35・間違えた【セレスティアSIDE】
「サディアス様!」
サディアス様の体を揺らし必死に呼びかけるが、彼から生気がだんだんと失われていく。
空虚な目をして、「エスメ……ラルダ……」と戯言のように呟くだけだった。
「大丈夫ですよ。まだ死んでいません。もっとも……それも時間の問題ですが」
キース様が足を止め、私たちを見下ろした。
「あ、あなたは……自分がなにをやっているか、分からないのですか!? 兄を殺そうとしているのですよ! 第一王子を殺すことは、仮にキース様であっても重罪です!」
「構いません。私が築く新世界では、そのようなつまらない罪は帳消しになるのですから」
短剣の刀身で、手のひらにペタペタと叩きながら。
「……そうですね。教えてあげましょう。私がこれまで、なにをやろうとしていたのかを」
キース様はゆっくりと語り始める。
「“穢れ”の王復活の手段について私が知ったのは、偶然でした。秘匿されていた教典の続きを見つけたのです」
「教典の続き?」
この国で教典といえば、聖女伝承のことだ。
セレスティアでは聖女がいて、この地を守り続ける──といった内容。
教典の内容は全て公開されているが、その続き? しかも秘匿されていた?
訳の分からないことばかりだ。
「『セレスティアを照らす奇跡は、かの邪悪すら従え、災厄をもたらす者を沈めるだろう』──それが教典の続き」
聞いたことのない教典を、キース様はそらんじる。
「『かの邪悪』とは、“穢れ”の王のこと。『奇跡』とは、“穢れ”の王を支配できること──これが教典の続きでした」
「つまり、教典の真の意図は“穢れ”の王を復活させることだったと……?」
「そういうことです。それから私は、古い禁書や記録を調査しました。どうやら、同じように考えていたのは私だけではなかったようでね。大昔の人も“穢れ”の王をこの地に顕現させ、奇跡を起こそうとしたのです」
キース様の話は続く。
「では十年前、隣国に“穢れ”の王が現れたのも、誰かが封印を解いたからなんですか?」
「いえ、そうではないでしょう。十年前だけではなく、遥か昔より“穢れ”の王は存在し、何度も封印されてきました。そして時が経てば、復活する。いつどこで舞い降りるか分からない様は、まるで災害──とのことだそうですよ」
「つまり……制御が効かない災害を、キース様は支配しようとしていると」
「ほほお、意外と理解が早いですね。その通りです」
首肯するキース様。
「“穢れ”の王を復活させるための手段は、大きく分けて二つ。一つ目は大量の“穢れ”のアイテムをもって、儀式を行うこと。そのために私は隣国のバカな貴族も利用して、“穢れ”のアイテムを集めさせた。それは順調でしたが、一つ問題があった」
一転。
キース様は忌々しそうな顔で、こう続ける。
「聖女アルマが優秀すぎたことです。彼女が“穢れ”を払い続けたせいで、なかなか儀式は進まなかった。タイミングを見計らい、彼女を追放するつもりでしたが……その手間は省けましたね。何故なら、そこの愚かな兄が勝手にアルマを王城から追い出してくれたのですから」
そう言って、キース様はサディアス様に視線を移す。
こうしている間にも、サディアス様から体温が徐々に失われていく。
「そして二つ目が、この贄血の短剣でサディアスを殺すこと。『王家の血を継ぐ者、穢れを受け入れし時、邪悪は目覚めん』と、禁書の内容にはありましてねえ。王族なら誰でもよかったのですが、そこの愚かな兄が一番御しやすかっただけです」
「そ、そんな……酷い!」
「とはいえ、サディアスの傷自体は大したことがありませんよ。治癒士にでも見せれば、すぐに完治するでしょう」
だったら……!
と思い、サディアス様を伴って、すぐにこの場から出ようとする。
だが。
「話は最後まで聞いてください。言ったでしょう? サディアスを傷つけたのは、この贄血の短剣。現在、サディアスの体は濃厚な“穢れ”に満たされ、“穢れ”の王に魂を喰われています」
キース様の言葉を裏付けるように、サディアス様の体から黒いもやが発生する。
これが“穢れ”なのだろう。
だが一方、サディアス様から流れていた血はだんだんと引いていく。
しかし意味がないのだ。“穢れ”によって死ぬというなら、外傷はさほど関係ない。
「彼を救う唯一の手段は、その“穢れ”を払うことですが……難しいでしょうねえ。そんなことが出来るのは本物の聖女のみ。解呪師のなり損ないでしかないあなたに、サディアスの“穢れ”は払えません」
「キ、キース様は……私が無能だということに、気付いて……?」
「当然です。最初にあなたが王城に来た時は笑いましたよ。聖女アルマの足元にも及ばない。そんなあなたに惚れ込んでいたサディアスは、ますます愚かです」
その通りだった。
私は歴代最高の聖女であるアルマ様に匹敵するわけがない。
そんなことは分かっていたけど……この男に言われると、自分の無力さに悔しさを感じる。
「本来なら、もう少し時間をかけて、“穢れ”の王復活のために万全を尽くしたかったのですがね……どうやら、隣国のバカな貴族が捕まったようで。いつベイルズからちょっかいを出されるか分からない。なので、実行に移したということです」
「だ、だったら……まだ間に合う……?」
「いいえ、間に合いません。万全ではないにしろ、準備は整ったのですから」
キース様の持つ短剣が煌めく。
「さて……あなたもこの真実を知ってしまわれたのです。サディアスも用済み。ここで、あなたたちを処分するところですが……」
「……っ!」
キース様から殺意を感じ取り、私は咄嗟にサディアス様を抱えて、その場から逃げる。
女の細腕の私では、サディアス様を抱えられないが──幸いにも、彼にはまだ少し意識があった。
体を支える必要があるが、よろよろとした足取りで歩くことが出来る。
「ふふふ……せめてもの情けです。どうか、最後の時を楽しんでください。もう“穢れ”の王は復活する。絶望は不可避。どこにでもお行きなさい」
背後では、キース様の不気味な声がこだましていた。
サディアス様を支えながら、以前彼から教えてもらっていた城内の隠し通路を走る。
「教えてもらった時は、どんだけ口が軽いのよ……って呆れてたけど、まさかこんな形で役に立つだなんてね」
行くアテなどない。だが、この城は危険だ。城内は慌ただしく、私たちに構っている暇はなさそうだったからだ。
何故、あれほどまでに城内が緊迫していたのだろう──そう疑問に感じていたが、城の外に出て全てを察する。
「あ、あ、あ……」
呆然と立ち尽くす。
見上げても、全貌が分からないほどの巨体。
その体は闇で覆われていた。右手には巨大な剣を携えている。
謎の巨体は剣を振るい、城下町を破壊していく。悲鳴が響き渡り、人々の逃げ惑う光景が目に入った。
あれが──“穢れ”の王。
はっきりと分かった。
キース様が表舞台に出てこないのは、彼が病弱だからという話が有名だった。
おそらくだが、それは違う。キース様は病弱だと偽り、“穢れ”の王復活のために長い年月をかけて準備していたのだ。
そして、全ての準備が整ったと言っていた。
サディアス様を生贄に捧げることにより儀式が完成し、“穢れ”の王がこの地に顕現してしまったのだろう。
とはいえ、サディアス様はまだ死んでいない。
ゆえに“穢れ”の王も完全体ではないからなのか、動きも鈍っているように見えた。
だが、それも時間の問題だろう。
サディアス様が死んだ時、“穢れ”の王は完全な形となるのだから。
「すみませんっ! 誰か! 誰か解呪師の方はいませんかっ!」
サディアス様を支えながら、必死に訴えかける。
しかし街のみんなは、突如出現した“穢れ”の王から逃げ惑うことで精一杯だ。
私たちに気を留める者なんて、誰一人いない。
「誰か! 誰か!」
それでも、街を歩き続ける。
──そう、これは私の責任。
私は間違えた。
サディアス様と結ばれれば、きっと幸せな人生が待っている。
そう軽率に考え、彼と結ばれようとした。
そうしなければアルマ様の追放を防ぎ、こんなことになっていなかったかもしれない。
私は間違えたのだ。
だが今更後悔しても、もう遅い。
「きゃっ!」
後悔が押し寄せていると、走っている男とぶつかってサディアスと共に転倒してしまう。
男は一瞬、私を気にかける素振りを見せたが、すぐに走り去ってしまった。
「んぐっ……!」
涙が零れた。
こんな時になっても、なにも出来ない自分が悔しくて。
バカだけど、最後まで私を信じてくれたサディアス様にも申し訳なくて。
「誰か──助けて!」
だが、私の叫びは誰にも届かなかった。