第七話 久しぶりに仕事に集中できそう
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「それじゃあ夕食は任せるよ。そうだな……口は魚の気分だ」
それだけ言い残してヴェルデーナは速足で自宅へ続く脇道へ消えていった。
少し顔が赤いのは怒っているからか、それとも照れているからか。多分後者だろう。
では、何故照れているのかということだが、それはほんの少し前にあったことが原因だ。
背負ったまま町のなかに入るのはあらぬ噂を立てられてしまいそうだと思い、途中で道を逸れてヴェルデーナを起こしてから町に入ろうとしたのだが、起こすときに微睡んでいるヴェルデーナのお腹が大きな音を鳴らしたのである。
帰路の途中に何度も腹の大合唱を聞いていたライカとしては、また鳴ったな程度にしか思わなかったのだが、本人は違ったらしい。
ヴェルデーナは町から届く薄光でもわかるくらいに顔を真っ赤に染めると「ダバァ!」と訳のわからない声をあげて、手で顔を覆って地面に額を打ちつけ悶絶していた。
初対面で滝ゲロを見ているライカとしては、今更腹の虫くらいでなにを……と冷めた顔をしていたのだが、どうやらヴェルデーナ的には腹の音を聞かれる方が恥ずかしいらしい。
なにがそんなに違うんだと困惑するところではあるが、それを正直に言うと後が面倒そうだったので、置き去りにして町に向かい出すと、とぼとぼと後ろをついてきた。
そして、町に着くなりライカに夕食の買い出しを任せると逃げるように去って行ってしまったという訳だ。
「なんか悪いことしちゃったかな」
結構さっぱりとした性格のヴェルデーナだから、腹の虫程度であれほど動揺するとは思ってなかった。かなり大きな音だったから聞こえなかった振りをするのは、それはそれでわざとらしすぎるかとも思って特になにも言わずにいたのだが、ヴェルデーナ的にはそれが余計に羞恥を煽る結果になってしまったのかもしれない。
とはいえ、それならどんな方法があるのかと考えてもいい案は浮かばない。まさか「腹の虫なってましたよ(笑)」などと言う訳にもいかないし。
「すまないが」
そんなことを延々と考えていると、背後から声をかけられた。振り向いてみると、そこには今朝、ヴェルデーナを死人でも見るような目で見ていた市壁の門番が立ちふさがっていた。
飛び出してきそうなほどに剥かれた目がライカを睨みつける。
「君はここらでは見ない顔だが」
「えっと……はい。俺はダレン村のライカ・シャーリックと言います。ここには母親の薬を貰いにきたんです」
自分よりも頭二つ分高い位置から浴びせられる圧力には敵意が満ちている。
町の住人からよく思われてないヴェルデーナと行動を共にするというのは、それだけ警戒されることなのだ。疑われることには反感を抱くも、彼の行動は門番として間違ってはいない。
「ダレン村から母親の薬を、ね。それは孝行なことだ」
「あ、ありがとうございます」
「して、あの女とはどのような関係だ」
やはりそこが気になるか。
あの女とはもちろんヴェルデーナのことだろう。
「えっと……客と店主、ですかね」
「ほう? ならば何故朝早くから二人で出掛けていたのだ。とてもお主の言うような関係には見えなかったが?」
「えっと……一緒に出掛けたと言っても、途中で別れたんですよ。彼女は薬に使う薬草を採りに行って、俺はローラント川に物見遊山行ったので」
咄嗟に嘘をついたのは理由がある。
町や組合によって違いはあるが、基本的に職人と呼ばれる仕事をしている人は弟子以外に仕事を手伝わせてはいけない決まりがある。
それは弟子を取らずに奴隷などを使って労働力を確保しようとする親方を律する為の制度で、これに違反すると最悪の場合、工房の取り壊しと永久に弟子を取る資格をはく奪されることもある。
薬師も薬を扱う職人に分類されており、この制度は適用される。だから、正確に言えば、ライカが薬草採取を手伝った行為はこの制度に違反している。
ただでさえ立場の悪いヴェルデーナだから、違反が発覚すれば大事にされてしまう可能性があった。
だから嘘をついたのだが、当然門番は訝しんだ顔を更にしかめる。
「物見遊山? ローラント川にか?」
「ええ。あそこは渡し舟があるじゃないですか。俺は船が好きで、それを見たくて」
「それで帰りが一緒になるのか? 朝から日が暮れるまで船を眺めていたとでも?」
「え、ええ。駄目でしょうか」
「駄目ではないが……」
無理筋は主張であることは自覚している。仮にこの門番がローラント川の船頭たちに確認を取れば、そんな人物はいなかったという証言が得られるだろう。そうなればライカの嘘は簡単に瓦解する。
しかし、他にいい手が浮かばなかった以上は嘘をつき通すしかない。
門番の突き刺すような視線を必死の笑みでかわしていると、そのうち諦めたように体を引いた。
「それなら構わん。が、あの女にはあまり関わるなよ」
「は、はあ」
「君のために言っているのだ。下手な噂を立てられたくはあるまい」
門番はそれだけ言うと、渋柿を食べたような顔のまま持ち場に戻って行った。
◇◇◇
「いやー昼間に魚の群れを見たときから魚が食べたいって思ってたんだよね」
皿の上に乗せられた魚の骨を見て満足気に唇についた脂を舐めながらヴェルデーナは言った。
ライカはその様子を見て、ほっと息を吐く。
「ローラント川は餌が豊富で水もいいから魚はよく太るし質もいい。フォルゲンスタリアの名産と言えば一二を争う人気商品なんだよ」
「確かに美味しかったですね」
夕食にはスズキの塩焼きを選んだ。旬にはまだ早いがしっかりと脂が乗っていて、そのまま食べてもよし、パンに挟んで少量のオリーブオイルをかけてハムと香辛料を振って食べるもよし。
手軽に用意でき、かつとても美味しい。ただ、値段が異常に高いのは気になった。交易都市だと普通の魚料理でも高額なのだろうか。
「いつもならこれを酒のあてにしてやるんだが、今日は我慢だ」
「すみません」
「気にしないで。野郎と酒の席を共にすることはあっても、食事の席を誰かと共にするのは久しぶりだった。なんだかいつもより美味く感じたよ」
ヴェルデーナは顔をくしゃりとさせて笑った。
「さてと……腹もいい感じに落ち着いてきたし、私は早速仕事をしようかな」
ざわり、と全身の毛穴が開く感覚があった。
いよいよだ。薬師ヴェルデーナの、いや、魔術師ヴェルデーナを目の当たりにすることができる。
何故ライカの父親はヴェルデーナに頼ることを決めたのか。それはヴェルデーナ本人にも伝えた通り、十年前に助けてもらった腕を見込んでのことだった。
腕のいい薬師なら他にもいる。事実、ライカが地図の記した場所にヴェルデーナが住んでいるのか町の住人に尋ねたときに、他に腕のいい薬師がいると紹介してくれる人もいた。
それでもライカはヴェルデーナを頼ることに微塵も迷いはなかった。それは何故か。
十年前、父親は見てしまったそうだ。
宙を浮かぶ調合に使う器具たち。
ヴェルデーナの周囲を飛び跳ねるように舞う人型のなにか。
そして、白銀の髪がおぼろげに発光し服に遮られていない首筋や手足に植物のような模様を浮かべたヴェルデーナの姿を。
父親はその姿を噂に聞く魔女のようだったと言った。
そんな人から受け取った薬を使うは怖くなかったのかと、ライカは問うた。
大切な人を失う方がよっぽど怖い。その恐怖と比べたら魔女の薬なんて塵ほども怖いなどと思わなかったと父親は快活に笑って答えた。
それに直感的に彼女は信用できると思ったとも言っていた。
ライカには当時の父親の心情まではわからない。ただ、つまらない嘘をつく人じゃない。だから、信じてみようと思った。
「あの、俺になにか手伝えることはありますか?」
自分も魔術を見てみたい、という下心は厳重に心の棚にしまい込んで。
「いいや。特にしてもらいたいことはないよ。今日は随分と頑張ってくれたし、後は休みなさいな」
「でも……」
「それにここからは、ね」
わかるだろう。そう言外にほのめかすヴェルデーナにライカははっとした。
職人の技というのは門外不出。連綿と受け継がれた技と知識は、それこそ金よりも価値がある。だからこそ、弟子はその価値を学ぶために長い期間を師匠の下で暮らし、学び、体得する。そして、今度は自らが弟子をとり、次の世代に受け継がせる。
さまざまな技を使う仕事風景を見せるのは、資産をばらまいて歩くのと同じことだ。
「君の背中で寝たからか、体の調子がいいんだよ。久しぶりに仕事に集中できそう」
そんなことを照れながら言うと、ヴェルデーナは台所横にある部屋に引っ込んでしまった。
仕方がない。こればっかりは無理を言う訳にもいかない。
後ろ髪を引かれる思いを残しつつ、ライカは素直に自室に戻るしかなかった。
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