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【第二章完】町はずれの大魔道士は魔術を嫌う  作者: 雨山木一
青年と、ある一家の苦悩

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第十九話 わからない感覚

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 その日は朝から大仕事だった。

 まず朝の運試しからして不吉だった。髪を結うのは三回だったし、井戸へ水を汲んだ帰り道になにもないところで転倒して水を道にぶちまけてしまった。

 この時点で嫌な予感がしていたが、果たしてそれは見事的中することになる。いつも通りにヴェルデーナを起しに行って部屋を空けた瞬間、漂ってくる表現したくない異臭。

 今日は駄目だったか。肩を落としながら、手ぬぐいで口元を覆って深い溜息を一つ。


 悲しいことにこういったことに慣れつつあるので手際はいい。ヴェルデーナの粗相の後始末を終えてミルクを飲ませようと声をかけたが、生まれたばかりの猫のようなか細い声で「いい……」と返ってきただけだった。

 どうやら今日は二日酔いがひどいらしい。起き上がることもできないくらいに苦しんでいて、結局その後は朝食も昼食も食べられなかった。


 自業自得とはいえ、あそこまで苦しんでいる姿を見ると流石に可哀想になるし心配にもなる。

 今日ほどの深酔いはそこまで多くないものの、酒を飲むと大抵は調子が悪そうにしているのを見ていると、そもそも酒が体に合わない体質なのではとも思う。下戸の人は香りを嗅ぐだけで酔ってしまうと聞いたことがあるから、ヴェルデーナもそれに近い方なのではないか。

 酒は飲めば強くなるという人もいるが、ライカとしては強くなる必要がどの程度あるのか甚だ疑問だった。

 早く本人も酒に弱い(たち)であることを自覚してくれればいいのだか、多分当分は無理だろう。


 苦しむヴェルデーナを放っておけずに甲斐甲斐しく世話を焼いていたが、ライカとて暇ではない。特に今日はヴェルデーナが前々から楽しみにしていたハーブが届いたという知らせがあって、取り寄せてくれた店まで取りに行くことになっていた。

 そういうわけで普段よりもだいぶ遅い時間に家を出て、いつもの買い物をすませてから次に足を向けたのは、中央区にあるグラント薬草店という店だ。


 ここはウォーヴィス・グラントという老齢の男性が経営していて、香辛料として食事に使われる薬草やハーブティーとして使われるものから、医療目的で使われるものまで幅広く取り扱っている。店主のウォーヴィスは人当たりもよく、扱う商品についての豊富な知識はもちろん、若い頃には行商人をしていたらしく大陸中に伝手があるので取り扱っていない商品の取り寄せなどにも対応できることもあって町でもグラント薬草店の評判はかなりいい。

 

 ヴェルデーナも行きつけの店で、特にハーブティーに使う茶葉の質の目利きもよいらしく、普段飲んでいる茶葉は全てこの店で買っていた。

 ライカがゴルデナ湿地で薬草採取をした際に飲んだハーブティーのレモングラスもこの店で購入したらしい。


 今日受け取りにきた品もわざわざ取り寄せてもらったものらしく、ヴェルデーナが首を長くして待っていた一品である。

 これを持って帰れば二日酔いの体調不良も少しは回復するかもしれない。

 そんな淡い期待もあって、ライカの歩く速度は普段よりも少し早くなっていた。そして、目的地に到着し店の扉を開けようとして。


「父さんのハーブなんかじゃ病は治らないんだよ! 何度も言わせないで!」


 抑えきれない感情のままに吐き出された言葉と共にグランド薬草店の扉が開け放たれて一人の女性が飛び出してきた。

 余程感情が昂っているのか、目の前にいたライカにぶつかったにも関わらず、目もくれずにそのままものすごい速さで店の前の通りを走ってあっという間に見えなくなってしまった。


「なん、ですか……あれ」


 特段痛かったわけではないが、ライカはぶつかられた肩を撫でつつ、彼女が走り去った先を見つめて口を尖らせた。

 

「ああ……ライカ君か」


 突然のことに茫然としていたライカの名が呼ばれる。声のした方に視線を向けると。


「待ってたよ」


 少し疲れた顔をしたウォーヴィス・グラントが立っていた。


 ◇◇◇


 店内はとてもシンプルな作りで、入口正面には店内を二分する跳ね上げ天板のついたカウンターがあり、カウンターを挟んで向こう側には薬草を保管しておくための戸棚や、仕事道具を駆けて置くラック、二階へ続く階段がある。左右の壁にはハーブやら見たことのない植物が入った容器が一枚の板を打ちつけられただけの戸棚に整然と並べられていて、全体的にさっぱりとした印象を受ける。

 

「サイフォニック薬草店は繁盛しているかね」


 カウンター裏にある開き戸から天秤を取り出しながら訊ねてきたのは、顔の毛が全て白くなったグラント薬草店店主のウォーヴィスだ。


「相変わらずですよ。俺が先生の下で働くようになってから一月は経ちましたけど、その間一度もお客様はきていません」


 ライカは深い溜息を吐きつつ、少し愚痴っぽく答える。客がこない。これがライカの喫緊の悩みだった。客がこないということは収入がないということで、収入がなければ食事を買うためのお金は手に入らない。

 あまりにも一日が平穏すぎて一度経営状況を心配して尋ねたことがあるが、そのときは「全く問題ない。ライカはそんな心配をしないで自分のやることに集中すればいい」と酔っぱらいながら返された。


 楽観すぎる姿勢に心配は拭えないが、不思議なことに実際お金で困るという経験は今のところない。

 買い物をする際には、ヴェルデーナなから必要な分だけ金を受け取るのだが、一度たりとも渋られたり、節約してくれと言われたこともない。

 それが逆に怖くて自主的に節制をしていたのだが、変なところで鋭いヴェルデーナに気づかれて以来、渡される金額が増えてしまった。しかも、渡した分はしっかり使い切ること、という命まで受けてしまう始末だ。

 とはいえ、流石に一度の買い物で使い切れる金額ではないのでいつか必要になったときに使おうと、ばれないようにこっそりと貯金している。


「そうなのかい。でも、女史の腕は確かだからね。きっと大きな仕事をして余裕があるんだよ」


「だといいんですけど。たまになにか調合しているみたいなんですが、聞いてもおしえてくれないんですよね」


「ははは。謎多き御方だからね、女史は。でも、無駄なことはしない人だから、きっと意味はあるんだろうさ」


 ウォーヴィスは長く伸びた白い眉を揺らしながら笑った。

 ここで少し説明させて欲しいのだが、サイフォニック薬草店とグラント薬草店は共に薬草と店名についているが、業務内容は大きな違いがある。

 サイフォニック薬草店は医療行為を目的とした薬を調合することを目的としている。対してグラント薬草店は、香辛料や香草などの医療目的以外で使用される薬草を主にしている。一部医療目的で使われるものも取り扱ってはいるが、それらは食品としても扱われる部類のもので、グラント薬草店では薬としては売り出していない。

 ただ、広く見ると取り扱うものが類似している点もあるので薬草店と名乗っている。


「まあ、それはいいんですけど、酒癖は直してほしいですよ。今日もひどい二日酔いで寝込んでるんです」


「ほっほっほ。そりゃ可哀想に」


「同情する必要ないですよ。毎晩飲み歩いて賭け事して遊んでるんですから」


「でも、一晩帰ってこないってことはないんだろう?」


「最近は俺が眠った後にこっそり帰ってきてるみたいですけどね。でも、たまに帰ってこないこともあって、心配になって朝方に外に出ると玄関で丸まって寝てたり、ひどいときは石壁に跨ったまま寝てることもあるんですよ。最近は暖かくなってきたからいいですけど、これが真冬だったら死んでますよ」


 その姿を見るたびに本当に心臓が凍りそうになるから止めて欲しい……。


「女史らしいね。でも、ライカ君がやってくる前は一晩中酒を浴びてたんだから、そのときから比べれば随分しっかりしたと思うよ」


「そうでしょうか…」


 確かに始めてヴェルデーナを訊ねたときは、夕刻が迫っているというのにベッドの上で二日酔いに苦しんでいた。おそらく夜通し酒を飲んで日が完全に昇って市場に活気が出始めた頃に帰ってきたのだろう。それと比べればましにはなったのかもしれない。

 ウォーヴィスはカウンターの横にある引き戸の戸棚から香草の束を四つ取り出し、天秤の皿に一束ずつ乗せて、もう片方の皿に分銅を乗せながら続ける。


「それに嬉しいんだと思うよ」


「嬉しい?」


「うん。誰もいない家に帰るってのは寂しいものさ。帰りを喜んでくれる人もいない。食卓を囲む人もいない。一人で長く暮らしていると、いつの間にか慣れてしまうものだけど、ふとした瞬間に抗えない孤独感が襲ってくるんだ。それに耐えられなくなった人は友人を頼るか、家族を作る。今の女史はきっと家に帰るのが寂しくないんじゃないかな」


「それならもっと早くに帰ってこればいいのに」


「そこが不思議なところでね。遅く帰っても誰かが家にいてくれるという安心があると、帰りたくないと思ってしまうのさ」


 少し考えてライカはウォーヴィスの矛盾した意見に首を傾げる。


「どうして?」


「簡単に言ってしまえば、甘えかな。迎えてくれる人がいるという安心感があるからこそ、もう少しだけ羽目を外してもいいかと思ってしまうんだよ」


「…ちょっと俺にはわからない感覚ですけど」


 ライカは納得がいかないという顔で呟く。


「まあ、ライカ君にはまだわからないかもしれないね」


 ウォーヴィスは天秤に視線を向けたまま声を忍ばせて笑った。


「はい、頼まれてたレモングラス。四束分でラリロンカ銀貨一枚だ」。


「高いですね」


 ウォーヴィスは客の足元を見て商売をする人間ではないことを知ってるライカは、純粋に驚いて呟く。何故なら他でレモングラス四束を購入しようとすればジトラ銅貨二枚と半分といったところだからだ。


「女史は産地に拘りがあってね。これはリンダロン産だから他のものより値が張るんだよ」


「高級品ってことですか?」


「まあね。でも、これはまだ安いほうなんだよ。本当の高級品は銀貨だと買えないからね」


 銀貨で買えないというのは、膨大な枚数が必要になるという意味だろう。


「まじですか。それヴェルデーナさんに教えないでくださいね。破産するかもしれないんで」


 ヴェルデーナは嗜好品に拘る(たち)だった。ライカは質よりも量を求める性格なので、ただの茶葉に銀貨を払う行為は無駄遣いにしか思えないが、金を出しているのはヴェルデーナなのでなにも言えない。代金を払って持参してきた籠に仕舞う。


「またおいでね」


「はい。うちは暇しているので、ウォーヴィスさんもお時間があれば遊びにきてください」


「ははは。そのときは手見上げに高級な茶葉を持って行くよ」


 ◇◇◇


 グラント薬草店を辞去した帰り道、ライカは茜色に染まる空を見上げながらあることについて思いを巡らせていた。

 それはぶつかってきた女性についてだった。

 表面上、ウォーヴィスはいつもと変わらない様子だった。ただ、女性のことについては触れないようにしている気配があったので、触れてほしくないことなのだろうとライカもわざわざ話を振るようなことはしなかった。


「まあ……色々あるんだろうけどさ」


 店を辞去する際にウォーヴィスは店先まで見送りをしてくれたのだが、そのとき見せた寂しそうな目がライカの胸に嫌な()()()を産み落としている。


「ウォーヴィスさん、寂しそうだったよな……」


 ライカはウォーヴィスが好きだった。おっとりとした穏やかな声も、好々爺とした雰囲気も、まるで本当の祖父と話をしているような気分になる。

 よそ者だったライカにも始めから好意的に接してくれているし、なにより会話をしていると心の凝りがほぐれていくような気分になっていくのだ。

 だから、あんな顔を見てしまうと心配になってしまう。なにかしてあげられることはないのだろうかと。

 それに女性が残した言葉には不穏な気配があった。

 嫌な予感が頭をよぎる。ウォーヴィスの寂しそうな表情の理由が怖い。


「……ちょっと聞いてみようかな」


 今は夜が始まろうとしている町で、ライカは背後から忍び寄る不安の気配から逃れるようにヴェルデーナの待つ家まで急いだ。



ここまでお読みなってくださりありがとうございます。

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カクヨム,アルファポリス,ノベルアップにも同作を投稿しております。


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