34・もうこの国は本当に終わりかもしれない【セレスティアSIDE】
(エスメラルダ視点)
もう我慢の限界だ。
──と何度思ったのか覚えていないけど、今度こそはもう本当に我慢できない。
このままでは、この国は終わる。
私──エスメラルダが聖女になってから、セレスティアはますます危ない方向に傾いていった。
魔物や魔獣はさらに増え。
“穢れ”のアイテムは国中に蔓延り。
なんでもなかった村に突如、瘴気が発生し、人が住めない土地になった。
もっとも、王族はそれを秘匿にしているけどね。他国にまでは伝わっていないだろう。
最近では──関係あるのかどうかは分からないが──暗雲が立ち込め、昼間なのに王都は夜のように暗い。
民衆からの不安の声。
だが、王族たちはそれに耳を傾けない。
私もアルマ様の復帰を訴えかけているが、まともに取り合ってもらえていなかった。
「今度こそはサディアス様に……っ!」
意気込んで、私はサディアス様の部屋に向かった。
「サディアス様! 少しお話が!」
「おお! エスメラルダじゃないか!」
私を見て、サディアス様は目を輝かす。
事の深刻さに気付いていないのか、サディアス様はこんな時にも能天気だ。今、この国がどうなっているのか、よく知らないのだろう。
「僕に会いにきてくれたのかい!? ありがとう! 君を見たら、僕も癒されるよ。本当にエスメラルダは可愛い──」
「サディアス様、そうではありません」
はっきりと告げる。
「先日から再三にわたって伝えている、アルマ様の復帰について真剣に考えてほしんです」
『アルマ様』の名前を出すとサディアス様は表情を一転、露骨に嫌そうな顔をした。
「ああ……そのことか……」
「アルマ様がいなければ、この国は悪い方向へと進むでしょう。だから……」
「僕も君に言われて、ちょっとは考えてたんだ。だけど……どうやら、他の王族がアルマを復帰させたがらなくてね。悪いけど、君の提案は許可できない」
「ですが!」
食い下がろうとすると、サディアス様は持ち前の甘いマスクのまま、私の肩に手をかける。
「もうちょっと君と話したいけど……キースに呼ばれてるんだ」
「第二王子のキース様ですか?」
「そうだ。ヤツめ……穀潰しのくせに、一体僕になんの用があるんだか」
辟易とした表情でサディアス様は言う。
「だけど、いつにも増して真剣だったから、無視できない。そ、そうだ! キースにもアルマのことを伝えてみるよ! だからエスメラルダ、君と話すのは夜で……」
「サディアス様! サディアス様!」
呼びかけるが、サディアス様は逃げるようにその場を後にしていく。
きっと、私に詰められるのが嫌だったんだろう。
現状を棚上げして、後伸ばしにする。彼の癖だ。
「それにしても、キース様からの呼び出し……気になるわね」
キース様といったら前回、私がアルマ様に言及することを禁じてきたお方だ。
そしてこのタイミング……気にならざるを得なかった。
「私も行ってみようかしら」
場所は、キース様の自室までだろうか?
幸い、そこなら分かる。
キース様がサディアス様になにを伝えるのか……先回りでもして、盗み聞ければ──。
私は早足でキース様の部屋に向かう。
これも幸いであるが、途中でサディアス様と出会すことはなかった。
「ここ……よね」
キース様の部屋の前で足を止める。
試しに、扉をノックしてみた。すぐに隠れるが、部屋からキース様は出てこない。
「もしかして、キース様がサディアス様を呼び出したのは、別の場所だったのかしら……?」
恐る恐るドアノブを捻り、中に入る。
すると私の予想通り、中には誰もいなかった。
病的なまでに整頓された部屋が、不気味に感じた。
「こんなところ見られたら、さすがにタダじゃ済まないわよね……」
だが、足を止めるわけにはいかない。
嫌な予感はさらに酷くなっていく。ここで引き返せば、後悔するようなことになると感じたからだ。
足音を忍ばせて、部屋の奥へ足を進める。
中を物色してみようとするが、一番奥のテーブル──その上に、書類が置かれているのが目に入った。
「なんでこんなところに?」
なにせ、部屋の他の部分はこれ以上ないくらいに掃除されているのだ。
これだけテーブルの上に、無造作に置かれているのは違和感でしかなかった。
私は導かれるように書類を手に取る。
パラパラと捲るなり、そこに書かれている内容に目を疑った。
「そ、そんな……っ!」
それは驚愕の内容であった。
やはり、キース様を含む王族の方々は、なにかを企んでらっしゃったのだ。
してそこに、サディアス様の名はない。
「早く他の方に伝えなければ……っ!」
私は書類を持ったまま、踵を返そうとすると、
「おや? 聖女ではないですか。あなたを呼んだつもりはなかったのに、どうしているんですか?」
──部屋の出入り口の前に、キース様が立っていた。
「エ、エスメラルダ?」
そしてそれは、キース様だけではない。
先ほど顔を合わせたサディアス様が、間抜けな顔をしてキース様の隣にいた。
「勝手に私の部屋に入るとは、無礼にも程がありますね。すぐに騎士を呼んで──」
そう言葉を続けようとしたキース様であったが、この時、私が握っている書類に気が付く。
「ああ……あなたは見てしまったんですね。なかなか手癖の悪い聖女です」
「サディアス様! キース様からお離れください!」
叫ぶと、サディアス様は「え? え?」と訳が分かっていないながらも、キース様から離れた。
それを受けてもなお、キース様の口元には薄い笑みが浮かんでいる。
「キース様は……いえ、サディアス様以外の王族は“穢れ”の王を復活させようとしています」
“穢れ”の王は、私でも聞いたことがある。
十年前、突如隣国のベイルズで顕現した悪魔。
“穢れ”の王は大いなる災いを隣国にもたらし、今なおベイルズには大災害の傷跡が深く刻まれているという。
一度は封印されたものの……キース様たちはそれを復活させ、世界を支配しようとしているのだ。
「この書類に全て書かれていました。キース様、おやめください。“穢れ”の王は邪悪そのもの! 我々人類が操れるものでは到底ございません!」
「…………」
「キース様!」
「な、なあ、エスメラルダ……」
沈黙を保つキース様とは対照的に、サディアス様がよろよろとした足取りで私に近付く。
「“穢れ”の王復活? しかも僕以外の王族? なんのことだ。急なことすぎて、理解が追いつかないよ。それに、本当に“穢れ”の王が復活すると思っているのかい?」
「それは……」
「仮に復活を企んでいても、手段がないよ。だから、その書類について書かれていることは嘘で……え?」
サディアス様の動きが止まる。
目は大きく見開かれ、額からは冷や汗が浮き出ていた。
「な、なんだ……これ……?」
サディアス様が自分の胸元を右手で触る。
その手のひらには、べったりと赤い液体が。
それが血であることが分かり、私は悲鳴を上げる。
「きゃあああああああ!」
サディアス様の体が、ゆっくりと私に倒れる。
私は彼の体重を受け止めきれず、その場に倒れ込む。
「くっくっく……ようやく時が満ちました。あなたたちに教えてあげましょう。“穢れ”の王をどうやって復活させるのか? それは、そこの──愚かな兄を生贄にすることです」
そして地獄の幕開けを告げるように。
歪な笑顔のキース様が、血に濡れた短剣を片手にゆらりと歩み寄ってきた。