第二十八話 本当に病んでいるのは
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静まりかえった室内で聞こえるのはヴェルデーナの煙草を吹かす音。
少し距離を取って見つめ合う二人の間には甘い空気など微塵もなく、むしろ全ての生命が凍てついた厳冬期の森ような空気が流れている。
しかし、ヴェルデーナはあくまでも普段と変わりはない。ほんの少しだけ眉を下げて困ったなというような顔をしてはいるものの、概ね通常運転。
違うのはライカの方だった。
「どういうことか説明してくれますか?」
ライカは天井に昇っていく紫煙を見つめるヴェルデーナに向って、隠しきれない怒りの滲んだ声で問う。
「説明ねぇ……」
対してぽうっと煙を吐きながら眉をなぞるように掻くヴェルデーナは、やはり困り顔のまま呟いた。
「ジェシカさんに呪具を売っていたのはヴェルデーナさんだったんですね」
「うーん……それは半分正解で半分間違いかな」
問いに対して帰ってきた答えはほんの少しずれたところに投げられた。
それがライカの導火線に火をつける。
「なんですかそれ……。どうしてそんなことしたんですか!?」
「仕事だったんだよ」
「はあ!? ……まさかヴェルデーナさん、賭け事で借金作って変な仕事に手を出し始めたんじゃ……」
「違うから。あれは薬師としての仕事の一環なんだよ」
収入源が謎なヴェルデーナであるから、こんな情けない話もあり得ないとは言い切れない。しかし、ヴェルデーナは心外そうな顔をして否定した。
仕事と言うのだから、それは薬師として、ということになる。ただ、それはそれで意味がわからない。
薬師であるヴェルデーナが何故呪具などという忌避すべきものをジェシカに売りつけているのだろうか。ライカの混乱は更に深まるばかりだ。
「ちゃんと説明してくださいよ。じゃないと俺、納得できないですから」
「うーん。まあ、こうなっちゃったらしょうがないよな」
そんなことを言って一人納得顔を浮かべたヴェルデーナは、煙管を加えると大きく吸い込んで紫煙を吐き出した。
「まず根本の思い違いを正しておきたいんだけど、私がジェシカに渡していたのは呪具なんかじゃないんだよ。あれは遠方から取り寄せた花を粉末にしたものでね。火で炙って香りを吸い込むと気持ちを落ち着かせる効果がある薬香というものなんだ」
「なんですか、それ。十分怪しいじゃないですか」
「怪しいもんか。ちゃんとした治療だよ。量を間違えれば毒になるけどね。だから、あれを渡すときは毎回口酸っぱく言って聞かせてる。それに必要としていない人間には毒でしかないから、そこも気をつけるようにとね」
そういえば裏路地でそ麻袋を渡していたときにそんなことを言っていた気がする。
「……仮にヴェルデーナさんの言うことが本当だったとして、どうしてジェシカさんなんですか? 病を罹っているのはエラちゃんなんですよ?」
ライカにとってはここが一番意味のわからない部分だ。
不定期に熱を出してしまうというエラの名前のない病。ヴェルデーナはエラが病に罹っているかどうかはわからないが正しいと言った。それが事実であるかどうかは一旦置いておくとして、ジェシカに香草を売る意味はなんなのだろうか。
「そんなの考えるまでもないでしょ。病んでいるのはエラじゃないからだ」
「……は?」
「本当に病んでいるのはジェシカなんだよ」
紫煙を燻らせた向こうにいるヘーゼルの瞳がすっと細められる。
「ヴェルデーナさん。ふざけるのもいい加減にしてください」
「まあ、ライカはそういう反応になるよね」
ライカの声に更に力が籠ったのを感じとって、そう反応することがわかっていたかのようにヴェルデーナは空笑いを浮かべた。
「でも事実なんだ。病んでしまっているのはジェシカで、エラは至って普通なんだよ」
信じられない。しかし、ヴェルデーナも嘘をついていない。今ここでそんな嘘をつく意味も利もない。だからこそ、ライカは身動きが取れなくなってしまった。
どうして本当のことを告げないのか。
不和を解消するための鍵を握りながら隠ぺいし続ける意味や利はどこにあるのだ。
わからない。ライカはヴェルデーナがなにを考えてそうし続けているのかがわからない。
「意味がわからないって顔だね。でも、その疑問は正常だよ。だからこそ考える必要があるんだ」
「意味が、わかりませんよ。ヴェルデーナさんのしていることはエラちゃんたちの幸せに関係があるんですか」
「おおありだよ。だってライカは薬師になりたいんだろう?」
そして、要領を得ない返答にライカはもう頭を抱えるしかない。ヴェルデーナがただ悪戯に言葉遊びをしているわけではないことはなんとなく理解できる。
しかし、その意図が掴めない。
わからないことだらけで、今わかっていることの意味がわからなくなってきた。
そんなとき。
「ヴェルデーナ女史! ライカ君! 誰かいないか!」
突如玄関の扉を叩く音と誰かの怒号に近い叫びが室内に響いた。
「この声……ウォーヴィスさん?」
「みたいだね。出てやりなさい」
「は……はい!」
玄関に向かい、念のためにウォーヴィスか尋ねると「そうだ」と短く答えが返ってきた。
鍵を開けてドアから顔を覗かせる。すると、喘ぐように肩で息をしながら額に大粒の汗を浮かべたウォーヴィスがいた。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「ヴェル……ヴェルデーナ女史は……」
「先生ですか? いますけど……」
余程急いできたのだろう。膝が笑ってしまって立っていることすら辛そうだ。
「久しぶりだな、爺さん。今日はまだどうしたってんだ」
遅れてやってきたヴェルデーナが居間から顔を覗かせた。
「す、すまん……夜分に。だけど、大変なんだ。ジェシカが……ジェシカがっ!」
「ジェシカがどうしたんだ」
ヴェルデーナの声に真剣さが宿る。
ウォーヴィスは三回深呼吸をしてそれから、
「ジェシカが……市場で倒れたんだ」
と言った。
◇◇◇
ベッドで静かな寝息を立てて眠るジェシカは室内が暗いせいということもあるだろうが、頬がこけて憔悴しているように見えた。
「すごい取り乱しようだったみたいでね。始めは周りの人もなだめようとしてくれたそうなんだけど、手が付けられないほどだったらしい。最後に過呼吸で意識を失って倒れたところをたまたま通りがかった医者さんが助けてくれて、同じく通りがかった職場の方が家まで運んできてくれて儂に知らせてくれたんだ」
ジェシカの額にそっと手を当てて愛おしそうに見つめる瞳に蝋燭の明かりが映る。反射した灯は大きく揺れていた。
ウォーヴィスの案内でやってきたジェシカの家は、こぢんまりとした一軒家だった。
家具などのものはあまりなく、生活の匂いの薄い家中を照らすのは使いかけの短い蝋燭が一本だけ。
家一通りの家具はあるので困窮しているわけではないようだが、あまり家のことに意識をさく余裕がないらしく、ヴェルデーナの家とは別の意味で廃屋の様相を呈している。
唯一の生活感と言えば、隣に並びあうベッドの上に置かれた犬を模したぬいぐるみだけだ。
「なにかあったんでしょうか」
「……たまたま市場にきていたバゲンズの仕事仲間を見てしまったらしい。ようやく外出できるだけの体力が戻ってきたらしくてね。散歩がてら歩いていたところを目撃してしまったそうなんだ」
沈痛な面持ちで言うウォーヴィスは、目元を乱暴に拭った。
「順調に回復できているのは嬉しいけどね。タイミングが悪いよなぁ……」
そう囁いて俯いたウォーヴィスの背にヴェルデーナの手が添えられる。
「仕方がないさ。いずれは乗り越えなければならないことだ」
「そうだけどね。でも、こんな様子じゃあ……」
嗚咽を堪えて震える背中を摩るヴェルデーナは悲愴な表情を浮かべていた。
「あの」
こんな状況で口を挟むのはどうにも気が憚れるが、どうにも話が見えてこない状況にライカがおずおずと二人に声をかける。
「あの、どうして旦那さんの仕事仲間を見ただけで、ジェシカさんは錯乱してしまったんですしょうか……?」
「なにを、ライカ君……」
ライカとしては至極当然なことを聞いたつもりだったのだか、ウォーヴィスから向けられた瞳にはどうしてそんな残酷なことを聞くのだ、と言わんばかりの非難めいた色が滲んでいた。そして、次第に怒りが色濃くなっていく瞳を前に、なにか口にしてはいけないことを言ってしまったのだとようやく気がつく。
ただ、どの部分が琴線に触れたのかがわからない。
「ウォーヴィス、ライカはまだあのことを知らないんだ」
「な、なに。そうなのか、ライカ君」
「えっと……すみません。俺にはなにがなにやら」
ライカが答えると二人は目を見合わせて、それから力なく首を横に振りながらウォーヴィスは視線を逸らして目頭を押さえた。
「いいか、ライカ。ジェシカの旦那は半年前の事故で死んでいるんだ」
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