第十六話 ヴェルデーナさんの弟子は大変だな
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市場が開くことを知らせる鐘の音に合わせてジリアス医術組合の門を叩くと、顔を覗かせたのは先日受付をしてくれた女性だった。すでに話が通っていたのか、手紙を見せると女性は柔らかく笑みを浮かべて二階の一室に案内してくれた。
部屋は来賓をもてなすために用意されたものらしく、高価そうな調度品が並び、絨毯には金の刺繍が施される豪華さで、踏みつけてもいいものなのだろうかと、部屋の入口でみっともなく狼狽えてしまった。
そんなライカに案内してくれた受付の女性は笑みを湛えたまま、室内中央に向き合うように置かれたソファを勧めてくれた。お世辞にもよい身なりをしていないライカを見て、こういう場には不慣れなのだろうと察してくれたのかもしれない。
しかし、そのソファもソファで素人目に見ても高価そうで気軽に腰を下ろすには度胸のいるものだった。
じれったくなった受付の女性に無理やり座らされても、服で汚れていないかとか、靴で傷をつけてしまっていないかなど気が気でなかった。高級品だけあって座り心地はいいのだろうが居心地は悪い。
そうして自分の存在自体がすでにこの部屋の汚れなのではという強迫観念襲われ始めた頃、部屋の扉が開く音がした。
入ってきたのは髪を後ろに撫でつけ、ブラウン色の仕立てのよさそうな服を纏った男性だった。
「待たせてしまって申し訳ない。私はニーベルト・モルドリス。フォルゲンスタリア支部ジリアス医術組合の組合長を務めている者だ。まずは突然の呼び出しに応じてくれたことへの感謝を」
ニーベルトと名乗った壮年の男性は一直線にライカの元へやってきくるとにこやかなに言って手を差し出す。
「お──私はライカ・シャーリックです。この度はフォルゲンスタリアへの移住とヴェルデーナ・サイフォニック氏への弟子入りを認めていただきありがとうございました」
ライカも慌てて立ちあがりおずおずと差し出された手を握る。
「いやいや。町の仲間が増えるのも、組合員が増えるのも歓迎するよ。特に若い方ならなおさらね」
目尻の皺が濃くなる笑みを浮かべるニーベルトは人のよさそうな雰囲気を纏っており、組合長になくてはならない威厳がごっそり抜け落ちてしまったような印象を受けた。しかし、だからと言って親しみを覚えるかと言われれば素はれ否だ。
組合をまとめ上げる人間というものは一癖も二癖もあるのが当たり前。こうして初対面の相手に友好的に接してくる相手ほど、腹のなかでは鍋で煮るように正反対の感情をたぎらせていることが多い。むしろ、尊大で横暴な態度をで接してくれた方がわかりやすくて安心できるとさえ言える。
ライカは顔の筋肉が軋む音が聞こえそうなぎこちない笑みを返しつつ、心のなかで汗を流していた。
あんな手紙を送りつけるくらいだから嫌な予感はしていたが、これは想像していたよりも厄介な事態かもしれない。
「新しい仲間とは意識が飛ぶまで酒を酌み交わすのが私の流儀なんだけど、それはまたの機会にしよう」
ニーベルトはライカの対面に腰を下ろす。そのタイミングで受付の女性が紅茶を持って現れた。そして、二人分の紅茶を並べ終えると、さっと視線をニーベルトに向けて小さく頷く。対するニーベルトもまた同じように返した。
怪しすぎる。あからさまなアイコンタクトだ。
受付の女性が部屋を出るのを待って、ニーベルトは口を開いた。
「今日わざわざきてもらったのは他でもない。ライカ君のお師匠であるヴェルデーナ・サイフォニック氏についてだ」
ニーベルトの柔和な雰囲気が一転、獣を前にした狩人のような気配に変わる。
きた。ライカは気圧されないように鳩尾にぐっと力を込めた。
「まず最初に我々のヴェルデーナ・サイフォニックという人物の評価は非常に微妙な位置にある。何故なら、サイフォニック氏について我々はほとんどなにも知らないからだ。彼女について我々も相当の時間と労力をつぎ込んで調べてみた。しかし、全てが徒労に終わった。どこで生まれ育ったのかはもちろん、家族構成や宗教なども不明。彼女がフォルゲンスタリアにやってきたのは十年前だが、それ以前の記録が一切ないんだよ。まるで幽霊みたいな人だ」
「幽霊……」
「失礼。ライカ君の師を侮辱するつもりで言ったのではないので誤解はしないでほしい。……正直な話をしてしまえば記録のない人間自体は珍しくないんだ。アルバラルト戦争のことは知っているだろうが、あの戦争は多くのものを破壊してしまった。規模の小さな村なんかはいくつ壊滅してしまったのかは未だに正確に判明していないくらいだからね。そういった場所の出身では公式な記録が燃えてなくなってしまい、記録上は存在してないことになってしまった、なんて人は多いんだ。だから、サイフォニック氏の記録がないというのも、そういった不幸な過去があるからと考えれば納得はいく。だが、それで解決しない問題が彼女にはあるんだよ」
ニーベルトは話しているうちに凝り固まり始めた眉間を親指で揉み解しながら続ける。
「職人が別の町へ移住しそこで働く場合には該当する職業組合に申請するのがルールだということはライカ君も知っていると思う。それらの許可を出すのは組合長である私の仕事だ。私は彼女に移住の許可も開業の許可も出した覚えはないんだ。いつの間にか住み着いて知らないうちに居を構えて薬師として働いていた。これは普通ではあり得ないことなんだ。外部の人を受け入れる際にはそれなりの審査が必要になる。それも移住先に知り合いなど身分を証明してくれる人がいない場合は特に厳しくね。我々が調べたところサイフォニック氏の身元を保証してくれる人間はこの町にはいない」
「でもヴェルデーナさんは審査に合格していた……?」
「ああ。しかも書類には私の筆跡でサインがされていたんだ」
なるほど。なんとなくニーベルトの言いたいことがわかってきた。
「書類の偽造はもちろん疑った。内部に協力者がいるのかと、内偵も進めた。しかし、いずれも結果は白だったんだ。彼女は正しくフォルゲンスタリアの住人で正しく薬師として働く資格がある。これは公式な記録だから、誰にも覆すことはできない」
異常事態だということははっきりしている。ただ、その異常事態は正式な記録によって解決してしまっている。
ニーベルトの顔にはうっすらと汗が浮かんでいた。その表情は疲弊しており、最初に見せた柔和な笑みはない。
「私は当然議会にこの事態の異常性と危険性を提言した。しかし、議会は即日こう返してきたんだ。『ヴェルデーナ・サイフォニック氏の権利・資格はフォルゲンスタリア議会の厳正な審査の上に認められた正式なものであり、貴殿の憂慮する事態は起こりえない』って。おかしいだろう? 不正行為があったことは明らかだというのに議会はそこには目を瞑って、あくまでも一町民、一職人だと断言しているんだ」
一瞬、頭にそれらの不正に魔術を使ったのではという考えがよぎった。しかし、ヴェルデーナは魔術を嫌悪している。絶対にないとまでは言い切れないが、果たしてそこまでするのかは疑問がある。
だとすれば、議会にヴェルデーナに関係のある人物がおり、便宜を図っていることになる。
「到底納得などできることじゃない。しかし、議会にそう言われてしまえば我々としても飲み込むしかなかった。とはいえ、なにもしないわけにはいかないから監視は続けていたんだ。後ろめたいことがある人間なら遅かれ早かれなんらかの尻尾は出すと思っていたからね。だが、彼女は今日に至るまでこれといって問題を起こしたことはなかった。精々が酒に酔って騒ぐ程度だ。仕事に対しても積極的ではないがしっかりと成果は残しているし、何度か助けられたこともあった。私としても十年という時間を共にして彼女に対する警戒心は以前と比べれば薄れつつある。ただ──」
「まだ完全には信用できないと」
「やはり素性の知れない相手というのが大きく引っかかっているのだと思う。本当なら歩み寄るべきだとも思っている。ただ、相手のことを知ろうにも我々の間にできてしまった溝を埋めるのは中々難しい。時間的にも心情的にもね。だか、ここにきて転機が訪れた。それが君だよ」
期待を堪えきれないのか声のトーンが上がっていく。そして、向けられる視線はまるで救世主を目の当たりにした信徒のようだった。その懇願するかのような視線に嫌な予感は間違いでなかったのだと知る。
「……こんなこと頼むのは筋違いだということはわかっている。しかし、私は彼女にあまりよく思われていないようだし、サイフォニック氏を目の敵にしている組員の目もあって表立って動くことはできない。だから君に頼みたいんだ」
そして、その予感は想定していたもののなかで最も認めたくないものだった。
「もしかして俺にヴェルデーナさんと組合との間を取り持てっていうんですか!?」
ニーベルトは静かに頷いた。
◇◇◇
ジリアン医術組合を辞去した後、ライカは裏通りを俯きながら歩いていた。
ライカはヴェルデーナの評判が悪いのは普段の言動が原因だと思っていた。だが、それはあくまで副次的なものなのかもしれない。本質は嫉妬。権力を持つ人間との特別な繋がりを使って便宜を図ってもらっているかもしれないという疑惑があること。そして、その疑惑を否定してくれる人がいないこと。
らしいと言えばらしい疑われ方に笑いが込み上げてくる。我が師匠ながら擁護のしようがない。
「でも、ニーベルトさんも悪い人じゃないんだよな」
ニーベルトの頼みにライカは答えを出せずに保留してもらった。その際に頼みを受ける受けないに関わらず君に与えた権利を取り上げるようなことはしないと断言してくれたのだ。
むしろ、師匠を探るというあまりにも不義理な頼みを押し付けることを恥じているようにも見えた。
ライカはニーベルトを腹に一物を抱えた人物だと考えていた。しかし、実際のところはそうではない。きっと真面目な人なのだ。
あからさまに怪しいヴェルデーナを疑いつつも、十年の歳月の間に信頼に近いものが生まれつつある。何度か助けられたこともあったと言っていたから、それが原因だろう。怪しくはあるが組合にとって、町にとって害をなすように人間には見えない。しかし、やはり素性の知れない相手を受け入れるのは抵抗がある。
だからこそどんな人間なのか知ろうとしているのだ。思い込みを捨てて向き合おうとしている。
本当だったら頷いてもよかった。そうしなかったのは、ヴェルデーナの気持ちも知る必要があったからだ。
ライカから見てヴェルデーナは特別町の人間を毛嫌いしている様子も、拒絶している様子もない。かなり限定されえはいるものの、交流のある人もいるようだ。だからこそ、ニーベルトたちとの間にできてしまった溝が気になる。
なんの理由もなくいぞができるわけがない。きっと何かしらの理由があるはずだ。それを知らないままに、頼みを引き受けるのは徒弟としてあるべき姿ではないと思った。
「わかってはいたけど、ヴェルデーナさんの弟子は大変だな」
まさに板挟みだ。ただ、自分で言うほど悲観はしていない。
何故ならニーベルトはヴェルデーナを排除したいとは一度も言わなかったからだ。彼はヴェルデーナ・サイフォニックという人物を知りたいだけなのだ。
それがどうしようもなく嬉しかった。
フォルゲンスタリアにおいてヴェルデーナは拒絶されるだけの人だと思っていた。だが、歩み寄ろうとしてくれる人がいる。
それはポルタで話し合いの席すら設けてもらえなかったライカにとって羨ましいものであり、また、希望のある話だった。
排斥されると知ったときの崖から突き落とされるような感覚は誰にも味わってほしくない。もし、自分の努力次第でヴェルデーナを取り巻く環境がよくなるのなら、そんなに喜ばしいことはない。
「やることは山積みだなー!」
本当に大変だ。だけど、未来が楽しみな大変さだ。
ライカは路地から見える空を見上げてやはり笑うのだった。
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