第三十四話 いつもより豪勢な朝食にしない?
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ウォーヴィスの話に奥さんの話が一切出てこないことを不思議に思わないわけではなかった。ただ、いないということはそういうことなのだろうと、あえて触れずにいた。
「そのことで爺さんはかなり苦しんだと聞いている。それこそ後を追ってしまうのではと周囲が心配するほどに。でも、そうならなかったのはジェシカの母親、つまり娘がいたから。でも、その娘も死んでしまった。ただ、今度はジェシカがいた。だから、また耐えられた」
「そのジェシカさんが……今度は心を病んで……」
「うん。爺さんは絶対に失いたくない愛した者から逃げられてしまう(点々)宿命の下に生まれてしまったんだな。愛する人たちを見送ることしかできない絶望は筆舌に尽くしがたいものがあっただろうさ」
故郷の両親の顔が浮かぶ。ライカが絶対に失いたくない人と想像して真っ先に浮かぶ人の顔。
そういった人たちとの別れを少なくとも二度ウォーヴィスは経験している。そして、三度目の別れが近づいていて、それが一度目の別れと酷似していると理解してしまったとき。
彼は正気を保っていられるのだろうか。
「だから、爺さんにも本当のことは言えなかった。こんな言い方をするとライカは怒るかもしれないが、エラの病疑惑を隠れ蓑に真実から目を遠ざけることができたのは僥倖だったんだよ」
その物言いに苦言を呈したくなる気持ちはあった。しかし、事実として今の状況は全員が一本の綱の上に立っているようなもので、落ちずにいられるのはヴェルデーナの計らいがあったからこそ。
もしかしたら、他の住人もウォーヴィスたちの複雑に込み入った事情に気がついて口を閉ざしているのかもしれない。いや、ヴェルデーナよりも長くこの町で暮らしていて付き合いのある人たちなどたくさんいるだろうから、きっとそうなのだろう。
皆ウォーヴィスたちのために、したくはない選択をしている。
「これからどうすればいいんでしょうか」
「魔術なら、とは聞かないんだな」
言いたくて必死に飲み込んでいた思いを見透かされて、ライカはすぐに返答できなかった。
「魔術ならバゲンズを失う前のジェシカに戻すことは可能だよ」
「そうしないのは……魔術が嫌いだからですか」
「いいや。魔術のそれは創造(点々)になってしまうからだ。魔術は人を癒さない。今の魔術ができることは破壊だけで、見かけ倒しの平和や幸せだ。脇を少し突かれればそれだけで脆くも崩れ去る虚構を積み上げただけのも。仮にそんなもので現状を打開したとしても、遠くない未来に必ず二人は崩壊して現れた現実を目の当たりにし、不幸になる。だから私は魔術でジェシカをどうこうするつもりはない」
それは拒絶のように聞こえて、その実は虚しさを嘆いているようにも聞こえた。
「卑しい欲望のために生まれた術で人は救えない。だから私は人を救うなら薬師として救う。それが……人が自分たちの力で掴む未来に繋がると信じているから」
伏せた瞼からわずかに覗くヘーゼルの光りはランプの明かりを反射して朧月のよう。
蝋燭の明かりを受けてちらちらと煌めく瞳はとても妖艶で、人の視線と欲望を飲み込んでしまいそうな妖光を湛えている。
「これからは……どうだろう。とりあえず私ができることは、今まで通りにジェシカに香草を渡して気持ちを落ち着かせる環境と手段を提供するに留まるかな。でも、状況は次の段階に移っている。もうしばらくすれば怪我から回復した漁師たちも仕事に復帰するだろうからね。ジェシカの職場の造船所は港と隣接してるし、これからは嫌でも接点が増えていくだろう。そうなれば……」
今日のような事が再び起こる可能性は十分にある。
「どうにかしなきゃいけない、んだろうね……」
その台詞はライカに向けられたものでも、ヴェルデーナ自身に向けられたものでもない。
どこか遠くにいる誰かに助けを求めるような、教えを乞うような迷いのようなものがあった。
「これが私の知っている全て。ごめんね、寝ようとしてたのに邪魔しちゃって」
「いいえ。話してくれてありがとうございます。おかげで……すっきりって言ったらおかしいですけど、でも気持ちの整理はできそうです」
「そっか。よかった」
ヴェルデーナは手を頭の上で組んで体を伸ばしながらベッドから立ち上がった。
「それじゃあ、私も寝るとしようかな。エラも待っているだろうし」
「エラちゃん、まだ起きてるんですか?」
「いいや、ぐっすりだよ。でもやっぱり寂しいんだろうね。私の腕にしっかりしがみついていたから、剥がすのに難儀した」
寂しがっている場面を見せないから忘れてしまいそうになるが、エラはまだ五歳になったばかりで、まだまだ甘えたい盛りだ。
だから、子供らしい一面を見せてくれることにほっと息を吐く。
「そうだ。明日はエラもいるからさ、いつもより豪勢な朝食にしない?」
座っていたところにできた皺を丁寧に手で撫でながら上目遣いでヴェルデーナはそんな提案をした。
「いいですね。確かこの間買ったフルーツのあまりがあるので、それも食べちゃいましょう。準備ができたら起こしに行きますよ」
「ううん……いや、エラの手前あんまりだらしないところは見せたくないし、発案者なんだから私も準備を手伝うよ」
「え……絶対無理」
「な、なんだとう!」
「冗談です。期待してますよ」
「ふ……ふんっ。最初からそう言え!」
言ってから案外声が大きかったことに気がついたヴェルデーナは、何故かライカに向って人差し指を立てる。
非難めいた目を向けてくるのは、これでエラが起きてきたらライカのせいだと言いたげだった。
「冤罪だ……」
「……そんなわけだから頼むよ。朝食が終わって一休みしたら、ウォーヴィスのところに行こう。状況次第では……もう一晩エラを預かってもいいでしょ?」
「そうですね。その方がエラちゃんもいいと思います」
「よし。それじゃあ、もう行くよ。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
去っていく背中に向って声をかけて人の気配がなくなってから、ライカは蝋燭の明かりを落としてベッドに潜り込む。
──どうか、これ以上エラちゃんたちに不幸が降りかかりませんように。
目を閉じて、無意識にそんなことを思った。いや、思わずにはいられなかった。
しかし、ライカは失念していた。
今までの人生でなにかを願って叶った試しなどないことを。
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