32・ウィリアムの過去
「どうしたんですか? ウィリアム。こんな時間に。それに、その服装は……」
突然、お店に現れたウィリアムはいつもの王族衣装ではなく、動きやすそうな服に身を包んでいます。
これは、そう──私が最初、馬車の中で彼と出会った時と同じ服です。
「うむ……」
しかし問いかけても、ウィリアムは答えにくそうに俯いているだけ。
「まあまあ、こんなところで立ち話もなんでしょう。どうか、中にお入りください。カモミールティーもお出ししますね」
「ありがとう」
ウィリアムはそう頭を下げて、店内に入ります。
私はその間にカモミールティーを二人分用意して、彼と向かい合って椅子に腰を下ろします。
「サビィはなにをしているんだ?」
「今日はもう寝ています。ほら、今日は彼女に一人で店番をしてもらったじゃないですか? 相当頑張ったみたいです」
裁判の結果を聞き、お店の営業も終わると、サビィちゃんは寝室に直行していきました。
「そうか……」
それを聞いても、ウィリアムはカモミールティーを一口飲んで、まだ浮かない表情のまま。
「……いつもみたいに、“穢れ”のアイテムを持ってきたというわけでもなさそうですね。もしかして、今からどこかに行くつもりでしたか?」
「セレスティアに行く」
端的に答えるウィリアム。
──セレスティア。
今日の裁判で、メルヴィンさんから驚くべき真実が語られました。
セレスティアの王族は、“穢れ”の王を復活させようとしている。
そして、その力を持って世界を支配するつもりだ……と。
その手助けをするために、メルヴィンさんは〈真紅の爪痕〉を使い“穢れ”のアイテムを集めていたわけですね。
思えば、セレスティアで聖女をしている頃、やけに“穢れ”を払う機会が多かったのも、“穢れ”の王復活と関係していたかもしれません。
「“穢れ”の王復活は、なんとしてでも阻止しなければならない。俺はヤツらの企みを阻止するため、今すぐセレスティアに向かう」
「そうだったんですね。ですが……他の方々は? ウィリアム一人で向かう必要はないと思うんですが……」
“穢れ”の王復活は、ベイルズ全体で取り組む問題。
ウィリアム一人に任せるのには、荷が重すぎます。
「無論、ベイルズからは騎士を派遣して、セレスティアの企みを探る方針だ。しかし……俺はその作戦に、参加させてもらえなくなったよ」
「何故?」
「きっと、陛下は俺のことを心配しているんだろう。俺がセレスティアに向かえば、俺は死ぬまで戦い続けるんじゃないか──と。そして、陛下のその予感は当たっている」
死ぬまで戦い続ける。
それを聞いて、私は咄嗟に言葉を紡ぐことが出来ませんでした。
「“穢れ”の王との戦いは、激しいものになる。ここに俺が来るのも、最後になるかもしれない」
重々しくウィリアムが語ります。
「今まで世話になった。今日は、その挨拶のために──」
「どうして!」
思わず、相手が王子殿下ということも忘れ、机を叩いて勢いよく立ち上がります。
「どうして、ウィリアムがそこまでやる必要があるんですか! 確かに、“穢れ”の王復活は防がなければなりません。しかし、ウィリアムがいくら強くとも、一人の人間。あなた一人が死の覚悟を持って、戦う理由なんてありません!」
「…………」
私がそう訴えかけてもウィリアムはなにも言わず、悲しそうな顔をしていました。
しばらく沈黙の時間が流れます。
やがて。
「“穢れ”の王への復讐は、俺の悲願だからだ」
ゆっくりと、ウィリアムは口を開きました。
「復讐……?」
「君には言ってこなかったな。なら、最後になるかもしれないから言っておこう。俺が冒険者になった真の理由を」
そう言って、ウィリアムは重々しく語り始めます。
「俺の母上は、ベイルズの聖女と呼ばれていた」
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十年前。
俺の母上はベイルズの王妃でありながら、類稀なる“穢れ”を払う才能があった。
誰よりも強く。
誰よりも気高く。
そして、誰よりも優しく。
困っている人に手を差し伸べ、“穢れ”を払う姿は、まさしくお伽話にある聖女だった。
俺はそんな母上を尊敬し、彼女のように民を助ける優しい王子になりたいと思っていた。
しかし、そんな穏やかな日々は長く続けなかった。
ある日突然、“穢れ”の王がベイルズに顕現したのだ。
“穢れ”の王は強大だった。
あらゆるものに“穢れ”を振り撒き、あらゆるものを呪い殺す。
空は暗雲に包まれ、ベイルズは太陽の光が差し込まない闇の国となってしまった。
そんな時、立ち上がった者たちがいた。
母上もその中の一人だ。
『ウィリアム、ベイルズの未来を任せましたよ。あなたなら、きっと立派な王になれると思うから』
そう俺の頭を撫でて、城を出た母上の姿は今でも鮮明に思い出せる。
幼いながら俺も、陛下に母上と共に戦うことを志願した。
何故なら、当時でさえ俺の力は他の下級騎士にも匹敵していたからだ。
だから少しでも、母上の力になりたかった。
だが、陛下はなかなか首を縦に振らない。
その間に、幾重にも会議が行われた。
やれもっと騎士を派遣すべきだ……と。やれ他の国々に支援を求めるべきだ……と。
意見は、なかなかまとまらなかった。
そうしている内に、“穢れ”の王はさらに猛威を振い続ける。
もうダメだと思った時には、手遅れになっていた。
しかしその時、奇跡が起こる。
とうとう“穢れ”の王を封印し、ベイルズの地に再び日の光が差し込んだのだ。
その戦いを、俺は城の中で聞いた。
だが、母上は帰ってこなかった。
母上は自らの命を犠牲に、“穢れ”の王を封印したのだ。
どうして、母上が死ななければならない?
もっと判断が早ければ、母上は死ななくてよかったのではないか。
俺一人でも戦える力があったら、母上を守ることが出来たのに。
いくら悔いても、胸の痛みは治ることがなかった。
だから俺は決めたのだ。
一人でも戦える力を。
今度は間に合わず、大切な人を失ってしまわないように──孤高の存在、冒険者になることを。
それらは全て、母上のような存在を出さずに、“穢れ”の王に復讐を果たすためだった──。
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「……というわけだ」
語り終わり、ウィリアムはぎゅっと拳を握ります。
「俺が王子として動けば、他の騎士は俺を守ろうと死に物狂いで戦う。それがたとえ、負け戦だとしてもな。だから……陛下は『死ぬなら一人で死ね』という意味で、俺に王子としての立場を捨てろと言ったのだと思う」
「…………」
「だが、俺は逃げるわけにはいかない。他に味方がいないなら、俺一人でも“穢れ”の王に立ち向かう。もう二度と、大切な人が死ぬ姿を見たくないのだから……!」
ウィリアムの悲痛な叫び。
彼が冒険者になった理由……それはより多くの民を守るためだと聞いていましたが、それ以上に悲しい事情が絡んでいました。
今でもきっと、ウィリアムの瞳には彼の母君様の最期が目に映っているんでしょう。
──“穢れ”の王復活の一件、私は傍観するつもりでした。
それはきっと、自分ではどうしようもないと分かっているから。
もう一度セレスティアに行けば、過去と向き合うことを意味するから。
ですが、ウィリアムの過去を聞き、私は決意します。
「ウィリアム」
私はウィリアムを真っ直ぐ見つめて、こう告げます。
「私はセレスティアの聖女でした」