第十八話 わからないことは恥ずかしいことじゃないんだからね
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ライカの仕事は大きく分けて二つある。一つはヴェルデーナの身の回りの世話。そしてもう一つが、薬師としての勉強。
基本ヴェルデーナは午前は部屋に籠りっきりになるので、その間ライカは日用品や頼まれた品の購入や、家の掃除などの家事をしてすごす。
始めてきたときはボロ屋敷だったサイフォニック薬草店も、ライカのおかげで一応見れる程度には綺麗になってきた。
境界線代わりの石壁を綺麗に磨き、片方外れていた門を修理し、雑草が生え放題だった庭を綺麗に刈った。長年風や雨に晒されて汚れていた窓も、顔が映るほどに磨いたし、割れた跡を修理してあった部分もガラス職人に依頼して新しい物をつけてもらった。
湿気た路地に佇むボロ屋敷だったサイフォニック薬草店も外観だけはそれなりに見れるようになったとライカは自負している。
店主であるヴェルデーナはあまり興味を持っていないようだが、店舗兼住宅なのだから綺麗にして悪いことはないはずだ。
「それじゃあ、昨日の続きからで今日は三頁分を読んでもらおう。その後は文字の書き取り練習だ」
「わかりました」
そして、これがライカのもう一つの仕事である勉強だ。ただ、薬師としての勉強ではない。学んでいるのは基本的な文字の読み書きだった。
ライカが字の読み書きを覚えたのは、ポルタで商人の手伝いをしていたころだ。荷物を運ぶ際に荷札に送り先や、保管場所が記されていて読めないと仕事にならず、そのために最低限ではあるものの読み書きを学ぶ機会があった。そのおかげで難しくないものであればある程度読めるようにはなっていた。とはいえ、それらは我流で覚えたもので読めない字や発音が怪しいものもあるし、書くとなるとミミズがのたうち回ったような字しか書けない。
ヴェルデーナにそのことを告げると、ならまずは字の読み書きから始めようということになった。
薬師になるのならたくさんの本を読まなければならないし、薬を生成する際に使う薬草などの名称や分量を示したレシピは文字が書けなければ作れない。
だからライカは薬師としての勉強よりも、まず基本の勉強をすることになったというわけだ。
「いいか、読むときは必ず正しい発音で読むこと。それとわからない文字を適当に読み飛ばさないこと。ライカは掃除とか料理はきっちりこなすのに、そういうところで手を抜くからね。ちゃんとやるんだよ」
「はい……」
「ふふ。いい子だ」
ヴェルデーナは不貞腐れ気味に返事をしたライカの頭を嬉しそうに撫でる。それがライカの不機嫌を煽ることになるのを知ってのことかはわからないが、ヴェルデーナは勉強のときになると時折頭を撫でてくるのだ。
止めてほしい。恥ずかしいし、そんなことをされて喜ぶような歳でもない。が、教わる立場で偉そうなことは言えない。だから、いつも面白くないと思いつつもされるがままになっている。
普段食事をするテーブルで、二人椅子を並べて座る。ライカが読み間違いをしていないかを確認するためにヴェルデーナが本を覗き込もうと腕が触れるまで体を寄せてくる。
触れた部分から伝わる体温や耳の側で聞こえる呼吸の音。それにふんわりと漂ってくるヴェルデーナの濃い香り。
この瞬間だけは毎回心臓が痛くなる。
「それじゃあ、始めようか」
◇◇◇
「うん。よくできました。と言いたいところだけど、いくつか発音のおかしい部分があったし、読み方がわからなくてごにょごにょ誤魔化した箇所があったね」
「はい……すみません」
「わからないのは恥ずかしいことじゃないんだからね。勉強はわからないを減らすためにするんだから、素直になることが一番だよ」
「……はい」
「でも、それ以外はとってもよかった。ただ文字の羅列をだらだらと読むのではなく、文脈を理解して物語に現実味を添える抑揚は見事だった」
「そうでしょうか」
「うん。物語を彩る読み手の技というのは一朝一夕で身に着くものじゃない。ライカは以外な才能があるんだな」
そんなことを言いながらまた頭を撫でるのだから、ライカとしては顔を上げられなくなってしまう。
普段は駄目人間の見本のような生活をしているくせに、何故が勉強の時間のときだけは人が変わってしまったかのよう慈悲深い包容力を見せる。それがどうにもくすぐったいし、落差にまだドギマギしてしまう。だから止めてほしいのだ。
ただ褒められることに慣れていないライカは、ヴェルデーナの甘い言葉や仕草に満更でもないのだ。
「……父親適正ありだな」
「……え?」
心地良さに身を委ねていて、ヴェルデーナがぼそりと零した言葉を聞き逃してしまった。
「すみませんヴェルデーナさん。聞こえませんでした」
「い、いやいや! なんでもないどす!」
せっかく褒めてくれているのだ。できれば一言一句胸に刻みたいと思ったライカが聞き返すと、顔を真っ赤にしたヴェルデーナが体を仰け反らせながら胸の前で手を振っている。
その様子からは先ほどの抱擁力のある大人の女性の雰囲気は消えており、いつもの駄目さが滲み出し始めていた。
「どす……? いや、でもなにかアドバイスしてくれたんじゃ……」
「アドバイスというか、願望が洩れたというか……。とにかくなんでもない! ほら、次は書きとりでしょ。私は仕事するからちゃんとやんさないよ!」
「えっ、ああ……はい」
あっけにとられているうちに仕事部屋に走って逃げていく背中を見送る。
なんだ。どうしてこうなったんだ。
閉じられた仕事部屋の向こうからなにかを蹴っ飛ばして痛がるヴェルデーナの声が聞こえてきた。
「まあいいか」
こうして流してしまうところがライカのよいところでもあり悪いところでもある。
まさかドア一枚挟んだ向こうで様子を見にきてくれるかな、と期待しているヴェルデーナがいるとは考えもしていないのだから。
◇◇◇
夜。ベッドのなかで窓からライカは天井をぼんやりと眺めていた。
正式にフォルゲンスタリアの住民として認められ、薬師ヴェルデーナ・サイフォニックの弟子としての道を歩むことを許された。
ここまで半月。たった半月しか経っていないが、ポルタでの十年よりも濃い時間をすごしたような気がしている。
明日はどんなことがあるのだろう。明日はどんな出会いがあるのだろう。明日は、明日は、明日は──。
未来のことを考えて胸が躍るのは久しぶりの経験だった。ライカにとって明日とは、終わりの見えない師への不満と自分の未来への不安ばかりの世界で、輝かしいものなどなにもなかった。
牢獄に捕らえられているような気がして苦しかった。でも、いつの間にかその苦しさを誤魔化す術を手に入れて、苦しさの輪郭を陽炎のようにぼんやりと不確定なものへと昇華させることで心を保っていた。
生きるってそんなものでしょ。そうしなきゃ、人は生きるために死にたくなっちゃうんだから。
誰かの声が頭のなかで再生される。
「貴方誰です?」
声の主に心当たりはない。ただ、かなり昔に誰かとの会話で言われた言葉ということだけはわかる。
フォルゲンスタリアで生活を始めてから、ふとした瞬間に聞こえるようになった謎の声。
不気味に思っていたのも最初だけで、今では眠る前に交わす記憶の誰かとの不思議な会話。
正確には返事があるわけではないので会話として成立してはいないが、ライカのなかでそれは会話だった。
「おやすみなさい。また明日」
重くなってきた瞼に逆らうことなく、毛布に顔をうずめて夢の世界へ。
明日も幸せな世界が続きますように。
一人だけの部屋で幸せに包まれながら、ライカは明日を想って眠りについた。
ここまでお読みなってくださりありがとうございます。
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