39・ハッピーエンド
「ウィリアム!」
“穢れ”の王を打倒し、落下に転ずるウィリアムに、私は右手を伸ばします。
彼も私の手を取ろうと、必死に腕を伸ばし──交錯。その瞬間、私は彼の手を、しっかりと握ります。
「俺に掴まれ!」
「はい!」
ウィリアムが素早く馬に騎乗し、私から馬の手綱を預かります。
卓越した騎乗術で、ウィリアムは馬を自由自在に操ります。
“穢れ”の王が崩壊していく最中、周囲の崩れかけた壁面や瓦礫を利用して、私たちは平地に着地を果たすことが出来ました。
「はあっ、はあっ……やった」
ウィリアムが空を見上げます。
街に顕現し、我が物顔で闊歩していた“穢れ”の王は核を破壊されたことにより、徐々に消滅していきます。
それと比例して、周囲に充満していた“穢れ”も払われ、暗雲からは光が差し込みました。
「はい……私たちの勝ちです」
そう呟きます。
やがて、完全消滅した“穢れ”の王を見届けてから、私たちは馬から降ります。
街は一瞬の静寂。
その後──喝采が爆発します。
“穢れ”の王の消滅を受け、街の人々も勝利を確信したのでしょう。
「母上……あなたの仇は取りました。もう二度と、“穢れ”の王による被害はありません」
ウィリアムは強く握られた自らの拳を、じっと見つめます。
母君様に勝利の声を届けているのでしょうか。
彼の今の心情を思うと、なんだか私まで涙が込み上げてきます。
「アルマ」
ウィリアムは向き直し、私を真正面から見つめます。
「本当にありがとう。君がいなければ、俺は“穢れ”の王を倒せなかった。この勝利は君のおかげだよ」
「……いえ」
私は首を横に振ります。
結果的に見れば“穢れ”の王を倒したのは私とウィリアムの二人。
ですが、ここに至るまで、私はたくさんの人を借りてきました。
サビィちゃんにコユキちゃん。商業ギルドのギルド長。クラークさん。道具屋に来てくれる優しいお客さん。
それらの人々が私に勇気を与えてくれて、このハッピーエンドまで導いてくれたのです。
なのに、私一人の勝利なんて──とてもじゃありませんが、言えません。
「それに“穢れ”の王に立ち向かっている際、まるであなたの考えていることが手に取るように分かりました。こんな感覚は初めてです」
「俺もだ。君が多くを語らずとも、君のしたいことが分かった」
とウィリアムは頬を緩めます。
そんな彼の顔を見ていると、どうしようもなく胸の鼓動が激しくなりました。
ああ……やっぱり私は──。
そう思いかけますが、首を横に振ります。
「ですが……口惜しいですね」
ぼそっと声を零します。
「なにがだ?」
「いえ……メルヴィン伯爵やエスメラルダさんの話を聞くに、今回の事件はセレスティアの王族がしでかしたこと。捕まえて、彼らを罪に問うべきですが、とっくに行方をくらませているでしょうから」
そこが、ちょっともやもやするところ。
首謀者は第二王子のキース様だったといいます。
辺りを見渡しますが、当然のごとくいません。
これから彼を探すのも骨が折れそう。
仮に見つかったとしても、今の満身創痍の私たちでは捕らえられる気がしません。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか」
しかし、ウィリアムは明るい声でこう続けます。
「俺も、今回のことはヤツらに償わせるべきだと思っている。“穢れ”の王は、セレスティア国内だけの問題じゃないからな」
「ですが……」
「心配しなくてもいい」
ウィリアムは遥か彼方を見つめ、さらに告げました。
「ベイルズの騎士たちは優秀だ。別行動にはなってしまったが、彼らだってここ──セレスティアに向かっている。“穢れ”の王がいなくなった以上、するべき行動はなにか──俺が伝えずとも、彼らは全て分かっている」
◆ ◆
「はあっ、はあっ……どうして、こうなった」
郊外。
第二王子キースは一人で馬を走らせ、セレスティア王都から急いで離れていた。
“穢れ”の王を復活させ、世界を支配する。
そのために“穢れ”のアイテムを集め、実の兄であるサディアスをも殺した。
準備を整えるまで、長い時間がかかった。
だが、そのおかげで“穢れ”の王も復活。
手始めに、セレスティアの国民を恐怖で支配する……はずであったが、彼が追い求めた王は消滅してしまった。
(なにがいけなかった? まだ準備が万端ではなかったのに、王を復活させたこと? いや、メルヴィン伯爵が捕まった以上、ベイルズの捜査の手は私まで伸びる。やむを得なかったんです)
走る、走る。
切り札である“穢れ”の王がいなくなった以上、ベイルズの連中は私を捕らえるだろう。キースはそう考える。
それだけではない。
“穢れ”の王は、ベイルズやセレスティアではなく、世界中の国々が危険視している存在だ。
国際社会からの断罪は避けられない。
そしてやがて、その情報は民にまで行き渡る。
自分たちを犠牲にして、己が欲望を叶えようとした者をどうするか……国民の考えていることは決まっている。
「だが、私はまだ負けていない。しばらく、身を隠す。そしてほとぼりが覚め始めたところに、再起を計って──」
だが、ここでキースは気付く。
──ドッ、ドッ──。
地平線から、地響きのような音が。
なんだ──と思うのも束の間、それは姿を現した。
騎士の大群だ。
逃げる間もなく、キースは騎士の大群に包囲される。
「セレスティアのキース殿下ですね?」
やけに騎士らしくない男が馬上から、キースに問いかける。
「察しているとは思いますが、私たちはベイルズ騎士団。あなたには、“穢れ”の王復活の嫌疑がかかっています。他国のことですが、あなたの身柄を拘束させていただきます」
「ど、どけえええええ!」
キースは強行突破を図ろうとするが、暴れ馬の手綱を握りきれず、落馬してしまった。
それでも往生際が悪く、キースは短剣をベイルズの騎士たちに向けた。
「ち、近付くな! この短剣は、ただの短剣ではない! 刺された者を濃厚な“穢れ”で満たす呪いの装備だ! 近付けば、お前たちだってタダでは済まな……」
「ふんっ」
だが、目にも止まらぬ早業で男は馬から降り、キースが握る短刀を蹴り飛ばしてしまった。
最後の頼みの綱も消え、キースは「あ、あ……」と声を漏らし、呆然とするしかない。
「遅いですよ。本気の戦いに慣れていませんね? 私が昔いた環境では、その間に首が飛んでいました」
男はニヤリと笑う。
その悪魔じみた微笑みに、キースは思い出す。
(そうだ……ベイルズには昔、最強の暗殺者がいたと聞く。名は確か、クラーク。今は何故か、ベイルズの王城で執事をしていると聞いていたが……まさか彼が?)
キースはすぐさま逃げようとするが、腰が抜けてしまい立ち上がることすら叶わない。
そんな彼へ、男──おそらくクラークだろう──はゆっくりと歩を進める。
「やれやれ、うちの王子には困ったものです。勝手に城を飛び出して……しかし、殿下の考えていることは分かります。“穢れ”の王を倒している間に、私たちはセレスティアの王族を捕らえる。殿下、これでよかったですよね?」
クラークの言葉からは、『殿下』と語る者に対しての全幅の信頼が感じられた。
他の騎士たちもじわじわと距離を詰めてくるのを見て、キースは諦めて肩を落とすのであった。