第九話 できたよ
09
頭が痛いし体が重い。
完全に寝不足だった。
結局眠りにつけたのは夜空の星が薄くなり始めたころで、それまで悶々とベッドのなかで眠気を待ち続ける無為な時間をすごすことになってしまった。
ようやく眠りにつけたと思っても睡眠は浅く、また、すぐに覚醒を繰り返してしまったせいで正直全く眠った気はしない。
窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。眠れない間は早く朝がこればいいのにとじれったく思っていたが、朝になってみると小鳥たちの声も、窓の外から伝わってくる早朝の冷気も疎ましく思ってしまうのだから勝手なものだ。
「そろそろ起きるか……」
朝の毛布の恋しさほど手放しがたいものはない。特に寝不足の場合はいつもの三割増しで。
せめてもの抵抗で毛布を体に巻きつけたまま体を起こす。そして、重い頭を振って入口に視線を向けると。
「……ひぃ!」
部屋のドアの前で猫足の椅子を跨ぐようにして座り、背もたれに顎を引っかけてこちらを見つめるヴェルデーナと視線がぶつかった。
「な、ひい……」
乾いて張り付く喉は間抜けな空気の抜ける音を鳴らす。驚きから言葉も出ないライカをよそに、ヴェルデーナは昨日よりも濃くなった隈の浮かんだ顔でじっとライカを見つめている。
一瞬、昨晩の光景が脳裏によぎる。翡翠の瞳に植物の蔦のような痣。
今のヴェルデーナにそれらの異変は見当たらない。
「ヴェルデーナさん……おはようございます?」
尋ねるような言い方になってしまったのは、およそ生き物らしい反応を見せないヴェルデーナが目を開けたまま眠っているのかという疑いがあったからだったが、しばしの沈黙の後に、
「できたよ」
と、少し枯れ気味の声が返ってきた。
「ご注文の品。サイフォニック印の最高級品だ」
そう言ってヴェルデーナは胸の谷間から薬袋を取り出した。
◇◇◇
もともと荷物などほとんどないような旅だった。荷造りはするまでもなく、顔を洗って簡単に服装を整えるだけで身支度は終わってしまった。
一階に下りると、居間からヴェルデーナがカップの中身を啜りながら出てきた。香りからしてレモングラスのハーブティーだろうか。
「ヴェルデーナさん、本当にありがとうございました」
「朝食くらい食べてからでもいいだろうに」
「いえ。少しでも早く母に薬を届けてあげたいし、それに心配もしていると思うんで」
ダレン村からフォルゲンスタリアまでは、徒歩でほぼ一日かかるくらいの距離だ。
今から町を出ても日が暮れるまでには村には着けないだろう。夜道を歩くのは自殺行為なので、行きと同じく途中の教会で一泊する必要がある。教会までは余裕を持って夕方前には着けるはずなので、ヴェルデーナの言う通り朝食を食べるくらいの時間はある。
しかし、それでもライカは一刻も早く帰りたかった。途中で一泊しなければならなかったとしても、早めに休んで早朝に教会を経てばそれだけ薬を届けるまでの時間を短くできる。故郷を発ってから想定よりも多くの時間を消費してしまったし、その間に母親の病状が悪化している可能性もある。それにきっと帰りの遅い息子を心配しているだろう。それを考えると居ても立っても居られないのだ。
「忙しない奴だな」
「すみません。朝からバタバタと」
「別にいいよ。私はこれからゆっくりと寝るからさ」
「色々お世話になりました」
「いや、こっちこそ助かったよ。君が頑張ってくれたから想定よりも薬草が多く集まってね。だから本来は五日分の約束だったが、二日分おまけした」
「え……いいんですか?」
「構わないよ。それだけの働きを君はみせてくれたんだから。それと──」
ヴェルデーナは一旦居間に戻り少ない食器を入れてある戸棚を開いて奥に手を差し込むと、しばらくごそごそとしてから不意にライカに向かってなにかを投げつけた。
「これは……?」
投げ渡されたのは綺麗な朱色の袋で口の部分には花の刺繍がされた逸品だった。ライカはこういったものの良し悪しはわからないが、使われている布の手触りやシンプルながら一部の乱れもない刺繍の丁寧さから、職人の腕のよさは十分に伝わってくる。
「君にやる。ほら、開いてみろ」
ライカは言われた通りに袋の口を開く。なかにはラロリンカ銀貨が三枚入っていた。
「な……なんですか、これ」
袋だけでもそれなりの価値がありそうなのに、中身を見て更にライカは目を白黒させてしまう。
「それは君の労働の対価だ。言っただろう、想定よりも多く薬草が集まったって。それに途中から別の薬草も採取してもらったし、おかげでしばらくは外に出なくてもすみそうだしね。そういった諸々のことを含めた報酬だよ」
「でも、こんな大金受け取れませんよ! ヴェルデーナさんに無理を聞いてもらったのは俺の方ですし、それに一日働いただけでこんな大金……」
土地や雇い主で相場は変わるが、昨日のような仕事の場合は一日働いてもジトラ銅貨一枚半から二枚がいいところだろう。ラリロンカ銀貨三枚を受けとるような仕事とは到底言えない。
「労働にはそれ相応の対価が発生しなければならない。もし私一人であの量の薬草を集めるとなれば、一日では不可能だ。出不精の私に採取に行く理由を作ってくれて、おんぶも採取もしてくれた。君とすごした一日と少しの時間は……私にとっても久しぶりに楽しいものになった。すると君の働きに対する対価はこれくらいになるんだよ。それに──」
ヴェルデーナは口元を抑えて視線を泳がせた。なにかを言おうと口を動かして躊躇って、それから──。
「人と生活したのは久しぶりだったから……嬉しかったんだよ。自分一人だけの家っていうのは物寂しいものだから」
か細い声で囁くように言った。
「かあー! こっぱずかしいことを言っちまったな。ほら、急いでるんだろ。早く行け!」
白い頬を染めて犬を追っ払うかのように手を振るヴェルデーナはそっぽを向いて目を合わせようとしない。
照れ隠しならもう少し上手くやる方法があるだろう。そんなことを思いつつも、ヴェルデーナの厚意に胸が熱くなる。
「……本当に、なにからなにまでありがとう、ございました」
ライカは深く頭を下げた。
声が震えてしまったのも、視界が滲むのもきっと寝不足のせいだ。そうに決まっている。
「もう物騒な奴には捕まるなよ」
ふと、頭に暖かいものが触れる感触があった。それがヴェルデーナの手だということに気がつくと、とうとう声だけでなく体まで震えてきた。
「元気でな」
ヴェルデーナの優しい声は、全てを優しく包み込む慈愛に満ちていた。
◇◇◇
「ヴェルデーナ・サイフォニックさん、か」
フォルゲンスタリアからの帰り道、ライカはこの数日間のことを思い出していた。
前評判は最悪の一言。そして第一印象も同じく。
ただ、それからのヴェルデーナはおよそ悪い人間には見えなかった。
なんと表現していいか迷ってしまうが、世捨て人のように見せかけてその実はどちらにつくこともなく、彷徨っているような人だった。
悪く言えば中途半端、よく言えばなにものにも捕らわれていないと言えるかもしれない。
父親は魔術を行使するヴェルデーナを魔女のようだったと言っていた。しかし、世間一般で言う魔女とは、破壊の権化で慈悲などなく、殺戮と奔放な性に従順な存在だと言われている。
ヴェルデーナがそうであったかと問われればライカははっきりと否定できる。
ヴェルデーナ・サイフォニックという女性は、だらしないところがありつつも、心根の優しい女性だ。
確かに魔術は使うのだろう。しかし、それは魔女のような醜悪な欲求を満たすためのものではなく、困り果てた人を救うための魔術なのだ。
昨晩ヴェルデーナの変わり果てた姿を見たような気がして恐怖を感じていた。しかし、よく考えてみればそれがなんだというのだろう。確かにヴェルデーナの姿に気味の悪さを覚えて逃げ出しはしたが、別になにか危害を加えられたわけでもなし、むしろ恐縮してしまうほどによくしてもらったではないか。
きっと受け取った薬には魔術の力が働いている。その証拠となる光景を目の当たりにしているのだし、間違いないはずだ。
帰って母親に薬を飲ませたら、ヴェルデーナは魔女みたいなんかじゃなかったと父親に言ってやろう。
ヴェルデーナは人に寄り添える心の綺麗な人だったと。
全てが落ち着いたら、お礼になにか送ろう。どんなものが好みだろうか。身を着飾るものは……ないな。それではまるで恋人に贈り物をするみたいだ。
美味しいものでも作ってあげれば喜ぶだろうか。結局滞在期間中は、食事を作る機会はなかった。
それに料理だったら得意なものがある。好みは知らないが、きっと気に入ってくれるはずだ。
そんな少し先の未来に想いを馳せながら帰路につく。
しかし、そう遠くないうちに再びヴェルデーナの元に舞い戻ることになるとは、この時のライカは思いもしていなった。
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