第二十五話 会いたかった
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「珍しいこともあるもんだなぁ」
ライカは食品で一杯になった籠を抱えながらそんなこと呟いた。
今朝いつも通り起こしに行くとヴェルデーナは既に起床していた。ここからしてすでに珍しいが、更にライカを驚かせることがあった。ヴェルデーナが二日酔いに苦しんでいなかったのだ。
別に買い物に行くという言葉を疑っていたわけではないが、帰りしなに一杯くらいやってくるとは思っていたので、素面でいる本人を前に思わず本物か確認してしまったくらいだ。
だって怪しすぎる。夜に出掛けて酒を飲まずに帰ってくるなど、今まで一度もなかった。だから、今日はなにかある日なのかと問うと。
「今日一日休みって。普段も休んでいるようなもんなのに」
そんな返事が返ってきたのである。そして、食後の休憩もそこそこに、いそいそと出掛けてしまったのだ。
「まさか昨日飲めなかった分の酒を朝から飲みに行ったなんてことはないよな」
そんなわけない、と断言できないのが悲しいところだ。ただ、家を出るときのヴェルデーナはこれから飲み歩くというような雰囲気ではなかった。
どちらかと言えば、少し身綺麗にしていたような気がする。まさか、恋人でもできたのだろうか。
そんなことを考えながら買い出しをすませて家に戻ると荷物をしまい、一息つく。そして──。
「やることもないし、ウォーヴィスさんのところにでも顔を出そうかな」
実際はやることある。昨日サボった分の勉強を片付けるという大切な仕事が。
現状、薬師としての仕事を覚える前段階に読み書きの習得を第一にしているライカにとって、勉強こそが一人前になるための仕事だった。しかし、昨日と同じで勉強に集中できそうな精神状態か、と自らに問うと、否という答えが返ってきたのだから仕方がない。
これは決してサボりではない。ヴェルデーナの教えを実践しに行くだけだ。
◇◇◇
「こんにちはー」
店に入るとカウンターにウォーヴィスの姿はなかった。ただ、店の鍵は開いているのできっと裏で在庫の整理でもしているのだろう。そう思って、いつもより気持ち大きな声で挨拶をした。
「あっ!」
聞こえてきたのは可愛らしい女の子の声。次いで「綺麗なお兄ちゃんだ」という嬉しそうなもの。
バタバタと階段を駆け下りてきて顔を見せたのはエラだった。
「こんにちは!」
そして、言い終わる前にライカ目掛けて飛び込んできた。
「元気だね、エラちゃん」
「会いたかった!」
一応名乗ってはいるがエラにとってライカは綺麗なお兄ちゃんという印象が強く、そう呼ぶ方が好きらしい。
男としては思うところはあるものの、エラの愛らしい笑顔を見ていると、まだしばらくはこのままでもいいかと妥協してしまう。
「今日、綺麗なお兄ちゃんに会いたいなって思ってたの」
「そっか。俺もエラちゃんと会えて嬉しいよ」
「ほんと!?」
「こら、エラ。また勝手に下にきて」
「あっ、じいじ!」
少し疲れたようなしゃがれた声。ウォーヴィスが降りてきたようだ。
「お仕事の邪魔になっちゃうから下には降りてきちゃダメだって言っただろう?」
「だって、エラ綺麗なお兄ちゃんと遊びたかったんだもん」
そう言うとエラはライカを盾にするように背後に回って隠れた。そして、腰の辺りから顔だけ出して不安げに見上げてくる。
エラは邪魔なんかしてないよね、と言いたげな目だった。
「いいんですよ、ウォーヴィスさん。俺もエラちゃんに会いたかったので」
「すまないね。でも、あまり甘やかさないでくれよ。他のお客さんにまでするようになったら大変だから」
「そんなことしないよ! エラは綺麗なお兄ちゃんだけだもん。ね、お兄ちゃんはわかってくれるでしょ」
見境がないと思われているが不満だったのか、エラは不満を顔一杯に表して抗議の声を上げる。掴まれたズボンに一層強い皺がつく。
エラがどうしてこんなに懐いてくれるのかが謎だった。ただ、悪い気はしない。
「全く……。それで今日はどんな御用かな。確かヴェルデーナ女史からの注文は承ってなかったと思うけど」
そんなエラの様子を見て、ウォーヴィスは溜息を吐くも目尻が下がった状態でだったので、可愛いひ孫の我儘には勝てないようだった。
「いえ、今日は特に買い物があってきたわけじゃないんです。実は今日一日先生は予定があるようで休みになってしまって。それで時間に余裕ができたので立ち寄らせてもらったんです」
「休みかい? そりゃ珍しいもんだね」
通常の職人弟子であれば、師が休みだったとしても弟子が修行のための労働から解放されることはない。
仕事道具は触らせてもらえないが、それ以外の清掃や師の身の回りの世話などの仕事があるために基本的には年中無休でそれが一般的だ。
ヴェルデーナのように自分が休むから弟子も休みにするという方針は珍しい。
弟子はいついかなるときも学ぶ姿勢を崩すべからず。そう教えられるのが当たり前の世界なのだ。だから、ウォーヴィスからすればヴェルデーナのやり方は甘いと見えるのかもしれない。
「こう言うのもなんだけどね、ヴェルデーナ女史はいつも休んでいるようなものじゃないか。それをわざわざ今日は休みにするなんて宣言するとは、もしや朝からどこかの酒場で酒盛りでもしているのかな」
違いました。普通にうちの先生の信頼がないだけでした。
なんというか……情けないですよ、俺は。
「えっ!? じゃあ、エラと遊んでくれる!?」
一日休みという言葉を聞き逃さなかったエラは、背後から飛び出してライカの胸に飛びつかんばかりに跳ねながらはしゃいだ声を上げた。それが可愛くて優しく抱き留めてやると、エラも満面の笑みを見せてくれた。
「こらこら、それは駄目だよエラ。せっかくの休みなんだから、ライカ君だってやりたいことが……」
「えー! でも、綺麗なお兄ちゃんが一緒に遊んでくれたら、じいじが悩んでた大変なお仕事できるでしょ?」
「大変なお仕事?」
「ああ、いや……」
ウォーヴィスは苦虫を嚙みつぶしたように渋い顔をすると、逡巡した後におずおずと口を開く。
「実は、懇意にさせてもらっている商人と話したいことがあってね。いつもは向こうがこちらにきてくれるんだけど、今回は他に大口の取引が入っていてその準備やらで身動きがとれないってお弟子さんが教えにきてくれてね。だから、今回は儂が出向こうと思っていたんだけど」
「エラちゃんを連れていくわけには行かない、と」
ウォーヴィスは苦虫を噛みつぶしたような顔で頷いた。
商売は商品の売り買いよりも、顔の売り買いが重要だと以前聞いたことがある。
よい取引をするにはよい商品が必要であるのは間違いないが、相手に顔を覚えてもらわない限りは意味がない。一時の儲け話の関係で終わってしまえば、その先にある儲けありつけないのだ。
それはウォーヴィスも同じで、だからこうして悩んでいる。きっと相手の商人はウォーヴィスにとって、一時の関係で終わらせたくない人物なのだろう。
「だったら丁度いいじゃないですか。エラちゃんの面倒は俺が見てますよ。元々エラちゃんと遊びたくてお邪魔させてもらったわけですし」
「いや、だけどね……。儂としてはとっても助かるんだけど」
どうやらウォーヴィスはエラの世話を押し付けることに罪悪感を覚えているようだった。
昨日身内話を打ち明けたばっかりに、ライカに要らぬ気を回させてしまっているのでは、とでも思っているのだろう。
自分の得よりも、相手への申し訳なさの方が勝ってしまう。優しい性格の持ち主なのだ。
だからこそ、ライカも力になってあげたいと思う。
「こんなことしかできないですけど、ウォーヴィスさんの助けになれるんだったら嬉しいんです。だから任せてくれませんか?」
ウォーヴィスはしばらく呻って悩んでいたが、最後には「それじゃあ……申し訳ないけどお願いできるかな」と、絞り出すような声で言った。
◇◇◇
身支度を整えて出掛けたウォーヴィスを二人で見送ると、待ちきれないといった様子のエラに手を引かれて二階へ向かう。ちなみにウォーヴィスがいない間は店を閉めているので接客等の心配はない。
「こっちにね、おもちゃあるんだ!」
そう言ってエラが招いてくれたのはウォーヴィスの私室だった。
流石に私室に無断で入るは、と躊躇ったが、そんなことお構いなしのエラに押される形で足を踏み入れてしまった。
室内は入って正面に窓があり、テーブルと椅子が窓際に置かれている。右手には本棚が二つ並んでおり、なかにはぎっしりと本が詰められていた。背表紙が古くなっているものや、ライカにはわからない言葉で書かれているものもあり、それらはウォーヴィスが長い職人生活の間に集めた知識の宝箱だった。
「すごいな」
「ほんとはね、もっとご本あったんだって。でも売っちゃったりして今はこれしかないんだってさ」
隙間なく仕舞われた本たちには埃などは積もっておらず、背表紙も綺麗に保たれている。かなり古い物もあるようだが、破損していたり、変色しているものは見当たらない。
きっとウォーヴィスが丁寧に保管しているからだ。
ヴェルデーナも本をたくさん所蔵しているが、基本的には読んだら読みっぱなしで、ベッドの脇や窓枠の少しのスペースに絶妙なバランスで積み上げられていたりする。
そういったものを片付けるのはライカの仕事で、たまに小言を漏らすこともあるが、一向に癖が治る様子はない。
本自体が高価な物なのだからもっと丁寧に扱ってほしいが、ヴェルデーナ曰く「本自体に価値があるわけじゃなくて中身に価値があるわけで、私は内容を頭のなかで大切に扱っているから問題ない」らしい。
内容が大切という部分はライカも頷けるが、だからと言って本を粗末に扱ってもいい理由にはならない。
そんな屁理屈を言ってないで整頓したらどうですか、と言うも今のところ効果はない。
だから、本棚二台分の量をしっかりと管理しているウォーヴィスに、ライカは尊敬の念すら抱いてしまう。
ほんの少しでいいから、ウォーヴィスの几帳面さを分けてほしい。
「お兄ちゃん! こっちきて」
どうにかしてこの本棚をヴェルデーナに見せて整理の、せの字だけでも教えることはできないだろうかと考えていると、袖を引かれた。見るとエラが頬を膨らませて怒っている。
「ああ、ごめんね」
「綺麗なお兄ちゃんはこっちね」
エラは室内左手にあるスペースに広げられた絨毯の上にぺたんと座ると、自分の隣を指差した。座れということなのだろう。
「なにして遊ぶの?」
隣に腰を下ろしながら問い掛ける。すると、布を継ぎ合わせ中に綿を詰めただけの人形を渡された。
短パンを履いた人形は男の子らしく、エラの手には赤い服を着た女の子の人形があった。
「おにいちゃんはそうだなぁ……お父さんはまだ早いからやっぱり弟役かな」
「は、早い?」
「うん。だって、お父さんになるにはまだお兄ちゃんじゃちょっと頼りなさそうだし」
女の子ってこんなに小さなころから男の内面を見るものなのだろうか……。
「そ、そうなんだ。でもなんで弟役なの?」
辛辣な評価に内心傷つきつつも、与えられた役の理由を尋ねてみた。
綺麗なお兄ちゃんと呼んでいるのだから、兄役でもおかしくないと思うのだが。
そんな疑問に、エラは自分の分の赤い洋服を着せた人形の頭を撫でながら答えてくれた。
「エラね、今病気なんだって。だからお友達とも遊べないし、お外に行くのもママが駄目っていうからじいじの家にきてるのね。エラはじいじ大好きだし、一緒に遊んでくれて嬉しいけど、やっぱり時々はお外で遊びたいなって思うの。だから、もし弟ができたら、それはお友達じゃなくて家族だから一緒にお外で遊んでも大丈夫ってことでしょ」
それは無垢な少女が親の言いつけを守りながらも、なんとかしてから見つけ出した抜け道。
「……弟がいいの? 妹じゃなくて?」
「うん。だって同じ女の子だったら、エラみたいに病気になっちゃうかもしれないでしょ?」
ジェシカが作ってくれたものなのかはわからないが、この二体だけの人形だけがエラにとって唯一の友達であり、宝物であり、寂しさを紛らわせてくれる存在で、たったこれだけの小さな世界がエラの全て。
「男の子だったら元気かもしれないし、そうしたらママとじいじは喧嘩しなくてもいいのかなって」
いい考えでしょ、とでも言いたげに笑うエラをライカは真っすぐ見ていられなくなった。
そんなことをなんでもないような顔をして言わないでくれ。
喉が鳴る。目の奥が熱くなり、違うと叫びそうになって咄嗟に口の頬の肉を噛んだ。
「……ママとじいじは喧嘩するの?」
「うん。難しいお話はわかんないけど、二人共怖い顔でエラのことをお話してて、だんだんママの声が大きくなって、じいじが悲しそうな顔になっていって、最後はママが……怖いこと言うの」
エラは人形の頭を撫でながら続ける。
「ほんとはね、ママもじいじもほんとは喧嘩したくないと思うんだよね。喧嘩しちゃうのはきっとエラがいけなくて、エラがお熱を出さない子だったらこんなことにならなかったのかなって思うんだ。でも、男の子だったら元気だし強いからお熱だしたりしないでしょ? そうなったら、ママとじいじは喧嘩しないと思うんだよね。だから、弟がほしいんだ」
純粋な子供だからこそ、こんなことを本気で口にしてしまう。
自分が病に侵されているせいで母親と曾祖父が対立する姿を見て心を痛めている。その解決法は病が治ることではなく、弟ができること。
仮に弟ができたとしても、現状は変わらない。エラの病が治らない限り、治療法について二人は対立してしまう。
「……でも弟ができたら、エラいらないって言われちゃうかな」
そんな消えてしまいそうな声の呟きは、心から溢れた本音だ。
きっとエラにとっては自分の不安よりもジェシカとウォーヴィスの仲が悪いことの方が嫌なのだ。自分で欲した弟に立場を奪われることを心配して、不安になってしまっていても望んでしまうほどには。
人形を撫でていた手が止る。ほんの少しだけ、手が震えていた。
そんな姿を見て、ライカはとうとう堪えられなくなった
「馬鹿だな……そんなことあるわけないだろ」
泣くな。
「ママも、じいじも……エラちゃんのことが大好き、なんだよ?」
泣くな。
「ずっと、ずっと一緒にいたいって、思ってるに決まってる」
泣くなよ。
「だから……そんな、悲しいこと言っちゃ……駄目だよ」
馬鹿野郎が。俺が泣いてどうする。
「お兄ちゃん、泣いてるの?」
俯いてなにも言わなくなったライカに気がついたエラが、正面に回って顔を覗き込む。
大丈夫だよ。そう言おうとして声が震えて答えてしまった。駄目だ。こんな声を聞かせたら余計に心配させてしまう。
「もう、しょうがないな」
そんなライカに、エラは大人びた口調でそう言って。
「痛いことがあったの? 怖いことがあったの? 大丈夫だよ、お姉ちゃんが絶対守ってあげるから」
ふと頭に小さくて暖かいものが触れた。ぎこちなく、力も少し強め。
きっとされるばかりで、する側になったことがないから加減がわからないのだろう。
「だから大丈夫、大丈夫。なぁんにも怖くないですよー」
それでもライカを想う気持ちはとても優しく慈しみに満ちていた。
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