部四十五話 ダイトにて、ジオとハーバー
オレは馬車からゆっくりと下に降りる。
地面は白い玉砂利だ。庭台に繋がる階段の脇にハーバーとハードがいる。ゆっくりとハーバーの正面まで歩く。慌てると転びそうだ。三歳児には歩き辛い。
ハーバーの目は血走っている。ハードはハーバーの腕を抑えている。
『ハード、離れていろ。危ないぞ。』とオレ。
オレの声を聞いたハードが、ぽかーんとしているが、直ぐに、後に退り、十分に離れる。
オレは魔石袋から細い鞘に収まった刀を出す。
『ハーバー、この剣で相手してやろう。これはニホン刀という。切れ味は最高だ。触れるだけで切れるぞ。』とニホン刀を抜き、刃をハーバーに見せる。ニホン刀は片刃で細く剃っている。三歳児が持つには長いが、オレは手に持つわけではないので問題はない。抜き身の刀を鞘に戻す。
『ハーバー、本気でやれ。オレも本気だ。オレからいくぞ。』と、オレは左に置いた剣を鞘から抜くとともに、そのままハーバーの腰から斜め左に切り上げる。ハーバーはー歩後に退がりかわす。避けられた剣をそのまま左の鞘に戻す。
『ハーバー、もう一度行くぞ。これが瞬だ。』と。更に踏み込んで剣を一閃する。ハーバーは大剣で受ける。オレは剣を左に戻す。ハーバーは剣を前に突き出して構える。ハーバーの目が冷静にオレを見ている。ハーバーは突き出した剣をそのままオレの体目掛けて、突き刺してくる。オレは体を捻って躱す。二度、三度ハーバーの突きがくる。オレは体を瞬時にずらす。
『ハーバー、その構えは駄目だ。瞬にはならん。大剣なら肩に担げ。剣を見せるな。剣を思え。剣の声を聴け。そして振り払え。』とオレ。
そして、ハーバーはオレの声が聞こえているのか、剣を担ぎ、一気に剣を払う。その剣はオレの首を払って行く。オレは剣の圧力と共に後ろ、馬車の下の盛り上がっている土の壁に飛ばされる。
ハーバーは目が覚めたように慌てて駆け寄ってくる。
馬車の脇のテーブルの皆もオレの様子を固唾を飲んで見降下ろしている。
『坊、坊大丈夫か・・・』
『よくやったハーバー、褒めてやるぞ。』とテラスの老人が言い、壮年の男も手を叩いて笑っている。
『次は馬車の奴らだ。』と壮年の男が言うのが聞こえる。
ハーバーはその声が聞こえないのか、オレの首に自分の手を触れる。
オレはゆっくり起き上がり、立ち上がる。馬車の母を見て、微笑む。
母は安堵しているように見える。
オレはハーバーに向き直ると、
『ハーバー、頭が冷えたか?』
『坊、何ともないのか?』とハーバーが青褪めた顔をしている。
『ああ、剣圧に飛ばされただけだ。』
『しかし、剣は首に入ったはずだ。』
『ハーバーの剣はオレが避ける間も無く首に入った。間違いないぞ。』とオレ。
『ハーバー、覚えてるか?オレに剣を振ると剣が割れると言っただろう。』とオレ。
ハーバーは頷いている。
『剣が粉砕とは言わず、割れると言った。割れるとは、魔石袋と同じ原理だ。オレの体に触れる前にオレの内力に触れる事で魔石袋に入った事と同じになる。たから剣先はオレの結界の空間に入り見えなくなる。剣先は割れて失ったように見えるというわけだ。』
『そ、そうか・・・よく解らんが・・・切らなくて良かった・・・』とハーバー。
『ハーバー、親、兄弟の為だ。もう一度剣を振れ。』老人の掠れた声が聞こえる。
『ハーバー、あの声は気にするな。オレを切ったお前はもう呪縛に操られる事はない。』
『そうか・・・良いのか悪いのか判らんが・・・』とハーバーはまた困った顔だ。
『ハーバー、いい事教えてやろうか・・・、あの老人はお前の親ではない。それに、あの男はお前の長兄ではない。長兄はハードだ。』とオレ。
その声でハーバーの混乱していた頭が戻り、大剣を納める。
『坊、本当か?』とハーバーが驚いている。
『ハーバー、嘘だ。オレらは兄弟だ。』壮年の男が叫んでいる。
オレの回りの皆も不思議そうにオレを見ている。
『ハーバー、オレは軽口を叩いても、嘘や間違った事を口にした事があるか?』とオレ。
『確かに・・・しかし坊・・・根拠はあるか?』とハーバーがオレを見る。
『ハーバー、気配だ。お前とあの老人の父は一緒だ。しかし、母親は違う。ハーバーとハードの母親は若い。そして心は美しい。あの老人の母親は心に陰りがあり、それを受けついでいる。そして三人の母親、老人の妻は心が尖っている。だから、兄と偽っている三人と、二人の性格が違うのは当たり前だ。』
『多分、ハードは知っているぞ。』とオレ。
ハーバーはハードを見る。
ハードは下を向いている。
そして、
『・・・ハーバー、その幼子は何者だ?』とハードの声は小さい。
『ハード兄、言っただろう。最も強力な魔力使いが居ると。それが坊だ。』とハーバーが言っている。
『そうか・・・なら・・・その幼子の言う通りだ。俺たち二人は爺さんの子供だ。』とハードが言う。
『いつ知ったんだ?』とハーバーは驚いている。
『ハーバーが出て行って半年後くらいだ。』
『ハーバーが居なくなると、特にやる事はないから、爺さんの家を掃除して住んでいた。爺さんの遺品は処分されて何もなかったが、寝台はあった。だから寝具に寝てた。すると、天蓋に板があってそこに詩が書いてあった。爺さんがいつも口遊んでいたと言われた詩だ。しかし一部違っていて、その違う部分は場所を示しているような句になっていた。その言葉の指す場所を探した。それで日記を見つけた。その日記に書いてあったよ。』とハードが言った。
『第二の妻を貰った事。望んでいた子供が出来てハードと名付けた事。また、二年後の日記にはハーバーが生れた事も書いてあった。だが、何故長兄の子供として育てられたかは不明なんだ。聞く訳にもいかなかった・・・』とハードが言う。
『ハード、ハーバー、その理由を教えてやる。』
二人は驚いたようにオレを見る。
『トツクは、本来は、通常の男系の長男継承のやり方だ。しかし、異母弟がいる場合は、異母弟継承に変わる。つまり、長男に能力が無いと考えた時、新しい血の継承者を生む。だから本来は、ハード、ハーバーの順位だ。そして、あの老人には家から出される筈だった。それをあの老人がその事由を消した。』
『なあ老人、おまえ自分の親も消したか?』と老人に声を掛ける。
老人は返事をせずオレを睨んでいる。
『ジオ、こちらに来なさい。ハーバーもその兄もね。』と母の声がする。
『母者、分かった。』とオレ。
オレは馬車に飛んで戻ると、ハーバーとハードを馬車まで引き上げる。
・・・母者、これ以上踏み込むなと云う事か・・・
『ジオ、首を見せて。』と母が言う。
ハーバーが情けなさそうだ。
『母者、傷一つ付いとらんだろう。』とオレ。
『本当ね・・・』と、母が首を撫でている。
サラも婆もネティも、順次オレの首を撫でる。
『ハード、ハーバー、どうしたい?領地を取り返したいか、それともこのまま奴らの好きにさせるか?その時は、トツクを二十年封鎖するがな。』とオレ。
『坊、封鎖なんて出来るのか?』とハーバー。
『ラングルトンがガンダルフを封鎖したように、オレにも出来る。』
『ハード兄、どうする?』とハーバーがハードに聞いている。
オレは母を見ると、母とサラ、大母、ネティが酒を飲んでいる。
『母者、退屈か?』とオレが聞く。
見た事の無い酒が、卓に並んでいる。
・・・トツクの酒か・・・
『ええ、打ち合いが無いもの。もうどうでもいいわ。』と母。
『大母はどうしたい?ガンダルフとアクトの貸しがあるが?』
『・・・坊に任せるわ。』と大母も言う。
『ネティはアーバンソーを連れて帰ったらどうじゃ?』とオレ。
『サラ殿は思う所もあるでしょう。どうしたいですか?・・・今、イスラン家の者と当主と話をしてみて、それから決めようと思います。』とネティ。
『私はネティ様にお任せ致します。』とサラ。
『そこの女、何を勝手な事を。ハーバーだけと思ったか。ここで皆、粉々になれ。』と立ち上がっている老人が怒った顔で言う。
壮年の男も立ち上がる。二人は何か呟いている。
すると、オレらの頭上に電が鳴り、炎が現れる。と、一気に頭上に降り注ぐ。
しかし、オレらに到達するものは一つもない。
老人と壮年の男は困惑気味だ。
『くそ・・・』と老人が喚いている。
『ちっ、石を持ってやがった。それもラングルトンの造った石か・・・』とオレ。
試しに、老人及び男に礫を幾つか打ってみる。礫は二人の手前で消える。相変わらず雷は光り、炎は発現し、頭上に振り注いでいる。
オレは二人の周りに結界を張る。頭上に湧いていた雷は止み、炎は発現しない。
『ハーバー、ハード、あの者たちが持っている石は厄介だ。それぞれを補完するように力が出ておる。二人を離れさせんと止まる事は無いぞ。止めんと二人は出れん。やがて死ぬ事になる。ラングルトンの狙いはそこにあるのかもな・・・』
『ラングルトンめ、碌な事をせん。』とオレは続ける。
ハーバーとハードはただ、頷いている。
隆起させた地面は元に戻している。
夕方に、馬車の回りにテントを出す。
ハードとハーバーが夕食の差し入れをしてくれる。
トツクの料理は炭で焼いた肉が主だ。炭で焼いた肉は香ばしく美味い。母者も皆も喜んで食べている。酒も進んでいるようだ。
深酒の次の日の朝食は、特にゆっくりだ。特別やる事も無い。だらだらと食事が続く。
母たちは、またトツクの永命酒を飲んでご機嫌だ。
ハーバーが戻ってくる。
『ハーバー、上手く説得出来たようだな。』とオレ。
『ああ、石は取り上げた。それぞれ六人は隔離している。』とハーバー。
『坊、オレはこれからどうしたらいい?』とハーバーがうなだれている。
『ハーバー、二階の屋根に行くぞ。』とオレ。
ハーバーを連れて二階の屋根に飛ぶ。屋根の瓦に腰を下ろす。高さは三階の建物の屋根の高さで母たちを見下ろしている。声が小さければ馬車の皆には聞こえない距離だ。
『ハーバー、どうした?自信が無いのか?』とオレ。
『今まで考えた事無い事ばかりだからな・・・』とハーバー。
『ハーバー、何を悩んでいる?』
『これからのハーバーの行動のことか?それとも親だと思っていた人の扱いか?領地や領民をどうするか、か?』
『ハーバーには兄のハードがいるだろう。二人でゆっくり考えろ。』と、オレは寝転がって青い空を見ながら答える。
『坊、冷たいぞ。友達だろう。』とハーバーが言う。
『ハーバー、オレには友達はいないぞ。』とオレ。
『坊にとって俺は友ではないのか・・・』とハーバーがオレを見る。
『オレにとって友達とは利害関係なのない単なる知り合いの事だ。ハーバーはオレにとって大切な仲間だ。色々一緒に経験してきた仲だろ。簡単に友達なんて軽い言葉で言うな。』とオレ。
『そうだな・・・』とハーバーが苦笑いしている。
『これから、オレとハーバーの行く道が別れても、利害がぶつかっても、仲間には変わり無い。何時でも歓迎するぞ。困った事があれば言え。出来る事はするぞ。』
『まず、やらなければいけない事をやったらどうだ?』とオレ。
『そうだな。坊の言う通りだ。やらなければならない事をやるか・・・』とハーバー。
『ああ、ネティもアーバンソーはいらないそうだ。済んだ事は仕方ない。これからは対立しなければいい、とサイファーも言ってるらしいぞ。』とオレ。
『ハーバー、領地経営は簡単だ。領民の要望について、他の民と調整するだけだ。領民は生活の為に努力する。だから領民に任せ、余計な事はしないことだ。道路の整備や田畑の開拓には金がかかる。税を貯めておく事も大事だ。簡単だろう。』
『坊は三歳だろう?何故そんな事を知っている?』とハーバーが驚く。
『オレは最近は前世の頃の夢を能く見るんだ。年齢はハーバーと同じくらいだな。』とオレ。
『その世界でも商会の中で商売に携わっていた。その世界では誰でも領地経営に関われるから、領地経営の事を皆が知っている。それが理由だ。』
『ハーバー、オレは、恐らく、もうこの世に居られるのは長くない。直ぐ目の前に来ていると思う。母者が酒を飲む量が増えている。それはオレとの別離が間もないと感じて、気を逸らしているんだ。』
『オレは、心も頭も別れを受け入れている。しかし、この小さな魂が哭くんだ。嫌だ、嫌だとな。多分、魂に引き摺られて、暴発する事になる。それでこの世から消えていく。』とオレは起き上がってハーバーを見る。ハーバーの顔が強張っているのが判る。
『オレは、ハーバーに何もしてやれんかもしれん。。その時はネティに頼め。母者は多分壊れる。直ぐには直らん。ハーバーは大母には頼み辛いだろう。』と俯いてるハーバーの背に手を当てる。
ハーバーの体が震えているのが分かる。
『ハーバー、婆にも言ったが、その時が来たら泣くな、笑って送ってくれ。それが消えて逝く者への手向けだ。』
『・・・ああ・・・そうだな』
ハーバーの声聞き取れないくらい小さい。
『ハーバー、一つ頼みがある。スーフェンでトツクのウェーブという者を拾った。知っているか?』
『いや・・・』
ハーバーの声は小さいままだ。
『スーフェンでも商会を置いた。今はそこで生活品を打たせている。』
『ウェーブの祖父は白銀鋼で剣を打てたそうだ。ウェーブは祖父から打ち方を教えて貰えなかったと言っている。オレはウェーブに白銀鋼の剣の打ち方を教えてやると約束した。しかし、出来そうもない。ハーとホーなら教えてやれる。ハーとホーには話しておく。すまんがウェーブに引き合わせてやってくれ。』と、オレは空を見ている。
『その男の祖父はトツクでは有名だ。祖父の名は知っている。承知・・・』とハーバー。
『ハーバー、お前に会えて良かった。楽しかったな。ムエル夕では最高だった。』と笑う。
『だな・・・』
『ジョングにはもう一度会えると思っていたが・・・今のままでは無理そうだ。よろしく言っておいてくれ。』とオレは笑う。
『ハーバー、忙しいだろう。もう行け。・・・オレらが行く時は、挨拶無しで行くから、ここでお別れだ。元気でな。』とオレは言うとハーバーの声も聞かず、ハーバーを下のテラスに下ろす。
ハーバーはオレを見ずに一階の部屋に入って行く。
『坊、ハーバー殿と何を話をしていたのですか?』とサラが話し掛けてくる。
『サラ、脅かすな。落ちるとこだったぞ。』とサラを見て笑う。
サラも苦笑している。
『領地経営の話をした・・・ウェーブの事も・・・それと別れの話だ。』
サラがオレを抱き上げて、頬ずりをしてくれる。サラの頬は温かい。
『そんなに時は無いのですか?』とサラがオレの耳元で言う。。
『ああ、オレの心と頭と体、そして魂の釣り合いが取れていないからな・・・思ったより幼い魂が強い。サラに別けた生命など関係なくなったな。オレが消えた時に魂が残るか、体が残るか、全て消えるか残るかは運次第というところだ・・・』とオレ。
『サラに会えて嬉しかった。サラは美しいからな。もう少しオレが大きければ嫁に貰えたのにな・・・サラの母乳が飲めないのは残念だが・・・やはり別れは悲しいな。』
『サラ、笑って暮らせ。長生きしろよ。』とオレは呟く。
サラは何も言わず、頷くだけだ。
『そろそろ、母者がお冠の頃だ。戻るぞ。』とオレ。
サラに抱かれたままサラと共にの母の脇のイスの元に降りる。皆がサラを見ている。サラは俯いたまま母者にオレを渡す。
『母者、まだ飲んでいるのか?』とオレ。
『ジオ、全然飲んでいないわ。』と母の目が据わっているのをオレは見る。
『母者、たまにはゆっくり話をしたいが・・・少し酒を控えたらどうだ?』とオレ。
『ジオは母と話がしたいの?』と母。
『ああ、たまにはいいだろう?』とオレ。
『そうね、考えておくわ。』と母。
母は立ち上がると、オレを下ろして馬車に入ってしまう。
『ジオ、どうかしたの?』と大母が言う。
オレは大母を見て頷く。
『ネティ、すまんがハーバーが困っていたら助けてやってくれ。母者がああだから、頼みたい。』とオレがネティに微笑む。
『・・・ええ・・・、任せて。』とネティも笑ってくれる。
ネティは少し悲しげに見える。が分かってくれたようだ。
『大母、もっと早く会いたかったな。これもラングルトンが余計な事しなければ、早く会えたのにな・・・すまん大母・・・言わ無くても良い事を言った。』と顔を見られないように顔を伏せる。涙が落ちそうだ。
大母が不思議な顔をしている。
『最近、心が幼い魂に引き摺られるようだ・・・母者を見てくる。』と馬車に向かう。
『母者、起きてるか?』と母を見る。
『ジオ、大丈夫よ。』と母は長椅子から起き上がる。
『母者、抱いてくれ。』とオレは手を出す。
『ジオ、時間はもう無いのね。』とオレを抱いてくれる。
『母者にもわかるか・・・もう無いな。母者すまんな。』と母の胸に顔を埋める。
『母者、オレがもし消えても、誰も恨まないでくれ。母者は心穏やかでいてくれ。』
『ジオは平気なの?』と母が頭を撫でてくれる。
『母者、オレは母者の乳を飲んでいる頃から母者が大好きだったんじゃ、平気な訳あるか・・・まだ三年しかー緒におらん・・・』
・・・涙が出てきて止まらん・・・
『母者、生きる・・・とはどう云う・・・事じゃ?』と泣きながら聞く。
『母にもわからないし、きっと誰れにもわからないわ・・・』と母がいう。
『ジオ、ゆっくり寝るのよ。きっと疲れてるのよ。明日になれば、きっと変わるわ』
と母の声が遠くで聞こえる。
四十五話 完