第八話 魔術師の片鱗
08
「……寝れない」
ベッドのなかで何度目かわからない寝返りを打ちながら天井を見上げて零す。体は疲れているはずなのに一向に眠気はやってこない。
理由はもちろん、今も下の階で作業をしているヴェルデーナが気になって仕方がないからだ。
「ああ、もう……」
今のライカの心情を表すとすれば、好奇心が止められない、だろう。
魔術を扱える人はこの近辺では珍しい。大陸中央や東部には魔術師を養成する学院があるために、比較的魔術師は珍しくもないらしい。
魔術師は誰もが憧れる存在だ。ただ、憧れる人が多いということは誰もが魔術師になれるわけではないということで、ライカもなれない側の人間だった。
「……ヴェルデーナさんが居眠りしていないか確かめないといけないかもしれない。それに作業場で寝てたら風邪を引いちゃうかもしれないから、毛布を持って行ってあげないといけないかも」
もごもごと馬鹿みたいな言い訳を口のなかで呟きつつ、そっと床に足を下ろす。一瞬やっぱりやめた方がいいんじゃないかと臆病の虫が顔を出したが、好奇心によって追い払われた。
手に毛布を持って部屋を出る。階段の踏み板は体重をかけると抜けてしまうのではと冷や汗を掻くくらいに軋んだ音を立てるので、慎重にゆっくりと降りていく。
ランプがついていない居間は当然だが真っ暗だった。しかし、耳をすませると小さく音が聞こえる。
それは例えるならなにかをすり潰すような音と低い音を鳴らす楽器のような音だった。
一歩ずつ足音を忍ばせながら台所の隣にある部屋の前まで進む。
部屋のドアは閉じられているが、下の僅かな隙間から光が零れている。
ヴェルデーナの作業は続いているようだ。
ドアの取っ手に手をかけて深呼吸を三回。そして、慎重に瞳の幅分だけドアを開いてなかの様子を伺う。
ヴェルデーナは扉に背を向ける形で作業をしていて、調合用の作業着だろうか、昨日とは違う純白のチェニックを身につけており、腰の部分を細い革のベルトで止めていた。
室内はランプが三つあり、コの字に設置された机に猫足の椅子が一つだけある。作業部屋は人が二人並べば、それで一杯になってしまう程度の広さしかない。
他の薬師がどのような仕事場で働いているかは知らないが、およそ一般的な仕事部屋だと思われる。
しかし、一般的なのは部屋の作りだけで、ヴェルデーナを取り巻く《《それら》》はライカの期待通りのものだった。
ライカは瞬きをすることも忘れて息を呑む。
ヴェルデーナの頭上を昼間採取した薬草の束がふわふわと円を描くように浮遊していた。薬草は一周するごとに瑞々しさを失い急速に乾燥していく。四周もすれば数日乾燥させたものと変わりないものができあがっていく。
次に乾燥しきった薬草を赤い光の玉が包み込み、宙を漂いながらヴェルデーナの手元に消えていく。その先はヴェルデーナで隠れてしまっているので見えないが、体が前後に動いているので恐らく手元には薬研があり、そこで細かく潰されているのだろう。
そして、頭上を回る感想が終った薬草がなくなると次の薬草の束が作業台の上に置かれた籠のなかから、ふわふわと浮き上がり先程と同じ工程が繰り返される。
「すごい……」
魔術だ。
噂でしか聞いたことのなかった本物の魔術が目の前で行われている。
本物の魔術も魔術師も目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
基本的に魔術師は他人に魔術を行使する姿を見せたがらない。それは無用な争いを生まないためでもあるし、そもそもみだりに魔術を扱うことは法律で禁止されているからでもある。
現代において魔術師が力を使う場面があるとすれば、それは戦争などの武力に頼らざるを得ない場合がほとんどで、その力は一人で兵士千人分の力を持つとされてる。
なかでもロウラ・アベンチュリンと呼ばれる魔術師は先の大戦で英雄的な活躍をしたことで有名だった。
その影響か、魔術師は争いをテーマにした小説や舞台で主役に選ばれることが多く、そのほとんどが英雄や救世主として扱われているせいで、人々は魔術師に弱き者のために戦う偶像を見て憧れる。
ライカもそのうちの一人であった。しかし、魔術師になるには素養が必要らしく、生まれたときに翡翠の瞳を持って生まれた人間は魔術師になれるとか、神の啓示を身に受けて生まれた子供は魔術師としての素養が高いと言われており、残念なことにライカはそのどれも当てはまらなかった。だから憧れは憧れのまま、子供のころの懐かしい記憶として昇華されていた。
その憧れが今目の前に現実のものとして存在している。
すごい、すごいぞ。この人なら必ず母さんを救ってくれる。
体の内から湧き上がる歓喜の思いに、ライカはどうしようもなく叫びたくなった。叫んで、叫んで、故郷で待つ両親にもう心配はないんだと伝えたかった。
父さんの言う通りヴェルデーナ・サイフォニックは魔術師で、きっと魔術の力を使って母さんを救ってくれる。
あそこで諦めなくてよかった。全部投げ出さなくてよかった。
辛く悔しい思いはした。しかし、ちゃんと報われる未来はあった。
生きていてよかった。あのとき、命を投げ出さずにいて──。
歓喜に震えるライカは気がつかなかった。緊張と興奮から噴き出した汗がこめかみを伝って顎から床に落ちていくのを。
それは音と呼べるかどうかも怪しいほどの小さなものだった。しかし、二人だけしかいない家のなかで、ヴェルデーナの作業音だけが流れる空間で、確かに一つの異音として空間に響いたのだ。
一心不乱に作業を進めていたヴェルデーナの動きがふと止る。そして──。
気がつくと自身にあてがわれた部屋の扉を乱暴に開けてベッドに飛び込み、そのまま毛布を頭から被って丸まっていた。
「なんだよ、あれ」
口から零れた言葉はしんと静まりかえった室内で、行き場を失くして溶けて消えていく。
体の芯が冷たい。汗が止らず、水を浴びたかのように髪が額や首筋に張り付いて気持ちが悪い。それでもライカは汗も拭わずにただ毛布の隙間から部屋の入口を見つめ続けた。
多分見つかってはいないはずだ。確証はないが、ヴェルデーナがこちらを見る前に扉を閉められたはず。
ヴェルデーナは除かれていたことには気づいていないはず。だからきっと大丈夫。
ライカは何度も自らに言い聞かせるように呟いた。だが、何度繰り返しても心の隙間からこちらを覗く《《もしかしたら》》が拭えない。
「あれはなんだったんだ……」
ヴェルデーナが背後を振り向いた瞬間。ライカが扉を閉めて逃げ出そうとした刹那に見えたもの。
ヘーゼルの瞳が翡翠に染まり、端正な顔に浮かんだ植物の蔦に似た痣が浮かんでいた。
ふと脳裏に父親がその姿は噂に聞く魔女のようだったと言っていたことがよぎった。
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