第二十話 大勝したら贅沢させてやるからな
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「やっぱりリンダロン産は味も風味も格が違う」
いつもの夕食後の時間。すっかり顔色のよくなったヴェルデーナが感嘆の溜息と共に呟いた感想に、ライカも自然と笑みが零れる。
「値段も結構しましたからね」
「渡した金で足りたか?」
「ええ。問題なく。でも、よかったんですか?」
「なにが?」
「これってヴェルデーナさんが楽しみにしていたものじゃないですか。俺までいただいてもよかったのかなって」
ウォーヴィスの話ではこれでもまだまだ安い方らしいが、それでも十分高級品だ。正直、味の違いがわからないライカは、自分が飲むのはもったいないのではと思っていた。
そんな考えを見透かしたのか、ヴェルデーナはきょとんとした顔をしてそれからわざとらしく額を叩いて呆れたようにヘーゼルの瞳を細める。
「なに言ってんの。私はライカと一緒に飲みたくて取り寄せたんだよ」
「え?」
「前にゴルデナ湿地でレモングラスのハーブティーを飲んだでしょ。あれは安物だったんだよ。でも、ライカは美味しいって言ってくれたでしょ。あれ、嬉しかったから今度はもっといいやつを飲ませてあげたくて高いやつを頼んだのんだ」
まさかそんな風に思ってくれていたとは露ほども考えていなかったライカは途端に顔に熱が集まっていくのを自覚する。今までそんなことを言ってくれる人は家族以外では誰一人としていなかった。
元師匠からは疎まれ、小間使い兼小遣い稼ぎとしか認識されておらず優しい言葉や気遣いを向けてもらったことはほとんどない。それが通常の師弟関係だと長年信じていたライカは特段悲しく思ったことはないが、ヴェルデーナと共に暮らすようになってからは真逆の日々。
戸惑うこともあった。ただ、やはり嬉しい気持ちの方がもっと大きい。
ただ、そういった気持ちを表に出したことはない。やはり一番は気恥ずかしいからだ。今も本当は口元が上がりそうになるのを誤魔化すために、カップで口を隠している。
「……あのときよりも美味しく感じます」
胸がむずむずするのを堪えつつそう返すと、ヴェルデーナは途端に笑顔になった。
酷い二日酔いからはだいぶ回復したようだが、未だ顔は色白くそのせいで目の下の隈が一段と濃く見える。
しかし、そんな状態でも見せた笑顔はやはり綺麗だった。
「だろ! ウォーヴィスの爺さんが仕入れるもんは外れたことがないからな。少々値が張っても買って損したと思ったことは今まで一度もないんだ」
胸の違和感とどう折り合いをつけるべきか迷っていたライカだが、ウォーヴィスの名前が出てきたことで一旦そのことは棚上げすることにした。
「そういえばウォーヴィスさんとは付き合いは長いんですか?」
「え? ああ、うん。ここにきたときからの付き合いだからもう十年かな」
「へえ……。当時からあんなに優しかったんですか?」
「いやいや。ここで薬師の看板を出した当初は挨拶をしても口も聞いてもらえなかったよ」
「ええっ!?」
「想像できないだろ? 今はずいぶん丸くなったけど、当時は職人の誇りが体中から匂ってくるような頑固ジジイだったんだよ」
職人気質な人というのは近寄りがたい雰囲気を放っていることが多く、実際ライカの知る職人たちもそうだった。ただ、今のウォーヴィスからはそんな空気のかけらすら感じない。
「変わり始めたのは孫娘が嫁いでからかな。少しずつ話してくれるようになって、ひ孫が生まれた頃には今みたいな優しい爺さんに変わってたよ」
「へえ……」
そんな話しを聞いてライカはふと疑問に思った。
昼間にぶつかってきた人物は確かにウォーヴィスのことをお父さんと呼んでいた。であるのならば、あの人物は娘であるはずだ。
しかし、はっきり見た訳ではないから断言はできないがまだ若いように見えた。女性に関して疎いライカの見積もりであっても、とても孫がいるような年齢には見えない。
「あの、確認したいんですけど、ウォーヴィスさんの娘さんっておいくつなんですか?」
「あん? 女の歳を聞くなんてデリカシーのないやつだな。でも、そうだな……私の五つか六つ上だったはずだから、今はさ……いや二十歳だったかな」
「なんで嘘つくんです?」
更にヴェルデーナのひ孫ができてから性格が丸くなった、という発言からもわかるように、あの女性の子供も結婚していて子供を産んでいるということになる。ただ、そうなると孫の年齢は一体いくつなのだという疑問が持ちあがってくる。
「は? 嘘ってなに? ほんとかもしれないだろ?」
やはりおかしい。というかあり得ない。
「ちっ。なんだよ。なんでそんなこと聞いてくるんだよ」
自爆して少し機嫌の悪くなったヴェルデーナが口を窄めてじっとりとした視線を向けてくる。
そこでライカは今日ウォーヴィスの店に行ったときのことを話した。
「若く見えたから俺はその人をヴェルデーナさんよりも少し年上かなって思ってたんですけど、ウォーヴィスさんのことをお父さんって呼んでて違和感があったんですよ。だって、親子っていうには歳が離れすぎているように見えて」
「ほうほう。私より年上に見えた女性が見目麗しかったと」
「そんなこと言ってません」
「浮気は許さんぞ」
「は?」
「ああ、いや……コホン。キリッ」
ヴェルデーナはわざとらしすぎる咳払いをしてから、これまたわざとらしく口に出しながら表情を取り繕った。
「まあ……あそこは色々あるんだよ」
「色々?」
「ああ。家庭の事情ってやつさ」
「なんですか、その事情って」
「人ん家の事情で盛り上がる趣味は私にはないぞ。人には知られなくない秘密があるんだから」
あまりにも正論だ。
「でも……」
「首をつっこむな。勝手にひっかき回して問題が起こったとき、ライカは責任とれるのか」
更なる追撃の正論にライカは口を噤む。
ヴェルデーナは間違っていない。家族間の問題というのは非常にデリケートな部類で、ウォーヴィスにとってただの客でしかないライカが勝手にあれこれ探るのは失礼な行為だ。
もちろんライカは好奇心から言ったのではない。しかし、それを見て判断するのはライカではなく、ウォーヴィスやその家族だ。
興味本位で、と思われてしまえば、今まで気づいてきた関係はあっという間に崩れてしまうだろう。
「そう、ですよね……」
ウォーヴィスの寂しそうな顔が晴れるのであれば力になりたい。その気持ちすら、自分勝手な気持ちの押し付けだ。その押し付けのせいで問題が──例えばそれが善意からの行動であったとしても誰かを傷つけることになってしまえば、その責任をとれるのかと言われれば答えは否だ。
ライカは社会的な地位や立場を確立していない。世間から見れば半人前の見習いでしかないのだ。
そんな人間がどうやって責任を取ると言えるのだろうか。
自分は何者でもない半端者で、他人の心配をするだけの責任すら持つことができない。そんな当たり前の事実に向き合い、視線を落としてしまう。
誰が悪いわけでもない。ただただ自分の力不足。
「……すみません」
助けたいと思うことすら満足にできないことへの無力感と申し訳なさの混じった声は擦れていて、衰弱し、死ぬ間際の獣の鳴き声のようだった。
ただ、ライカが悲嘆にくれる時間はそう長くはなかった。
「そんなに落ち込む──ああっ!」
ライカのあまりに落ち込みように動揺したヴェルデーナが、声をかけようとして手に持っていたカップを落としてしまったからだ。
幸いすぐにカップを起こしたので零れた量はそこまで多くはない。ライカはすぐに台所の布巾を持ってきて、テーブルの上を拭いた。
「もうなにしてるんですか。ちゃんと持ってないと駄目でしょう」
「え、ごめん……。いやライカがそんな顔するから……くそっ!」
咎められ、始めは素直に反省を示したように見えたヴェルデーナだが、途中から頬を膨らませてむくれて見せるとそのまま突然怒り出した。
「年下男子のしょんぼり顔がこんなにも破壊力があるとは……!」
「あ、あの、ヴェルデーナさん……?」
と思えば、今度は胸を抑えてなにやらぶつぶつと独り言を言い出す始末。
なにこの人……。
ライカはヴェルデーナの奇行に体を引く。
「これは町の住人なら知っていることだから、別に陰口でもなんでもない。あくまでライカがなにも知らずにタブーに触れて変な目で見られることを防ぐために必要なことだからな」
そんな言いわけがましいことを付け加えながら自分に言い聞かせるようにいったヴェルデーナは、一転して真剣な顔になった。
「ライカが会ったという女──ジェシカは、ウォーヴィスの娘ではなく孫なんだよ」
「え……?」
「事情があってウォーヴィスが親代わりとしてジェシカを娘のようにとして育てたんだ。だから、ライカが気にしていた歳の差はあって当然なんだよ。だって親子じゃなくて祖父と孫だからね」
それなら確かに全ての辻褄が合う。娘ではなく孫ならば年齢の問題も解決するし、ウォーヴィスにひ孫がいるというのも説明がつく。
「そういうことだったんですか。あれ、でもそれなら──」
「よし! これでライカの疑問は解決したな! じゃあそんなわけで私はこれから勝負に行ってくる」
「え、ああ、はい……。ええ!?」
続けて質問しよう口を開くも、気づいたときにはヴェルデーナはすでに玄関で薄手の外套を羽織ってドアノブに手をかけていた。
「ちょっと、ヴェルデーナさん!」
「今日は勝てる気がするんだ! 今日は勝てる気がするんだ!」
慌てて追いかけてきたライカに言いわけするヴェルデーナの顔は、悪戯を咎められて謝罪の気持ちを全面に出している犬のようだった。
どうやらあんなにひどい目にあったというのに、飲み歩きに行くらしい。しかも賭け事付きで。
「二日酔いで案だけ苦しんだんだから、今日くらい大人しくしていればいいじゃないですか」
「大人しくして勝機を逃していたら、私は勝負師として世間に顔向けできん!」
「貴方は勝負師じゃなくて薬師だし、すでに世間に向ける顔なんてないじゃないですか」
その一言が余程胸にくるものがあったのか一瞬真顔になったヴェルデーナだが、それでも──。
「いや、戦いから逃げるわけには行かない!」
ここが戦場で死地に行く恋人を止めようとする場面であれば恰好のつく台詞だが、生憎一軒家の玄関で賭け事に出かけようとする師匠を止める弟子の図なので、どちらかというと情けなさの方が勝っている。
「私を……止めないでくれ!」
そして、ほんの一瞬の隙をついてライカから逃げるように家を飛び出すと弾ける笑顔で、
「大勝したら贅沢させてやるからなー!」
と、駆けて行ってしまった。
ライカは知っている。ヴェルデーナの賭け事に関する感は全く当らないことを。そして、このようなときは必ず大負けして帰ってくることを。
ただ、ああなってしまったヴェルデーナを止める手段はないことも、また知っている。ライカは大きなため息を零しながら開け放たれた玄関の扉の向こうに広がる闇に消えていくヴェルデーナの背中を見送るしかなかったのだった。
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