ホースマン 第2章 初対面
北海道にはすでに秋の風が吹いている9月。
今日、ついにレグルスが乳離れを終えて、リブラファームにやってくる日だ。
「やはり緊張しますね。この瞬間は」
大河原さんが呟くと――
「あっ、あの馬運車じゃない?」
ニエルが馬運車を指差した。
馬運車には「プリムス・ノース・ファーム」と書かれていた。
馬運車が止まり、運転手の男性が出てきた。
「お疲れ様です。プリムスの相模と申します。本日はリブラファーム様に仔馬を連れてきました」
「ありがとうございます。早速見せてください」
運転手は馬運車から仔馬を下ろす。
仔馬は鹿毛色が日差しに輝き、馬体は小馬にしては大きなサイズだった。
「……間違えてお兄さん馬の方、連れてきてない?」
ニエルが都中に尋ねると――
「いや、レグルスの兄は栗毛なんだ。多分兄貴は母馬の父の色が強くて、レグルスは父の色が強いんだな」
都中は答えた。
「レグルス、今日からここがあなたの故郷よ」
桜子さんが優しく囁く。
ここから始まる。レグルスの馬生が。
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その夜、皆で夕飯をとりながら、大河原さんが今後の課題について話した。
「ウチの牧場は育成施設も充実していたんですが、今は複数の牧場が共同で使っているんです。そちらを使えば問題ありません。しかし、同世代の馬達と交流できないのは問題があります」
大河原さんが愛飲している日本酒を片手に話す。
「そこは手は打ってあります。ウチの牧場は施設が充実していますし、そこを様々な牧場さんに格安で使用してもらう代わりに、うちのレグルスを週に2、3回預ける条件を飲んでもらいました」
都中はグラスに残ったビールをぐいっと飲み干した。
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翌日、レグルスはビックマムと初めての顔合わせをした。
「大丈夫かしら……」
桜子さんが不安そうに見つめる中、ビックマムはレグルスに走り方を教えるように並走していた。
「すごい……なんか私、感動しちゃった」
ニエルが泣きそうになりながらその姿を見ていた。
「レグルス。君は、君たちは走るために生まれてきたんだ。走れるために万全のサポートを取るよ」
都中は静かに呟いた。
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その翌年の夏。
レグルスも一歳と半年になり、人を乗せての調教を始めていた。
中小の牧場が集まる中でも、頭ひとつ抜けて能力がずば抜けていた。
「今年の夏は暑いですね」
大河原さんが事務所に戻り、麦茶を飲むと――
「大河原さん、レグルスはどうですか?」
都中が尋ねる。
「レグルスは、スピード、スタミナ、身体の柔らかさは育成牧場に来ている馬の中で一番です。ただ、馬混みが苦手で気性が穏やか過ぎるのが弱点ですね」
そんな話をしていると、ニエルが慌ただしく部屋に入ってきた。
「ちょっと!これ見てよ!」
「なんだ、急に」
ニエルが持っているタブレットに目をやると、そこにはセリのライブ映像が流れていた。
「2億8,000万、3億2,000万入りましたー!」
セリ主が元気よく声を上げていた。
セリにかけられている馬は、どこかで見覚えのある栗毛の馬だった。
「フェーリークスの20XX? これはレグルスの兄貴じゃないか! どうしたんだ、この映像?」
「今のセリのライブ! レグルスのお兄ちゃんが出るから、事務作業しながら観てたんだけど、大変なことになってるの! 見て!」
「4億入りました! 他にございませんか? 以上ですか?」
カンカンと木のハンマーを叩き、セリ主が叫ぶ。
「おめでとうございます! 4億円でオーシャンファームの京平様に決まりました!」
会場内が拍手に包まれる。
「すご……こんなにレグルスと差がつくの?」
ニエルが唖然とする。
「そりゃそうだ、当然だ。この馬がそれだけ期待されているんだ」
都中が言う。
オーシャンファーム――日本最大にして最強の名を欲しいがままにしている、日本屈指の名門牧場。
そのオーナーであり馬主の京平は、日本の競馬界では知らぬ者がいないほどの有名人だった。
「いきなり差をつけられましたね、レグルス」
大河原さんが呟く。
しかし――
「金額で競馬は決まりませんよ、大河原さん」
都中は自信を持った顔つきで話した。
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年が明けて1月。
北海道は雪で覆われ、育成牧場には多くの競馬関係者――特に調教師たちが、今年デビュー予定の馬達を見ていた。
「この馬をぜひ、うちの厩舎に!」
「うちの馬、そちらの厩舎にいかがですか?」
見学に来ていた馬主と調教師、それに牧場関係者が、馬の売り込みやオファーに奔走していた。
しかし――
「うちのレグルス、どうですか? 育成牧場の中で一番能力がありますよ」
都中が調教師に売り込む。
「うーん……でもグローリアの弟でしょ? 走るかどうかわからない馬はなぁ。申し訳ないけど、ウチでは預かれませんよ」
レグルスはまだ厩舎が決まっていなかった。
兄・グローリアは早いうちに“西の名伯楽”と呼ばれる深谷厩舎に決まっていた。
「これで八件目か……なかなか決まらないな」
そう言って事務所に戻ると、ニエルから伝達があった。
「オーナー、お疲れ様です。この前連絡があった美浦の梅田調教師から、ウチはすでに埋まっていると断りの連絡がありました。これで何件目ですか!」
ニエルは怒りながら話す。
「まぁまぁニエル君……俺もさっき断られたよ」
ベンチコートをハンガーにかけながら話した。
「グローリアの弟だからなんなんです! レグルスはレグルスなのに!」
ニエルは続けて話す。
双子馬の弟、さらに名門牧場から無理やり購入したという噂まで立ち、調教師たちは関係性を壊さないためにも、あまり好意的に見ていなかった。
(どうすりゃいいんだ? このままではレグルスは中央競馬でデビューできない……)
競走馬としてデビューするには、美浦か栗東にあるトレーニングセンターの厩舎に所属しなければならない。
地方競馬から中央に移籍する方法もあるが、大河原さん曰く「レグルスは重馬場やダートには弱い傾向がある」。
地方はほとんどがダートレースのため、できれば中央でデビューさせてやりたかった。
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数日後、都中とニエルは寒空の下、育成牧場でレグルスの走りを見ていた。
「……走ると思うんですけどね。レグルス」
大河原さんが呟く。
「なんで……なんでレグルスは断られるの? そんなに弟であることが悪いの?」
ニエルが悲しそうに呟いた。
この時点で、中央の調教師の八割に断られていた。
残っているのは、新規お断りの名門、弱小厩舎、そして来年開業予定の厩舎だけだった。
「できれば、専属騎手を抱える厩舎に所属してほしかったんだけど……。これではレグルスのデビューが遅れるだけだ」
そんな中、携帯が鳴った。
「もしもし」
「オーナー? 桜子です。お客様がいらしてますよ。美浦の矢野調教師という方です」
「調教師? あぁ、今行くよ」
都中は急いで事務所に向かった。
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事務所脇の応接室には、小太りでメガネをかけた男が座っていた。
「レグルスの馬主の都中さんですか? 初めまして。美浦で調教師をやっている、矢野智久です」
「よろしくお願いします。早速ですが、うちのレグルスを見てもらえるんですか?」
「そこについての最終確認として、今日見に来たんです。先程も見させていただきましたが、素晴らしい馬です」
矢野智久――
美浦で厩務員から調教師免許を取得し、八年前に開業。
去年のリーディングベスト20にも入った。
独自の血統理論と競馬理論を持ち、ファンも少なくない。
「そこで、単刀直入に申し上げます。レグルスをウチで引き受けたいんです」
「本当ですか! でも、なぜです?」
「……見てみたいんです。常識を超える瞬間を。レグルスは双子馬、常識では走れない。けれど、ウチのスタッフ達なら超えられそうですから」
矢野は目を輝かせながら話した。
「ありがとうございます。では早速――」
「ただ、条件があります。ウチに所属している騎手を今日連れてきていて、レグルスの主戦騎手になる予定なんですが……そいつ、早速乗りに行ったみたいで」
申し訳なさそうに矢野が話す。
「そいつに聞いたら、“俺様ならこの馬の力を200%出せる”って言ってましたけど……どこ行ったんだ、あいつ?」
その時、金髪ショートの男が入ってきた。
「失礼します。レグルスのオーナーいます?」
「ミチル! どこにいたんだ!」
矢野が怒ると、男は答えた。
「頼まれてた馬に乗ったんすよ。あんな馬、初めて乗りましたよ」
「まったく……すみません、オーナー。彼が騎手の飯塚ミチル。去年まで南関東の騎手で、今年から中央の免許を取ったばかりの新人なんですが、腕は一流騎手と遜色ありません」
「飯塚ミチルっス。よろしくお願いします」
飯塚ミチル――
確かネットニュースにもなっていた。
デビュー五年で地方600勝を達成した天才ジョッキーが中央に移籍したと。
この時点で6勝を上げているが、「馬を勝たせる」ことを重視するあまり、馬に負担をかけるという話もあり、南関東の死神と言う異名もあったが。
「馬に負担はかけてないっスよ。馬なりであそこまで走れるのは、名馬の条件が揃ってます」
「ミチルは馬に負担をかける騎乗をすると噂があるけど、それは嘘だよ。そういう騎乗をする時は、もう後がない馬にしかやらない。そんなミチルの本当の異名は“馬を勝たせる天才”ってね」
馬を勝たせる天才と、理論を持つ調教師。
この二人に任せれば、レグルスは大丈夫だと思った。
レグルスの馬生が、また一歩動き出していた――。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第2章では、それぞれの登場人物が“馬”という存在を通して、自分の中にある迷いや矛盾、そして誇りと向き合い始めました。
勝負の世界は結果がすべてのように見えても、そこに至るまでの過程には、誰にも見えない「物語」があります。彼らの歩むその一歩一歩を、丁寧に描きたかった章でした。
この物語『ホースマン』は、単なる競馬の話ではありません。
それは「生き方」の物語であり、夢を追う者、夢を失った者、そして夢にしがみつく者——そのすべてが交わる瞬間を描いています。
人と馬、勝者と敗者、その境界線の中で生まれる“絆”や“執念”こそが、僕がこの作品で伝えたい核心です。
第3章では、さらに深い試練と選択が待っています。
彼らがどんな答えを見つけるのか、どうか見届けてください。




