第十話 仕事に不満を抱かれて黙っていることはできない
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フォルゲンスタリアは相変わらずの人通りで、その様子を上空から見下ろせば食料を見つけた働き蟻たちの群れに見えるだろう。誰かが荷物を抱えて建物に入っていったと思えば、その隣の建物から人が駆け足で飛び出していく。そんな様子も懸命に女王蟻とこれから生まれてくる子供たちのためにせっせと働く働き蟻を思わせる。
今日も昨日と変わらない一日だった。町を行き交う人たちは、せっせと働き町を、人生を、未来を作っている。
しかし、そんないつもの変わらないはずの光景に一つの異物が混じっていた。
その異物とは亜麻色の髪を後ろで一括りにした青年ライカ・シャーリックだ。
すれ違う人々はライカの纏った異様な気配に圧倒されている。
ある人は目を剥いて口を噤み、ある人は悪魔でも見たかのように後ずさり逃げていく。なかには以前道を尋ねたときに親切に教えてくれた人もいて、どうしたのかと声をかけてくれることもあったが、ライカは答えなかった。というよりも、聞こえていなかったと言った方が正しいかもしれない。
ずんずんと進み東街から中央街の十字路を折れて、北口市壁の前まで一直線。
「あ、お前っ!」
異様な気配に気がついた男が声をあげる。以前ヴェルデーナと関わるなと忠告してきた市壁の門番だ。明らかに異様な雰囲気を纏ってやってきたライカに男は強い警戒心をもって、槍を持つ手に力を込めた。しかし、段々と近づいていくるライカの鬼気迫る表情に気圧されたのか、槍を携えたまま直立不動でそのまま通りすぎる背中を見送ることしかできなかった。
その様子を見ていた住人は男に蔑む視線を送るも、当の本人は去った恐怖に安堵の溜息を吐いているので気がついていない。全く役に立たない門番である。
相変わらずの湿気のある脇道を進むと、これまた相変わらずの木造の一軒家が姿を現す。
あの別れからすでに七日が経っていた。まさかこんな短期間に再訪することになるとはライカ自身思ってもいなかった。
強く拳を握る。拳のなかで圧縮された悲しみと怒りが熱を持って焼けるように熱い。
片方の門が壊れた石壁を抜け、真っすぐ玄関まで進む。そして、ノッカーを乱暴に叩くと、
「ヴェルデーナさん! ヴェルデーナ・サイフォニックさん! いらっしゃいますか!」
一帯に響き渡る声で叫んだ。
「……っ。いるんでしょう、ヴェルデーナさん!」
ドアに跳ね返ってきた声が響いて、耳の奥で金属をぶつけたような音がする。だが、ライカは更に喉が裂けそうなほどに叫ぶ。
「出てこい! ヴェルデーナ・サイフォニック!」
殴りつけるようにドアを叩くも、返答はない。ドアノブを捻るも、今回は鍵がかかっているようだった。
留守なのか? いや、あの人が昼間から外に出ているはずがない。それにしばらくは外に出なくてもいいと言っていたから、必ず家にいるはずだ。となれば──。
「どこかから」
玄関が駄目なら他から入れないか。
そう思い視線を右に振ると視界に入ったのは窓だった。表面が汚れでくすんではいるものの室内の様子は伺えそうだ。駄目なら最悪、割って侵入したっていい。
全く手入れのされていない庭を進み、窓から室内を覗き込む。
相変わらずの生活感のない殺風景な室内は無人かと思うほどだ。が、猫足の椅子の上に目的の人物がいるのを確認した。
紺色のチェニックに身を包み、椅子の背もたれに体を預けるように眠っていた。みっともなく開けられた口からは涎が垂れて、耳をすますと小さくいびきも聞こえてくる。
あそこならこちらの怒声は聞こえているはずだが、それでも起きないとなると相当深く寝入っているらしい。
「ヴェルデーナさん! 俺です、ライカですよ! 起きてください!」
窓を叩きながら声を張り上げる。すると声が届いたのか、ヴェルデーナは嫌そうに眉間に皺をよせたり、逃れるように首や顔を背けたり、耳の側で手を払ったりし始めた。
確実に声は届いている。もう一息で起こせそうだった。ただ、その一息が遠い。ライカは続けて懸命に呼びかけるも、次第にヴェルデーナの反応は小さくなっていく。
じれったくなったライカは、
「大酒のみ。滝ゲロ。おんぶしたとき本当は重いなって思った。隈女」
と、起こすため、というよりも起きないことに対する怒りを発散するように悪口を浴びせていく。しかし、ヴェルデーナは一切の反応を見せないだけでなく、寝ているのに足を組んで笑みを浮かべるという煽りをかましてきた。
全自動煽り機能でもついてんのか。
「はあ!? なに笑ってんだ!」
勝ち誇った笑みを浮かべながらいびきをかくという高等技術をやってのけるのだから、これはもう起きているとしか思えないが、ライカの呼びかけに一切答えないヴェルデーナ。
プチン、と頭のなかで糸の切れるような音がした。そして、ライカは怒りのままとうとう禁忌の一手を打つ。
「この……いい歳して──ひっ」
妙齢の女性には絶対に言ってはならない禁断の言葉。それは鋭利な刃となってヴェルデーナを襲うはずだった。しかし、刃は鞘から抜き放たれるまえに勢いを失くしてしまった。
何故なら『歳』の辺りでカッと見開かれたヘーゼルの瞳がライカを捕え、まるで糸で吊られたマリオネットのごとく不気味な動きで立ち上がると、そのまま床を滑るように窓際まで高速で移動してきたからだ。
「ひぃぃぃぃ」
追い剥ぎに襲われたときですら、こんな間の抜けた声は上げなかったのだからどれほどの恐怖だったのかは想像していただけると思う。
あまりにも人間離れした動きに、足の力が抜けて尻もちをついてしまった。
滑るように、と表現したが、あれは実際に滑っていたと思う。人がそんな芸当ができるかと言われてしまいそうだが、実際にそう見えたのだから他に言いようがない。
尻に走る痛みを感じながら恐る恐る視線を上げると、一束の髪の毛を食ったヴェルデーナが窓際に立ち尽くし、眼球だけ下に向けてこちらを睨みつけていた。
怖すぎである。
「いい歳して、いい歳して……」
感じるのは明確な殺意だった。
ここで選択を間違えれば後に待っているのは避けられない死だ。これは確実。ならばここでしなければいけない選択は──。
「いい歳……の重ね方をされているからお肌が真っ白すべすべで、とてもお美しいですね……?」
流れる無言の時間。あまりにもな世辞だが果たして。
「──」
ヴェルデーナの口が動いた。と同時に大通りの方でなにやら大きな音がしたせいでなにを言ったのかはわからなかった。が、ヴェルデーナはそのまま窓から離れるとしばらくして玄関の鍵が開く音がした。
どうやら合格したらしい。
誉め言葉が命乞いになる稀有な瞬間だったが、ライカは無事に命の峠を乗り越えられたようだった。
◇◇◇
「うーん、寝てたのか、私は……。でも、どうして君がいるんだ? 鍵はかかっていただろう」
こめかみを揉みながら微睡みから覚めきらない声でヴェルデーナは不思議そうに言う。
どうやら年齢に関する悪口に無意識に反応したようで、先ほどのことは一切覚えていないようだ。
なるほど。全自動煽り機能に続き、全自動年齢に関する悪口に反応する機能を備えているらしい。
「あの、鍵はヴェルデーナさんが──いや、そんなことはどうでもよくて!」
「おいおい、うら若き乙女いるんだからどうでもよくはないだろうに。物取りが入ってきたらどうするんだ。多分そいつは死ぬことになるぞ」
「物取りが返り討ちにあうんですか!? いや、だからそんな話しはどうでもいいんですよ!」
寝起きは弱いのか、ヴェルデーナはそんなやりとりをしつつもどこか夢うつつといった様子で、そのせいでライカも調子を崩してしまう。
先ほど迄感じていた怒りも若干小さくなった気がする。だが、有耶無耶にするわけにはいかない。
ライカは、ヴェルデーナの手を掴み、体をぶつけそうな勢いで詰め寄った。
「あの薬効かなかったんですよ! というか悪化しているんです!」
「なんだと……?」
ぼんやりと焦点の怪しかったヘーゼルの瞳に火が入った。
「最初の二日はよかったんです。吐き気もある程度収まって体も少し楽になったような気がすると言ってたんですが、三日目の夜になるとまた体調を崩し始めて、今度は腹部の痛みまで訴えるようになったんです」
「一応聞くが、腹を下しているわけじゃないよな」
「だったらわざわざここにきませんよ」
「そうだよな……しかし、ふむ」
ヴェルデーナはこめかみに人差し指を当てて沈黙してしまった。
「すごく辛そうにしています。これはどういうことなんですか!」
始めは体調がよくなって食事の量を通常に戻したことで胃が驚いたからだと思っていた。しかし、再び食事の量を減らて様子を見ても体調が元に戻ることはなく、むしろ今では野菜スープすら受けつけない日もある。
五日目になると少し頬がこけたように感じられ、六日目になって我慢できなくなったライカが村を飛び出してヴェルデーナの元に直訴しにきたのだ。
「長く続く吐き気……胸が苦しい……腹部の痛み……」
ヴェルデーナはトントンとこめかみを叩きながら俯いて独り言を零す。
「まさか……母は貴方の薬を飲んだから体調を崩したんですか」
ヴェルデーナの動きが止る。ヘーゼル色の瞳がライカを捕らえる。
「どういう意味だ」
「だって……貴方は魔術師、なんですよね」
「どうしてそれを……まさか、見たのか」
ライカは力なく頷いた。
「ヴェルデーナさんが魔術師だということは父から聞いていました。俺、魔術師に憧れがあって、どうしても好奇心が抑えきれなかったんです」
女々しい言い訳だ。どんな理由があったとしても、自身の不正を正当化する理由にはならない。
「薬を作っているときに魔術を使っていましたよね。あれはなんだったんですか。貴方がくれた薬は本当に母の不調を治すものだったんですか?」
村に戻って両親にヴェルデーナによくしてもらったことを話すと、父親は少しだけ驚いたような顔をしていた。
魔女のようだったなんて失礼だ。あの人はとても心根の優しい人だった。そうライカが告げると、父親は感慨深く頷いて一言「よかった」とだけ言った。
薬を飲んだ母親の体調が劇的とは言わずとも目に見えてよくなっていった。
紆余曲折はあったものの、これで母親の体調落ち着くだろう。しばらく様子を見る必要はあるかもしれないが、それも時間の問題だ。
しばらくぶりの家族団欒をすごしながらライカは肩の荷が下りた気持ちであった。これでなにもかもが順調にいくはずだ。なにも不安に思うことはない。楽しそうに笑い合う両親の顔を見つめながらライカはそう思っていた。だが、それは間違いだった。
薬を飲み始めてすぐ、再び母親は体調を崩し始めた。しかも今度は以前よりも悪化している。処方された薬は欠かさず飲んでいた。しかし、一向に症状は改善せず、むしろ悪化しているようにも思えた。
どうして。どうして。どうして。
辛そうにする母親の背中をさすりながらふと脳裏によぎったのは、父親がヴェルデーナを魔女のようだったと言っていたことだった。
まさか、薬を調合しているときに使っていた魔術は体を病むものなのでは?
ほんの数日前に自身で否定していたはずのことが、頭に嫌にこびりついて離れない。
ヴェルデーナ・サイフォニックはやはり魔女だったのではないか。そんな疑念が常に頭の片隅でちらつき、母が嘔吐して苦しそうに喘いでいる姿を見ていると、疑いと確信の間で揺れ動く自分がいた。
一度燃え始めてしまった篝火は次第に大きな炎となり、いつしかヴェルデーナが魔女であるということを否定する声よりも肯定する声が自身のなかで膨らんで勢力を増していった。
そんなわけがない、が、そうかもしれない、に汚染されるまではそう時間はかからなかった。そうに違いない、に踏み込めばもう戻れなくなる。そうなればライカは自分がどうなってしまうかわからなかった。
散々ヴェルデーナに世話になって贈り物までもらっておいて、とんだ手のひら返しなことを考えているという自覚も情緒不安定だという自覚もある。しかし、精神的に追い詰められたライカに冷静に答えを導き出せるだけの余裕はなかった。だから、まだ答えを探そうと思える間に再びフォルゲンスタリアの地を踏んだのだ。
「そうか、あれは君だったのか? いや、しかしなぁ……」
ライカの告白にヴェルデーナは眉を下げて悲しそうな表情を見せたものの、あまり驚いている様子はなかった。どちらかというと疑っている。
その反応の理由がわからないライカはおずおずとヴェルデーナの反応を伺うしかできない。
「うん。まあ、今はそっちはいいか。見られてしまっては仕方がない。そうだ、確かに君の言う通り私は魔術を扱う。ただ、あの薬には効果を促進させるような魔術は使っていない」
半分は期待通り。もう半分は裏切られたような気持ち。
「でも、薬草が宙に浮いているところを見ました」
「あれは単に薬草を乾燥させるためにしてただけだよ。今回は急ぎだったから仕方がなく使ったけど、普段はあんなことしない」
「それじゃあ、あれは普通の……薬?」
「その辺の薬師が調合したものと同じだと思って欲しくはない。けど、効かなかったんだもんな」
こめかみから移った指は、形のいい唇を撫でる。
「ふん。いいでしょう」
ヴェルデーナはなにかに納得したように頷き、隈の浮かんだ不健康そうな顔で挑戦的な笑みをつくり、
「私は薬師として最高の仕事をしたと自負している。だが、その仕事に不満を抱かれて黙っていることはできない」
白くて細い指をライカの鼻先に突きつけた。
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