地方都市セルバ。人口約80万人の中規模都市。
そんな街中を所狭しと住宅が立ち並ぶ中、密集した一角を離れたところに建っている木造の酒場があった。名前は「katze」古代異国語で猫という意味だ。
錆ついた鉄の取ってに手をかけ、扉を押しあける。
「こんにちは、マスター」
奥にあるカウンターの中にいる、少し強面のマスターに微笑む。マスターはグラスを布巾で拭きながら壁に掛かっているボードを顎で指す。
「新しい依頼が来てんぞ」
「わかった。ランクは?」
「見ればわかる」
それもそうだと思い、ボードに歩み寄る。ご丁寧にNEWと書かれた所に真新しい紙が1枚貼られていた。
【ランクA・討伐…森に突如現れた魔物を駆除してほしい】
「ランクAの討伐系かぁ…これって魔物の種類とか数とか記載されてないけど不明なの?」
「あぁ、そうだ。その依頼が来てから1週間は経つが、新しい情報はない。どうする?」
グラスを拭くのをやめ、私がどんな決断を下すか知っていて挑発的に聞いてくる。
「そんなの、もちろんや「嬢ちゃんには無理に決まってるさ!」」
私の言葉を大声で遮った奴を見る。カウンターで酒を飲み、頬を少し赤らめた男がいた。肌は日に焼けて浅黒く、体を覆うようについた筋肉はいかにも強そうな雰囲気を醸し出している。傍らに置いてある大剣は使いこまれており、それなりの熟練ハンターであると見て取れた。
酔っ払いのじじいが…
少しいらっとして内心で罵倒する。
「なぜ私には無理だって言いきれるの?私だってあなたと同じハンターだけど?」
「はっ、嬢ちゃんなんかと一緒にしないでくれ!いいか、よく聞け。俺はこの地域最強のAランクハンター、ボア・ハイドだ。嬢ちゃんの数100倍は強いぞ」
ガハハと豪快に笑う。
この地域…ってことはフリーハンターの人か。
ハンターには2種類いる。
どこにも属さないハンター、フリーハンター。
そして「ギルド」に所属する、専属ハンター。
2つに大きな差はない。しいて言うなら専属ハンターはそのギルドの看板を背負っているってことくらい。そしてハンターは首都にあるハンター協会で上から順にS・A・B・C・D・E・Fの7つにランク付けされ、それぞれの能力・実績に応じてランクが変わり、自分のランク以下の依頼を受けることができる。
「へぇ…そうですか。でもそれが私が依頼を引き受けるのが無理だという理由になるんです?」
おっさんの自慢話なんて興味ない、というかなんか、嫌いだこいつ。それにAランクにもピンからキリまでいるし…この過剰な自信はどっから来てんだろ。
「馬鹿かお前?最強の俺ですら無謀で挑まない依頼を嬢ちゃんみたいなガキができるわけがないだろ。ちっこいし、すぐにやられちまうよ。命がもったいないだろ」
ちっこい………だと
自分の中で抑えていた嫌悪感やら苛立ちの枷が壊れた音が聞こえた気がした。
マスターが「はぁ」とため息をついているのを視界の端に捉えた。
「あぁ、もう我慢の限界だわ。ほんっと腹立つ」
ボ、ボ……おっさんを静かに睨みつける。
「マスター、後で弁償します」
その言葉におっさんが反応した。
「あん、なんだ俺とやろうってんのか?上等だ、格の違いって奴を教えてやるよ。後で泣きべそかいてもしらねぇぞ」
おっさんは自分の大剣を構える。
「泣きべそ、ねぇ」
傍のテーブル席に置いたままになっていたグラスの中の氷をつかんで取り出す。
「泣きべそで済んだらいいね?」
おっさんに上辺だけの笑みを向ける。なんの感情も含まない形だけの笑みを。
氷を握って冷えた手から淡い青い光がもれる。手を自分の目の前に持ってきてゆっくりと開く。
氷創弾
<Ice Schusswunde>
そう言うのと同時に小さな氷の弾丸が無数に打ち放たれる。おっさんは自分の剣でそれを防ぐ。しかし、1発また1発とやむことのない氷創弾はおっさんの剣を粉砕した。それと同時に弾を打つのをやめ、氷を握っていたほうとは逆の手で大剣だったものの欠片を拾いおっさんの首に付きつける。
「降参する?」
私の問いかけにおっさんは欠片を付きつけていた手を払いのけ、その肉体を生かして殴りにかかる。だが私に向けられた拳は私に届くことなく、氷の壁に阻まれていた。そしてその壁から柱状に氷が付きだしおっさんを壁まで吹き飛ばす。
「もう1回だけ聞いてあげる。降参、する?」
尻もちをついているおっさんに一歩。また一歩と近づいていく。
「威力は抑えたから骨は折れてないはずだよ。まぁ打撲くらいにはなってるかもだけど?…それで、降参するの?しないの?」
目の前まで来て足を止める。
「な、なんで。詠唱なしで魔法を使えるんだ…まさかお前魔女か?」
やっとしゃべったと思ったら、くだらないことを…
おっさんは魔女だと思い込み顔が青くなっている。
「人の質問は無視?いっとくけど、召喚士だったら無詠唱での魔法の展開なんて普通だから。詠唱しないだけで魔女扱いするなんて、あんたの脳味噌は筋肉でできてるの?」
私の言葉に今度はぶつぶつと独り言を言い始める。
「召喚士、氷…水、katze…………まさか?!」
おっさんは答えに辿り着いたようにこちらを見る。
「katzeのSランクの水使い、蒼き者か…?」
「…そう呼ぶ人もいるかもね。そういえば自己紹介してなかったっけ。katze専属Sランクハンターのアクア・フレーベです。以後お見知りおきを。あといい加減質問に答えないならもう1回ふっ飛ばすよ?」
疑問形で言ったそれにおっさんは先ほどよりも青ざめて
「こ、降参します!!」
そう叫んだかと思うと同時にすごい勢いで酒場を出て行った。
「お前なぁ、客脅してどうするよ」
マスターが呆れたように言う。
「小さいって言ったあいつが悪い。それに先に喧嘩吹っ掛けてきたのはあいつじゃん」
「俺にはお前が一方的にぶち切れて喧嘩吹っ掛けて脅したようにしか見えなかったが?……とにかく店直せ。これじゃあ商売にならん。あとさっきの奴の飲食代も」
「なんで私がっ!」
「お前が追い出したからだろうが」
ジロリとマスターに睨まれる。その表情は般若に近く、これ以上文句を付けるのを許さないという気迫を感じた。私も何も言い返しようがないので渋々、代金を払う。周りをよく見ると氷創弾でグラスやテーブル、椅子などが壊れ、壁には小さな穴が無数にあいている。まさに乱闘がありましたって雰囲気だ。
「お店は今からすぐ直すわ」
反省しながらマスターにそう告げる。懐から銅貨を1枚取り出し床に置く。
片膝をその場につき、右手で銅貨に触れる。
我が言霊をもって構成する
<Mit meiner Seele der sprachlichen konfiguriert werden>
言葉を発すると同時に銅貨を中心にして、店全体に魔法陣が展開される。
略式、分散せしもの、結合し、あるべき姿へと戻れ
<Auszug. Welche verteilt wurde, kombiniert, um wieder auf den ursprünglichen Wert>
言い終わると同時にお店全体にまばゆい光が溢れ、思わず目を閉じる。再び目を開けると先ほどの乱闘の跡は一切なく、すべて元に戻っていた。あの大剣も綺麗に復元していた。
「修復完了!この大剣どうする?」
「こっちで預かる。それにしても珍しいな略式とはいえ詠唱で魔法使うの」
「無詠唱でもたいして変わらないけど、やっぱり少しは精度があがるんだよ。それに使わないと言語忘れそうでね」
「なるほどな、お前らしいわ」
「そんなことより私お腹すいちゃった。マスター、紅茶となんか軽いもの、甘くないやつ頂戴!」
「はいよ、ちょっと待ってな」
そう言ってマスターは適当に何か作り始めた。材料的にサンドイッチかな?
待っている間、もう一度依頼の紙を見る。Aランクの討伐…魔物の数や種類がわからないのはちょっと厄介そうだな。
「あいつに声かけるかなぁ…」
「何か言ったか?」
マスターは私の前に紅茶とサンドイッチを差し出す。
注文してからまだそんなに時間は経っていない。
いつも思うけど、どうしてこんな早く作れるんだろ……謎だ。
マスターに依頼の紙を渡して、まず紅茶を一口。口の中にミルクティーの甘く芳醇な香気が広がる。マスターの作る者は何でもおいしいから好きだ。ほっと一息ついてサンドイッチを手に取りなら
「その依頼受けるよ。ただしペアで、ね」
サンドイッチを一齧り。野菜のシャキシャキ感とパンの絶妙な食感に思わず頬が緩む。
「ペアってことはあいつと組むのか。いつぶりだ?あいつと組むの」
「だいたい1カ月くらいじゃないかな。私がソロで行くことが多かったのと、しばらくあのうるさい恋愛馬鹿から離れたかったってのとで」
「予定は合うのか?」
「最悪私があいつに合わせれば問題ないでしょ。それに」
早々に1つ目のサンドイッチを食べ終わり2つ目に手をつける。
「数時間あれば終わるだろうしね」
ニッと笑うとマスターも苦笑いをし
「お前らならやりかねないな」
と呆れた口調で言った。
「じゃあAランクの魔物討伐の依頼は任せるぞ」
「ラジャー!」
右手を敬礼のように額に添える。
ちょうど食べ終わり、皿を返す。残っていた紅茶を全て飲み干し、代金をカウンターに置く。
「それじゃあ、次は依頼の報告の時にでも」
マスターに背を向け酒場を出ていく。扉を出る瞬間
「最近このあたりで魔女が問題を起こしてるらしい。……気をつけろよ」
マスターのぶっきらぼうな優しさに軽く笑い、その忠告にこたえるように片手をあげ、そのまま出て行った。