第三十話 バゲンズの影
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話終えたウォーヴィスは震えた唇で細く溜息をつく。深く、重いそれを吐ききると体がひと回り小さくなったように見えた。
「爆発の原因はなんだったんですか」
「はっきりとはわかっていないよ。可能性としては航海で使うために積んでいた燃料がなんらかの原因で爆発したんだと言われてはいる。でも、本当の原因はわかってない。乗っていた人間は全員死んでしまったし、船も爆発で吹き飛んで残りは海に沈んでしまった。いち早く救助に向かってくれた漁師たちも一人でもいいから助けようと無理をして怪我をしてしまう人が多く出て二次被害も深刻だったんだ。そのせいで漁業にも深刻な影響が生まれてしまって、詳細な調査は保留されている。いや……きっとこのまま真相はわからないで終わってしまうだろうね。あんな忌々しい事件、忘れてしまいたいと思っている人が多いから」
ライカはふと先日の会話が頭をよぎった。
それは夕飯に食べる魚を買いに行ったときのこと。鯉の値段があまりにも高い理由をロイドに尋ねると、半年前に大きな事故があったと言っていた。そのせいで漁師の多くが怪我をして未だに現場に復帰できておらず、漁獲量が減って値段が上がっているのだと。
まさか、その事故の関係者がウォーヴィスだったとは。
「まあ、仕方ない。終わったことよりも今起こっている事態を優先するのは当たり前のことだから。ただね……」
ウォーヴィスは一度区切ると、なにかを胸のなかに押し込めるように大きく息を吸い込んだ。
「ジェシカの様子がおかしくなったのはそれからしばらく経ったときのことだった。南の港町からバゲンズの手紙が届いたって儂に嬉しそうに見せてきたんだ」
「手紙、ですか?」
「うん。内容は向こうの港町でこんな体験をしたとか、面白い話を聞いたとか、珍しい料理があってそれがとても美味しかったとかね。あり得ないよ。バゲンズはあの事故で死んだからね。遺体だって……一部だけだが見つかっている」
「でも、それじゃあ……」
「手紙はね、ジェシカの字で書いてあったんだ」
室内の温度がぐっと下がったような気がした。耳の奥で虫の鳴くようなキリキリとした音が聞こえる。
ジェシカの行動の意味はつまり──。
「ジェシカは……バゲンズの影を見ていたんだ」
もうこの世を去ってしまった人の影に捕らわれ、失われた未来を想って手紙をしたためる。
ジェシカのなかでバゲンズは生きている。生きて、今も目標に向かって邁進している。そして、いつか職人としても、夫としても、父親としても一回りも二回りも大きくなって家族の元へ帰ってくると信じている。
それを妄想と断じるのは簡単だ。現実を見る目が潰れてしまったのだと同情するのも簡単だ。
ただ、ジェシカにとっては揺るぎない真実であり、いつまでも醒めない夢なのだ。
「ここに運んでくれた人が言ってたんだよ。救助に向かってくれた漁師のうちの一人とジェシカが顔を合わせてしまったとね。そのときに漁師がバゲンズを助けてやれなくてすまなかったって言ってしまったみたいなんだ」
もちろん漁師に悪意などなかっだろう。ただ救えなかったことを詫びだだけだ。しかし、それはあまりにも残酷な一言で、夢幻の世界の住人であるジェシカには到底耐えきれないものだったのだ。
「事件が起きてから儂はなるべくバゲンズのことには触れんようにしてきた。親代わりとはいえ、簡単に触れていいことではないと思ったからね。それにあの子は心の強い子だ。実際そういった奇行は始めの頃だけで、ひと月もすれば落ち着いた。だからバゲンズのことも乗り越えて立ち直りかけていると思っていたんだ。だけど……それは間違いだった。もっと寄り添ってやるべきだった。強い子だからと思い込まずに、一緒に泣いてやればよかったのかもしれない。なあ女史、ライカ君。儂は……儂はどうしたらよかったんだろうか」
この問いに答えなどあるのだろうか。ウォーヴィスの選択はいつか破綻してしまうものだった。現に今、ジェシカはベッドに沈んで死人のように眠っている。
「私は爺さんの判断は間違っていなかったと思う。きっとジェシカの心は未だに血を流している。半年経った今ですらそんな状態なのに、できたばかりの傷を抉るような真似をすればこれくらいではすまなかったかもしれない。いや、きっとその可能性の方が高いでしょ」
しかし、ヴェルデーナの言う通り、早期に現実をぶつけてしまえば悪化してしまう可能性は高い。その場合、ジェシカが一体どういう行動に出るのかはあまり考えたくない。
今回のことも見方を変えれば錯乱程度ですんだのは、半年の時間を置いていたからとも言えるのだ。
「物事には表と裏しかないと思いがちだけど、その中間だってあると私は思う。真実に目を向けることが全てを解決することに繋がるわけではないんだよ。目を逸らして、偽りの世界で心を休める時間が必要な人だっている。こういうことに答えは必要ないんだと思うよ。一つだけ断言できることがあるとすれば、ジェシカにはまだ時間が必要だということだ」
その時間とはどれだけ未来の話なのだろうか。外傷であれば予測もつく。風邪ならば薬を飲ませて安静にしていれば回復する。しかし、心にできてしまった傷はそう簡単には塞がらない。
傷の大きさも深さも目には見えないから、具体的な未来が想像できない。完治するのが来月なのか来年なのか、それとももっと先になるのか。
「ジェシカはいつまで苦しまなければいけないんだろうか」
その答えも誰にもわからない。
ライカは拳を握って唇を噛む。
室内に、重い沈黙が降りる。
「そういえばエラはどうしたんだ?」
ヴェルデーナが出口のない袋小路に入りかけた会話を強制的に変えた。
「ああ……流石にこんな姿の母親を見せる訳にはいかないから、儂の家にいてもらっているよ。説明できないからね。あの子も……父親が死んでいることを知らないから」
「そっか。こんなときだし、爺さんはジェシカの側にいてあげな。エラの面倒は私たちで見ておくからさ」
「いや、しかし……」
「ジェシカがこうなって……真っ先に顔が浮かんだのが私たちだったでしょ? だったらちゃんと頼ってよ(点々)」
ウォーヴィスはかなり迷った様子だったが、それでも逡巡したのちに遠慮がちに首を縦に振った。
ライカは安堵に胸を撫で下ろす。
「心配するなって。ライカはエラに懐かれているからね。子守には最適だし」
「ウォーヴィスさんもお疲れでしょうし、今晩は任せてください」
そう言うと、ようやく張っていた気が緩んだのか、ウォーヴィスの表情が柔らかくなる。それと同時にどっと疲れが出たのか、少し老けたように見えた。
「ありがとうね。ヴェルデーナ女史、ライカ君」
最後に笑みらしいものを浮かべたウォーヴィスの目尻には涙の筋ができていた。
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