第十三話 俺を弟子にしてください
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アメリアの妊娠が発覚して二日。村は未だ醒めない祝いの空気に沸いていた。
連日訪ねてくる村人は、各々手土産を持ってきてシャーリック一家を祝ってくれた。ブラウンとアメリアは照れくさそうに笑って対応していて、それを見ているライカも幸せな気分だった。
「まさかこの歳で兄貴になるなんてな」
家の裏に背負ってきた薪を下ろしながら、独り言ちる。
本音を言えば、昔から弟か妹が欲しかった。ただ、それを口にしたことは一度もなかったし、何故か言ってはいけないと幼心に感じていた。
「やば……」
思わぬ形で願いが叶い、気を抜くと今でも泣いてしまいそうになる。
「おらっ。さぼってんじゃないよ」
しかし、ライカに感傷に浸っている時間はない。
臀部に痛みを感じて振り返ると、そこには杖をついたヨキが眉間にしわを寄せて立っていた。
「別にさぼってるわけじゃないよ。ちょっと休憩してただけじゃん」
「休憩するのはアメリアだけでいいんだよ。お前さんは働きな」
「わかってるって」
全く人使いの荒い婆さんだ。心で毒づきながらライカは溜息をついた。
「ほんで、頼んだもんは?」
「赤ん坊のベッドに使う木材は頼んであるし、服に使う布も準備してもらっているよ」
「なんじゃい。終わってるならヴェルデーナさんの手伝いに行かんかい!」
ヨキは持っていた杖でライカの足を小突く。
「だからわかってるって」
「ならさっさと行きな」
久しぶりの産婆としての仕事にヨキは張り切っている様子だった。もう歳なのだからあまり興奮しないでもらいたいが、村にとって久しぶりの子供となればそれも仕方がないのかもしれない。
ライカはこれ以上小突かれないうちに、さっさと退散するのだった。
◇◇◇
ローム川と呼ばれる小川が流れる野原は、古くから村の薬草採取の場として重宝されている。
まだ小さい頃、熱を出したライカもここで採れた薬草に何度か世話になったことがあった。また、この場所は春の訪れを知らせる七色のロマンと呼ばれる小さな花が咲き誇ることでも有名で、かつてこの風景を画家が絵にした際には、題名が天使の笑みとつけられるほどだった。
それだけこの野原はダレン村にとっては切っても切れないとても大切な場所だ。
ヴェルデーナはローム川の畔で、ロマンによってできた花霞のなかにいた。
ゴルデナ湿地でも似たような光景を見た。ただ、そのときと違うのは、
「おや、君もこちらの手伝いに寄こされたのか?」
近づいてきたライカの気配にヴェルデーナがすぐに気づいてくれたことだ。
「でも、せっかく手伝いにきてもらったところ悪いけどこっちも丁度終わりだよ。これだけあればしばらくは大丈夫だろう」
ヴェルデーナは足元の籠に視線を落とす。ライカもつられて見ると、溢れんばかりの薬草が詰まっていた。
確かにこれだけあれば、しばらくは大丈夫そうだ。
「ほら、帰ろう。これから種別に乾燥させるものと、そうでないものと仕分けするからさ。そっちを手伝ってよ」
やることはまだ一杯あるぞ、とすれ違いざまにライカの肩を叩いて村に帰って行くヴェルデーナの声はわざとらしすぎる明るさがあった。
あの日からずっとこうだ。今日だって朝の挨拶をしたとき以外は一度も顔を合わせていなかったし、話すときは常に笑みを浮かべて視線をはぐらかし、なにがあっても決して合わせようとしない。誰にも悟られないように、しかし、ライカにだけはわかるような見えない壁を作っている。
明らかに避けられている。その原因を作った張本人としては、その態度は胸にくるものがある。
「待ってください!」
だが、今のライカはその程度の拒絶で折れる心は持っていない。
「俺は本気ですよ」
少し離れたところにいるヴェルデーナに届くように大きな声で言ってやる。
ヴェルデーナの肩が大きく跳ねて足が止まった。
「あの話なら断っただろう。君を弟子にとることはできないよ」
背を向けたままで表情はわからない。ただ、声色も台詞も二日前に言われたそのままだった。
ライカはロマンの香りを肺一杯に吸い込んだ。懐かしい故郷の香りがそっと背中を押してくれたような気がして、その勢いのまま、ヴェルデーナの背中を追いかけた。
「その答えは聞きました。でも、俺は諦められないんです」
勝手も迷惑も承知だ。それでもライカは再び心に灯った闘争心に従う。
「はあ……」
前を向いたままのヴェルデーナから深い溜息が聞こえてきた。
面倒臭いことになった。このガキをどうやってかわしてやろう。そんなことを考えているのかもしれない。
上等だ。この闘争心に冷や水を浴びせられるものならやってみろ。今の俺の闘争心は水如きでは消し去ることなんかできない。
ライカはこれからくるであろう拒絶の言葉に、腹に力を込めて耐える準備をした。そして、この二日考えに考え抜いた思いをぶつける準備をする。
しかし、そんなライカの意気込みは振り向いたヴェルデーナの顔を見て、簡単に崩された。
ヴェルデーナは少しだけ嬉しそうに、はにかんでいたのだ。
「君が私を頼ろうとしたのは、ブラウンさんから魔術を使う薬師だと聞いたからだそうだな」
「えっ……あ、はい」
「魔術を使う私だから弟子入りしたいのか?」
「それもあるかもしれません。でも──」
「だとすれば君の期待には応えられない。だって私は魔術を嫌悪してるからね」
嫌悪するというくらいなら、もっと憎らしそうに言えばいいものを。
「どうしてですか」
「うーん……。これは個人的な感覚だからなんと言えば伝わるのかわからないんだけど、一言で言うなら今の魔術は形が悪いから、かな」
「形が悪い?」
「理解しようとしなくてもいい。ただ……私にとってその事実はとても重要で、それ以上でも、それ以下でもない。だから……私は君の師にはならないよ」
ヴェルデーナは自分と対話するように、時折言い淀み、頷きながら答えた。
抽象的で知識のないライカでは魔術の形が悪いという言葉の真意はわからない。
しかし──。
「じゃあ、やっぱり俺は貴方に師匠になって欲しいです」
だからこそ、自信を持ってこう言える。
「確かに魔術師という部分に惹かれたことは事実です」
「だったら──」
「でも、それは本当に些細なことでほんのきっかけにすぎないんです。そんなことよりも、もっと俺の心を占めている大切なことがある」
「大切なこと?」
いけ、ライカ。お前の闘志を、お前の本気をヴェルデーナにぶつけるんだ。
「俺は……なによりも貴方の笑顔に惹かれたんだ!」
突風に吹かれてロマンの七色の花弁が二人を包み込むように舞った。
広い野原でたった二人だけを祝福するかのような花吹雪は星屑のように青空を七色に彩る。
ちなみにライカの発言は赤の他人が聞けば告白以外のなにものでもないのだが、悲しいかなライカには女性経験が一切ないのでその辺の自覚がまったくない。
しかし。
「は、はあ!? 君…な、なにを言っているのかね!?」
ヴェルデーナはライカがそんな初心な心の持ち主だと知る由もないので、当然この反応になるのである。
「ヴェルデーナさんは気がついていましたか?」
「な、なにが…」
「父と母が泣いて喜んでいたとき、貴方は二人以上に心の底から嬉しそうに笑っていたんです。あんな綺麗な笑顔、俺は生まれて始めて見ました。心底見惚れました」
歯の浮くような甘い台詞。頬が熱くなるのと口元がにやけてしまうのを止められないヴェルデーナはせめてもの抵抗として手で顔を覆う。
「き、君さあ、からかうのは……」
「からかってなんていませんよ。前に鍛冶職人になろうとした理由を話したことがありましたよね。俺はあのときの職人と同じ、力になれたことを心底嬉しく思って綺麗な笑みを見せられる貴方だからこそ惚れたんです! 俺は鍛冶職人にはなれなかったけど、でも今度は貴方のような薬師になって困った人たちを笑顔にしたい。その為には貴方の知識と技術が必要なんです」
互いの胸がぶつかり合いそうなほどに近づいているのに、見ている方向が全く違うというのがなんとも悲しいものである。
ただ、らしいと言えばらしいかもしれない。
「だからもう一度言います。いえ、何度でも言います。貴方以外は考えられない。俺を弟子にしてください」
再び一陣の風が吹いた。今度は頬を撫でる程度の穏やかな風で、ヴェルデーナの白銀の髪が流されてさらさらと泳ぐ。
ヘーゼルの瞳がふっと笑った。
「全く……君は少し言葉の意味を考えて発言した方がいいと思うぞ」
ヴェルデーナはライカの真っすぐな視線から逃れるように少しだけ俯いて、右の拳を突き出しそっと押した。
「私は酒浸りだし、生活力は全くないし、いい歳して地に足をつけないでフラフラとしてる。とても師には向いていないような女だ」
「初対面で滝ゲロしますしね」
「それは……忘れたまえよ」
コホン、とわざとらしい咳払いを一つ。
「それでも私を選ぶというのか……?」
そして、改めて向けられたヘーゼルの瞳は不安げに揺れていた。
ライカには何故ヴェルデーナがそんな目をするのかがわからない。ただ、師として正しく導けないことを思ってのことだとしたら、それは間違いだとはっきりと答えられる。
「もう一度夢を見るために誰かの背中を追うのなら、それは貴方の背中がいい」
一度潰えた夢の先に待っていたのは、だらしない年上の女性。
家族でも癒しきれなかった失望から救い、新たな未来と熱を届けてくれた魔術師。
彼女は自身を薬師だと言った。
「そう……」
吐息と共に薄く吐き出された声は、野原のざわめきにそっと消えていった。
「君も物好きだな」
薬師で魔術師の彼女は、眉を下げて笑う。その瞳にはもう不安はなかった。
「まあ、君がいれば楽し……色々便利そうだしな。私は家で、君は採取に、という役割分担もよさそうだ」
「勉強させていただきます」
「君の元師匠よりも私は厳しいぞ。弟子になるというのなら色々覚悟しておくように」
「望むところです」
春風が野原を駆ける。草花のざわめきは、新たな門出を迎えた二人を祝福しているようだった。
「そうとなれば君が……ライカには、私の本当の名を告げておこう」
「え、ヴェルデーナ・サイフォニックが本名じゃないんですか?」
「サイフォニックは仕事で使う名だよ。本名よりもその方が色々便利だからね」
「へえ……そうだったんですか」
名を偽るというのは、それなりの理由があってのことのはず。女性が一人で身を立てるのに必要なことなのだろうか。
「あー……でもちょっと恥ずかしいな」
「なんでです?」
「仕事名で呼ばれることが多かったからかな。なんか、本名を口にするのが恥ずかしいんだよ」
頬を染めて恥じらう様はその辺の男性なら卒倒しそうなほどに色香のある仕草だが、やはり悲しいかなライカは、
「ヴェルデーナさんって、恥ずかしがるところが変わってますよね」
と、色気を理解できない寂しい男だった。
「よし! 一回しか言わないからよく聞いておけよ!」
そして、そんなライカの様子にすら気付かないヴェルデーナは、自身の頬を叩いて。
「私の本名は、ヴェルデーナ・リナリア・エクレールだ」
強く叩きすぎて少し涙目になったヘーゼルの瞳でライカの目をしっかりと見つめて言った。
「ヴェルデーナ・リナリア・エクレール」
ライカはその名を心に刻み込む。
「素敵な名です」
「ふふ。そうだろ。母親がつけてくれたんだ」
ヴェルデーナは隈の浮かんだ不健康そうな顔をほころばせた。
その笑みにどうしようもなく胸が苦しくなる。
理由は、わからない。
新たな目標のきっかけとなった人を前に緊張しているから?
それもあるかもしれない。ただ、それだけではない予感もしている。
上手く言語化できないのがもどかしい。それほどライカの心は闘争心に揺られ、新しい将来に希望を見出し、ヴェルデーナ・リナリア・エクレールという女性に惹かれている。
これは憧れなのだろう。なのだろうけど、あの鍛冶職人に抱いた感情とは別の感情があるのも確かだった。
ただ、それはとても朧気で、蜃気楼のように遠くで揺らいでいて形が定かではない。
手を伸ばせば届くのかどうかもわからない。
だから今は、その名も、この風景も、不健康そうな笑顔も。
生涯忘れぬよう心に刻みつけておこう。そして、いつか蜃気楼の元にたどり着いたら。
いつかまたこの地で。
「よっしゃ! それじゃあアメリアさんのところに戻って報告だ」
「はい!」
ライカとヴェルデーナ。二人の物語はここから始まった。
青年と薬師 完
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カクヨム,アルファポリス,ノベルアップにも同作を投稿しております。




