くりかえす食卓
見間違えるはずがない。
竹琉は毎日、あのイスに座り、テーブルにおかれた料理を食べていたのだから。
『よし、準備はだいたいできた。あとは食卓を散らかした人が片づけをするだけかな』
体がふるえた。
光の中に入ってきたのは、男性。
灰青色の光沢が綺麗な黒髪。目じりがたれた優しげな目つきに黒茶色の瞳。濃紺のエプロンが似合う背の高い男性。
その男性を、竹琉はよく知っていた。
「お父さん!」
父・葉流だ。
おだやかで優しくて、なんでもできる自慢の父。
竹琉を決して無視したりする人じゃない。なのに、葉流は竹琉を見てくれない。
食卓にスポンジケーキをおき、暗闇の奥を見つめた。
『さぁ、散らかした人、今すぐ片付けてー』
『あらあら、葉流ったらイヤミな言い方をするわねぇ』
ペタペタと歩く音がする。
『大丈夫よ。竹琉はのんびり屋さんだもの』
『ついでに、おおらかだから、散らかっていても大丈夫って言うんだろう? 今日はダメだよ』
『まー、こわーい! おかあさんみたーい』
次に光の中に入ってきたのは、女性。
みつあみに結われた、ひざ裏まで届く髪は茶色の強い紅茶色。長いまつげに縁取られたアーモンド型の大きな目。キラキラ光る黄丹色の瞳。記念日にだけ着る黒いワンピースに包まれた体は、小柄で華奢だ。
その女性を、竹琉はよく知っていた。
「お母さん」
母・織日だ。
甘えん坊で、竹琉以上にのんびり屋で、植物を育てるのがすごくうまい竹琉の自慢の母。
葉流とおなじく、竹琉の呼びかけを決して無視しない人。なのに、母もこちらを向いてくれない。
二人は竹琉に見せつけるように見つめあい、笑いあう。
『竹琉、今日はとっても遅いわね。さてはまた空頼くんと泰地くんとデートね』
視界がおおきく揺らぐ。
僕はここにいます! いいたくても、喉がつまってでてこない。
『まったく、くやしいわぁ。竹琉ってば、あの二人のこと好きすぎだと思わない?』
『怒らない怒らない。これはチャンスだよ。竹琉が帰ってくる前にケーキを完成させておこう。織日も飾りつけを手伝って』
『手伝わないに決まってるじゃない』
葉流は、肩をすくめて苦笑い。
『今日の葉流ってすごくイジワルだわ。私の不器用は神のおすみつきなのよ? このキレイに焼けたスポンジをぐちゃぐちゃにする自信があるわ』
『苺をケーキの上にのせるだけでもいいから、ね?』
『……まったくしょうがないわねぇ』
『こら! つまみ食いはダメ!』
『ケチケチしちゃって、また実らせればいいだけじゃない』
竹琉はうーうーうなりながら、二人の様子をながめていた。ながいこと、そうしていると、あることに気がつく。
なんだか、変だ。
葉流は、スポンジに生クリームをかけていた。ボウルに入った生クリームは、果てしなく流れている。なのに皿からクリームがあふれることはなかった。
織日は、苺をつまみ食いしつづけている。ザルに盛られた苺は、けして減ることがない。
違和感はそれだけではない。
二人の会話はなにかを読ませられているように聞こえた。葉流の穏やかさも、織日の呑気さもまったくない。まるで──
「演劇でも見てるみたい、です」
『そのとおり』
あらたな声は降ってきた。
顔をあげると、無の世界に月が昇っていた。
月の色は紅梅色。真ん中には赤い紡錘形のクレーターがあった。月は数秒ごとに一瞬、隠れたり、くるっと光が動いたりする。
それを見て、竹琉の頭にひとつの単語が浮かんだ。
目。
首を横にふる。ありえない。
低く轟くような、笑いがふりかかる。
『またまたご名答だよ、愚かな子供。お前がいま、ひたむきに見つめているのはワシの目さ』
桃色の満月がぐにゃりと歪んで、三日月に変わる。
嘘。竹琉は言葉を飲んだ。
巨大な目を持つ生き物は、この世界に存在している。だが、その中に『人の言葉を話す生物』はいない。見えている目は一つ。ならば、もう一つの目があるはず。それがいま見えていないということは、これは相当な大きさだ。
そういえば、『目』は口でいっだろうか。頭におもいえがいただけだった気がするのに。
心を読まれた? そんなことありえることか?
竹琉は一気に混乱した。頭の中が疑問符でいっぱいになる。
誰? これはなに? なぜ心を読むことができた? そもそも、ここはどこ?
『頭の中が疑問だらけだな。あいにく、ワシは暇だがな、愚かな質問は嫌いだ』
「ぎぃいいいいいいっ!」
突然の悲鳴に竹琉は声の方を向く。鳥肌だらけの体に、冷や汗がつたう。
傷だらけの少年は、芋虫のように縛りつけられ、空を浮いていた。
少年を縛りつけているのは、鳥居の隙間のいたるところからのびた黄金の注連縄。細い縄は、まだ乾いていない少年の傷を容赦なくえぐっている。
笑い声が降りかかった。
『ようやく、愚かな子供の愚かな疑問がおさまった。コレにも使い道があるものよ』
言葉をゆっくりと理解すると、頭の中が急に冷静になった。
紅梅色の月を睨みつける。
「僕が考えていることがうっとおしくて、あの子にあんなことをしているんですか? だったら、彼を解放してあげてください。
いま、僕はあなたと話すことに集中しているのですから」
『甘っちょろいものだな。やはり愚か』
ぼうっと強い風が吹いた。おそらく、それは月の鼻息だ。
ごぉん。
鈍い金属音が響きわたった。
『鳥居の外をみるがいい。
お前が見えているものを疑い、オワイの集中が途切れたことによって、『役者』が正体を明かしている』
紅梅色の三日月が満月になり、すこし右に移動した。すると月は扇の形に変わった。
竹琉がじっと見つめていると、月は満月になったり扇の形になったりをくりかえした。
うながされている。
竹琉は傷だらけの少年のことを気にしつつも、すきまをのぞいた。
その光景を見た瞬間、口をおさえ、一歩うしろに下がった。