上はお召替えをされたのですね。青色がよくお似合いで、輝かんばかりのお美しさです」

「ありがとうございます、ルーカス様」


 セラフィナは先ほどと同じようににこやかに対応しているように見えるが、すこしだけ眉が下がっている。どうやら困っているらしい。

 今日ルーカスに会うのは初めてのことではなく、式では既に祝福の言葉をかけてもらっている。その時も感じたことだが、この男、実に嬉しそうなのだ。

 この満面の笑みが美しい義姉ができて喜んでいるからなのか、女性に対してはすべからく笑いかけるべきという性分から来ているのかはいまいち判然としない。兄の妻に手を出そうとするほど見境が無いとは思いたくないが、ランドルフの立場としては、この押しの強さに圧倒されているらしい妻を守ってやらねばならないのは確かだった。


「ルーカス、今回はお前にも苦労をかけるな」

「水臭いことを言わないでくださいよ。楽しみこそすれ、苦労などとは思っていません」

「しかしあと二週間はこちらに居てもらわねばならん」

「大丈夫ですよ、事情が事情ですし。参謀って仕事は兵科を超えての研修や会議も多いので、これを機に勉強していこうと思ってます」

「……もはやとやかく言わんが、羽目を外しすぎるなよ」

「えっなんで今の流れでそっちの心配が入るんです?」


 話題を変えることに成功し内心息を吐く。

 そこでセラフィナがにわかに身を硬くしたのが感じられて、ランドルフは会話を切ってその視線の先を辿った。

 すると、この国でもっとも尊い人が優雅な所作で近づいてくるではないか。ルーカスもその事態に気付き、三人で同時に礼を取る。


「面を上げよ。……少し話がしたい。共に来てくれ」


 皇帝ディートヘルムは、美しく、しかし有無を言わさぬ笑みで真っ直ぐにランドルフを見据えていた。勿論、皇帝陛下とレナータには一番に挨拶を済ませてある。それをわざわざ声をかけて来たと言うことは、よほど大事な話があるということなのだろう。


「兄上。義姉上は私がお引き受けいたします」


 ルーカスはいつもの飄々とした態度は見る影もない様子で、恭しく視線を下げている。セラフィナも小さく頷いてくれたのを確認して、ランドルフは改めて主君を見据えた。


「は、陛下の仰せのままに」

「うむ。では参るか」


 セラフィナをこのような場に残していくことに罪悪感を覚えながらも、ランドルフは歩き出した皇帝陛下の後に着いて行くのだった。



 ディートヘルムは迷うことなく手近な客室に入ると、さっさと腰掛けてランドルフも座るよう促してきた。この主君の話の早さは今に始まった事ではないため、ランドルフも略礼を取って対面に座す。


「さて侯爵。早速本題に入るが、セラフィナとは上手くいっているか」

「は、以前よりは顔を合わせる時間も増えたかと」

「左様か。他に何か変わったことはないか」

「変わったこと、でございますか」


 そう問われれば、やはり思い出されるのは彼女の苦しそうな様子。胸に浮かんだ悲しげな微笑みに、ランドルフは頭の中にあったある考えを口に出すことを決意した。


「やはり、この結婚が嫌なのでしょう。近頃は何やら悲しげで、私としましては、気の毒なほどです」

「ふむ、悲しげか。なるほどな」

「陛下、お願いの儀がございます」

「申してみよ」

「アルーディアとの関係が回復した暁には、どうかセラフィナの自由を許していただきたいのです。そのためならば、私はどのような戦場にも立ちましょう」


 それは、セラフィナが少しだけ過去を語ってくれたあの日から、ずっと考えていたことだった。

 彼女は今までずっと政治に翻弄されてきた。虐げられ、命令から隣国に嫁がされ、最終的には自分のような男に下賜されて。

 ランドルフにとって主君の命令は何よりも重い。しかし勅命を覆してでもなお、彼女には幸せになってもらいたかった。

 それが例え離縁という結果になったとしても。

 しばしディートヘルムは思案するように瞑目していたが、やがてゆっくりと目を開け、静かな色を湛えた瞳で見返してきた。


「驚いたな。余がアルーディアとの関係を回復したいと考えている事、気付いていたか」

「は、陛下ほどの才気を持ってすれば、六百年蓄積した軋轢を解消しようとお考えになるのも、当然のことでございますれば」

「なるほど、お前にそうまで買ってもらえるとは喜ばしいことよな。……ふむ。余もまた彼女を利用した一人。ただ幸せを願ってのその上申、退けられよう筈もない」

「陛下、では」

「その願い聞き届けよう。国家間の関係が落ち着いた暁にはお前達の好きにするがいい」

「……! ご厚情、感謝いたします!」


 ランドルフは改めて椅子から立ち上がり、片膝をついて最敬礼の姿勢をとった。

 やはりこの方が君主で良かったと改めて思う。知略家にして冷酷無比と怖れられるお方だが、心の奥底にはこうして思いやりの心を秘めているのだ。

「言っておくが、不確定要素が多いゆえ、セラフィナには明かしてはならぬぞ」

「は、畏まりました」

「それと、アイゼンフート侯。彼女の気持ちについてはよく確認してみろ」

「いえですが、それは」

「面と向かって嫌だと言われたわけではあるまい」

「それはそうでございますが、普通はそんな事は申せませぬ。陛下のことを愛しているから結婚したくない、などと」

「……ん?」


 ディートヘルムは何を言っているのかわからないという顔をしてしばし制止した。当たり前のことを言っただけと思ったが、一体どうしたというのだろうか。


「ふ、あははははは! なんだそれは、傑作ではないか!」


 次の瞬間、快活な笑い声が室内を満たした。いきなり爆笑しだした主君にさすがに面食らったランドルフは、未だ腹を抱え続けるディートヘルムに恐る恐る話しかけることにする。


「……陛下? 一体どうなさいました」

「ははははは! いや、お前が妙なことを申すから……っふふ、そうか、お前はそう思っていたのか」


  ディートヘルムは目の端に滲んだ涙を拭きつつ、何とか笑いを収めたようだった。


「いや、それはないぞ、侯爵。セラフィナの余への評価など、レナータ以外には冷酷な人、といったところだろうよ。それくらいに利用させてもらったし迷惑をかけたからな。……いかんな、まだ一番の本題を伝えていなかった」


 す、とディートヘルムのまとう雰囲気が変わった。先ほどまでの朗らかさは霧散し、為政者の持つ圧倒的な存在感が戻ってくる。ランドルフもまた居住まいを正し、次の言葉を待った。


「お前達の道が別れる時までで良い、彼女を守ってやれ。それに一番適任だと思ったからこそ、余はお前を選んだのだ」

「は。この命にかえましても」


 ——今夜、彼女に聞こう。ランドルフはこの時、その決意を固めていた。

 ただ単に結婚が嫌だという理由なら、それはそれで自分が恥をかくだけのこと。

 守っていく覚悟などとうにした。セラフィナが何らかの苦しみを抱えているのなら、あの華奢な肩にこれ以上背負わせるつもりはない。


「ああそうだ、今まで言い忘れていたのだが」


  そこで言葉を切ったディートヘルムは、ニヤリと楽しげに笑って見せた。企み事を感じさせる、あの笑みだ。


「余は彼女には指一本触れたことがない。その事実もまあ、一応知っておいた方がよかろう」


 突如として投下されたそれから身を守る術はなかった。衝撃の事実と言う名の爆弾が眼前で炸裂し、流石の黒獅子の思考回路も一瞬にして使い物にならなくなる。

 この皇帝陛下は、面白いからという理由で人をおちょくる悪癖があるのだ。つまり今回も覚えていたのにあえて黙っていたというわけで。

 せめて文句の一つも言ってやろうと顔を上げた頃には、ディートヘルムはとっくに退室していたのだった。


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