第十七話 ライカの日常
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フォルゲンスタリア中央街から人が消えることはない。東からは旅行客や陸路でやってきた行商人が、西からは交易で出入りする大きな商会の人間や久しぶりの陸地を心ゆくまで堪能しようとする船乗りやなどが集まってくる。
彼らが目指すのはマーリント市場というフォルゲンスタリアの商業活動の中心地。貿易都市らしく世界中から集まった品々が集まる区画や、新鮮な海の幸や近隣の村から卸された青々とした野菜たちが占める区画、なめし工、織物工、鍛冶屋、靴屋などがひしめき合う区画などがある。
最西端でありながら大抵のものは揃うし、大陸を越えてやってきた工芸品なども買い求められるということもあって、日中はもちろん、日が落ちて店を閉める時間になってもいつまでも余韻を楽しむ人たちの山が残り続ける。そういった人たちは市場の真横に軒を連ねた複数の酒場に足を運び、冷めやらぬ熱気が冷めるまで酒を飲み、語り合い、夜を明かすのである。
もちろん町で暮らす人々にとっても重要な場所であることは言うまでもない。日々の食料調達や日用品の購入、修理依頼などをするために、日に一度は必ず訪れる場所である。
ライカももれなくそのなかの一人で今日も市場へ足を運んでいた。
市場で必ず買うものと言えばミルクだ。これはヴェルデーナがミルクをよく飲むから。それ以外にもミルクを加工して作ったチーズやバターなどもよく購入する。
基本的に食事面に関してはヴェルデーナの好みが優先される。
ヴェルデーナは白パンよりもライ麦パンを好み、野菜よりも魚、魚よりも肉を欲する。ただ、ライカは元が農村の出身で野菜の美味しさを知ってもらいたいので、肉料理をするときは必ず野菜もつけるようにしているから、野菜も多く購入する。
「最近の夕飯は肉ばっかりだったから今日は魚にしよう。野菜は……まだ前の残りがあったから買い足す必要はないな」
市場に着くとこの半月でライカの顔を覚えてくれた商店の人たちが声をかけてきた。
体は大丈夫か。ちゃんと飯食ってるか。なにかあったらすぐ言えよ。
皆ライカを心配してくれているものばかりだ。
「おはようございます。後で伺いますね」
手を振って答えると、笑顔で振り返してくれる。そんな光景にライカは言いようのない幸せを感じていた。
フォルゲンスタリアへ住む際にライカが一番気を配らなければいけないと思っていたのが、住民との関係だった。
都市は村と比べて人の出入りが激しく、外からやってくる人間について住人は排他的な村と比べれば寛容だ。しかし、外からやってくる人というのは、考え方や文化が違う土地から移ってくるわけで、当然そこには簡単には埋められない溝がある。
その土地にはその土地のルールがあり、ルールを逸脱する人間は調和を乱す異物でしかない。外部から人の流入が多い都市では、その異物をいち早く発見するための情報網がある。それは根のように張り巡らされ、いざというときの自衛に役立てられる。
ライカのように新たに町で暮らすことになった人間は、まず遠巻きに監視される。そして、一定の監視期間が終わり、危険ではないと判断されれば、晴れて町の一員と見なされるのである。ライカはこの監視期間を乗り切ることが直近の課題だと思っていた。何故ならヴェルデーナはフォルゲンスタリアでは異物扱いで、異物に弟子入りする人間がまともであるはずがないと思われるのは避けられないことだったからだ。
これは大きな問題だった。修行の期間は基本的に町の住人として暮らしていくことになる。職人とは村や町などの自身が属する土地の人々からの依頼を得て仕事をすることがほとんどで、生活していくためには仕事をして金を稼がねばならない。横の繋がりの数がそのまま生命線になっていくと言っても過言ではないのだ
師匠が外向的であれば同業や協力関係を結べそうな仲間を見つけていくこともできるが、ヴェルデーナにそれは期待できない。となると、全ては自分の力で開拓していかねばならないわけで、異物認定されている現状では、それを成すことが難しい。
だからライカにとっては市場でどれだけ人との交流を持つことができるのかが重要で、内心とても緊張していた。だが、始めて市場に足を踏み入れたときに待っていたのは好奇の視線と好意の言葉だった。
人が集まりすぎて一時的に市場の機能が麻痺するほどに人々はライカという人間に興味を示していた。後で聞いた話によると、あのヴェルデーナに弟子入りしたいと言うくらいだから、とんでもない変人に違いないと噂されていたらしい。
その日は結局ろくに買い物などできずに住人たちとの交流に消え、ようやく解放されて家に帰ると、腹を空かしてへそを曲げたヴェルデーナの仏頂面があったのだ。しかし、ほとんど一日留守にしていた理由を話すと途端に素っ気なくなって「よかったな」とだけ告げて自分の部屋に籠ってしまった。
ただ、去り際に見ええた横顔が嬉しそうに笑っていたので、もしかしたらヴェルデーナもライカが町に馴染めるのか心配していたのかもしれない。
そんなわけで始まったフォルゲンスタリアでの新生活は概ね順風満帆と言えた。住民のなかにはやはりよく思わない人もいて、冷たくされることもあるが、いきなり全ての人と仲良くできるとも思っていないし、こういうことは多くの時間が必要な問題だ。
じっくり行こう。なにせこれから長い時間をヴェルデーナと町の皆とすごしていくのだから。
「こんにちは、ロイドさん」
「おう、ライカじゃねえか。息災か?」
「ロイドさんの目利きのおかげでいつも新鮮な魚を食べられるので健康そのものですよ」
ライカが笑って言うと、鼻を鳴らして頷いた。今年で六十になるという鮮魚売りのロイドは客商売をするには向いてない強面で、少々鋭すぎる目をしている。今も鋭い眼光がライカに注がれていた。ただ、これはライカに敵意を示しているという訳ではなく、単にそういう顔付というだけなのだ。ロイドは顔に似合わず情に厚い人間なのである。
「そうじゃなくてよ。あの女と一緒にいて変なことされてないのかってんだよ」
「ああ……それは大丈夫ですよ。先生も噂されるよりもずっと常識人ですし」
先生というのはもちろんヴェルデーナのことだ。町の人と話すとき、ヴェルデーナのことを差す場合は先生と呼んでいる。
「そうかあ? この間酔っぱらって階段の手すりに跨りながら風のように走れって一人で騒いでたぜ?」
「……」
「……」
「まあ……危ないことはされてないです」
視線を逸らして小さく呟く。羞恥で顔が熱い。
あの酔っぱらいなにやってんの?
「ふん、おめえさんが平気だって言うならいいけどよ」
そう言ってロイドはまた鼻を鳴らした。すこし眼光の鋭さと強面のせいでとっつきにくさを感じてしまうが、実はライカはロイドのことを結構好きだったりする。
理由は言うまでもなく、顔を合わせるとこうしてライカのことを心配してくれるからだ。
ただ、それを言ったり顔に出したりするとロイドは途端にへそを曲げてしまうので、あくまでいつも通りの風を装う。
きっと心配していることがばれるのが恥ずかしいのだろうと思う。
「それで、今日はなにが欲しいんだ?」。
短いやり取りだったがそれで満足したのか、ロイドは一度手を打ち鳴らすと商売人の顔になった。
「そうですね…鯉はありますか?」
「おう。鯉なら丸々太ったのが入ってるよ」
そうしてロイドが背後の生簀から取り出したのは、ライカの腕ほどの長さのあるよく太った立派な鯉だった。
「お、大きいですね」
「おう、レーヨ川で獲れた大物だい。こいつ一匹あれば三日は持つだろうな」
三日連続で魚料理が続くとなるとヴェルデーナから文句で出そうだ。だが、生き生きとした魚体を目の当たりにすると、小言なんて受け流せばいいかと思えてきてしまう。
うん。これでいいかもしれない。
「いくらですか」
「そうだな、ジトラ銅貨九枚と半ってとこか」
「九枚半!?」
しかし、返ってきた金額に思わず声を張り上げた。
「また値段上がったんですか!?」
「ああ。一昨日から値上がりしたんだ」
「どうしてそんなに高いんです?」
ライカの相場観だと今買おうとしている鯉であれば精々がジトラ銅貨二枚から三枚半がいいところだ。ただフォルゲンスタリアは漁港があることから鮮魚が名産でもあり、他所の地域と比べると値段は少し高い。それでもジトラ銅貨四枚から五枚半程度で買えていた。それがジトラ銅貨九枚半となるとほぼ倍に跳ね上がったことになる。これは詐欺と言っても誰からも石を投げられないくらいにはあり得ない値上がりの仕方だ。
ロイドも価格の高騰には思うところがあるのか、渋い顔をしながら口を開く。
「しょうがないんだよ。半年前に大きな事故があって漁船と漁師に被害が出ちまったからな」
「事故ですか?」
「ああ。かなり悲惨な事故で、未だに怪我の調子が悪い人が多くてな。船の方は修理が完了してるのもあるけど、乗る人間がいねえから意味がねえ。単純に漁獲量が減ってんだよ。そうなると市場に出回る魚が減るからどうしても値段が高くなっちまう」
ああ、そういうことだったのか。ライカは一人納得した。以前ヴェルデーナとスズキの塩焼きを食べたとき、かなり値段が高いなと感じたことがあった。ライカはその値段を交易都市ならではの値段だと思っていたが、漁獲量の影響を受けていたのかもしれない。
「漁師が復帰してくれれば、漁獲量も増えるだろうから値段も落ち着いてくるだろうが……」
「それにはもう少しかかりそうな感じですかね」
「そうだな」
どうするか。三日分と考えれば買えない額ではないが……。
財布に手を伸ばしたままそんなことを考えて、
「やめときます」
結局購入を断念した。
「そうか。買いやすい値段だとニシンがあるぞ。一匹ジトラ銅貨一枚だ」
ロイドは鯉を生簀に戻すと代わりにニシンを勧めてきた。確かに鯉と比べれば安くはあるが、それでも少し高い。だが、まだ許容範囲内だ。
「じゃあ三匹ください」
「あいよ。今持って帰るか?」
「また夕方にきます。それまで取りおいてもらえますか?」
「おう。じゃあ、また夕方な」
「はい。よろしくお願いします」
ライカが会釈をすると、ロイドは軽く片手を上げて店の奥に戻っていった。
今後魚の値段が上がるのならば、しばらく魚料理は控えなければならない。ヴェルデーナの一番の好みが魚でなくてよかった。
そんなことを思いながら続けていくつか店を見て回り、最後にミルクを購入して帰路に着いた。
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