三話 ノルデノルンの地その一
アクトに繋がる岩の橋はもう無い。オレが、うっかり落とした。オレは三歳児だ。済んだ事は気にしない。
ここからはノルデノルンの地だ。
アクトで読んだ《地学大全》には、
〈ノルデノルンは一部の岩石地域と草原を除けば全て森と森林の地である。西は、森から森林へと続き、更に西に、悠久の山々と呼ばれる人跡未踏の地と接っする。東には大峡谷が存在し、東から他の地域へ行く事は出来ない。大峡谷の反対側はアクト領であり、アクトの南はグランツ領となる。ノルデノルンの森林が終る南は砂漠が広がる。〉と、書いてあった。
この絶壁から侵入出来る者はいないと思うが、用心の為、探知の為の気配を巡らしておき、警告用の投石の用意もしておく。勿論、その力を継続して作用させる魔石も設置しておく。
その準備に時間は要さない。母やゼルトは気が付かない。
それを隠すつもりはないが、詳しく説明するのは三歳児には面倒だ。だから敢えて言わずにおく。
オレらを乗せた馬車は、橋からの岩場を過ぎて、なだらかな草地の丘陵を蛇行しながら昇っていく。昇りきった道の目前に平坦な草原が広がる。草原の遠くに森が見える。深い森のようだ。
馬車は草原の中の道らしき所を進み、やがてその森の入口に着く。 草木が生い茂り、前を塞いでいる。当然、道は草木に隠れている。
・・・痕跡はあるから、道を通すか・・・
『母者、道がない。』
『そうね・・・困ったわね・・・』と、母の顔が曇っている。
『母者、木や草を払ってもいいか?』
『出来るの?』と母が訝しげに聞く。
『やってみる!』
馬車の屋根に上り、前の部分に足を垂らして座る。
母が、それを不思議な物を見るような顔で見上げている。シーザスやゼルトも不審そうに振り返り、オレを見る。
オレは、母やシーザス等の視線は気にせず、前の森を見つめる。大きな鎌をイメージし、内力を飛ばす。気は道の痕跡に向かって、刃となって飛んで行く。
そして、そこに生えてる草木を、見える限り刈っていく。刈った草木を更に細かく裁断し、その地に撒く。
次に、その草木の刈られた地を掘り起し、根を刈り、また細かくし、その地に撒く。そして、その地を圧縮、整地する。その幅は、馬車がすれ違える程の広さだ。
『じい、ぼーっとするな。馬車を進めろ。』
『ああ・・・』
呆然としていた爺とゼルトが、オレの言葉に慌てて、馬車を前進させる。
整地した路面を馬車が進んで行く。
更に森の木や草を裁断、伐採、粉砕し、整地し、道と成して行く。
同じ事を繰り返し繰り返し、行い進んで行く。
その連続の作業は早い。見ている皆には、草木が消え、道が現れるようにしか見えない。
やがて、目の前に大人三人分の高さの石の壁が姿を見せる。
石の壁は大人の腕の長さの正四角で積み上げてある。
・・・この白い石は渓谷の石だな、見事な四角だ、本来の表面は、つるつるにしてあるぞ・・・
オレは石の壁に感心しながら母に声を掛ける。
『母者、壁だ。』
『・・・』
母からの返事は無い。
母は、馬車の中から壁の方を見たままだ。
『母者・・・ここがノルデノルンの居住地か?』
オレは、馬車の屋根から母を見下ろしながら、再び訊く。
『そうね・・・壁ね・・・ここがノルデの居住地よ・・・』
呆然としている母が、オレの言った言葉を繰り返す。
オレの作業を目の当たりにしてか、それとも、住んでいた地の荒廃を見ての事か、母は呆然としたままだ。
大人の三人分程の高さまで積み上げられた石の壁は、蔦に絡まれ、苔の生えた様子で、中に通じる為の道を通す一部の間を開けて、左右、東と西の森の中へと伸びている。
その壁は、随分と先で直角に曲がり、南へ伸びて居住部分を囲っている。
オレは、馬車を壁の門らしき間に近づけさせると、馬車の屋根に立ち上がり、石の壁の中を眺める。
石壁の向こうは、大人の背の高さの草が生い茂っている。空を遮る大きな木は生えていない。
遠くに石造りの建物も見える。また、木の柱も数多く見え、家屋が建っていた痕跡がある。
・・・うむ、取り敢えず草を刈るか、それと、腐った木々を片付けよう・・・
『母者。草を刈って、不用な物を片付けるけどいいか?』
母の硬い顔の肯きに、作業を始める。
オレは、前方の草、朽ちた柱を払い、露わになった地面を、軽く整地する。右側の右壁、左側の左壁までと、同じ作業を繰り返し行う。
その作業を、前方の石造りの館跡の先まで行なった。
・・・敷地は広い、まだまだ先が有りそうだ・・・
そそり立つ西と東の外壁も、整地した辺りまで蔦を払い苔を取り除き、その石の表面を磨き上げる。
石造りの館についても、表面の見える部分を、同じ様に綺麗にしておく。
見た目は大事だ。この様な地にあっては、荒れたままの状態では、皆の心も落ち込んでしまう。
・・・館は壊すから、内側は後で良いな・・・
石の館跡は玄関が南を向いている。敷地の正面は南のようだ。敷地は南北に長い。
馬車の屋根に上り、南を向いて眺めても、草の生い茂る終りが分からない。
・・・広そうだ。畑も出来るな。残った未整地の分は明日にまわそう・・・
三歳の幼児に、連続の強い能力の使用は辛い。
『母者!疲れた、休憩する。』
馬車から出て来た母や、ジーサス、ゼルト、エレナ、ルミナも、一連の作業の動き、その早さに、ただただ突っ立っていた。
皆、不可解な顔で黙っている。オレは一人馬車に入って、休憩を取る。陽はまだ高い。
『お嬢!どうなってる?』とシーザスの声。
『私に聞かないで、ジオに聞いて・・・』
と答える母の声。
その後の会話が眠くて聞こえない。オレは眠りに就いた。三歳児は弱い。
二刻程で目が醒める。もう陽も傾いている。午後も夕刻に近い。腹が空いている。急いで馬車の窓からから回りを覗く。テントとテーブル、水甕も、石の館跡の前に出ている。
馬車の足場は三歳児には高い。、転ばないように降りるのは、三歳の身長では無理そうだ。
母と皆は、黙ってテーブルの椅子に座り、馬車から降りようとするオレを見ている。
・・・見てないで、手伝いに来い。仕方のない奴らだ。・・・
『ルミナ、エレナ。』
オレは二人を呼ぶ。の声に、はっとしたエレナが駆け出し、ルミ ナも悪い脚で、急いで馬車に来る。
オレは二人に馬車から降ろして貰うと、手を洗いに、水甕に歩いて行く。寝起きのせいか、よちよちだ。
・・・うん?水がないぞ、困ったものだ・・・
オレは手を翳して水甕を水で満たし、杓子で手を洗う。皆が不信な顔で見ているのに気がつく。気にせずテーブルに向かい、母の傍らに座る。
首から吊っている魔石袋から、オレが宿で用意して貰った昼食用の野菜スープの鍋、パンの入った籠、焼いた鳥肉を乗せた皿を出す。まだ温かい。自分の分を盛り、皆に回す。時間的に夕食も兼用だ。
『皆も、食べろ。』
何か言いたそうな皆を気にせず、食べ始める。寝起きのぼうっとした頭が起きてくる。三歳児には、焼いた肉は硬い。
『ねぇジオ・・・魔力はいつから使えたの?』と母が、料理の乗った皿を前に、オレに聞いてくる。
『母者。魔力ではないぞ。オレは魔人ではないからな・・・呼ぶなら能力か内力だ・・・気でも良いぞ。』
とオレは母を見る。
『そうね。魔力と呼んでは駄目ね・・・』
と、母がオレを見て渋い顔で頷く。
『前の侍女たちが居なくなる前に、夜中に濡れた布が顔に乗ってた。息が出来なくて、一生懸命、顔と体を振った。でも取れなくて。で苦しくなって、布に!あっち行け!って思ったら、布が飛んでった。それで、次に、布に、こっちこい!って考えたら、こっちに来た。で、誰もいない時に、いろいろ飛ばして覚えた。』
と、普通に応える。
母の顔が泣き出しそうに変わる。
『・・・そう・・・そんな事が有ったの・・・苦しかったでしょう。その後は、苦しい事はあったの?』
母はそう言うと、オレを抱いて背中を撫でてくれる。
・・・どうした母者、泣いているのか、何故泣く?もう済んだ事だぞ、泣くな母者、オレも悲しくなるぞ・・・
『母者、大丈夫だ・・・その後は、エレナもルミナも居たから、何もなかった・・・』と、オレは涙を堪えた。
オレは、生まれた頃の母の悲しそうな顔を見た時に、心に決めた。母に涙を見せないって。
オレを離した母は、
『それは良かったわね・・・。』と涙を拭っている。
母はとても辛そうだ。
『金棒はどうしたの?』
『裏山の向こうの岩場で集めた。』
『・・・』
『母者の居た館に、本の沢山ある部屋がある。そこで、文字を教えてくれる本があった。それで文字を覚えて、沢山の本を読めるようになった。その中に、能力の本があって、修練の仕方や使い方が載ってた。それと、金棒の造り方も有った。それで造った。』
『ジオはその部屋に入ったのかしら?』
『オレは館に行った事は無いぞ。・・・それに、その部屋は、人は誰も入れないようになってた。能力でのみ入れるみたいだった。』
『体の中の揺らぎみたいな物を見たいところに飛ばすと、その揺らぎが頭の中に何でも視せてくれる。本も読める。』
相変わらず母も皆も不思議そうな様子であったが、それ以上特に聞かれなかった。
三歳のオレが能力が使えるという事だけで驚いている。
食事を続けながら皆の顔を眺める。皆も食事をしている。取り敢えず、オレの事は気にしない事にしたようだ。
それに、皆、どこか不安そうだ。
・・・不安なのは当然だ。ノルデノルンがこんな森しか無いとは思わなかったはずだ・・・
特にゼルトは親のジーサスに有無も言わさず連れて来られて、何か考えていそうだ。もう三十後半、やりたい事もあるだろう。
魔袋から金棒四本出して、ジーサス、ゼルト、ミレナ、ルミナ四人の前に出す。
『これ、やる。』
『皆、これからどうするか、よく考えろ。好きにしていいぞ。』
四人は無言だ。
『・・・』
金棒をじっと見ている。
更に、オレの作った魔石袋を四人分出す。
金棒や大事な物が仕舞えるように、使い方を教える。勿論、必要と思われる物は入れてある。
皆は、黙ってオレの話を聞いている。
母は特に何も言わない。
『母者、ここは母者の領地か?オレは楽しい。初めて外に出ていろいろ見ることが出来るし、人に見られる事もなく能力も使える。母者ともずっと一緒に居られるしな。』と食べながら言う。
『母はどうじゃ?』と母に聞く。
『母もジオと一緒で嬉しいわ。』と、母が笑う。
『オレも。』と、笑って応える
初めてテントで寝た。
テントで寝るのも快適だ。四人用で十二畳、二人用で六畳、寝台も付き、個別に仕切りもある。母と二人だけで寝られるのは初めてで嬉しい。思考力は大人でも体と心は幼児だ。母の体温を感じられるだけで安心だ。母に抱かれた三歳児のオレは眠りが早い。
昨日は母に抱かれ、よく眠れた。
一人、早朝から起き出す。
この世界の朝食はほぼ決まっている。ぱさついた茶色の丸いパンと薄い塩味の野菜スープ、それに鳥肉の薄切り焼きだ。
この地域でも米はある。が、米はそれほど食べられていない。米の需要は少なく、高価だ。高価な故に調理方法も知られていない。
しかし、オレは最近、米の欲求が強い。とても食べたい。
オレならうまく炊けるだろう。
何せ、土鍋を持っている。能力で作った土鍋だ。
米はアクトアスの雑貨店で仕入れ済みだ。
米を適量の水に浸し、米が水を吸うのを待つ。米が水を吸ったら、適量の水と、土鍋に入れコンロの火にかける。土鍋の水分が無くなって完成。
更に卵を溶いて土鍋に入れ卵ご飯にする。その間に卵焼き、鳥の骨から取っただしの汁に野菜と鳥肉、溶き卵を入れて親子スープだ。
オレは三歳児だ。力はない。全て内力で操作する。端から見たら、オレは座っているだけにしか見えない。
この世界の者は、大かれ少なかれ、能力を持っている。しかし多くの人が使い方を知らない。能力の使い方が隠されているからだ。
後ろから、鍋の動き、具材の飛び込む様を見ている気配がある。
・・・後の気配はゼルトか。・・・
『ゼルト、いつからいた?』
『最初からいたぞ、作り方もみた。』
『そうか・・・作れるか?』
ゼルトを見ないで訊く。
『・・・』
ゼルトは答えない。
・・・これからはゼルトに作ってもらおう・・・
『美味しそうね。母にも、それね。』とテントから出て来た母が、そう言ってテーブルの席につく。
皆起きて来ている。皆で料理を見ている。
・・・仕方ない・・・
『エレナ、ルミナ、配れ。』
『はい。』と、うれしそうな声が重なる。
『母者、どうだ?』オレは卵ご飯を食べながら聞く。美味い。我れながら良い出来だ。卵焼きも美味い。出汁が効いてるな。
『坊、美味しいわ。米もいいわね。坊は料理も出来るの?』
母は、味に満足そうに訊く。
『ああ、見ての通りじゃ。』と、適当に答える。
どうせ、母も食べるのに気がいっている。皆もそうだ。
『母者、木の柱が欲しい。森林の木を切ることは出来るか?』と、食事後のお茶の時に話をする。
『ああ、坊なら森林のヌシも許してくれると思うわ。森林に入ってお願いしなさい。すると、返答があるかも知れないから、そうしたら、その通りにするのよ。』
・・・ヌシ?なんだ・・・
『母者、ヌシとは誰の事だ?』
『ヌシはヌシよ。昔からあの森林を司っていると言われてるわ。母は幼い頃にここを出たから、声を聞いていないけど、母の祖父も父も話したと言っているわ。その声が聞けないと、森に入れないわ。』
『でも、ジオなら大丈夫よ。能力が足りてると思うわ。』
『わかった。やってみる。』
『一人で行くのよ。行けるかしら?』
『ああ、大丈夫だ。』
『森に入って話し掛けられる声が聞こえない時は、何もしないで、直ぐに戻るのよ』
『そうする。』
敷地の北門から、魔力で座布団に座り、空中を飛んで森を越え、西の森林地帯に飛ぶ。森林地帯の木々の間から、木の高さの中間ぐらいまで降り、静止する。
オレは居ずまいを正し、頭を下げ、
『生きとし生ける森の御方々よ、どなたか我にその御身を使わせ給え。伏して、お願いもうす。』と、母に教えられた言葉を述べる。
・・・係累か、戻ったか。坊、気に入るものを使え。敬語は要らぬ。・・・
『そうか、すまん。感謝する。』と伏したまま答える。
そして、頭を上げ、周りを見回す。
・・・姿は無いか、気配も消えた・・・
オレは、傍らに聳え立つ大木の前に寄ると、合掌し礼拝する。
その大木を、地面から大人の上脛くらいの高さの部分で伐採し、上の部分を頂戴する。
大木を森の上空に持ち上げ、敷地の上空へと移動し、館跡の後ろ、離れた場所に降ろす。
母も皆も、大木が降りてくるのをじっと見ている。皆に声は無い。オレは母の傍らに降りる。
『母者、ケイルイは戻ったか、と言われた。その意味は何だ?』
『ケイルイとは血の繋がった者の事よ。良かったわね。森林のヌシに認知されたわ。ジオがノルデノルンの継承者だとね。これで大蜘蛛の糸も使えるのよ。』
『母者、蜘蛛の糸が使えるとはどういうことじゃ?』
『つまり、この森林にいる蜘蛛が出した糸の塊が、森林のあちらこちらにあるのよ。それを自由に拾うことが出来るわ。しかし、認知されない他の者は、この森林に入ることを許されないの。この森林の生き物全てに攻められるわ。』と母が神妙に言う。
『母者、それはオレだけなのか?母者やゼルトはどうなる?』と母に聞く。
『ここに住む者として、生活している者は大丈夫よ。つまり坊が認めた者ということになるわ。但し、この森林を敬い、この森林に生きる物の尊厳を守る限りはね。だから坊、気をつけるのよ。この地に住む者の資質にね。』
『そうか、わかった。』と、オレは頷く。
『母者、岩場や草原はどうなる。』
『あそこは、特には無いわ。しかし生きる物を敬う気持ちを忘れては駄目よ。』と、母が言う。
『ああ、大丈夫だ。』
北側の門から敷地の横幅一杯に南側へ向けて石の館と半分の距離まで馬の放牧場の予定地とし、その予定地の南側の中心の位置に馬房の場所とする。
頂いた大木を、オレの能力で乾燥させ、馬房の柱に必要なだけの大きさにし、表面の木の肌を落とし、角材として柱を加工していく。馬房の枠組に柱を組んでいく。それぞれ壁の部分に土を填めて圧縮する。これで馬房のみは出来上がる。
次に馬たちの運動場に大きく起伏をつくり、草地や草原の牧草を貼る。北門からの道を、起伏を避け、平坦になるよう、蛇行して通す。
そして、馬を、完成した放牧場に離す。
馬房と放牧場を作るのに、午後に少々掛かってしまった。
どう云う訳か、誰も昼飯の支度をしようとしない。
・・・仕方ない、オレが作るか・・・
何故か頭に浮かぶ料理、作れる気がする。
猪肉を小麦粉に搦め、卵を付けて、パンの粉を塗し、油で揚げる。揚げた肉を食べ易いように細く切り、更に、沸かした甘い汁にそれを浸し溶いた卵をかけて、少々沸かす。それを甘い汁ごと、ご飯に載せる。鳥の骨の出汁の野菜スープも作る。
ゼルトが傍らで、それを見ている。
ルミナとエレナが寄ってくる。そして、出来上がった料理を運んで行く。
・・・ちっ、運ぶタイミングだけは、ぴったりだ・・・
この肉の料理名が解らない。が美味い。厚い肉も柔かい。皆も、満足そうに食べている。
・・・ゼルト、見てたか?次は頼むぞ・・・
三話 完