第一階層:逃走劇の幕開け!姫様、マジ勘弁!
シーフなのに全く気配が消せない冴えない少年にしか見えないタカシ、オーガなのに下手したら人間の下級戦士より虚弱かもしれない見た目だけのハリボテ戦士のジフ、魔法の知識だけはあるのにMPがほとんどないオタク気質の一見女の子に見える魔法使いセイン、気持ち回復する草食系男子ヒーラーのフィン。彼らは仲良し4人組チーム「ぐだふわ」。今日も下級クエストでぐだぐだ小銭を稼ぐのだった。
薄暗い洞窟の奥深く、じめじめとした空気と魔物の微かな唸りが漂っていた。そんな中、最下級冒険者パーティー『ぐだふわ』の4人は、いつものように慎重……とは言い難い足取りで、小コボルト討伐の依頼をこなしていた。
「うーん、またしても気配遮断に失敗したか……」
先頭を歩くシーフのタカシが、盛大に小石を踏み抜き、顔をしかめた。背後では、巨体のオーガであるジフが、木の根っこに躓いて「ぐえっ」と情けない声を上げている。
「ジフさん、大丈夫ですか? 本当に、もうちょっとだけ踏ん張ってくださいよ。あと少しでコボルトの巣窟ですよ」
ヒーラーのフィンが、心配そうに声をかける。彼の周囲には、ほのかに優しい緑色の光が漂っている。
「わ、分かってるんだけどよぉ……なんか今日、体が鉛みたいに重くてなぁ」
ジフはぜぇはぁと息を切らしながら、よろよろと歩を進めた。最後尾では、魔法使いのセインが、分厚い魔導書を片手にぶつぶつと呟いている。
「ふむふむ、コボルトの弱点は確か……火属性、っと。しかし、わしのMP残量は……」
セインは魔導書の隅に小さく書き込まれた数字を見て、青ざめた。
「セインさん、またですか? せめて一体くらいは魔法で仕留めてくださいよ!」
タカシが呆れたように振り返る。
「仕方ないじゃないか! 生まれつきMPが少ないんだから! 知識だけは誰にも負けないんだけどなぁ……」
そんな、いつものように頼りないやり取りをしながら、彼らはコボルトの巣窟へと辿り着いた。ところが、そこで彼らが目にしたのは、怯えた表情で鎖に繋がれた、豪華な刺繍が施されたドレスを身につけた美しい少女だった。
「え……?え?? こ、これは一体……?」
フィンが目を丸くする。
その時、洞窟の奥から、いかにも悪そうなゴブリンたちが数匹現れた。彼らは少女を見て、下卑た笑みを浮かべている。
「グルルル……人間どもの邪魔が入ったか!」
どうやら、彼女はどこかの国の姫様で、ゴブリンたちに攫われてしまったらしい。
「ま、まさか……こんなところで王族の方に遭遇するなんて……」
タカシは顔面蒼白だ。下級クエストしかこなしてこなかった彼らにとって、姫様の救出など、完全に想定外の事態だった。
「こ、これは……面倒なことになったぞ……」
虚弱体質のジフは、すでに逃げ腰だ。
「しかし……見捨てるわけにもいきませんよね……」
心優しいフィンは、困ったように眉をひそめる。
「見捨てるに決まってるだろ! 俺たちは下級冒険者だぞ! こんな危ない橋、渡れるわけない!」
タカシはヒソヒソ声を大にして、その言葉通りにすでに足は後ずさりしている。
その時、ゴブリンの一匹が、少女に汚い手を伸ばそうとした。
「きゃっ!」
悲鳴を上げる姫様。その瞬間、フィンの目に強い光が宿った。
「……いけません!」
フィンは、我にもなく駆け出した。あの草食系のフィンが。彼の背後で、セインが慌てて叫ぶ。
「フィン! 無茶をするな! MPが……MPが少ししかないんだぞ!」
ジフも、その場の空気に押されたのか、重い腰を上げた。
「うぐぐ……仕方ねぇ、やるしかねぇか!」
そして、一番逃げたがっていたタカシも、仲間の動きを見て、諦めたように短剣を構えた。
「ちっ……本当に、ろくでもない展開になりやがった……!」
こうして、『ぐだふわ』パーティーの、全く乗り気ではない姫様救出作戦が、幕を開けたのだった。しかし、彼らの頭の中にあるのは、ただ一つ。
「どうやって、この場から無事に逃げ出すか……」
洞窟内に、フィンの「いけません!」という叫びが響き渡った直後。
「グルルル……邪魔するなら、まとめて叩き潰してくれるわ!」
そう凄むゴブリンたちに対し、巨体のオーガ・ジフは、一歩前に踏み出した。その体躯は、洞窟の狭い通路をいっぱいに埋め尽くし、岩のようにごつごつとした皮膚は、薄暗い光の中でも異様な迫力を放っている。普段は気の弱いジフだが、その生まれ持った威圧感は、並みの魔物には効果てきめんだった。
「ひっ……なんだ、あのデカブツ!」
「ま、まさか……オーガ!?」
「逃げろ! 逃げろ!」
先ほどまで下卑た笑みを浮かべていたゴブリンたちの顔が、みるみるうちに恐怖に歪んでいく。彼らは、ジフの姿を見ただけで戦意を喪失し、後ずさり始めた。
「い、今だ、タカシ!」
ジフの声に、シーフのタカシは素早く反応した。音もなく駆け寄り、鎖に繋がれた姫様の足元に忍び寄ると、手慣れた手つきで錠を外していく。
「お嬢さん、大丈夫ですか? さあ、早く!」
解放された姫様は、まだ怯えた表情でタカシを見上げたが、彼の真剣な眼差しに促され、頷いた。
その間も、ジフは仁王立ちになり、ゴブリンたちを睨みつけている。
「うおぉぉぉ……こっちに来るんじゃねぇぞ!」
普段の弱々しさからは想像もできないほどの低い唸り声は、ゴブリンたちの足を完全に止めた。
「セインさん! セインさん! 何か、MPをほとんど使わないで、ゴブリンを怯ませるような魔法はありませんか!?」
フィンは、魔導書を必死に捲る魔法使いのセインに声をかけた。
「むむむ……MPをほとんど使わない魔法、か……あるにはあるぞ。だが、攻撃魔法ではないな……」
セインは眼鏡の奥の目を光らせ、一つの記述を見つけた。
「これだ! 『フラッシュ』! 一瞬だけ強烈な光を放つ、ただそれだけの魔法だ。消費MPはごくわずか……おそらく、今のわしでも連発できる!」
「本当ですか! それは助かります! 早速、お願いします!」
セインは杖を構え、小さく呪文を唱えた。
「『フラッシュ』!」
彼の杖の先から、ピカッ! と強烈な閃光が放たれた。予期せぬ光に、ゴブリンたちは目を覆い、悲鳴を上げる。
「ぎゃあああ!」
「目が! 目が潰れる!」
「よし! もう一発、お願いします!」
フィンの指示に、セインは続けて「『フラッシュ』!」と唱える。洞窟内に、断続的に強烈な光が明滅し、ゴブリンたちの視界を奪っていく。
その隙に、フィンは姫様に近づき、そっと手を重ねた。彼の掌から、微かな温かい光が姫様の体を包み込む。
「大丈夫ですよ、お嬢さん。少しでも楽になりますように……『微弱治癒』」
それは、フィンの持つ回復魔法の中でも、最もMP消費が少なく、じんわりと気持ちを落ち着かせる効果のあるものだった。姫様の強張っていた表情が、ほんの少し和らいだ。
「さあ、皆さん! 今のうちです! ダッシュで逃げましょう!」
フィンの声に、タカシは姫様の腕を取り、ジフも唸りながら振り返った。セインは杖を構え、いつでもフラッシュを放てるように準備している。
「お嬢さん、しっかり捕まっててくださいよ!」
タカシは姫様を引っ張り、洞窟の入り口へと走り出した。
「うおおおお! 俺も逃げるぞ!」
ジフは、その巨体を揺らしながら、二人の後を追う。
「『フラッシュ!』『フラッシュ!』……くそっ、目が慣れてきやがったか! 急ぐぞ!」
セインは、振り返りながらもフラッシュを連発し、ゴブリンたちの追撃を牽制する。
こうして、『ぐだふわ』パーティーと、助けたばかりの姫様は、阿鼻叫喚のゴブリンたちを後に、洞窟を全力で駆け出した。彼らの背後には、怒号と混乱が残っている。
「はぁ……はぁ……なんとか、抜け出せた、か……?」
洞窟のキャンプスポットまで来たタカシは、息を切らしながら振り返った。
「まだ分かりません! ゴブリンたちが追いかけてくるかもしれません! とにかく、安全な場所まで逃げましょう!」
フィンは、周囲を警戒しながら言った。姫様は、まだ少し震えているものの、フィンの回復魔法のおかげか、先ほどよりは落ち着いた様子だ。
「全く……まさか、こんなことになるなんてな……」
ジフは、ぜぇはぁと荒い息をつきながら、ぼやいた。
「しかし、セインのフラッシュ、あれは意外と役に立ったな!」
フィンが感心したように言うと、セインは少し得意げに胸を張った。
「ふっふん、知識は力なり、だ! MPがなくても、知恵でカバーできることもあるのだよ!」
しかし、安堵したのも束の間。遠くから、ゴブリンたちの怒りの声が聞こえてきた。
「グルルル……逃がすな! 人間どもを捕まえろ!」
「うわっ、やっぱり追ってきた!」
タカシは顔をしかめた。
「こりゃあ、本格的に逃げるしかないな! お嬢さん、覚悟はいいですか?」
タカシが姫様に問いかけると、彼女は不安げながらも、力強く頷いた。
「はい……皆さんと一緒なら、大丈夫です」
キラキラした瞳が印象的な彼女は、ナウリカ王国の第三王女、メイア姫だった。突然の出来事に、タカシ、ジフ、セイン、そしてフィンは、我ながら驚くほどの連携を見せ、ゴブリンの集団をなんとか退けることができた。いつもなら、一体か二体相手にするのがやっとの彼らにとっては、まさに奇跡のような勝利だったのだ。
洞窟の外の開けた場所まで逃げ延びた一行は、ようやく足を止めて、それぞれの安堵のため息をついた。
「はぁ~……まさか、あんなにたくさんのゴブリンを倒せるなんてなぁ(倒してない)」
オーガのジフが、自分の大きな拳を摩りながら、信じられないといった表情で呟いた。
「全くだ。俺の気配遮断も、今日は珍しく役に立った気がするぜ」
シーフのタカシも、どこか他人事のように言った。実際は、ゴブリンたちがジフの威圧感に完全に呑まれていたおかげなのだが、本人は気づいていない。
「わしも、あのフラッシュを連発できたのが勝因じゃな! MPがほとんどなくても、案外なんとかなるもんじゃ!」
魔法使いのセインは、杖を誇らしげに掲げた。彼のMP残量は、依然として心もとないままだったが、勝利の興奮で顔が紅潮している。
「皆さん、本当にすごかったです! あんなにたくさんのゴブリンを……!」
メイア姫は、キラキラとした瞳で4人を見つめ、心からの賞賛の言葉を口にした。彼女にとって、目の前で繰り広げられた光景は、まさに冒険譚そのものだったのだろう。
そんな姫様の言葉に、フィンは照れたように笑った。
「いえいえ、お姫様が無事で何よりです。僕なんて、ほとんど回復魔法を使っただけですから……」
「そんなことありません! フィンさんの優しい光のおかげで、私はすごく安心できました!」
メイア姫の言葉に、フィンはますます恐縮してしまう。
「しかし、まさか本当に助けられるとはなぁ……」
タカシは、改めて姫様の美貌に見惚れながら、ぼそりと呟いた。
「タカシ、お姫様をじろじろ見るのは失礼だぞ」
ジフが窘めるが、タカシはへへっと笑うだけだ。
「いやいや、まさかこんな美しいお姫様を助けることになるなんて、俺たちも出世したもんだなぁ!」
「出世って……僕たちはただ、目の前の困っている人を助けただけですよ」
フィンは、タカシの言葉に少しだけ疑問を呈した。
「ま、細かいことはいいんだよ、フィン! とにかく、俺たちはやったんだ! あの弱っちい俺たちが、ゴブリンの集団に勝ったんだからな!」
ジフは、自分のことのように誇らしげに胸を張った。
「そうじゃそうじゃ! これでわしらの名前も、少しは知られるようになるかもしれんぞ!」
セインも、夢見がちな表情で遠くを見つめた。
彼らの、まるで上級クエストをクリアした後のような、気楽な談笑を聞きながら、メイア姫は少し困惑していた。自分は誘拐され、命の危機に瀕していたはずなのに、目の前の4人は、まるでボードゲームに勝利したかのように喜んでいる。しかし、その屈託のない笑顔を見ていると、姫様の心にもじんわりとした温かいものが広がってきた。
「あの……皆さんは、いつもあんな風に戦っているんですか?」
メイア姫が、少し遠慮がちに尋ねた。
「いつも? いやいや、とんでもない! いつもはもっとこう……一匹ずつ、慎重に、時には逃げながら戦ってますよ!」
タカシは慌てて首を横に振った。
「そうだそうだ! あんなに大勢の魔物と戦うなんて、本当に久しぶりだ! っていうか、初めてかもしれないぞ!」
ジフも興奮気味に付け加えた。
「わしもじゃ! まさか、あんなにMPを使わずに魔法が役に立つとは……今日は本当に運が良かった!」
セインは、今日の勝利が、自分の魔法の知識のおかげだと思っているようだ。
「今日は、色々な偶然が重なったんですね。でも、皆さんが勇敢に戦ってくれたおかげで、私は助かりました。本当に、ありがとうございます」
メイア姫は、改めて深々と頭を下げた。その真摯な態度に、4人は少し慌てた。
「い、いえいえ、お気になさらず! 困っている人を見過ごすなんて、僕たちにはできませんから!」
フィンは、顔は真っ赤に染まっているが、いつもの優しい笑顔で答えた。
「まあな! たまたま、お姫様だったってだけで……いや、お姫様だからこそ、助けなきゃって思ったんだ!」
タカシは、慌てて言葉を修正した。
「とにかく! 俺たちは、お姫様を無事に送り届ける義務がある! さあ、油断せずに、次の目的地を決めましょう!」
ジフが、気を取り直して声を上げた。初めての強敵との勝利に浮かれながらも、彼らはこれから、王国の第三王女という、とんでもなく重要な人物を護送するという、新たな難題に直面することになるのだった。
こうして、下級冒険者『ぐだふわ』パーティーと、成り行きで護衛することになった姫様の、長い逃避行が始まったのだった。彼らは、一体どこへ向かうのだろうか? そして、本当に無事に逃げ切ることができるのだろうか? 彼らの未来は、全くの未知数だった。