26・悪徳貴族を追い詰めます
「言うことを聞く必要はない……? 面白いことを言いますね。あなたは確か……あの道具屋の従業員、サビィといいましたか」
サビィちゃんに向けるメルヴィンさんの眼光が、一瞬キラリと光ったように見えました。
「うんにゃ」
メルヴィンさんの視線に怯まず、サビィちゃんの彼を真っ直ぐ睨み返します。
「ヴァルローン伯爵家の当主メルヴィン。あなたには、ある噂が出回っているにゃ」
「というと?」
「違法すれすれのところで商売をし、たくさんの人を泣かせてきた悪徳貴族──という噂にゃ」
サビィちゃんからそれを聞いた時は、私も最初は信じられませんでした。
ですが、詳しく調べていくうちに、彼の悪い噂が出ること出ること。
いわく、薬を買い占めて不当に値段を吊り上げ、高値で売り払ったこと。
いわく、契約内容の隅に巧妙な罠を仕込み、獣人を奴隷に落としたと。
もっとも、明確に違法というわけではないですし、どこまで本当の情報なのかも分かりません。
しかし実際、メルヴィンさんは何度も裁判を起こされていますが、一度も負けたことがないそうです。
「噂は噂です。きっと、私に嫉妬した者が好き勝手に言ってるだけでしょう」
自信があるのか。
サビィちゃんに詰められても、メルヴィンさんは一切怯みません。
「ですが、よくご存知ですね。そういった噂は煩わしいので、なるべく言わせないようにしていたんですが」
「サビィは獣人族にゃ。仲間の中には、メルヴィンに騙されたという者もいたにゃ」
「なるほど……獣人族ですか。ノーマークでした。彼・彼女らは所詮、日陰者ですから。私の障害にならないと思っていましたので」
愉快げな表情を浮かべて、メルヴィンさんは顎を手で撫でます。
獣人族を日陰者……と言われて、私は少しむっとしてしまいました。
「まあ、私が時に違法すれすれのことにも手を染めているのは、認めましょう。ですが、それとこれとは話が別。あの建物の所有権が私にある以上、退去勧告も正当なものです」
「サビィも最初はそう思ったにゃ。だけど、あの建物についてご主人様と一緒に調べたにゃ」
そう言って、サビィちゃんはバッグから書類を取り出します。
「十年前、ベイルズ国内で大災害があったのは知っているのにゃ?」
「もちろんです」
それは十年前、“穢れ”の王がこの国に顕現し、人や建物を破壊していったという大災害。
たくさんの人たちが行き場をなくし、命を落としたとも。
一人の救世主が現れ、“穢れ”の王は封印された……と聞いていますが、大災害の恐怖は今もなお街に深い傷跡を残しています。
「王都にも甚大な被害が出たにゃ。住民は混乱し、一時的に都市機能が停止したとも聞くにゃ」
「だから?」
メルヴィンさんが、小馬鹿にしたような口調で話の続きを促します。
「その際、所有者を亡くした建物もたくさん出てきたにゃ。そのほとんどが、国が預かる形とにゃったけど……一部では不当に占拠し、勝手に専有権を主張した者も現れた」
「それじゃあ、なんですか。私もその中の一人だと?」
「うんにゃ」
サビィちゃんは頷き、メルヴィンさんに指を突きつけます。
「調べはついているにゃ! あの建物はあなたのものではない! 何故なら、不当に占拠したものだから! 所有権を持たない者に、退去命令を出す権利はないにゃ!」
「くっくっく……よくお調べになって」
メルヴィンさんは余裕を崩さず、俯いて笑いを零します。
「白状しましょう。あなたの言う通り、あの建物は十年前の大災害のドサクサに紛れて、私が違法に占有したものです」
「やっぱり……!」
「ですが、あなたは法律を詳しく知らないようだ」
メルヴィンさんは足を組んで、優雅な口調でこう続けます。
「『無主地または長期間に渡り正当な管理者の不在を確認された土地を、十年に渡って平穏かつ継続的に占有した場合、当該土地の実効支配者としての権利を有するとする』」
「えっ……!」
「ベイルズ王国法、第十七条の文言です。この法律によると、たとえ管理者不在の建物を違法に占有していたとしても、十年が経てば所有者となる。そのお顔だと、この法律は知らなかったようですね」
「う、嘘にゃ。そんな法律──」
「疑うなら調べてみなさい。調べたらすぐに分かるようなバレバレの嘘を、私も吐きませんよ」
澱みない口調で答えるメルヴィンさん。
……この様子だと、嘘ではないようです。
「そ、それでも……! 所有者が完全に不明な場合のはずのみにゃ! 元の所有者がいなくなったとしても、それを知っている人はいるはず! その人たちに聞けば……」
「私がそこまで考えが回っていないとでも? そういう人たちは全て、黙らせましたよ。穏便な方法でね」
メルヴィンさんがニヤリと口角を吊り上げます。
穏便な方法……買収? それとも暴力をちらつかせたのでしょうか。
どちらにせよ、行儀のいい話ではなさそうです。
「だ、だとしても! 十年前の大災害時に、避難者の登録名簿が残っているはずにゃ! それらを繋ぎ合わせれば……」
「残っていれば……の話ですよねえ? 私、友達が多いんです。役人の友達にちょっと口添えをすれば、いくらでも事実は改変されます」
「なら、その役人を見つけて──」
「仮に見つけたとしても、今から事実を元に戻すのは不可能でしょうねえ。なにせ、十年前の大災害は国中が混乱していたのです。まともな証拠など、既に残っていません」
理詰めの攻防。
ですが、苦しいのは間違いなくこちら。
「不当に奪った土地が、法の下で守られるなんて……おかしい……にゃっ」
サビィちゃんが俯き、わなわなと震えます。
──悔しいのでしょう。
サビィちゃんにとっては、メルヴィンさんに騙された仲間の仇を取るつもりだったのかもしれません。
ですが、メルヴィンさんの方が一枚上手でした。
サビィちゃんの瞳からは、今にも悔し涙が零れそう。
「違います。証拠がなければ、法律では裁けない。それが現実なのです。正しいのは、私の方です」
だけど、そんなサビィちゃんを前にしても。
メルヴィンさんは罪悪感を抱くどころか、勝ち誇った笑みを浮かべていました。
「というわけで、あなた方にはすぐにあの建物から退去してもらいましょう。明日にでも──」
「……ダメです」
このままではいけない──。
私は迷いを振り払い、メルヴィンさんに言い放ちます。
「あなたが、あの建物の所有権を主張していることは一旦認めます。ですが、それでもすぐには私を退去させられません。何故なら、退去勧告には十分な期間が必要になるはずですから」
「ほお……あなたもそちらのバカな獣人族とは違って、少しは調べてきましたか。やれやれ、力押しでいけると思っていたのに」
とメルヴィンさんは肩をすくめます。
「ベイルズ国の法律では『最低、退去する一ヶ月前に勧告する必要がある』……だったはずです。あなたから手紙を受け取ったのは、三日前。それでもすぐに退去させようとしたら、完全に違法です」
「その通りです。ですが、どうしますか? 一ヶ月の猶予があるとはいえ、その間ではなにも出来やしまい。少し期間が延びるだけです」
「……建物の使用権を賭けて、裁判をしましょう。そのために、私たちは証拠を集めます」
これが、今の私に出来るたった一つのこと。
今この場で、メルヴィンさんを説き伏せるのは不可能。
ならば……時間をかけて、彼の隙を見つける。
相手が法律を盾にするなら、私たちも法律という名の剣で戦う。
それしかありません。
「はっはっは! 私に裁判で挑むだと? 笑わせてくれますね!」
なにがおかしいのか、メルヴィンさんは高笑いを上げます。
「まあ、いいでしょう。裁判なら私の土俵です。ですが……あなたも随分と恩知らずなことをしてくれますね? 私が仮に法律を破っていたとしても、あなたはそれに助けられていたというのに」
「はい……だから、最初はあなたに従うつもりでした」
だけど、気が変わりました。
仲間たちの仇を取りたいサビィちゃん。
商売の世界は弱肉強食……と言われればそれまでだけど、仲間の中には奴隷に落ちた者も見てきたでしょう。
そんな彼女を笑う気にはなれません。
ですが、メルヴィンさんは彼女を愚弄しました。
私の大切な従業員を傷つけられて、黙っているようでは──店主として失格です!
「あなたは、やってはいけないことをやった。それが答えです!」
「くっくっく……いい目です。あの時、商業ギルドで途方に暮れていた頃を比べると、成長しましたね」
最後にそう言って、メルヴィンさんは席を立ちます。
「次は裁判所でお会いしましょう。もっとも、たった一ヶ月で私を追い詰められるとは思えませんが」
◆ ◆
私たちはメルヴィンさんの屋敷を出て、すぐに王城に向かいました。
「んー! あの貴族、むかつくにゃ!」
応接間のソファーで、サビィちゃんが両足をジタバタさせます。
やはり先ほどの出来事は、彼女にとって相当腹に据えかねるものがあったみたい。
「絶対、ご主人様が意外と成功しているのを脅威に思って、店から出ていけって行ってるだけにゃ! それに、サビィと仲間たちをあんなにバカにして!」
「私もサビィちゃんに同意ですが……今は落ち着いて……」
「これが、落ち着けるはずがないにゃ! あいつが悪者っていうのは分かっているのに、どうして法律で裁けない!? 法律が間違っているにゃ! ウィリアム殿下もそう思いますよね!?」
とサビィちゃんが、ウィリアムに話を振ります。
このままでは、一ヶ月後の裁判ではメルヴィンさんに勝てない。
そう思った私は、ウィリアムに頼ることにしました。
いつも彼に助けられっぱなしで申し訳なく感じますが、今は手段を選んでいる場合ではありません。
「──それは違う」
黙って話を聞いていたウィリアムが、そう口を開きます。
「口惜しいが、ヤツの言うことは正しい。疑わしきは罰せず。たとえ、限りなく黒だとしても、証拠もないのに相手を裁くことは出来んのだ」
「そう……にゃ」
ウィリアムの言葉が胸に響いたのか、サビィちゃんが怒りを鎮めます。
サビィちゃん、よく感情を表に出しがちですが……基本的に、とても素直でいい子なんですよね。
「それにしても……まさか、ここでメルヴィン・ヴァルローン伯爵の名が出てくるとはな」
「ウィリアム、なにか知っているんですか?」
「当然だ。ヤツの悪い噂は、俺のところにも届いている。だが現状、決定的な証拠がないために、ヤツを追い詰めることが出来ないでいた」
ウィリアムも悔しく思っているのでしょうか。
その右拳は、固く握られていました。
「どうにかならないのですかにゃ?」
サビィちゃんがクリクリとした瞳を、ウィリアムに向けます。
「私からもお願いします。メルヴィンさんが黒なら、他にも苦しんでいる方はいるはずでしょうから」
「……正直、厳しい戦いにはなると思う」
ウィリアムは腕を組んで、こう続けます。
「今まで、摘発されてこなかった人物だ。今更、すぐにヤツを追い詰める証拠が出てくるのは普通考えられない」
「だったら──」
「まあ、待て。そんな顔をするな。言っただろう? 普通は……と」
ニヤリとウィリアムが笑います。
「アルマ、俺に君の手助けをさせろ」
「もちろん、手を貸してくれると有り難いですが……」
「俺は今まで、売られた喧嘩には全て勝利してきた。あいつは王子に喧嘩を売ったも同然だ。その報い、受けてもらう」
「サビィもお手伝いさせていただきますにゃ。ああいう貴族が、サビィは一番嫌いですから」
ウィリアムとサビィちゃんはお互いの顔を見合って、「ふっふっふ」とくぐもった笑い声を漏らします。
……二人とも、悪い顔をしています。
この調子なら、二人に任せていても大丈夫そうですね。
二人の楽しそうな表情を眺めていると、不思議と負ける気はしませんでした。