四部
5、中林
中林は以前、警察で刑事をしていた。
主に行方不明、失踪、誘拐そして殺人事件等の凶悪犯罪の特捜部の一員であった。
警察時代ではその中で何度か解決に導いたものもあるが、
失踪事件の中には事件が特殊で手がかりすら発見できずに、
時間だけが過ぎて失踪者が危険に追い込まれてしまうものも多々ある。
これは、警察権限等の制約により捜査が行き詰まり、事件は最悪の結果を迎えるのだ。
中林はそんな警察に限界を感じ自ら退職を願い出て、
独自に失踪者、誘拐事件を解決すべく私立探偵をするようになった。
ただしこれには非公式の権限を与えられているのだが。
警察時代に担当した事件がきっかけで、葉瑠音と出会うことがあり、
そのときの事件解決に葉瑠音の能力が多大に貢献したのだ。
このことは表ざたにされたくない葉瑠音自身の頼みもあり、
最終的に事件の解決をしたのは中林の地道な捜査による物とされていた。
そんな経歴を評価されて、中林は警察上層部より声が掛けられる事になった。
詳細はこうだ。
ある時、国家レベルの要人の家族が誘拐されるという事件が起きた。
当然、警察の持てる力を使い全力で捜査をするも、
犯人も家族の行方もまったく手がかりがつかめないまま時間が経っていった。
そこで特別プロジェクトが緊急に組織された。その中の一人に中林が抜擢された。
中林はその特別プロジェクトに入る条件にメンバーは個々に活動できること。
表向きは私立探偵、
もしくは私設警察としてどこの組織にも属さない単独警察官であることの条件を出した。
さらに捜査に関する情報の出所は一切探索しないとの条件も要求した。
すべては結果次第との事であったが、
上層部が最後の頼みの綱である彼らの条件を飲まない訳はなかった。
これが中林が非公式として与えられた権限である。
要人の家族の誘拐事件については、
中林は事件担当直後から葉瑠音に失踪者の探査依頼をしていたため、
即座に被害者の居場所を確認できた。
どのような場合でもその情報源は探索されないので、
堂々と中林はほかのメンバーと共にその要人の家族を救い出すことに成功し、
当然その犯人も確保できたのだった。
この功績により中林はプロジェクトの継続活動とリーダーの権限を得た。
このことは葉瑠音もすべて承知していた。
中林の行方不明者を探し出して救いたいという純粋な気持ちに賛同し、
今では積極的に協力をしている。
そして中林の協力スタッフの維持経費が葉瑠音たちの経済的支援となっているのだ。
しかし、今回は最初から葉瑠音の能力を超えた困難が待ち受けていた。
実芦の失踪はその直前までの存在は確認できたがその後の足取りの一切が消えているのだ。
葉瑠音が感じ取れる精神波を妨害するものにより探査行動が無力化されている。
でも中林の捜査にはこのような場合も当然想定されている。
人知を超える能力が使えなくなった場合は、地道に手がかりを追い少しでも誘拐犯に近づくのが基本だ。
中林はまず実芦が連れ去られたと思われるマンション前から捜査を始めた。
エントランスにはさほど変わった様子はなかった。
車を止めしばらくそこに留まることにした。
何人かの行きかう人々が居たが、どれも別にとりだて変わったところは見受けられなかったが、
実芦が失踪したと思われる時間に、
マンション前をゆっくりペットの犬と散歩をしてくる男性が目に付いた。
中林は直感した。
車を降りてその男性に挨拶をすると話しかけた。
「いつも、このあたりを散歩なさっているのでしょうか?」
「はい、いつもこの時間ですね。意外とこの時間は人通りも少なくのんびり出来るので」
「それでは、昨日もこの界隈を散歩なさっていました?」
「ええ、そうですねえ。そうだ昨日は珍しく車が止まっていましたね、このあたりに」
中林は自分の直感が正しかったことを確信した。
男性から特徴を聞き出し、再度挨拶をすると自分の車に乗り込み、
運転席の車載コンピューターにその車の特徴を入力した。
すると最近特徴的な失踪事件に関する情報の中に条件に当てはまる車両があった。
その事件は、いずれの被害者も失踪してから二、三日で自宅に戻るといったもので、
しかも無傷で返っている。
中には失踪していたが家族が被害届けを出さずに終わっているのもあるとのことだ。
なぜそんなものまで報告されているかというと、
どの被害者もその失踪した日からの記憶が一切ないのだ。
どこで連れ去られどこに居たのか一切覚えていないらしい。
持ち物も一切奪われていないし、その間に携帯電話や、
現金カード類も使用された形跡もない。
携帯電話が失踪直後に電源を切られていた以外は。
その車は、被害者たちが最後に目撃された場所にいずれもいた形跡があった。
正面にはナンバーが取り付けられず後部ナンバーだけのはずだが、
どの目撃も車両の後部を塀や壁に向けられて止まっていた様だ。
この手の被害者が無傷でしかも周辺の家族や友人にさほど被害がない場合、
通常では中林の管轄外になる。
しかし、今回は特別だ。
いつも捜査協力してくれている葉瑠音の頼みでもあるし、
ましてあの実芦が失踪、
いやもう誘拐であるのは確実だ。
そしてこの事件の真相は何か深いものがきっとある、と中林は感じ始めた。
ともかく、目撃証言によるグレーのセダンの足取りを追うことにした。
Gのフロアを先頭きって雨豆裸が歩いて行く。
手にはそのファッションには似つかわしくない通学用の鞄を下げていた。
その後ろに少女を抱えたキャップ帽の男が付いて歩く。
少女はまだ黒い袋をかぶされたままで、意識はないようだ。
フロアを一番奥まで行くと徒具呂が壁に沿って立っていてその片手が壁を撫ぜる様に上下すると、
壁の一部が開いた。
開いたというよりは四角い空間が空いたと言う様であり徒具呂はまるで二人を招き入れるように、
手を進行方向に差し出した。
雨豆裸とキャップ帽は慣れた風に、静かに奥に入っていった。
入り口の空間は3人が中に入ると元の壁に戻っていた。
部屋は計測機とそれぞれにモニターが接続されている機材が壁一面に並べられて、
中央に寝台が用意されていた。
その寝台を取り囲むように各種のカメラとセンサーが大量に設置されている。
キャップ帽はその寝台に少女を寝かせ静かに頭から布袋を取った。
実芦の顔が静かな眠りを漂わせている。身体は制服のままだ。
靴は脱がされ寝台の床におかれ、その横に雨豆裸が静かに鞄を置いた。
「ご苦労。私はしばらくこの子をモニターさせてもらいます。後は自由にしてください。ここにいるなり外で自分の用事を済ませるなり好きにしてかまわないです」
二人に言い終わると徒具呂は白衣を身に付けサングラスからゴーグルに付け替えた。
そして、実芦の頭部にセンサー装置の付いたヘッドキャップを静かに取り付ける。
それと同時に自動起動の各機材のモニターがいっせいに瞬き始めた。
ものすごい速さで画面が切り替わりすべてをデータ化していく中時折、
徒具呂がセンサーの感度を調整しつつ様子を見守る。
部屋の奥の机に座りその様子を見守りながら、
雨豆裸は自分の荷物から化粧品を机の上に並べ始めた。
爪の手入れを始めるつもりだ。
そんな様子を徒具呂は指してとがめる様子もなくそのまま実芦の観察をしている。
キャップ帽の男は無言で部屋を出て行った。
結果が出るまでは何も指示がないのはいつものことなので、
自分のねぐらに戻っていったのだ。
観察は少なくともまる一日はかかるだろう事も解っていたから。
しばらくすると、実芦の意識が戻り始めた。
自分の置かれている事態を確認するようにまぶたが静かに開かれ回りの様子を見ている。
頭にかぶせられたヘッドキャップにより首は自由に動かせないし手足は寝台の枷に固定されていた。
身動きをし始めた実芦に気がつくと徒具呂はそばに歩き寄りそっとささやく
「はじめまして。私はここの研究施設の徒具呂といいます。しばらくあなたを調べさせてもらいますが、抵抗はしないでください。何も悪いようにはしませんから」
言い終わると実芦が抵抗をしないことを確認してまたモニターの調整を始めた。
一通り検査を完了すると今度はデータの分析をする。
ここからは被験者は関係ない。
今までのデータとの比較により結果がわかる仕組みだ。
徒具呂は目で雨豆裸に合図した。雨豆裸が静かに実芦に近付き、目を合わせた。
実芦は一瞬たじろいだがその派手さとは裏腹に化粧の顔の瞳にはまだあどけなさがあった。
もしかして自分と同じかそれより年下かもしれない。
「いま、これをとってあげるからね。静かにしていてよ」
そっと実芦のヘッドキャップをとり、手足の枷もはずしていく雨豆裸だった。
少しずつ自由になる身体と、
雨豆裸のそれぞれのしぐさに意外な優しさを感じて実芦の緊張は消えていた。
「実芦、だよね。ミロって呼んでもいいかな。高校生だよね。
学校ってどんな感じ?よかったら教えてくれない」
意外な物言いに、実芦は一瞬とまどった。だが悪気はないと感じたのですぐに答えた。
「いいところです。
みんなそれぞれに考え、おしゃべりをして、
笑ったり、励ましたり、走ったり、転んだり?とかでとってもにぎやかです」
楽しそうに話を始めた実芦に、雨豆裸は引き込まれ始めた。
実芦は寝台に腰をかけるような姿勢になり、
雨豆裸はその隣に軽く飛び乗って同じ姿勢で座った。
そして実芦の顔を覗き込むように話す。
「うん、うん、それで、具体的にどんなことするの」
「えーと、たとえば、」
毎日のなんでもないことを並べているだけなのに、
雨豆裸は目を輝かせて実芦を質問攻めにした。
雨豆裸はとても楽しそうだった。そんなやり取りがしばらく続いた。
「へえ、そうなんだ。今まで知らなかったよ。
そんなに楽しいなら行ってみたいけど、多分無理だよな」
一通り話を聞いていた雨豆裸の笑顔が翳った。何かさびしそうでもあった。
そのとき会話を遮る様に、徒具呂がしゃべり始めた。雨豆裸に命令する。
「もう、いいでしょう。さあいつもの機械を用意してください」
雨豆裸は一瞬戸惑うような視線を実芦に向けた。
「何?どうしたの」
実芦の問いかけに、雨豆裸は悲しそうな目で答えると、首を激しく左右に振った。
「徒具呂、今回は無しにしてくれないか、いや、いやだ。絶対にしたくない」
雨豆裸は視線を合わせないように下をむきながら思いつめたように言った。
「何を言うのですか。これは我々を守るために必要な事なのです。
さあ、準備をしてください、雨豆裸!」
徒具呂の声が大きく部屋に響くと雨豆裸は身をすくめた。
とんでもないことを言ってしまったと感じ、
自分でもいったい何をしようとしているのかと思うと身体が震えはじめていた。
そんな雨豆裸を隣から肩を抱き寄せるように実芦がささやいた。
「何も気にしなくてもいいよ。
あの人の言う通りにしてかまわないから、ね、雨豆裸ちゃん」
雨豆裸は信じられない、といった表情だった。
なんでこんなときにそんなに落ち着いていられるんだ。
しかも、自分の事を優しく名前まで呼んでくれた。
こんなことは初めてだし、なにかとても暖かい物が身体の中に広がっていく。
雨豆裸の気持ちは決まった。
この子をいつものように出来ない。いや、してはいけない、と。
「やっぱり、出来ない。そんな事この子にさせない」
雨豆裸は必死だった。後のことは考えられなかった。
あの機械は記憶を操作してこれまでの誘拐から部屋のこと、
実芦の中の雨豆裸と話した時間まで消されてしまうのだ。
そのことがなぜか雨豆裸にはとても大事な時間を奪われるような気持ちになり、
拒絶反応になったのだ。
「まったく、役に立たない子だ。退きなさい、私が直接やります」
徒具呂は正面に立ちはだかる雨豆裸を力づくで押しやり、実芦の手を握った。
それはその直後に起こった。
徒具呂は一瞬痙攣をしたような動きを見せたかと思うと、
そのままその場に立ち尽くし硬直してしまったのだ。
その瞳は焦点を失い、遥か彼方を見ている。
まるで魂が抜け出てしまった肉体がそこに残ってしまったかのように。
そして実芦の表情は険しいものになり、
目は大きく開かれその瞳は強くすべてを見通すように徒具呂を見据えていた。
徒具呂は落ちていた。深く静かな水の中を果てしなく。
そこには時間の流れも深い呼吸の音も存在しない。
それは、暗い記憶の海の中を深く深く降りていくかの様だった。
やがて何処からともなく明かりが差し込んで、
周りが見えてくると同時に、ぼんやりと人影のようなものが徒具呂の目の前に現れた。
そしてはっきり見えてきたのは、明るい部屋の中で楽しそうに話し合う男女の姿だ。
一人が振り向きながら声をかけてきた。にこやかに話しながら抱き上げられた。
徒具呂は少年になっていた。
身体を軽く揺する様にあやし、もう一人がほほを指でつつきながら同じように話しかけてくる。
古い記憶の断片は、自らの両親の記憶であることを徒具呂は感じていた。
とても満ち足りていた。なにも怖くはない。希望と愛が彼らを包み込んでいた。
永遠に存在している。と思われたとき、
光の渦が両親を包みさらに明るく輝きだすと深い闇の手がその光ごと両親を引き裂いた。
大きな悲鳴の様な音が渦巻き、あちこちから発せられた悲鳴が甲高く共鳴していた。
暗い闇の中で徒具呂は泣き叫んでいた。もう二度と取り戻せない時の中で。
雨豆裸は立ち尽くしていた。徒具呂の様子がおかしい。
実芦に触れた途端、言葉が途切れ遠くを見つめたまま硬直している。
ほんの数秒だったが、何か時間が止まっていたかのような感覚になっていた。
その緊張が徒具呂の深い呼吸の後、消えた。
徒具呂はその場にしゃがみ込んでしまった。
そして頭を抱えながら自分の記憶と戦っているようだ。
実芦は寝台に座ったまま静かに目を閉じていた。
徒具呂が叫ぶ
「みんな、出て行ってくれ。今すぐ」
雨豆裸はその言葉に即座に反応し、実芦に声を掛けて意識を確認した。
「実芦、大丈夫?」
「え、ええ。平気」
実芦はすでに徒具呂が触れる前に戻っていた。
それを確認すると、雨豆裸は実芦を抱きかかえるように寝台から降ろし、
靴を履くように言った。
そして実芦の鞄をすばやく取り上げて入ってきた壁の方に二人で向かった。
壁は雨豆裸が近づくと消えて、フロアへの出口になる。
二人はそこをフロアに向かって出て行った。そして出口は壁に戻った。
徒具呂はじっとしゃがんだままで、今の出来事を理解しようとしていた。
両親はあの時どうしていたのかと。
記憶の糸を遥かな過去より辿ってみるが、何に結び着くのかまったく解らずに居た。
中林はグレーのセダンの足取りを追って、ある町の大規模駐車場に来ていた。
周辺にはアパートや宿泊施設が多数あり、この界隈に宿泊しているものは、
まずこの駐車場を利用するはずだ。
そう踏んだ中林は持ち前の勘でここに来たのだ。
駐車場内の空車スペースに車を止めてしばらく車両を観察してみることにした。
調べると何台か特徴に当てはまる車があったが、
その中でほとんど車内が確認できないスモークフィルムを張られた車両があった。
その車をしばらく“張る”ことにした。
何人か駐車場に出入りする人影があり車も何台か出入りがあったが、
その車の持ち主らしき人物はいまだ現れない。
まあ、張り込みなんてものはじっくり構えていかないと意味がないからなあ、
などと自分を励ましながら、さめた缶コーヒーの残りをすすった。
座席を倒し背筋を伸ばしてストレッチを始めてみるが、
そのとき駐車場を取り囲む道路の向こう側から人影が急ぎ足でやってきた。
青い作業着の上下に長髪、そして同じ青いキャップ帽。
その表情は帽子で見えないが、かなり身体はがっしりしている。
中林は座席を元に戻しいつでも車を出せるように身構えると、
その男は中林が目を付けた車に乗り込み、エンジンを掛けた。
「よし!待ってました」
中林はささやいた。
即座にグレーのセダンは走り出したので中林も付かず離れずその後を追った。
しばらく走ると、高層ビルの立ち並ぶ場所に着き、
そして路地を曲がるとビルの地下駐車場に入っていった。
中林はビルの駐車場入り口を確認すると自分は近くの民間駐車場に車を乗り入れ、
歩いて再度グレーのセダンの入った駐車場に戻ってきた。
しばらく様子を伺い中に入って見ると、
そこはビルの床面積いっぱいのフロアが何層にもなっているかなり深い駐車場であった。
一階一階フロアを確認してグレーのセダンが止まっていないか確認して回るが、
目的の車は見当たらないし、結局そのまま最下階まで来てしまった。
何かおかしい。
「車が消える訳がないだろう」
中林はつぶやいた。
今まで見たフロアではエレベーターと階段室への出入り口があるだけで、
車両が出入りできるのは入ってきた通路だけのはずだ。
しかも最下階は以上に狭く、車は一台も止まっていない。
一番奥まで来て中林は床のタイヤの跡に気づいた。
頻繁に車の出入りした後がはっきり解るのだが、
タイヤ痕は行き止まりの壁に向かっていて前で止まった形跡もないし、
まるで壁に吸い込まれたように壁に当たって消えている。
何度も壁を叩いてみたり、
継ぎ目がないか確認したがこの建物を覆っている壁と何ら変わりがない。
むしろほかの壁よりもしっかりしている感じで、
しばらく壁を触りながら見落としがないかじっくり調べていると、かすかに振動を感じた。
その瞬間壁の向こうからエンジン音が近づいてきている。
「やばい!」
中林は、壁から離れると柱の影に身を潜めた。
その直後ヘッドライトが壁の中から現れた、
というより車が飛び出してくる瞬間壁が消えたのだ。
車が一台通れる大きさに開き、
黒のセダンがすばやくフロアを通りぬけて出口に向かっていった。
振り向いて見るとその通路はまた壁に戻っていた。
いそいで壁に体当たりをしたが、むなしくはじき返された。
「あぅ、いってえ、あちちち、くそ!」
痛む肩を押さえながら思わず叫んでいた。
何も考えずに壁に向って体当たりをするとは。
後から考えるとばかな事をしてるとつくづく自分が情けなくなった。
自分が理解できないことは根性で何とかなるんじゃないか、
などと学生の運動部気分がまだ抜けずにいることを含めて、
もう年なんだから考え直せ、と言い聞かせた。
これは理系の人間でないと理解できそうもない現象だな。
そうだ、あいつらならこの壁のことがわかるかも知れない。
中林は携帯を取り出した。しかし圏外だ。これじゃ仕方ない。
フロアを出口に向かい登り始めて、
やっと通話状態になったのはビルの外に出たときだった。
「やあ、おれだよ、中林だ。今いいかな」
「あ、先輩。いいですよ、ちょうど外回りから戻ったところです」
通話の相手は御手洗だ、相変わらず、中林に対して明るい態度だ。
「わるいなあ、ちょっと調べてもらいたいことがあるんで、頼むよ」
「はい、なにか?」
「確か、お前の同期に科学課に行った奴がいたな。あいつ今どうしてる?」
「俊、結城俊ですか。
今は総合科学庁に移ってなにか研究していますよ。
たまに会って話を聞くのですが、俺にはちんぷんかんぷんで、
まいっちゃいますよ、でその俊がなにか役に立つんですか?」
「おお、そうそう、そういう奴がほしかったんだ。
今まさに捜査の行き止まりでなあ、はははは、」
中林はあの壁と行き止まりを掛けた自分を思わず笑ってしまった。
「なんすかそれって、先輩大丈夫ですか?」
「な、なに言ってやがる。これはマジ!マジなんだよ。」
「わ、解りましたよ。で、どこで打ち合わせします」
「そうだな、あの店知ってるか、ショッピングモールのセンター街の海洋って店」
「はい、大体解ります」
「で、そこに今夜でどうだい」
「了解です。俊はきっちり定時で上がれるいいご身分だから、大丈夫でしょう」
皮肉たっぷりに御手洗は言った。
「じゃ、宜しく」
よし、あとは若い奴らの知恵を借りて実行あるのみ、と中林は鼻息を荒くした。
そして携帯を背広の胸ポケットにしまうと自分の車のところまでもどり、
素早く運転席に乗り込むと、その店の方角に車を走らせた。