第三章 選別
朝は、思ったよりも早く来た。
眠ったのか、気を失っていただけなのか分からないまま目を開けると、浜は白く、冷たく、昨日と同じ顔で広がっていた。
生きている。
それだけで、十分だった。
昨日、倒れていた男の姿はもうない。
波がさらったのか、誰かが引きずったのか、それとも最初から幻だったのか。
考える意味はないと、自分に言い聞かせる。
腹の奥が鈍く軋む。
空腹というより、体が資源を削り始めた音だ。
浜にいても狙われる。
なら、森に入るしかない。
そう決めて、俺は森の縁へと足を踏み入れた。
湿った空気が肺にまとわりつく。
腐敗と、生の匂いが、混ざり合っている。
昨日まで人だったものと、今も人であるものの匂いだ。
枝が鳴った。
振り向く。
誰もいない。
だが、見られている感覚は消えない。
そのとき、遠くで走る音がした。
速い。
複数だ。
「こっちだ!」
「まだ近くにいる!」
声が近づく。
次の瞬間、森の奥から小さな影が飛び出してきた。
子どもだった。
十歳前後。
裸。
痩せ細り、肋骨が浮いている。
必死に走ってくる。
後ろには三人の男。
一人は体格がいい。肩幅が広く、腕は太く、昨日まで食えていた体だと分かる。
残りの二人は痩せているが、動きは鋭い。
子どもが俺を見る。
目が合う。
怯え。涙。震える口元。
「助けて」
声は小さいが、はっきり聞こえた。
一瞬、躊躇する。
隠れれば、俺も見つかる。
突き飛ばせば、時間は稼げる。
昨夜の男の声が脳裏をかすめる。
――信じるな。
だが、判断が遅れた。
子どもが俺の腕にしがみつく。
軽い。
骨の硬さが直に伝わる。
その瞬間、背後から衝撃が来た。
痩せた男が膝裏を払う。
横からもう一人が体当たりする。
視界が傾き、背中から地面に叩きつけられる。
石が手から転がる。
痩せた男の一人が俺の右腕を押さえ込み、もう一人が左腕を地面に縫い止める。
体格のいい男が胸を踏みつけた。
重い。
肺が潰れ、呼吸が浅くなる。
子どもは一歩下がり、体格のいい男の背後に立つ。
泣いていない。
全部で四人。
配置は見えた。
「引っかかったな」
体格のいい男が笑う。
子どもの目からは、さっきまでの怯えが消えている。
囮。
理解が遅れる。
「初日だな」
顎を掴まれ、顔を上げさせられる。
俺は力を抜いた。
抵抗をやめる。
体格のいい男が勝ち誇る。
「諦めたか?」
違う。
石は右。
痩せた男のかかとの横。
三十センチ。
体格のいい男は俺の顔しか見ていない。
足元が空く。
ほんの一瞬。
俺は右腕を沈め、押さえつけている男の重心をずらす。
次の瞬間、砂を掴んでその男の目に投げつけた。
叫び声。
胸の重みが浮く。
転がりながら石を掴み、地面に体を預けたまま下から振り抜く。
石が体格のいい男の頬骨に当たる。
骨が歪む感触が腕を伝う。
男がよろめき、喉が露出する。
喉元に肘を叩き込む。
息が詰まる音。
形勢は一瞬で傾いた。
痩せた男の膝裏に体当たりをかけ、倒す。
石を握り直す。
肩へ振り下ろす。
悲鳴。
完全に、俺が上だった。
だが――
森の奥から、足音が重なった。
乾いた枝を踏み砕く音が、左右から、後ろから、次々に混ざっていく。
囲まれている。
理解が遅れた。
背後から腕が回る。
首が締まる。
肘を打ち込もうとした瞬間、横から膝が入った。
息が抜け、体の芯が崩れる。
石が指から滑り落ちる。
地面に押さえつけられ、視界の端に新しい顔が増えていく。
知らない男が三人。
いや、四人。
最初の四人と合わせて、八人。
数が違う。
最初に殴った体格のいい男が、血を吐きながら立ち上がる。
口元を拭い、歯を見せて笑う。
「悪くねぇ」
その言葉と同時に、肋骨へ蹴りが入った。
呼吸が、途中で折れる。
俺は押さえつけられたまま、空を見る。
異様に、青い。
その青さだけが、この場に似つかわしくない。
子どもが前に出る。
小さな手で石を持つ。
体格のいい男が顎をしゃくる。
「やれ」
子どもに躊躇はない。
石が、ゆっくりと持ち上がる。
ここでは、強い者が生きるわけじゃない。
殺す側に選ばれた者が、生きる。
石が振り下ろされた。
鈍い音がした。




