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展示品の数々をセラフィナはとても興味深げに見て回っていた。古代の出土品の石像を見ては小さく歓声を上げ、二百年前に作られたというエメラルドの首飾りを見ては溜息を漏らす。
ランドルフ自身は歴史のロマンだとか芸術の良さとかそういったものに無頓着な無骨な男なので、一緒にはしゃいでやることはできなかったが、楽しそうに笑うその姿になぜか胸が暖かくなるような気がした。
ああそうか、と気付く。今までだって彼女はよく微笑んでいたが、それらは恐らく習慣化してしまったものだったのだろう。でも今は心から楽しんで笑ってくれている。この姫君の心からの微笑みは、いつものそれより一層魅力的らしい。
「ご覧になって下さい。これ、とても綺麗ですね」
「ああ、繊細な意匠の耳飾りだな。もう千年以上前にこんな細工が可能とは」
「そうですね、今より道具もずっと少ない筈なのに……」
熱心に見つめる横顔をちらりと伺う。サファイアを配したイヤリングが、彼女の抜けるような青の瞳を一層輝かせている。
「しかし、貴女は本当に知的好奇心が旺盛だな」
感じたことをそのまま口に出すと、セラフィナは申し訳なさそうに肩を落とした。
「申し訳ありません。はしゃぎ過ぎですね」
楽しそうにする様子が好ましいと思ったのに、却って彼女を萎縮させてしまったらしい。ランドルフは慌てて言い募る。
「そうではない。ただ、楽しんでもらえたようで良かったと思っただけだ」
「……はい!とても楽しいです」
初めて出会ってからまだ日も浅いが、ランドルフはセラフィナの慎ましさを十分理解していた。年齢より大人びて見えるのも、その落ち着きからもたらされる物なのだろう。
しかしこうしてはしゃいでいる姿は年相応の娘らしく見え、これもまた彼女の持つ一面なのだろうと好ましく感じられた。
今はまだ遠慮が取れないが、近いうちにもっと自然に過ごせるようになってもらえたら。
ランドルフはそんな小さな願いを抱きつつ、華奢な後ろ姿に付いて歩くのだった。
半分も過ぎた頃、セラフィナがおもむろに足を止めるので、ランドルフも同じようにした。妙に真剣な輝きを宿したアクアブルーが写していたのは、古びた小さなお守りだ。
「伝ハイルング人のお守り、アイゼンフート家寄贈とありますが、これは……」
「ああ、これか。ここが出来た当時のアイゼンフートの当主、私の祖父が寄贈したものだな」
ハイルング人とは、灰色の髪と青い瞳、そして驚異的な回復力を持ち、創生の頃より癒しの力で人々を助けたという伝説の種族である。しかし怪我や病気をものともしないはずの彼らは、六百年前になんの前触れもなく一斉に姿を消した。
これがハイルング人伝説の概要だ。本当に彼らが存在したという証拠は今を持って発見されておらず、その存在の有無は大陸史における最大の謎となっている。
その彼らが作ったとされるお守りが、今目の前で丁寧に展示されている古びた布切れだという。
「その話、詳しく教えて頂けますか?」
「ああ。かまわないが」
いつにいなく鬼気迫る様子のセラフィナに疑問を感じつつも頷いたランドルフは、当時の状況について説明を始めた。
まだ生まれていない時代の話なのでよくは知らない。
しかし祖父が言うには、この小さなお守りは屋敷の倉庫を整理していた時に出てきたらしい。ずいぶん小汚いものが出てきたものだと捨てようとしたのだが、丁寧に細工の施された小箱に収められていた事が気になって、試しに国立研究所に鑑定に出してみた。
結果、ハイルングの消失が起こった成暦1210年頃のものであることが判明したのだ。丁度その頃絶滅したシヤリという木の実が袋の中に納まっていたことと、当時開発されたばかりの布が使われていたことが決定打となった。そして、施された刺繍が各地に残るハイルング人の遺物に残された文様に酷似していた為、ハイルング人の残した物である可能性が考えられる、という結論に至ったのである。
「それならば多くの人に見てもらったほうがよかろうと考えた祖父は、当時完成したばかりのここへと寄贈したというわけだ」
「では、これは本当に」
「いや、それはどうなのだろうな」
そもそもハイルング人の存在自体が伝説上の曖昧なものであり、その癒しの力の真偽も含めて謎が多い。
遺物が残されているとはいえ決定打には到底ならず、実はただ医療に長けた人々というだけだったとか、はたまた全員で別の大陸に移り住んでしまったというとんでもな説まで囁かれる始末だ。
この大陸では10万人に一人程度ハイルングの落とし子と呼ばれる人々が産まれる事があり、彼らは普通の人間に比べて強い回復力を持っているのだが、彼らのことを遠い子孫とする考えよりも突然変異説の方がよほど根強く唱えられている。
このお守りが成暦1210年当時に作られたのは間違いないのだろうが、そもそも何故アイゼンフートの屋敷で埋もれていたのか、なぜ600年もの間誰もその存在に気付かなかったのか。その存在から「ハイルング人の消失」の方法に至るまで、全てが謎だらけなのだ。
「私は職業柄自分の目で見たものしか信じないようにしている。このお守りが本当にハイルング人の物だとして、それを確かめる術はない」
「そう、です……よね。何もわからないんですもの」
当たり前のことを述べたつもりであった。しかし、セラフィナは先程の勢いは何処へやら、考え込むようにして俯いてしまう。その表情は窺い知れなかったが、どうにも落ち込ませてしまったように感じて、でもとランドルフは言葉を重ねた。
「ただ、私はまだこの世界のどこかに彼らが生きていると言うのなら、是非会ってみたいと思う。人が病に倒れては救ってくれたという彼らは、きっと平和を愛する穏やかな種族なのだろうな」
「そうですね……私も是非お会いしてみたいものです」
ゆっくりと顔を上げたセラフィナがどこか泣きそうに見えたのは、気のせいと断じられるほどに一瞬のことであった。
ランドルフは知らなかった。セラフィナが袖の中で、アイゼンフート家寄贈のお守りと瓜二つの品物を、大事そうに握りしめていたことを。