第十一話 これが私の仕事のやり方だ
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「ただいま」
玄関ドアを開けて声をかけると、寝室の扉が空いて男性が顔を出した。
「おお、ライカか。おかえり」
頭髪や髭に白髪が混じり始めた壮年の男性の名はブラウン・シャーリック。ライカの父親だ。
「それで、どうだった?」
知りたいという気持ちと知りたくないという気持ちの混ざり合った曖昧な表情は、ライカが口を開くと怯えたように一瞬引きつった。
「うん、それなんだけど」
ライカは開け放たれたままの玄関を振り返る。そして、左手で入室を促す。
少しの間を空けてトロリーバック片手にヒールブーツの音を鳴らしながら入ってきた彼女は。
「突然の訪問を謝罪します。私はヴェルデーナ・サイフォニック。フォルゲンスタリアで薬師をしています」
と、優雅な礼をして名乗った。
「あ、貴方は……」
始めは信じられないというような顔で。その後に旧知の友をの再会を喜ぶように声を震わせる。
「おお……。あの頃とお変わりないようで……」
そして、歩み寄るとヴェルデーナの手を握りそんなことを言った。
「ブラウンです。十年前は本当にお世話になりました。おかげ様でこうして元気でやれております」
「……申し訳ありませんが、私はあまり人の顔を覚えるのが得意ではなく……」
ヴェルデーナが申し訳なさそうに言うと、ブラウンは首を振った。
「いいえ、いいえ。あの頃はたくさんのことがありましたし、貴方はとても……疲れていらっしゃった。それでもこちらの一方的な願いを聞き届けて下さりました。それだけで十分です」
「そう言ってくれるとこちらも心が軽くなります」
「父さん、そんなところで話してるのもあれだし」
「ああ、そうだったな。そこにおかけ下さい。今、なにか喉を潤すものでも」
「結構です。私は私の仕事を完遂するためにここへやってきました。可能であればすぐにでも奥様を診させていただきたい」
ブラウンは破顔しながら居間へ案内しようとしたが、ヴェルデーナは固辞し、一歩踏み出して言った。
村に向かうまでの道中、ヴェルデーナは終始トロリーバックに詰め込んできた本を一心不乱に読みふけり、手帳になにかしらを書き綴っていた。
読み書きに自信のないライカには、その本がどうやら薬草学に関するものだということくらいしかわからなかった。
本の文字を飲み込むように読んでいく姿は鬼気迫るものがあり、移動中の会話はほとんどなかった。ゴルデナ湿地ではあれだけ一方的に話し続けていた人間とは別人のようだった。
仕事に不満を抱かれて黙っていることはできない、とヴェルデーナは言った。
それは自身の仕事に責任とプライドがあっての発言だっただろうし、薬が効かなかったことへの申し訳なさを感じての発言だったと思う。
だからこそ直接患者の元に向かう決断をしたのだろうし、道中は本を読み漁って治療へのヒントを探していたのだと思う。
ライカはなにも言わずにその横顔をずっと眺めていた。そして、仕事に全身全霊を捧げる職人のような気迫にすっかり見入っていたからだ。
「わかりました。では、こちらに」
目を閉じて静かに深呼吸をしたヴェルデーナは力強く一歩を踏み出す。
◇◇◇
寝室に入ると額に手の甲を当てて憔悴した様子のアメリア・シャーリックがベッドで横になっていた。
ブラウンが優しく声をかける。するとすぐに目を覚ましたアメリアはヴェルデーナを見て、
「話しに聞いていた通り綺麗な人。ライカの母のアメリア・シャーリックと申します。こんな姿で申し訳ありません」
と弱々しい声で言った。
「こちらこそおやすみのところ申し訳ありません。ヴェルデーナ・サイフォニックと申します。この度は私の力が及ばす、アメリアさんにご負担をおかけしてしまい……」
「謝らないでください。こうなってしまったのも、私が調子づいてしまったせいなんですから。頂いたお薬はきっと効いているはずなんです」
ヴェルデーナはアメリアの言葉に一度頷いた。
「前回処方した薬では体調を改善させる効果が薄かったのかもしれません。なので、今回直接アメリアさんからお話を聞かせていただき、処方する薬草などのご相談をさせていただきたいのですが、今お加減はいかがでしょうか」
「ええ。今は落ち着いています」
「では、そのままで構いません。いくつか質問をさせていただきますので、お答えください」
「ええ。よろしくお願いします」
ヴェルデーナはブラウンがベッドの脇に用意してくれた椅子に腰かけると、持ってきていたトロリーバックから手帳と万年筆を取り出した。
「それでは──っと、すまないが、君は席を外してくれないか?」
そして、問診が始まろうとした瞬間、背後で見守っていたライカにそう声をかけた。
「はあ!? なんでですか?」
「患者の情報はみだりに他人に明かすわけにはいかないからだ」
「他人って……俺は息子ですよ!?」
「息子だろうがなんだろうが関係ない。これが私の仕事のやり方だ」
振り向いてライカを見据えるヘーゼル色の瞳は自信と決意に満ちており、一切の妥協を許さないと物語っている。仕事人としての矜持は決して犯させない。それはヴェルデーナが薬師としてあるための覚悟なのだろう。しかし、らいかとて、はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。
どうして除け者にされなければいけないのだ。苦しんでいるのは俺の母親なんだぞ。
唐突な退出要請になど当然従うつもりはなかった。
「ならライカは僕と一緒にきてくれないか。飲み水を切らしていたことを忘れていてね。二人で行けば多く運んでこられるだろう?」
それは納得のいかないライカを宥めるためのブラウンからの提案だった。
一人で行けというのではなく、一緒に行こうと言うところが息子のいなし方を熟知していることを伺わせる。
「でも!」
「僕らがここにいたってできることはないだろう? それに父さんも母さんもサイフォニックさんを信頼している。だから、心配しなくても大丈夫だよ」
「母さんも喉乾いちゃったわ。ライカ、お願いできる?」
ブラウンだけでなくアメリアにまで言われてしまえば、ライカは降参せざるを得ない。
「……それじゃあ、母さんをよろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ。次は期待を裏切らないと約束する」
ヘーゼルの瞳が真っすぐライカを見つめる。
ライカは一度だけ頭を下げると、ブラウンに連れられて寝室を後にした。
◇◇◇
水汲みを終えて家に戻ると、丁度ヴェルデーナが寝室から出てくるところだった。
「おお、丁度いい。呼びに行こうと思ってたんだ」
ヴェルデーナの言葉に、ライカとブラウンは顔を見合わせる。
「あの、なにかわかったんでしょうか?」
「その前に貴方も含めて奥様と三人で話しをしたいんです。いいでしょうか?」
ブラウンは不安そうな顔をしながら、視線をライカへ送った。またしてもライカだけ省くことに申し訳なさを感じているのかもしれない。
「いや、そんな大したことじゃありません。二三確認したいことがあるのです。ただ、息子さんの前では言いにくいことかもしれないので、できれば、というわけでして」
「いいよ、父さん。俺はここで待っているから」
「……悪いな」
ブラウンがライカの背にそっと手を当てて言う。
ヴェルデーナも今度は申し訳なさそうに、
「すまない。確認だけできたら君もちゃんと呼ぶし、包み隠さず全て話すから」
と言った。
「わかりました」
寝室に消えていく二人の背中に疎外感を覚えないわけではない。ただ先ほどのように苛立つことはなかった。
ライカは椅子に座ってじっと天井を見つめる。
一か月と少し前に帰ってきて、始めは懐かしさを覚えた我が家も今では十年間の空白などなかったかのように居心地のよさを感じている。
幼い頃とは家具が変わっていたり、家のあちこちに修繕の跡が見受けられたりと、ライカの知らない十年の間に両親が家を彩り守ろうとした痕跡がちりばめられている。
それを見るだけで、胸の奥の方がじんわりと暖かくなってくる。父と母が懸命に思い出を守ってきた空間に身を浸していると、無性に安心できるのだ。
ただ、いつまでも甘えている訳にはいかないとも思っていた。早く人生の目標を見つけなければいけないと焦りを感じている。
早く立派に独り立ちして、両親を安心させてあげたい。それがライカの一番強い願いだった。
そんなときに、母親の体調がおもわしくなくなり、余計にライカの焦りは増大することになった。
二人の背を見送ったときに苛立ちは感じなかった。代わりにあったのは──。
「待っていてください! 今すぐにヨキさんを呼んできます!」
思索にふけっていると、突然寝室の扉が開け放たれた。ものすごい勢いで飛び出してきたのはブラウンで、強い焦燥が浮かんだ表情のまま家を出て行ってしまった。
ドクン、と心臓が大きく鳴る。
「きなさい」
開けっ放しになったドアからヴェルデーナが顔を出した。ライカは震え始めた足を右手で殴りつけて無理やり立ちあがる。
「かあ……さん」
寝室に入るとベッド上でアメリアが両手で顔を覆って堪えきれない感情を漏らすように泣いていた。
なにか言葉を。そう思う気持ちとは裏腹に、ライカの口は酸欠に喘ぐ魚のように開いて閉じて、また開いてを繰り返す。
手遅れなのか。死んでしまうのか。聞けばきっと背後にいるヴェルデーナは答えてくれるだろう。だが、それはもう避けられない確定した未来であり、受け止める覚悟はライカにはなかった。
室内にはアメリアのすすり泣く声だけが流れた。そして、ようやく落ち着きを取り戻したアメリアの顔が上がる。泣き腫らした目は赤く充血していて、母親の泣く姿を見るのはこれで三度目のライカにとっては、荒風が駆け抜けていったように心がざわめく。
「ごめんね。こんなみっともないとこ見せちゃって」
まだ目尻に残っていた涙が頬を流れる。
「そんなこと言うなって」
声が震えた。
「あのね、母さんね……」
心臓が震える。体が震える。瞳が震える。
アメリアの口から告げられようとしている現実に、ライカの全てが拒絶を示す。だが、逃げることはしない。
なにより一番つらいはずの本人が真実を受け入れようとしているのに、息子である自分が及び腰になって耳を塞ぐことはできない。
それだけはしてはならないと思った。だから、ライカは拳を握りしめて、頬の肉を噛みしめて待つ。
どれだけ残酷な事実であろうとも、また三人揃った家族で立ち向かうために。
アメリアは少し視線を彷徨わせてから、ためらいがちに口を開く。
「母さん……赤ちゃんができたかもしれないの」
そして、心の底から嬉しそうに笑ってそう言った。
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