第二章 第三幕 この道を征くこと
――――――2017年10月2日16時10分41秒
あの日から3日が過ぎる。別に期待していたとかではない。自分から持ち出したことだし、後悔もない。普通の生活に戻り、放課後の居残り勉強に綾乃が加わった。
だが、少し困ったことになっている。
「ねぇ。この問題ってさ、定数aをおいてxを変動させればいいんだよね?」
「ん?あぁ。そうだよ。そうすれば、解となるXの個数分、交点か接点の個数になるからね。」
「そっか、なるほどね…」
そう。問題をわかりやすく解説してほしいとのこと。まあ、教えることによって自分自身の理解も深まる、みたいなことは聞くけど…うーん…。
「これであってる?」
「……うん。やっぱ綾乃は理解力高いから、教えててすげー楽しいわ。」
少し仕掛けてみる。だが、
「でしょ?これでも転校前の学校では賢いキャラだったからねっ」
少しドヤ顔になる。ここはツッコむべきか…?
「今ではその欠片もなさそうだけど…?」
「うるさいなぁ。そういうこと言うと慎一君、嫌われちゃうよ?」
流石に失礼だったか?けど、近めの距離感だったらこういう冗談もよさそうだが…?
「嫌われるって言っても、ほとんどの人は俺のこと好きでも嫌いでもないだろうし……あんまり関係なさそうだけどね。」
「そ・れ・は、慎一君目線の話だから。この前も話したよね?慎一君が頭がいいって噂。」
「んー。話してはいたけど、それは俺も自覚してることだからなぁ。噂って言えるのかな?」
「それはどっちでもいいんだけど、そうじゃなくて!慎一君のこと、みんな興味あるし、話したがってるんだよ?」
ふむ。正直、人と話すのが得意じゃない俺にとって、”話しかけるなオーラ”がうまくいっている事実を確認できて、少しうれしい反面、申し訳なくなる。
「でも、その中で話しかけてくれたのは綾乃だけだよね?」
そういうと、綾乃は少しそっぽを向く。何かまずいことでも言ったか…
「言ったでしょ。せっかく同じクラスになったのに、話さないのはもったいないって。」
確かに。そういっていた。文化祭の準備中。しかし、なにかwordが抜けている気がする。
「もったいないか…。」
「そう、もったいないの。慎一君は話すと楽しいし、面白いのに、話すなオーラすごいから。」
「じゃあ、もう少しFrankになったほうがいいかな。」
そういうと、なぜか、
「いや。そのままでいいと思うよ。綾乃としては。」
なぜか普段の明るいトーンではなく、真面目な口調だ。
「どうして?」
子供みたいな質問をしてしまった。自らの稚拙さを認めたくなかったからか、
「やっぱ今の…」
前言撤回しようとすると、綾乃は少し悩みながら、
「だって、そうしたら……」
――――「慎一君、他の女の子と仲良くなっちゃうじゃん。」
あぁ。また綾乃に気づかされることになってしまった。俺はいつになったら自分で気づくようになるのだろうか。
しかし、これに綾乃は紅潮し、席を立とうする。その前に、独り言のように口にする。
「じゃあ、やっぱりそのままでいようかな。」
そう言ったのを耳にした綾乃は、廊下へと駆け出していった。
そのままでいること。綾乃にはどのように聞こえたのだろうか。
――――――2017年10月2日16時45分49秒
「ただいま。」
「おかえり。」
夕日に照らされた綾乃はまだ紅潮しているようにも見える……むしろ、紅潮していてほしいという願いへと変わっているような気さえした。
「どこいってたの?いろいろそのままにしてたけど。」
「ちょっと他クラスの子と話してたんだよ。」
綾乃は他クラスにも多くの友達がいる。俺もいないことはないのだが、せいぜいサッカー部の同期ぐらいだ。
「その子はね、体育祭の時に好きな男子から告白されたんだよ?だから、その話の続きをしたいって、LINEがきてね…」
「そうなんだ。」
興味がなさそうな返事をした。それは、もう今の振りで気づいたからだ。どう返すべきかを。どう返せば、そのままでいられるかを。
「慎一君は、そのままでいいん……だよね?」
揺さぶってくる、その言葉に綾乃自身も揺さぶられている。変わらないことを肯定したはずの綾乃が、もう一度。
「俺は―――」
心に従う。明確じゃないけれど、でも明確にしたら壊れるかもしれない。今の、この、変わらない一瞬一瞬が儚く、淡い、泡沫のように弾けてしまいそうだけれど、
「綾乃のことが、好きだ。ずっと心にあった、わからないけれど確かにある感情。それは、誰かが決めるものじゃない。だから俺が決める。これは、綾乃が好きだって気持ちだ。」
俺の正直な言葉。だから、後悔することがあるとしても、きっとその時は笑いとばして、自分に正直に、また立ち向かえる。
まっ直ぐに彼女を見つめる。
カァーーーーッ
夕日はもう沈みかけている。それでもまだ、夕日が二人のことを見届ける。
――――変わることを選ぶ。それは、覚悟を決めることでもある。
――――――2017年10月25日08時26分37秒
高校の最寄り駅で電車から降りる。改札を出る。登校時に使う唯一のリュックに、定期をしまって顔を上げると、彼女を見つける。
「「おはよう。」」
もはやタイミングが完璧にかみ合うほどになっている。あれから三週間。LINEも交換し、毎日のように寝る前に電話をする。勉強の話もあるし、友達の話もある。しかし、それよりも、
「誕生日おめでとう。」
そういって、小袋に包まれたハーバリウムを両手で渡す。初めての彼女。初めての誕生日祝い。悩みに悩んだ結果、ハーバリウムという結論。どうだろうか…
「すごい!なにこれ!自分で作ったの?!」
「いやぁ、そこまで美的センス高くないかな…けど、選ぶのに……結構かかったかな。」
「ありがとう。今まで慎一が彼女いたことないって聞いて驚いたけど、怪しすぎる…?プレゼントのセンス良すぎじゃない?!」
本当にいたことないんだけどな……ともかく。ここまでいい反応をされると、悩んでよかったと心から思う。
「教室ついたら、みんなが渡したがるだろうから、1番に渡したくて。朝から荷物増やしてごめん。」
「んーん!これは慎一が私のために考えてくれた大切な贈り物だから、私自身の一部だよ。ありがとう。」
そうして、一人で通学するときの冷たく、周りを置き去りにする歩みではない。穏やかで、ゆっくりと足をそろえて学校への道を行く。
――――――2017年11月2日10時45分10秒
あれから1ヶ月。冷めぬ熱は未だ心を燃やす。しかし、浮かれてばかりでは高校三年間積み上げてきた勉強を失いかねない。だからこそ、頭の切り替えは大事だ。そう言い聞かせて、授業に向かう。
世界史の教室は一個上の階。綾乃は日本史選択だから一緒には受けられない。いや、そこは問題じゃない。今の問題は…
「では、開元の治として栄えたものの、楊貴妃によってその政治を崩壊させた者は?ええと、新汰。どうだ?」
「玄宗です。」
「その通り…では…」
歴史を学ぶのは、過去の過ちを繰り返さないようにするためだ。目の前のことに集中するんだ。そう言い聞かせる。
――――――2017年11月2日16時32分15秒
「慎一!コーヒー買ってきたよ!」
「あぁ。ありがとう。そこにおいといて。」
「なんか塩対応…」
「別にいつも通りだけど。」
いつも通り。そう。いつも通り……のはずだ。しかし、
「もういいよ…わたし、今日は早めに帰るから。頑張ってね。」
そう言い残して、綾乃は居残り勉強をせずに帰った。
――――――2017年12月4日17時35分07秒
今日はいつもよりも早めに切り上げる。綾乃がどうしても行きたい場所があるというので、あまりデートもできていないこともあり、行くことにした。
――――ついたのは名子駅前の大きなクリスマスツリー…
ここで、一緒に写真が撮りたいとのことだ。
「すみません、撮ってもらってもいいですか?」
綾乃は、こういう類に疎い俺の手を引き、
「そのままでね。」
――――「はーい、OKです!」
「「ありがとうございます。」」
写真を確認する。綾乃の頭の上に俺の手が添えられ、頭を撫でている。なでられている綾乃は少し背伸びをするような構図になっている。
「今日は付き合ってくれてありがとねっ。」
「彼氏なんだから当然だろ?それに、この二か月何もできてなかったのは俺のせいでもあるし…」
初めての彼女。何が正解なのか、正解を追い求めることもできなかった。受験という、綾乃も戦うはずのものを言い訳にして。
「共通試験まであと1ヶ月しかないのに、一緒にいられるのがうれしいの。」
綾乃のまっすぐな言葉と瞳に、自らの愚かさを自覚させられる。
「本当にごめん。この前、あそこまで塩対応したこと。受験につぶされないように、受験に対して真剣になるつもりになって、目の前のことにちゃんと真剣になれていなかった。」
「ん-ん。違うよ。あの日はあの日。今日は今日だよ。私は今、慎一と、二人で、一緒に過ごせていることに『ありがとう。』って言ってるんだよ。」
あぁ。俺が言ったことを教えてくれている。だから、
「うん。本当に『ありがとう。』」
「っよし、それでいい!」
そういって、今度は綾乃が俺の頭を撫でる。彼女の手はかじかんでいるが心の温かさが染み入っていく。少し背伸びした彼女は、なぜだか自分より大きく見えた。
――――――2017年12月4日19時05分24秒
「ありがとう。送ってくれて。」
「そうした方が、長く一緒にいられるだろ?」
「うん。私もずっと一緒にいたい。だから今日、その思いを形にしたくて誘ったの。」
両手で、はにかみながら、渡してくれる。丁寧にラッピングされた、プレゼントだ。
「メリークリスマス。」
「じゃあ、俺からも、メリークリスマス。」
少し、照れながら、冷たい空気の中、二人はあたたかい気持ちをお互いの贈り物にのせる。
「開けてみていい?」
俺から先に聞く。
「私もいい?」
お互いに頷く。
「手袋……本当にちょうどほしいと思ってたの…!」
綾乃は嬉しそうに着け始める。
綾乃からのは――――
「トートバッグ…俺があのリュックしか使ってないの気づいてたんだ。」
「当然でしょ。私は、慎一の一番隣にいるんだから。」
お互いに見つめあって、笑いあって、暖かな空気が、降る雪を溶かしていく。
受験という道に降り積もった雪を、それぞれの贈り物が道標となりながら。
――――――2018年1月14日06時45分17秒
<ジリリリリ…。>
アラームを止める。単語帳を取る。起き上がる。顔を洗いに洗面所へ行く。
「おはよう…」
「おはよう。緊張…してるね。肩の力抜きなよ?」
母がそう励ます。
「花織。そうプレッシャーかけるな。こういう時はいつも通りでいいんだよ。」
そういって父はあまり俺に干渉しようとはしない。
「そういうのがかえってプレッシャーになるんじゃない?」
振り返ると姫沙羅がいる。大学受験を経験した姉だからこそわかるのかもしれない。
「まあ、普段どおりなんて普段からできてないと無理だろうから。今日は今日で頑張るよ。」
朝食を採り、母が用意してくれた弁当をトートバッグに入れる。
――――「行ってきます。」―――「いってらっしゃい。」
――――――2018年1月14日17時35分00秒
「やめ。直ちに筆記用具を置いてください。許可なく筆記用具を持っていたものは、不正行為と見なします。」
一日目終了。よし。国語はかなりいい線いってる。漢文は満点だ。論理的文章も8割は固い。英語リスニングもちゃんと対策したおかげで最低限の7割は確保できた。このまま二日目ーーー数学、理科基礎もいける……
大学入学共通試験……従来のセンター選抜試験とは異なり、圧倒的な文章量とその複雑さから、ここ数年の受験者平均得点を押し下げつつあった。それに、過去問もそう多く存在しない。そのため、予備校や塾の予想問題集がキーとなる。
――――――2018年1月15日14時50分00秒
「終了です。直ちに筆記用具を置いてください。許可なく筆記用具を持っていたものは、不正行為と見なします。」
無機質で、冷たい声が受験会場内の、鉛筆の音を制止させる。俺の指先は暖房のきいた、暑いぐらいの会場で、震えていた。
――――――2018年1月16日08時50分25秒
自己採点を授業の時間としてやる。ひとつづつ。確認していく。結果がすぐには返ってこないため、自己採点が正確じゃないといけない。
自信のある世界史から……
<シュルッ、シュッシュッ、シュルッ、シュルッ>
よし、丸が多い……?
<シュッシュッ、シュッシュッ、シュッシュッ>
え……?なんでここ違うんだ。なんで…。
100点中64点……模試の時は必ずと言っていいほど9割はあったのに。いや…でも…普段より国語はできてたから、国語採点してみよう。
――――200点中154点……!初の七割越え!しかも感覚通り漢文は満点だ!
政治・経済、倫理…100点中64点……お前もなんでだ。いつも八割あったじゃないか。
次だ。英語。―――読みとりが80点、リスニングが74点、合計154点……渋い。筆記に関しては模試で98点とったこともあったのに。
そうして、不安な理系科目になる。正直、開きたくもない。まずは理科基礎。安牌を採って、生物基礎と化学基礎にした。
―――生物、37点、化学34点、計71点。まあ、悪くはないが、全然届かないことをすでに察している。
数学IA……昨年度が超難化した科目。でも今年は、そうでもないらしい。昨年よりも易化したという塾情報もある……
―――84点!!!よぉしっ。これなら数IIBも…!模試では数学IIBの方高く、七~八割を推移していた…が
―――68点…この事実に愕然とする。世界史より高い?意味がわからん。あれだけ『死に物狂い』で勉強してきた世界史が数学に4点差つけられてる?
――――しかも両方高いわけじゃない。――――
――――――2018年1月16日10時35分00秒
900点中、計659点、7割3分2厘。バンザイシステムにかける。共通試験の結果と記述模試の結果に基づいて、合格可能性を視覚的にわかりやすくしてくれる、各塾が提供している。
――――政一先生に自己採点結果をシートに記入して提出する。認めたくない、厳然たる事実。しかし、そのやり場のない感情を表には出せない。なぜなら、俺はこの高校では、先頭に立っているから。
西京大学…E判定・合格可能性は3割未満
名子大学…D判定・合格可能性は3割以上5割未満。
少なくとも受けるつもりだった2大学。それがこのざまだ。だが、名子大学なら、まだ可能性はある。そう思った。
国立大学の願書提出は1月末日まで。それまでに決めなければならない。
――――――2018年1月20日11時35分08秒
進路面談で政一先生に呼ばれる。教室の視線は少し俺に集まると、すぐにそれぞれの勉強へと飛散した。
――――ガラガララッ
寒い1月の廊下。パソコンに向かって悩み顔の先生。厚手のコートを着て向かう。
「えぇー。まずは国立の前期はどうする?」
「西京大学はさすがに無理なので、名子大学を受けようと考えています。」
「なるほどな。だが、俺から一つ提案がある。北東大学はどうだ。」
北東大学。旧帝六大学のうちの一つで、名子大学の次ぐらいに名の知れた大学だ。
「ですが、ここからかなり遠いですよね。受験体力的にも…」
本心をぼかしながら、俺が言い切る前に、
「北東大学なら、小論文の対策はなしで、国語で受けられる。それに、バンザイシステムではB判定だ。」
なんとも甘美な響きだ。今の俺にとって、『B判定』は救済のような気がした。
「たしかに、それはありですね…。ですが、北東大学は6分の1公式を証明してからじゃないと使えないらしいですよ?」
6分の1公式…積分の面積公式のことだ。言い訳が下手すぎる。俺の本心を察したのか、
「じゃあ、1ヶ月で小論文を仕上げられるか?さらに、英語と数学も詰められるか?確率漸化式、解いたか?」
質問の嵐。普段はそんなことしない先生が、まくし立ててくる。先生は、俺がこれに乗じて名子大学を受けると予想していたのか、
「…はい。やります。小論文、1ヶ月で仕上げて見せます。」
先生の表情は一瞬だけ曇ったかのように見えた。けれどもすぐに
「じゃあ、基本的にはその道で行こう。滑り止めは山北大学でいいな…?」
県内では有名の私立。まあ県外ではネームバリューが薄いがそれでも十分だ。
――――そうして、小論文を1ヶ月で仕上げるべく、毎日国語の先生の所へ行き、指導してもらう。
国語の先生から受け取ったのは、過去20年分の名子大学の小論文問題。大量の紙をファイルに入れ、入りきらないリュックではなく、トートバッグに差し込む。
――――決めた道の先へ、その汚れとともに向かう。