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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あわいのとき

餓鬼

特殊能力者を育成する、全寮制男子校である座生学院高等学校の一年生、須賀(すが)光生(みつき)こと、本名、美月(みつき)は、性別:女性、でありながら、同学院に通う生徒である。一応、性別を知られているのは、同じ組で出来た友人の、八重樫(やえがし)郁美(いくみ)のみの筈だった。ただ、どうももう一人、医務室勤務の医師、末永(すえなが)典文(のりふみ)も知っているのではないかと思っている。入学直後にあった、学院全体と保護者、卒業生たちをも巻き込んだ大騒動の際に、美月が『女夢魔(サキュパス)に体を乗っ取られる』という、男性であれば本来あり得ない状況に対するフォローとして、色々資料を提出してくれたのが、末永だった。結果、美月が感応能力と共感能力が高いために乗っ取られた、という結論で押し通されていた。美月は、同じ組の坊坂(ぼうさか)慈蓮(じれん)の監視を目的として、とある人物から学院に送り込まれたのであるが、どうも末永もそちらの関係者か、関係者から買収されているように思えた。もっとも、わざわざ薮の蛇をつつく気はないので、美月はその疑惑は一切口にしてはいなかった。


今、美月はその末永と、担任教師の合田が運転する自動車で、学院のある山の頂上へと向かっていた。五月の初め、世間で言うゴールデンウィークの真っ最中である。山は既に若葉の新緑に覆われ、車内からでも目に優しかった。

母体の法人が所有する、人里離れた山奥にある座生学院高等学校は、その立地の不便さと全寮制という制度(ゆえ)、長期休みの間も学院内に滞在する、もしくは滞在せざるをえない、居残り組の生徒たちがいる。その生徒たちのための特別プログラムとして、ゴールデンウィークの間に山頂までの遠足が組まれていた。事前に申し込みが必要で、強制ではないので、参加しない生徒もいる。特に受験のある三年生は半分しか参加していない。もっとも居残り組の人数が一番多いのが三年生なので、参加する三年生は八人と、一番多かった。二年生が四人。一年生も四人だが、うち一人、美月は遠足には参加しても、山登りには参加しないという特例のため、実際に登山をするのは、坊坂、八重樫、そして美月と寮で同室の藤沢(ふじさわ)賢一郎(けんいちろう)の三人だった。

学院のある山の標高は八百メートル少しで、学院の建物は標高二百メートルくらいの位置に座している。そのため、山頂へは六百メートルほど登ることになる。それなりの形を整えた登山道が二本造られていて、初心者用と上級者用と呼ばれている。一般の登山客は来ない場所なので、わざわざこの呼び方をされている理由は分からない。今回、一年生は初心者用、それ以外の生徒は上級者用の登山道で登頂を目指すことになっていた。一年生に初心者用があてがわれたことも珍しかったが、今回はもう一つ、異例の事態があった。遠足の前日、山頂の様子を確かめに向かった教師が、ゴミの不法投棄を見つけたのだ。この山に車が乗り入れられる道は一本しかなく、普段は施錠されているので、どうやって入ったのかは不明で、職員たちは首を傾げたが、目の前の問題は、ゴミをどうするか、である。処理は業者に頼むとしても、実際にどれほどの量が投棄されているか分からないため、生徒たちは登山がてらに、不法投棄があれば確認し、地図に位置を記すこと、というお達しが出ていた。ただ、危険物がある可能性もあるので、近づいたり、接触したりは厳禁とも伝えられていた。

美月は合田から、車内から車道付近にゴミが投棄されていないか確認していてくれ、と言われたので、一応窓を目の外にずっと向けていた。ただ既にこの道は昨日、別の教師が通ってゴミを見つけているし、上りの山道とはいえ、それなりに速度が出ている中でのことなので、結局それらしいものは発見出来ず、山頂に着いた。学院のあるこの山は周囲の山より低いため、山頂からでも景色を一望というほどまでにはいかなかったが、清々しい空気ときつめの日差しに、美月は心から爽快さを覚えた。

「気持ち良いですねえ」

いつもはきっちりとワイシャツに白衣姿だが、今日に限りトレーナーにチノパンという、頭髪は寂しいが年齢はまだ若い末永が、全身を伸ばし、深呼吸しつつ、声を上げた。

「ですねえ」

美月も賛同した。合田を手伝い、車から折りたたみのテーブルと椅子を取り出して、地面に置く。登頂者の確認をするための名簿が挟まったバインダーをテーブルの上に置いた。末永も救急セットを取り出した。生徒たちは美月たちより一時間近く前に発っているが、あと数十分は到着しない計算である。水分補給用の水筒や地図の他、緊急事用の発煙筒を持っていて、発煙筒の煙さえ見えなければ、山頂にいる美月たちは、何をすることもない。合田は双眼鏡を取り出すと、一通り登山道のほうを確認した。

「ゴミはどれくらい捨てられているのでしょうね」

末永が誰にともなく呟いた。


「須賀ならさ、廃棄物とも共感出来るんじゃね?ほら、付喪神(つくもがみ)化してるようなものだって、中にはあるかもしれないじゃん。で、どこにいるか教えてもらえば、探す手間が省けると思う!」

美月は、昨夜、登山の際にゴミ探しをする、という件を聞かされた後、八重樫が冗談っぽく言っていたことを思い出した。もっとも例え共感出来たとしても、付喪神(つくもがみ)が己の今いる場所の座標軸を示してくれるとは思えないので、結局山のどこにあるのか(いるのか)分からない。共感したとしても余り意味はなかった。そのような訳で、美月はそのとき、本気だった訳ではない。少し、試してみようくらいの気持ちで、本分である治癒能力を行使する際のように、山全体を対象にして、意識を向けてみた。最初は美月のほうが癒されるような感覚を覚えた。確かに、この緑が豊かに育っている山の方が、美月という矮小な人間より、余程生命力が強い。今まで感じたことのない気分の良さに、美月は少し意識を強めた。そして美月の意識に(さわ)るものがあった。とても小さい。でも…。

気持ち良さそうに瞳を閉じて、爽やかな風を感じている様子だった美月が、いきなり椅子から崩れ落ちて、合田と末永は跳び上がるほどに驚いた。末永が素早く、美月を地面に楽な体勢で横たえ、脈を取る。脈を数える暇もなく、美月は音がしそうなほどの勢いで目を開け、体を起こした。末永が何か言うより早く、美月は両手で地面の土を掴み取ると、(むさぼ)った。

「よせ!」

今度は合田のほうが速かった。唖然とする末永に代わり、美月の両腕を捕まえ、口元から離す。美月の口に入った土は(わず)かで、残りは膝の上に落ちた。濃い土の匂いが、空気に散った。美月はうつろな瞳で、力なく腕を動かし、合田の拘束から逃れようとした。


実は今回、一年生組が初心者用登山道を使用するに至ったのには、ルートを設定した教師の勘違いがあったからだった。その教師は美月も登山をするものと思い込み、虚弱体質として学院内では通っている美月が楽なように初心者用を選んだのだった。勘違いに気付いた時には、既に地図が配られた後だったので、訂正なくそのままになってしまった、という経緯である。ただ、生徒たちがそのような理由など知る訳もなかった。

「思ってたより、楽だな」

八重樫は山道を歩きつつ、軽口を叩いた。登山開始から、まだ一時間ほどである。坊坂と藤沢が軽くうなずく。両者とも疲労の片鱗も見えない。基本、体力自慢の面々だった。程なく、山頂を示す表示と、丸太で組まれた手すりと、合田の自動車が視界に入って来た。八重樫は足取りも軽く、山頂への最後の一歩を踏み出した。踏み出して、固まった。少し後ろにいた坊坂と藤沢は、怪訝な顔をしつつ、後に続いた。山頂に到着した三者の目に、地面に座り込み、泳いでいるように腕をがむしゃらに動かす美月と、それを必死で押さえる合田と、末永が入った。

「えっ…と」

「あ、藤沢!良かった。代わってくれ」

八重樫の上げた間抜けな声に気付いた合田が振り返り、藤沢をみとめて、声を掛けた。藤沢は状況が分からないまま、無言で担任教師の元に近づくと、合田に代わり、美月の腕を押さえた。

「何が起こっているんですか?」

八重樫が、ややげんなりした声で尋ねた。

「餓鬼だ」

美月から解放された合田が、肩をまわして血の巡りを良くしつつ、簡潔に答えた。力自慢の藤沢が、完全に美月を押さえ込むことに成功したため、末永も美月から離れると、額の汗を拭いつつ、安堵の溜め息を吐いた。

「理由は分からん。いきなり憑かれた」

「…八重樫、ひょっとして、あれじゃないか。昨日の夜、須賀が不法投棄のゴミに共感出来るんじゃないか、とか、言ってたよな」

坊坂が、冷ややかに問いかけた。坊坂以外の六つの瞳が一斉に八重樫を射た。八重樫は、顔を引きつらせた。

「いや、言ったけど…まさか、成功した?いやでも、先生、餓鬼だって…」

「餓鬼だよ。飢えて死んだ、死霊だ。この山の霊気を考えれば、彷徨っていたわけじゃない。考えられることとしては、死霊に関係しているものがここに捨てられ、須賀はそれ経由で死霊と通じて、憑かれた」

「恐らくそうだ」坊坂の推測を、合田が支持した。「まあ、問題ない。弱いもののようだし、いくら人に憑いているといっても、死霊はこの山の霊気に長くは耐えられない。すぐに消える。ただ、手を離すと、そこら中の物を食べようとするので、押さえつけておかないといけないのが、骨が折れるんだが」

合田は手首をほぐしつつ、己の考えを話した。長くても一時間程度で、餓鬼は消滅すると踏んでいた。そのため坊坂が続けて示した、自分たちがその死霊に関係しているものを探してくるという提案を、顔をしかめて却下した。責任者として、生徒たちに、勝手に山の中を歩き回らせることは避けたかった。坊坂は、表情を変えないまま、言い募った。

「分かってます。でも、そちらの方から供養出来れば、早く終わる。須賀の体の負担も小さくて済む。それに…余り、子供を飢えさせておくのは、ちょっと」

「子供なのか」

合田はやや驚いた様子で坊坂を見た。合田は、餓鬼だという事は分かっても、それが生前、どのような人間だったのかは分からなかったが、坊坂は分かってしまったらしく、うなずいた。

「子供です。男の子」

「…須賀、弟いたよな」

ぼそりと藤沢が呟いた。美月が餓鬼に同情してしまっている、つまり現在、己の体への影響など考えず、餓鬼への抵抗をしていない絵が想像出来て、皆、黙った。美月には妹もいるので、男の子か女の子かはあまり重要ではなかったが。

「山の中、どこにあるか分からんぞ」

「徒歩で捨てに来たとは思えません。車です。車道から奥に入ると思えません」

つまり、車道の脇の、それほど離れていないところである。昨日、他の教師が見つけたのも、その一部だったのかもしれない。ただ、合田たちが登って来た時には気付かなかったので、分かりやすいところではないだろう。手際よく坊坂に説明され、合田は溜め息を吐いた。美月の方を見やると、美月を捕まえている藤沢がもの言いたげな様子をして、合田を見ていた。

「代わろう」

そう言うと、合田は再び、美月を取り押さえる役を代わった。坊坂、藤沢と、引け目があるせいかいつもより大人しい八重樫は、車道を下りつつ、その付近を探し始めた。


日だまりのなか、お日様の光をまぶしく感じ、目を開いた。顔がほてる。唇が日焼けで切れている。しかし寒い。日が当たって、まぶしさは感じるのに、暖かみが伝わって来ない。手を微かにこすりあわせる。足もこすりあわせる。少しだけましになった。両手を使って、けば立った畳の上を()って進み、畳から板張りの床に移動する。板張りの床の上に、金属と合成樹脂で出来た大きな機械がそびえ立っている。冷蔵庫。寝転がったまま両手で扉に手を掛ける。きちんと閉じてあれば、この位置からでは開かない。が、中で何か引っかかっているのか、完全に閉じていなかった扉は、不自然な体勢でもなんとか開けることが出来た。内扉の一番下、マヨネーズの容器がある。半ば辺りに、はさみでぎざぎざに切れ込みが入っていて、そこから中身を(すく)い出してある。覚束(おぼつか)ない指を、なんとかその切れ目に突っ込み、容器の裏側にこびりついて残っている卵と油の撹拌物(かくはんぶつ)を必死でかき取る。指の先に油脂が付き、てらてら光った。指を容器から抜いてしゃぶる。じんわりと、何かが体全体に染み込んで来た。そのまましばらくすると、少しだけ体が温かくなって来た。


夜のようだった。暗い。少し前は、お日様の光に当たっていても寒かったのに、今はなんだか、熱かった。頭がぼおっとしていて、喉と舌が痛くて、乾いている。仰向けのまま、ゆっくり、ゆっくり、畳の上を背で()いずった。何故かおかしく思えて、笑ってしまった。笑うと、喉や舌の他に、目の奥や頭も痛くなって来た。()ったまま、板張りの床板を通る。少し段差があって、開け放しの扉の前に着いた。何度か段差を越えるのに失敗した。背中を打った。でも喉の方が痛い。頭の方が痛い。しばらく挑戦して、やっとユニットバスの設置された洗面所に入り込めた。洗面所の床に、()びた金属製のシャワーヘッドが落ちている。顔を近づけ、なめた。金属の味。でも少し湿り気があって、舌が少し楽になった。なめた弾みでシャワーヘッドが動いて、水滴が垂れた。それも、なめた。


肌の感覚は、お日様の光を捉えていた。しかし、見える景色は薄暗かった。開け放しにされた冷蔵庫の扉の横にビニール袋があった。前は()えた匂いがしていて嫌だった。今は気にならない。動かない体を一生懸命動かす。指でビニール袋掴んだ。掴むの失敗して、手が床に落ちた。もう一度。ビニールをなんとか掴むと引っ張った。引っ張る途中で腕の力が抜けた。幸い袋は、その勢いで横倒しになってくれた。適当に縛られていた袋の口が、床近くに来ていた。隙間から指を入れる。指になにか当たった。引き出すと、それは、茶色っぽい、半透明の、薄いものだった。口に入れる。舌を動かすのが億劫で、下顎だけ軽く動かした。もう一度、指を差し入れる。今度は、もっと透明な、青色をしているものが取り出せた。それも口に入れる。少しだけ、体が動くようになった気がした。でも暗かった。


頬に、腕に、ちくちく当たるものがある。痛くて嫌だ。耳の辺りはひりひりする。お日様の光が痛い。痛いものから逃れようとしたが、体が動かない。そのうち動くことを忘れてしまう。また痛いことに気が付く。指先に畳のけばが当たっていた。爪の間に細い一本が入り込んでいる。痛みを少しでも和らげようと、そろそろと、その爪を口に持っていく。何度か失敗して、やっと成功した。小さな乾燥したい草のかけらが、口の中に落ちた。口の中に、刺さった。


坊坂が、それを見つけたのは、山頂から二百メートルほど下りたところだった。投棄された、どこかの電器屋のビニール袋の中に、細々した家庭ごみと一緒に、男児用の、何かのキャラクターが描かれた小さな帽子が入っていた。坊坂は、八重樫と藤沢を振り返った。二人ともうなずいた。一見変哲のないゴミだが、それが美月に憑いた餓鬼のものだと、全員が直感していた。坊坂は帽子を地面に置くと、合田が自動車で運んで来ていた、生徒たちの昼食から抜いて来た、昆布の佃煮を入れた俵型の握り飯を取り出し、供えた。坊坂と八重樫が手を合わせる。藤沢も手を合わせ、直後、二人と違い経文も何も知らないということに気付いて、戸惑った表情で顔を上げた。その様子に気付いた坊坂が声を掛けた。

「次は、幸せになれるよう、心から願ってやれば、良いから」

藤沢はうなずいて、手を合わせた。


山頂には既に上級生の生徒たちが到着していた。そちらの生徒たちが使用した登山道近くに一箇所、不法投棄のゴミが見つかっていた。どう見ても家庭ゴミではなかったので、悪質な業者による産業廃棄物の投棄だろう。既に合田が山頂と学院の間につながっている、本来は緊急用の専用電話回線を使って、一通り学院に報告済みだった。詳しいことは下山してからになるが、まずはこの件は完了ということになる。生徒たちは自動車のアイスボックスから取り出された昼食を平らげ始めていた。

既に正気に戻っていた美月が、三人のやってくる姿を見つけて、ほっとした表情を見せた。ジャージが泥だらけだが、特に餓鬼に憑かれていた影響も見えない。むしろ予想外の体力を使うことになった末永と合田の方が、疲労困憊と言った表情で、車のタイヤにもたれ掛かっていた。坊坂は電器屋のビニール袋と供養の済んだ帽子を合田に渡した。合田はうなずいて受け取った。後で学院の誰かか、学院が依頼した特殊能力者が痕跡を辿(たど)るだろう。そちらと警察のどちらが速く、持ち主を突き止めるかは分からない。

一足遅れて、一年生の生徒たち四人はシートの上に陣取って、昼食を摂り始めた。

美月は、握り飯を一口(かじ)り、ふ、と息を吐いた。

「大丈夫か?まだなにか気分悪いか?」

尋ねられて、美月は首を振った。

「栄養の味がするな、と思って」

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