第二十六話 気鬱
26
夕刻を知らせる鐘が鳴るころ、ライカはウォーヴィスの店を辞去した。
帰り際、商談を終わらせて帰ってきていたウォーヴィスも一緒にエラと見送りをしてくれた。
また遊んでね。
そう言ったエラはやはり寂しそうな顔をしていて、ライカとしてもそんな顔をするエラと離れるのは心が張り裂けそうな思いだった。
鉛を飲んでしまったのかと思うほどに胃の辺りが重い。心なしかいつも見ている景色も色褪せたように見える気がする。
ヴェルデーナはエラは病かどうかがわからないが正しいと言った。そして、対話によって病の本質を見抜くことが重要だとも言っていた。
だから実践しようと思ったのだ。自分なりにエラが病に罹っているのかどうかがわからないという状態をはっきりさせるために、対話をしようとした。
しかし、得られた情報に有益なものがあったとは思えない。あれから──つまりエラに慰められた後──それとなく普段の体調の変化や熱が出た日はどんなことをしていたとか、どんな食べ物を食べたのかなどを聞いてみたが特にこれが原因なのでは、と思えるものはなかったように思う。
もちろん素人では気付けないなにかが隠されている可能性は十分ある。だから、一応ヴェルデーナに今日聞いた話を踏まえて改めて判断はしてもらうつもりだが……。
病の本質を見抜くというは難しい。もちろん言うほど簡単ではないだろうとわかっていたつもりだったが、根拠のない自信というか意気込みがすぎていた部分があり、そのせいで成果を得られなかったという事実が重く体にのしかかってくる。そして、ふとそもそも自分のしようとしていることは正しいことなのかと疑問に思った。
子供の心配をするのは本来親の仕事だ。他人が口を出すべきではないとは思わないが、それでも親の意思を無視してもいいとは思わない。それぞれに家庭の事情や親の考えがあり、他者が善意を盾に強引な手段を取れば、親と子供の関係を崩すことになりかねない。
それに万が一の場合を考えれば、ジェシカとウォーヴィスとの関係にも留意しなければならない。
例えばライカがヴェルデーナの手を借りてエラの病を特定し、治療する薬をみつけたとしてジェシカは素直に受け取ってくれるだろうか。
普通、というと語弊があるが、あくまでも子を想う普通の親であれば病を癒す薬があれば、素直に受け取ってくれるだろう。しかし、今のジェシカは治療のために怪しい呪具を頼るほどには精神的に追い詰められている。そんな状態で、例えばエラが病に罹っているとして、その薬をヴェルデーナが調合してくれたとしても薬を受け取るとは到底思えない。
ヴェルデーナ本人も言っていたが、肩書だけのよく知りもしない人間に渡された薬を飲もうとする人間はいない。まず、確実に拒絶されるだろう。
話はそれだけに留まらず、もしヴェルデーナに依頼をしたのがライカだとばれてしまった場合、ライカの狭い交友関係を辿ってウォーヴィスにたどり着くのは時間の問題だろう。ただでさえ二人はエラの治療に関して意見が折り合わない状況なのだ。ライカの独断専行とはいえ、形としてはウォーヴィスがライカ経由で治療薬を頼んだと思われかねない。そうなれば、また余計なことをしたとしてジェシカが烈火のごとく怒りだすのは目に見えている。
最悪、ウォーヴィスにエラを預けなくなるかもしれない。それはなにがあっても避けなければいけない。
問題の解決を目指すにはジェシカをどう説得するのかが重要になってくるのは間違いない。ただ、それが一番の関門でもあった。
追い込まれた人は神や宗教や、とにかくなにかす縋ろうとする。そのこと自体は問題はない。正常な人としての反応だ。ただ、縋った先が悪意によって動いているということが問題なのだ。
「呪具なんて……絶対騙されてるよな」
ここで一つ昔話をしよう。
ポルタで死病が流行った初期の頃、病を治す笛というものが流行ったことがあった。
その笛の音を聞くとたちまち体の不調が消え失せ、数年先まで病に罹らなくなるという、いかにも胡散臭い手ものだった。事実、当初は誰も見向きもしなかったのだ。しかし、死病の猛威が人々の心に影を作り出すと風向きが変わった。ぽつぽつと笛の音を聞いて死病の魔の手から生還した噂が広まり始めたのだ。
噂というのは心の弱ったところに染み込むもので、瞬く間に病を治す笛の話は全住民の知るところとなった。
ある日その笛を持つと自称する詩人が市場で声高にこう言った。一人ジトラ銅貨一枚で笛の音を聞かせようと。
それでもやはり始めは皆疑っていたし、警戒していた。だが、やはり目に見えない病の恐怖に屈した者が藁にも縋る気持ちで頼り、実際に病が治ったと喧伝し始めたのだ。
曰く、音色を聞いた途端に体の芯が熱くなり、耳や口から毒素が流れ出て行ったのだという
噂は瞬く間に町中に広まり、連日詩人の元に人が押し寄せるようになった。全員に効果があったのかはわからない。しかし、治ったという声はそこかしこから上がり、熱狂的な支持を集めるようになっていった。そして人々の熱が上がるにつれて詩人も対価を吊り上げていった。
始めはジトラ銅貨一枚だったのが、最終的にはラリロンカ銀貨一枚にまで跳ね上がっていたのだ。
結末を言ってしまえば、これは人々の死病への恐怖につけ込んだ詐欺だった。しかし、熱に浮かされた人々に正常な判断を下す理性は残っていなかった。
過熱しすぎて笛の音を聞く順番を巡った争いが起こるようになったことを危惧したポルタ議会が治安維持の名目で詩人を捕縛しようと腰を上げた。しかし、詩人は鼻の利く小賢しい人間だった。軍が詩人を捕らえようと動き出した頃にには、すでに町から逃げ出した後だったのだ。
残されたのは金を巻き上げられた哀れな住人だけ。後の調査で初めに笛の音で病が治ったと言っていた人間はポルタの住民ではなく、詩人の仲間で詐欺集団の一員だったことがわかった。
ほとんどの住民は詐欺にあったことを嘆いたり、怒ったり、恥じた。そして、二度と同じ轍を踏まないようにと誓い合った。だが、彼らは詐欺集団ではないと主張する人もなかにはいた。
所謂洗脳状態だったのだろう。周りがなんと諭そうと、彼らのなかでは病を治す笛の力は存在しており、自分たちは死病から逃れられたことになっていた。
詩人を信じた人たちとそうでない住人たちの衝突は日に日に増して、ついには抗争寸前まで行きかけたのだ。
当時まだポルタに商品を卸してくれていた商人は、外からでもわかるくらいに町全体から剣呑な気配が漂っていたと言い置いている。
しかし、結果的に抗争が起こることはなかった。
詩人を支持していた人たちのほとんどが死病で死んだからである。
こんな経験をしているライカだからこそ、今のジェシカを説得することの難しさをひしひしと感じていた。
人はなにかに盲目的になると俯瞰的な視点を持つことが難しくなってしまう。きっとライカが正論をぶつけても返ってくるのは拒絶と敵愾心だけだ。
他に説得できそうな人と考えて浮かぶのはヴェルデーナだが、これはない。
我が師匠のフォルゲンスタリアでの信頼の無さは言うまでもないからだ。
打つ手がない。完全に袋小路に迷い込んでしまった気分だ。
「あ……ヴェルデーナさんといえば」
そういえば帰宅時間を聞いていなかったと、はたと気づく。
もう帰ってきているのだろうか。今から帰って夕飯の支度をするとなると、いつも時間には間に合わないので少し待たせることになってしまう。
ヴェルデーナは腹が空いていると少し機嫌が悪くなる。暴言を吐かれるということはないが、雰囲気というか、全身からお腹空いたんですけどオーラを滲み出してくるのだ。
そうなると夕飯を作っている最中はずっと背中に張りつかんばかりに接近して、一挙手一投足を監視してくるのでライカとしてはやりづらいことこの上ない。
エラのことはもちろん重要だが、喫緊の問題も無視するわけにもいかない。
「……まだ余裕あったよな」
財布の中身を確認する。高額な物は買えないが、そこそこのものであれば二人分の食事代はありそうだ。
沈んだ気持ちで作った料理はきっと味が悪い。ヴェルデーナは基本ライカが作った食事に文句を言うことはなく、なにを出しても美味しいと食べてくれるが、稀に料理を口に含んだ瞬間に虚無を見るような表情になることがある。
本当に一瞬のことだが、多分その反応をしたときはいまいちだと思っているのだろう。
今から焦って料理の支度をしてもきっと虚無顔を見ることになる気がする。
「たまにはいいよな」
言い訳をして心のなかの自分の反応を待った。……よし、今日は楽をします。
夕刻を迎えたということもあり大通りは活気に溢れている。一仕事終えてこれから酒場にでも繰り出そうとしている職人たちもいれば、残業の夜食の買い出しに徒弟と思われる少年たちが通りをせわしなくは知っている。
魚の匂いを纏っている人は恐らく西街の猟師で、埃の匂いがするのは東街からやってきた商人か旅人だろうか。
皆疲れた顔をしているが、それでも充実感に溢れた疲れた顔をしている。
今の俺はそんな顔をしているのだろうか。
ライカは自身の頬を撫でてそんなことを思った。
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、高評価、ブックマークをどうかお願いします。して頂くと作者がによによ喜びます。
カクヨム,アルファポリス,ノベルアップにも同作を投稿しております。




