二部
3、徒具呂
時間は、少し前にもどる。
サングラス男が警察の監視から服をはぎとり、病院から逃げ出した頃である。
その直後、病院の非常階段を同じように降りて来る男がいた。
コーヒー店でサングラスの男とひと騒動を起こした、キャップ帽である。
サングラス男が収容されている病院を着きとめ、その中の監視されている部屋に、
たどり着いたものの直前で逃げられてしまった。
病院を出ると、グレーのワンボックスカーが駐車している場所に戻り、
胸ポケットから携帯を取り出し、ある場所に連絡を始めた。
二言三言話した後、携帯を切り再び胸ポケットにしまうと、車のエンジンをかけ、
すばやくハンドルを切り返し広い通りに飛び出していった。
道は空いていた。すべては何の問題なくうまく行っていた。
少なくとも今までは。
何が悪かったのか、きっかけは何なのか、今日一日を思い出し、これまでのことを振り返ってみる。
きっかけは、あの事だろうか。
このグループに入ってずっと一緒に仕事をしてきた相棒が、突然自分の目的があるので、やめたいと。
何を言い出すのかと理解できなかった。
グループでの仕事は、金銭的にも待遇も問題はないと思っていた。
ただ、人に胸を張って誇れるような組織ではなかったので、
中には手が汚れるようなきわどいこともやらされて、やばいこともあった。
けれどもすべてはグループの力でうまく処理していてくれた。
このグループに入るまでは、およそ世間一般といわれるものに馴染めず、
ことごとく周りの者達と問題を起こしてきた自分であった。
普通に一人の自分ならば、とっくに警察の世話になり、今頃は一生刑務所の中か、
どこかでトラブルに巻き込まれ野たれ死んでいたかもしれない。
そんな者にこうして生きていけるチャンスを与えてくれたのがグループGだった。
そう感じていたのは、相棒も同じとばかり思っていた。
しかし、実際は違っていたのだ。あいつは最初から目的があってグループに入ったらしい。
そのことは、今日あのコーヒー店で聞かされた。
そしてグループの危険な立場も具体的に話していたがキャップ帽にしてみれば、
その事はどうでもよかったし、理解もしたくなかった。
ただ、自分達を必要としているグループを最初から裏切るような真似をしてきて、
挙句に批判めいたことを聞かされたのが許せなかった。
内から湧き出る怒りに任せて、裏切り者に制裁を加えようとしたが、
あとで考えると今ここにいるのが不思議なくらいだった。
何しろ勢いでさらに警官を二人も、のしてしまったのだから。
きっと今頃は指名手配されていることだろう。
まあ、いい。やってしまった事はいまさらどうしようもない。
それより奴が持っていた封筒をボスに渡せば、事情を理解してくれて、
すべてはグループが後処理をしてくれるだろう。
やがて車は、大通りを渡り正面の巨大なビルの地下駐車場の中へ吸い込まれるように入った。
何度もハンドルを切り返しながら、地下深くへ潜ってゆく。
そして行き止まりに達したとき、車は止まることもせずにそのまま正面の壁めがけて突っ込む。
その瞬間、コンクリートの壁とおもわれた部分が消えた。
まさしく、空洞ができたのだ。
そのまま、グレーのワンボックスは中に入ると、空洞は一瞬にして壁に変わってしまった。
もとの行き止まりに姿を変えた。
ワンボックスカーが入った中は、グループGの部外者には決して入れないフロアだった。
キャップ帽は車から降りて、奥のスペースに移動した。
そこは黒い壁に覆われて、床と天井が発光している異様な空間であった。
スペースは奥行きがかなりあるが、奥に行くほど蛇の身体の様に曲がりくねっている為、
入り口からは奥はまったく見えない構造になっていた。
中間地点まで行くと、無限と平田がいた。
「すいません、ただいま戻りました」
キャップ帽は二人に深々と頭を下げると指示をまった。
「よし、奥へ行きな、ボスがおまちだぜ」
にやけながら体格のいい無限が顎で奥を指した。
中肉中背の平田はその場にしゃがみながら、身じろぎもせずにキャップ帽を見ていた。
この二人はいつも一緒に行動する。
グループGは常に二人以上で行動するのが決まりになっている。
これは、どんな仕事も確実にこなす為のシステムだ。一人が手一杯になった場合、
対応不可の状態を避けられるし、
とっさの状況判断についても選択の幅が利きよりよい結果をもたらすと思われるからだ。
キャップ帽はこの二人には別に話すこともないので、そのまま通過した。
そして、一番奥のフロアを目指した。
そこは巨大なモニターが設置され、その正面に一段高くなった赤い長方形の台が横長に置いてある。
さらにその前にはソフトクッションのようなものが置かれ、そこに軽く腰を下ろした少女がいた。
赤い台にクッションごと背中を預けた格好で入り口方向を見ているような姿勢だ。
「お帰り、それであんたが言っていた物は見つかったの?」
少女が自分の爪の手入れをしながら、上目使いでキャップ帽をゆっくり見上げた。
高校生ぐらいだろうか、化粧はしているがあどけなさまでは隠しきれていない。
茶色いカールがかった長髪が肩にかかり、シャープなあごのラインと大きな目は、
その顔の小ささを強調していた。
「ええ、まあ 手には入れてきましたが。」
罰が悪そうに、視線をそらしながらキャップ帽は話し始めた。
「それで、奴には逃げられてしまいました。いま、別ルートで行き先を追ってはいますが」
話し終わると、少女をゆっくりと見た。
「それは、連絡で解っていたわ、それよりなんであんたが相棒と争う事になったのか、
そこが納得できないわ」
少女は腑に落ちない様子でキャップ帽に話すと、
爪の手入れを終え退屈そうにクッションに寝そべってひじを着いた。
反対側の腕はまっすぐ身体に乗せて、手には爪やすりを持ったままだ
「奴は、俺たちを裏切っていたのです。それを見逃すわけにはいかなかったから…」
「殴りかかったと言うの!」
少女がブーツで激しく床を蹴り、キャップ帽の語尾を奪い言い放った。
そして身体を起こすと後ろの真っ赤な台から飲み物の空き瓶を手に取り、
すばやくキャップ帽のすぐ脇の壁に投げつけた。
キャップ帽は反射的に上体を斜めに反らせて避けると、瓶が飛んでいった壁の方を見た。
瓶は壁に当たると、割れずに音を響かせながら床を転がりやがて止まった。
それと同時に少女が鋭い視線をキャップ帽に向けて言った。
「相棒をどうするかは、こっちが決めるって!なんであんたが勝手に判断するのよ!
まったく何も解ってないよ。少ない人数で仕事をしているのに、
そいつの代わりを探さなきゃならないじゃない。
余計な事をさせないでよ。そして、連絡の仕方もおかしいよ。
もっと細かく連絡して。そうしたらいろいろ教えてやれるのに。
このグループに無駄な人間はいないんだし、一度メンバーになったら、
みんな必要なんじゃないの。解ってるでしょ。特にあんたは。
私が最初にメンバーとしてリーダーに押したんだし、
危ないことを頼んだ後もそれなりに助けてきてやったんじゃない。
なんでなの? グループの決まりごともいままで何度も話をしたよね?」
一気に溜まっていた物をを吐き出すように喋る。
「もう、ほんとがっかりしたよ」
言い終わると、少女は後ろを向き一息入れた。肩が怒りと失望であえいでいた。
「すいません、でも俺はグループの為をおもって、」
少女の後ろを追いかけるように近づきキャップ帽は言った。
「なに?まだ言うの!」
少女はクッションの側に置いてあった革のバッグつかむと、振り向きざまにキャップ帽に詰めより、
そのバッグを振り上げてその顔面に叩き付けようとした。
しかしその瞬間、細い腕は動きを止められた。
少女は腕をつかまれて思わず振り向くと、いつから居たのか後ろにはスーツ姿の男が立っていた。
「あっ、徒具呂」
男はこの組織グループGのリーダーである徒具呂だ。。
少女が腕の力を抜くと、男は自らの手も離した。
「まあ待ちなさい、雨豆裸。あれだけ言えば満足でしょう。
この人が大事ならもっと冷静に対処したほうがいいですね。
それにそんな怖い顔をしていては、せっかくのかわいさも台無しです。」
ぶたれる覚悟をしていたキャップ帽は、呆気に取られた顔をしていたが、
素早く一歩後退すると頭を下げて挨拶をした。
「リーダー、いま戻りました」
スーツ姿の男は軽く頷くと、真っ赤な台に近づきモニターに向かって二人に背を向けて腰を下ろした。
見た目は20代後半、細身で髪の毛は肩までの長髪。
サングラスを掛けいつもタイトなスーツを着ている。
「持ってきたものを見せて下さい」
徒具呂が背中をむけたまま、左手を後ろに伸ばし、指を鳴らした。
キャップ帽はすばやく前へ進み、
徒具呂の差し出した手のひらにサングラスの男から奪い取った封筒を差し出した。
徒具呂はその封筒を受け取り外観を一通り確認すると、
中から一枚の折りたたまれた白い紙を取り出し、すぐに広げて書かれている文字を読んだ。
「これはなんですか、冗談のつもりですか」
意外な問いかけに、キャップ帽は答えに詰まった。
徒具呂はその封筒から取り出した白い紙を、側でふてくされている雨豆裸に、
確認させるように差し出した。
雨豆裸は紙の端を指でつまむ様に取ると、ひと目見て笑い出した。
「何、これ。冗談のつもり? もし、真面目にこれを持って来たのなら、とんでもないよ」
紙を持った手を高くかざし、その紙をキャップ帽に見えるようにひらひらさせて、
取れるものならとってみな、と言わんばかりにキャップ帽の周りを歩きまわった。
キャップ帽はそんな雨豆裸の振る舞いに苛立ち、思わず手を差し出した。
その手にすばやく紙をのせて、雨豆裸はさっと徒具呂の横に退いた。
「こっ、これは、病院の薬局のレシートだ。
解熱剤、ビタミン剤?何だ、いったいどうなっているんだ!」
紙の内容を見たキャップ帽は、そんなはずはない、絶対おかしい、
と言った素振りで紙と徒具呂の方を交互に何度も見ていた。
徒具呂はゆっくりと振り返ると、腕を組みながらキャップ帽に近づき静かに言った。
「なぜ、中身を確認もせずに持ってきたのですか」
深く、言いくるめるように問いただした。
それは、小さな子供に当たり前のことを諭すような口調でもあった。
その言葉に、悔しさを押し殺すように、唇をゆがめて立ち尽くすキャップ帽は、
「たしかにあいつは、ここに持っている、と言って上着の胸を叩いていたんです。」
とは言ったものの言い訳にしかならないこの状態をなんとか取り繕うとした。
キャップ帽はコーヒー店のことを思い出していた。
席に着いてグループを抜ける話を始めた奴に、なにか根拠があるのか、と問いただしたときに迷わず、
「それはここに持っている、今ここにある。ただ今すぐには見せられない」
と、奴は言ったのだ。
これは、なにか暗号でもあるのか、それともほかの場所に持っていたのか。
いや、まてよ。あいつ、いつも胸ポケットとズボンの後ろポケットに手をいれて、カードとか、
紙幣を出し入れしていた。
倒れていた時に奴のズボンまではあの短い時間では探せなかったし、思いもつかなかった。
きっとそうだ。キャップ帽はやるべきことはわかったと決意した。
奴を探すのだ。いや探し出し必ずここにつれてこなければ、俺の立場がなくなってしまう。
「すいません、リーダー!もう一度俺に奴を探させてください。今すぐ行動します」
キャップ帽は徒具呂に向かい深く頭を下げ、必死の形相で頼み込んだ。
その額は汗で濡れていた。
徒具呂は少し考えるように片手を顎にあて、しばらくそのままでいた。
すると考えがまとまったのか、その手を下げ、ゆっくり口を開いた。
「いいでしょう、今、奴に外をうろつかれても困ります。計画は着実にうまくいっているし、
そして、完成しつつある。
そんな時期に裏切り行為をした者をこのままふらつかせておく訳には行かないでしょう。
もう一度、機会をあげましょう。
ただし、この雨豆裸とそこの二人をバックアップに連れて行きなさい。
絶対に奴とその身につけた情報を手に入れてくるのです」
徒具呂が近づきながら、キャップ帽に言いつける
「そして今の車にはしばらく乗らないように。もう手配が回っているはずですからね。
違う車で出かけてください」
付け加えるように徒具呂が話し終えると、雨豆裸と無限、平田に顎で合図した。
雨豆裸はキャップ帽に近づいて、ため息をついた。
「あんた、今度は最後だよ。もう二度と失敗はできないと思ってね」
その顔を覗き込むようにしながら言い終わると、
すぐに徒具呂に向き直り足元にあったバッグを取り上げた。
肩に背負うようにして一呼吸してから、もう一度向き直り出口側に居る二人に声をかけた。
「無限、平田、さあ出発だよ。車を用意して」
その呼びかけに答えるように、二人は軽く返事をしてすぐ外に出ていった。
さらにその後を急ぎ足でキャップ帽が追いかけて行く。
雨豆裸はゆっくりと確実な足取りで、徒具呂に軽く目配せをしながら頷き、
指を鳴らすと軽く口笛を吹きながら出口に消えていった。
日が昇り始め、街は白々と姿を現し始めた。
まだ静かな路上をゆっくりと走る2台の車がいた。
一台は、グレーのセダン、そしてもう一台は、
その後を突かず離れず一定の間隔を守りながら走る黒いセダンだ。
グレーのセダンには、キャップ帽が運転席に座り、あたりを見渡しながら運転している。
その横で助手席に座りひざの上にはノートパソコンでなにやら検索している雨豆裸がいた。
いい結果が出そうもないと確認すると、キャップ帽に視線を向け話しかけた。
「なにか、ほかに情報はないの。あいつどこに隠れてるの。
どこにも足跡が見つからないし飲食店、カフェ、ビジネスホテル、
そのほか隠れられそうな場所でもグループの情報検索にまったくかからないし。
いままでの行動範囲で心当たりはすべて回ったのに。ねえ、そうだよね」
「まったくです。今まで奴が回りそうなところは、すべて確認しましたし、
外部から当たれるところは検索範囲ですべてのはずですが」
キャップ帽が必死に周りを見ながら答えた。
そしてハンドルをその両手で強くたたきつけた。
「きっと何もない場所でじっと隠れているのかも知れません。
そうなってくると奴が動き出すまでこっちからは手が出せません」
キャップ帽は軽く雨豆裸に視線をむけて指示を仰ぐように言った。
「仕方ない。今日のところはおとなしく引き下がるしかないか。しかしむかつく。
そんなに必死に守るものならなおさら奪いたくなってきた。
いまに見てなよ、絶対につかまえてやる。」
ノートパソコンをダッシュボードにしまうと、携帯をだして話し出した。
「平田、今日はお開き!戻るよ」
後ろの車から、ヘッドライトの点滅をサイドミラーで確認すると、
キャップ帽にGのフロアに戻るように言った。